口下手新婚夫婦の両誤解(R15版)

矢崎未紗

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第一章 新婦の誤解

第04話 初交流(中)

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 ほかの家族とはグントバハロンで別れをすませてきたが、こうして最後まで一緒だったジェラルドともとうとうお別れだ。これで自分は本当に、グントバハロンの民としてではなく、エヴァエロン共和国の民としてこの地で生きていかなければならない。生まれてから十七年間一緒だった家族とはもう気軽に会えないのだと思うとティルフィーユの心はひんやりと冷え、言葉では言い表せない不安に覆われた。

「ベアトリーチェにはたくさん手紙を書いてやってくれないか。彼女のおしゃべりに根気よく付き合ってくれる君がいなくて、周りが困ってしまうからね」

 ジェラルドはそう言って苦笑した。
 末っ子のティルフィーユにとって、年の近いベアトリーチェは兄弟姉妹の中で一番の仲良しだった。おしゃべりが得意なベアトリーチェの存在は、ティルフィーユにとって心の支えだった。まさか自分が先に嫁ぐとは思わなかったが、四人いる姉妹の中で一人ぼっちになってしまったベアトリーチェを思うと、ティルフィーユの胸には寂しさが去来する。

「頑張るんだよ、ティル。僕ら兄弟姉妹、何よりグントバハロンはいつだってティルの味方で、君を忘れることはない。ティルの幸せを、いつも心から願っているよ」

 ジェラルドはそう言うと、静かに右手を差し出した。ティルフィーユは今にも涙をこぼしそうな潤んだ瞳で、その手を両手で握った。

「はい……私も……グントバハロンを忘れません」

 この屋敷へ来てまだ四日。それなのに、早くも夫キアンとの関係に心が折れそうになっている。寂しくて、ともすればグントバハロンに帰りたいと呟いてしまいそうなほどに。
 確かに、この結婚は政略結婚だ。大国と縁を結びたいというエヴァエロン共和国側の希望をグントバハロンが受け入れた形だ。その証にすぎない結婚、そしてキアンとの夫婦関係。それぞれが相手をどう思っているか、個人のその感情は一切無視した結婚――それでも、この縁には意味がある。政略結婚ながらにも、キアンとはよい夫婦になりたいと思う。

(諦めないで……頑張らないと)

 自分を嫌うキアンの気持ちをどうにかすることはできないだろう。けれども、自分の気持ちや心の有り様は変えられるはず。せめて自分はキアンを想う妻でいようと、ティルフィーユは己を奮い立たせた。

「じゃあね、ティル。元気で」

 ジェラルドはそう別れを告げると、ストーラーの屋敷を後にした。騎士団本部でグントバハロンの武人たちと合流し、オールベーサ街道を北上してグントバハロンに帰るのだ。
 ジェラルドを見送ったティルフィーユは、傍に控えていたホルガーに振り返った。

「ホルガー、キアン様は今日と明日、どうされるのかしら」

 キアン本人に尋ねても答えてくれる気はしなかったが、ホルガーなら主人の予定を把握しているだろう。果たして、ホルガーは間を置かずに答えた。

「決まったご予定はありません。奥様に合わせるか、我慢しきれずに庭に出て鍛錬なさるかと」
「我慢……しきれずに?」

 ティルフィーユは首をかしげながらも母国の武人たちを思い出した。
 自国内だけでなく、請われれば同盟国のためにもその力を振るう武人たち。彼らはいつも、自分の身体を動かすことを求めていた。ゆえに国内の自治警備だけでなく、時には大きな大工仕事なども好んで担った。グントバハロンが大国で多くの国民を抱えながらも国内ほぼすべての場所で治安を維持できているのは、ひとえに武人たちの働きによるものだ。空き巣やひったくりなどの軽犯罪ひとつ見逃さず、グントバハロンの武人たちはその武と身体で常に動き回って国と民を守ってくれるのだ。
 ミリ族のキアンも、きっと身体を動かすことが好きなのだろう。家の中でおとなしく読書をしているよりは、少しでも身体を動かしたいのかもしれない。

(キアン様のこと、もっと知りたい……。でも、ご本人を前に私はうまくしゃべれないし……どうしたらいいのかしら……)

 ティルフィーユは私室に戻り、ゆっくりと考えた。
 キアンの機嫌を損ねないようにしつつ、しかし彼の妻としてできることはないか。この地に馴染むために何をしたらよいのか。どうすれば、もっとキアンについて知ることができるのか。

(人脈……)

 始まったばかりのキアンとの夫婦関係。そのスタートは、決して良好なものではなかった。本当ならばキアン本人と関係を深めていくべきなのだろうが、昨夜と今朝の自分たちを客観的に見ると、どうもそれは難しいように思われる。
 ならば、第三者の協力を得るしかない。ただの愛玩人形で日々を過ごすことなく、この地で生きる一人のエヴァエロン共和国民になるためにも、この国での知人や友人を増やし、この地に馴染んでいかなければ。

(でも、どうしたらいいかしら……それに、私が交流関係を広げることをキアン様が不快に思われたら?)

 友達が欲しい、などと言えば、また「戯言を言うな」と否定されてしまうかもしれない。

(どうしよう……)

 ティルフィーユは葛藤を繰り返した。街に出て手当たり次第に住民に話しかけてみようかとも思ったが、すぐにキアンの不機嫌な顔が浮かんでその案は却下した。かといって、この屋敷にずっと閉じこもってばかりいては友人も知人も増えるはずがない。
 悩んだ末に、ティルフィーユはバルボラを呼んだ。一人では結論が出せそうにないことなので、ここは素直に、困っているので知恵を貸してほしいと人を頼ることにしたのだ。

「あの……この街に馴染めるようにお友達が……あ、いえ、話し相手でも……構わないのだけれど……その……交流関係を……広げたいと思って……」

 口下手なティルフィーユは決しておしゃべりが得意ではない。どちらかというと内気で内向的な性格だが、しかし人と関わることは好きなのだ。だからこそ、母国での仕事の時間を心から楽しんでいた。このエヴァエロン共和国でも一人、二人と、少しずつでいいから話せる人を増やしていきたい。

「でも、どうしたらいいのかわからなくて……何か、いい考えはないかしら」

 ティルフィーユの私室にやって来たバルボラは背筋をピンと伸ばしたまま、ティルフィーユのか細い訴えを黙って聞いていた。そして要点を把握すると少し考え込むような表情をしてから、冷静に答えた。

「奥様はミリ族の族長の妻となられましたから、まずはミリ族の方、それからほかの一族の族長夫人の方々と親しく話せるよう、交流関係を広げるのはよいことかと思います。ですが、旦那様はこの国の騎士団長、つまり国の要人の一人です。それを考えると、ダミアレア族との交流を主体にするよりも、この国の要人たちとの交流を主体になさる方がよろしいかもしれません」
「この国の?」
「たとえば、共和議会議長のヘンドリックス殿です。ヘンドリックス殿がこの国を興す際に、旦那様はよくよくヘンドリックス殿のお力になりました。ヘンドリックス殿は旦那様にたいそう感謝しておられます。そして、ヘンドリックス殿もご結婚されております。ヘンドリックス殿の奥方様との交流から始めてみるのが、筋が通っていてよろしいかと思われます」

 エヴァエロン共和国の実質的な元首であるロイック・ヘンドリックス。確かに、結婚式の際に彼とその妻が挨拶に来てくれた。政治の話が入るのでジェラルドに対応を任せ、ティルフィーユはただ傍でほほ笑むぐらいしかできなかったが、彼の奥方は落ち着いていて賢そうな女性だった。この国の要人の妻ということでティルフィーユと立場が近く、夫同士が親密ならば妻同士で交流を深めても、きっとキアンの機嫌を損ねることはないだろう。

「そうね……ぜひそうしたいわ。あの、私からヘンドリックス夫人を訪ねる方がよいかしら。それとも、結婚式でのご挨拶のお礼も込めて、この屋敷にお招きした方がいいのかしら」
「使者を出してうかがってみましょう。ヘンドリックス殿の奥方様は旧ジャノオン王国時代の右大臣コーム・グリマルド様の御息女で、今は夫であるヘンドリックス殿の政治を傍でお支えしていると聞きます。何かとご予定もあるでしょうから、相手方のご都合をお尋ねするとよろしいかと」
「わかりました。では、私からヘンドリックス夫人への手紙を書きますね」

 ティルフィーユはそう言うと、文机に向かった。便箋を広げ、文面を考え始める。そんなティルフィーユの妨げとならないように、バルボラは静かに退室した。
 頭を悩ませながら手紙を書くのは久しぶりだったので、書き終わるのにだいぶ時間を要してしまった。しかし、硬すぎず軽すぎず、なかなか良い文面の手紙が書けたように思う。
 ティルフィーユはその手紙を先方に届けるようにバルボラに頼み、そして昼食にした。キアンと向かい合っての食事だが、朝と同じように二人の間に会話らしい会話はなく、ティルフィーユは心の中に隙間風が吹くのを感じずにはいられなかった。

(キアン様との仲は……どうしたらいいのかしら)

 今夜もキアンは寝室で寝ないのだろうか。彼の私室は見ていないのだが、そちらにベッドがあるのだろうか。まさか、ソファで寝ていたりしないだろうか。自分のことは無視してくれても構わないが、身体はしっかりと休めてほしい。ティルフィーユはそう心配した。
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