口下手新婚夫婦の両誤解(R15版)

矢崎未紗

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第三章 関係修復

第09話 不整合(下)

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「ティルフィーユさんが間違っていると、あなたを責めるわけじゃないのよ。あなたが見て聞いて感じたことは、あなたにとっては正しいことだわ。でも第三者の私からしたら、ストーラーさんの気持ちがまったくわからないの」
「ソイラ様、それはどういうことですの?」

 気持ちが少し落ち着いたのか、ベアトリーチェはティルフィーユを離して姿勢を正した。

「ストーラーさんは初対面のティルフィーユさんとろくに話もせずに仕事に行ってしまった。自分からティルフィーユさんに話しかけない。初夜の房事もしなかった。その後共寝もなく、ティルフィーユさんが誘っても断った。それなのに、外では女性と立ち話をしている。それらは全部、確かに事実だわ。でも、ストーラーさんがなぜそうした行動をとったのか……どんな気持ちで何を考えてその行動をとったのか、それをご本人に確かめたことはあるかしら」
「え……あっ……」

 ティルフィーユははっとした表情になって黙り込んだ。ティルフィーユが何かに合点がいったのを鋭く見抜き、ソイラは続ける。

「少なくとも、ティルフィーユさんのお話を聞いただけの私には、ストーラーさんの気持ちや考えが何も見えなかったわ」
「私……決めつけて……」
「そうなの。ストーラーさんはこの結婚が嫌かもしれない、ティルフィーユさんのことを不愉快に思っているかもしれない、ほかに好きな女性がいるのかもしれない……それらは全部、ティルフィーユさんの思い込み……誤解という可能性があるんじゃないかしら」
「それって、ティルフィーユが悪いってことですの!?」

 ベアトリーチェはカッとなって責め立てるような口調でソイラに尋ねた。ソイラは辛抱強く「そうではないわ」と否定し、今度はベアトリーチェの方を見ながら続けた。

「誰が悪いということではないわ。ただ、相手のことを慮って理解しようとしながら、実際にしたのは相手の気持ちを確かめもせずに決めつけて誤解することだったんじゃないかしら。そしてもしかしたら、それはストーラーさんも同じなのかもしれないわ」
「キアン様が……?」

 ティルフィーユは目を見開いた。
 この一カ月、キアンのことは可能な範囲で見ていたつもりだった。だが、見ていたはずのキアンとはまったく違うキアンの像を示唆されて、ティルフィーユは驚いた。

「ティルフィーユさんの言うとおり、ストーラーさんは頭の良い方だと思うわ。それはつまり、いろいろ考えているということ。決しておしゃべりは多くないけれど、声に出さないだけで様々なことを考えていると思うの。異国から政略結婚のために嫁いできてくれたティルフィーユさんに対しても、きっといろいろなことを考えたと思うわ。でも、ほら……二人そろって、慣れない相手とのお話は得意ではないのでしょう? それでお互いの本音や気持ちをきちんと確認しないまま、二人そろって何か勘違いをして……それがすれ違いの原因になってしまったんじゃないかしら」
「そんな……」
「ティルフィーユさんの視点では、ストーラーさんの気持ちが何も見えなかったわ。同じように、ストーラーさんの視点からはティルフィーユさんの気持ちが何も見えなかったんじゃないかしら」

 そうかもしれない、とティルフィーユは思った。
 キアンは何も言ってくれない。話してくれない――だが、それは自分も同じだ。彼とろくに話せない日々だったということはつまり、自分の気持ちを何ひとつ彼に伝えられていないということだ。ティルフィーユの本心をキアンがまったく把握できていないということは、十分に考えられる。

「ねえ、ティル。あなたはストーラー殿のあの見た目、本当に怖くないの?」

 ソイラの話をおとなしく聞いていたベアトリーチェが、急に話題を変えた。ティルフィーユは小首をかしげながらも頷き、不思議そうな目でベアトリーチェを見つめる。

「私は正直、グントバハロンで遠目に見ただけでもストーラー殿のことは怖かったわ」
「うふふ、実は私も。夫にストーラーさんを紹介された時は、正直に言って怖くて、会話ができるほどに慣れるまで、時間がかかったの」
「そうですよね、ソイラ様。ねえティル、もしかしたらストーラー殿はこう考えているのではなくて? かわいいティルフィーユも自分のことが怖いに違いない、だから怖がらせないように距離をとろう、って」
「そ、そんな……えっ、そういうこと……なのかしら」
「ああ、決めつけるのはよくないわ! これはあくまでもただの予想よ。ティル、あなたはで働いていたからちょっと感覚がにぶっているのかもしれないけれど、普通の女子供からしたらストーラー殿の見た目はとても怖いのよ」

 ベアトリーチェがそう力説すると、ティルフィーユは困ったように俯いた。
 彼の見た目は確かにいかつくて迫力があるが、しかしよく見れば整った顔をしているし、何よりたくましいというのは素敵なことだとティルフィーユは思う。無口で不愛想で表情の変化に乏しいが、けれどもそうした外見はティルフィーユの中で「怖い」という印象にはならない。彼についてはまだ知らないことの方が圧倒的に多いが、キアンはきっと素敵な男性だと、ティルフィーユは心から思っている。

「初夜のことも、ティルフィーユさんは初めての痛みを怖がっただけなのよね? でも自分のことが怖いのだろうと、もしかしたらストーラーさんはそんな風に思ったのかもしれないわ」
「そっ、そうじゃないのに……っ」

 ティルフィーユは首を横に振った。
 二人の言う仮説を、手放しで信じる気持ちにはなれない。けれども、少なくとも自分はだいぶキアンの気持ちを勝手に決めつけていたような気がする。彼の本音や考えていることを確かめようとしたことがないのは事実なのだ。

「ティルフィーユさん、あなたにつらい目に遭ってほしいわけではないの。だから、あなたが本当にグントバハロンへ帰りたいと願うのなら、私も夫を説得して、あなたが帰れるように協力するわ。エヴァエロン共和国とグントバハロンの友好は、別の形で実現できるように努力してみます。でもその前に、せめて一度でいいからストーラーさんときちんと話してほしいわ。そうしてちゃんと、お互いの本音を知ってほしいの。あなたの本当の気持ちや何を感じていたのかを伝えて、同じように、ストーラーさんの本当の気持ちや考えていたことを聞き出して……ゆっくりと話してみて?」
「そうね、ティル。それがいいわ。そうしてちゃんと互いの気持ちを確かめれば、大手を振ってグントバハロンに戻ってこられるわよ! やっぱり婚姻は続けられない、って堂々と言えるもの!」

 ベアトリーチェは意地悪顔でニヤりと笑った。
 ソイラはティルフィーユがこの地に残ってほしいと思っているだろうが、ベアトリーチェはあわよくば、ティルフィーユにグントバハロンへ帰国してほしいと思っている。ティルフィーユの幸せを願ってはいるが、少しでも妹が傷つく可能性があるのならば、本気で連れ戻すつもりだった。

「ところで、夫からはティルフィーユさんが喜ぶ客人が近々グントバハロンから来ると聞いていたのだけれど……それはベアトリーチェさんのことなのかしら。ずいぶん到着が早いわね?」
「ティルフィーユに会いに行きたいと言ったら、ルド兄上がエヴァエロン共和国に連絡をしてからだ、とおっしゃいましたの。でもそんなの待っていられなくて、兄上がエヴァエロン共和国に手紙を出した次の日には出発してしまいましたの」
「なるほど……それで、連絡の手紙を受領した次の日にこうしてベアトリーチェさんがお見えになったのね。面白いお姉様だこと」

 せっかちすぎるベアトリーチェの行動を、ソイラはほほ笑ましく笑った。

「でもティル、あなた、ストーラー殿とお話できるの? 今までそれができなかったから、こうしてすれ違いを重ねていたのでしょう?」
「そ……それは……」

 ティルフィーユの性格を知り尽くしているベアトリーチェが、ティルフィーユを心配する。確かに、今までろくに会話できなかった夫としっかりと話さなければならないというのは、なかなかハードルの高い課題だった。

(でも……話さないと)

 ティルフィーユはふと、ソイラの慈善活動「学びの発表会」を手伝った時に対応した少女エレーンを思い出した。自分と同じようにあまり話すことが得意ではないように見えたエレーンだったが、しかしゆっくりとではあっても、自分が知っている花について話してくれた。「冬に咲く花が春には咲かないこと」――それはすでにティルフィーユが知っていることではあったが、そうではなくて、エレーンが頑張って話そうとしてくれたその姿を、ティルフィーユは嬉しく思った。エレーンという少女が花を好きなこと、それを知ることができてよかったと。
 小さなエレーンですら、頑張って話すことができる。ならば、大人の自分も頑張らなければ。

「でき、ます……お話し、します……キアン様と……」

 ティルフィーユは膝の上で両手を組んだ。
 もうここに自分がいる意味はない。そう思っていたが、自分のその思いすらも実は、何かを勘違いしたまま抱いた思いかもしれない。グントバハロンに戻るような結果になるとしても、それはせめて、キアンの本音を知ってからがいい。キアンの本当の心を知らないまま、そして自分の本当の心をキアンに伝えられないまま、夫婦関係を終わりにはしたくない。

(キアン様の気持ちを、きちんと知りたい……そして私のも気持ちも、キアン様に知ってほしい)

 ティルフィーユは心の底からから強くそう思った。

「頑張りなさい、ティル。あなたならきっとできるわ」
「はい……」

 ずっと心の中に閉じ込めていた気持ちをソイラとベアトリーチェ相手に話せたことで、ティルフィーユの心の閉塞感はずいぶんと消失していたのだった。
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