口下手新婚夫婦の両誤解(R15版)

矢崎未紗

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第三章 関係修復

第10話 先入観(下)

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「最初から……俺は最初から、君こそがこの結婚と俺を疎んでいるのだと……そう勘違いしていた。俺のことが怖いのなら俺は君の視界にいない方がいいだろうと……ずっとそう思っていたんだ」
「そんな……そんな、こと……ないのにっ」
「ああ……すまない、俺の勘違い……思い違いだ」

 キアンはすっと、とても自然にティルフィーユの頬に手のひらを伸ばしていた。ゆっくりと跡を残しながらそこに流れる涙を指先で拭いてやり、ティルフィーユの藍色の丸っとした瞳を見つめる。

「君と初めて会った時、君があまりにも小さくてはかなくて、それがとても愛らしかったから……そんな君からしたらこんな大柄で不愛想で無口な男はさぞや怖いだろうと、納得してしまったんだ。だから……両国のためには夫婦であらねばならないが、距離をおいてあまり関わらないようにすれば……君はきっと安心できるだろうと思ったんだ」
「そんな風に……お考えだったのですね」

 なるほど、ソイラの言うとおりだった。
 自分たちは見事なほど、別々の方向へ誤解を重ねていた。こうして互いの気持ちをオープンにしてみると、それぞれが勝手に思い込んでいた「相手の気持ち」は、何ひとつ合っていない。

「初夜の時は……」

 問われる前に、次はティルフィーユ自らキアンの誤解を解くことにした。

「私、初めての行為はとにかく痛いんだと思って……それがとても怖かったんです。キアン様はきっと乱暴なことなんてしないと……そう思えたのですけれど、嫁いだお姉様たちも最初は痛いと言っていたのでどうしても……」
「俺のことが怖かったり、行為が嫌だったりしたわけではないのか」

 キアンが心配そうな表情で尋ねると、ティルフィーユは自分の頬にあったキアンの手を両手で握りしめた。

「キアン様を怖がったことはありません。私は……キアン様と夫婦になりたかったのです」
「おととい、共寝の誘いをしたのは……グントバハロンから子を催促されたからではないのか」
「ち、違いますっ、そんなことは一度も言われておりません。おとといは……」

 キアンの手を握るティルフィーユの手に力が入る。

「勇気を出してお誘いして、それでも断られたら……もう本当に、キアン様との夫婦関係は続けられないと思って……お母様の顔に泥を塗ることになってしまうけれど、グントバハロンに帰ろうと……」
「それで家を出たのか」

 ティルフィーユの突然の出奔理由。それがようやく明らかになって、キアンは安心したわけではないがほっと息をついてしまった。

(俺がそこまで……追いつめていたんだな)

 初夜のことも、ティルフィーユは襲い来るかもしれない破瓜の痛みを想像して怖がっていただけ。それなのに自分を拒絶していると思い、身を引いてしまった。ティルフィーユからしてみれば、あの時の自分の態度はなんと冷たいものだっただろうか。「抱かれずにすんで安心しただろう」などと勘違いしていたあの夜の自分を殴ってやりたい。キアンはそう思った。痛みを怖がってでも行為に臨もうとしてくれていた新妻のティルフィーユを、自分は無下に突き放しただけなのだから。

「すまない」

 キアンはただ一言謝った。いろいろと誤解をしていた点においては二人とも同じだが、ただでさえ母国から一人で嫁いできて心細かったであろうティルフィーユを思うと、罪の比率は明らかに自分の方が重い。

「すまなかった……」

 キアンは再度謝る。もっと深く詫びるべきだろうが、むやみやたらに言葉を重ねても、それはそれで誠意がないように思われた。

「私、も……ごめんなさい……キアン様のこと、勘違いして……」
「いや、君が勘違いしても仕方がない。それくらいに俺の言動は不誠実で、君からすればとても冷たいものだっただろう」

 キアンはひとつ深呼吸をすると、ティルフィーユから視線を外した。

「互いの誤解は解けたと思うが、こんな俺ではこの先もきっと、君を傷つけるだろう。君が真に望むのなら、俺と離縁してグントバハロンに帰るといい」

 ほかのダミアレア族の男と再婚するという、マヌ族のチャダの無礼な冗談を採用するのは御免だったので、キアンはティルフィーユの帰郷を提案した。

「キアン様は……っ」

 しかしそんなキアンの提案に、ティルフィーユの中でぷっつんと何かが切れた。それはおそらく堪忍袋の緒というもので、ティルフィーユは人生で最も高い怒りの熱を自分の中に感じた。

「まだ私のことを……本音を! わかってくださらないのですか!」

 ティルフィーユは寝台から立ち上がると、キアンの正面に回った。そして絨毯の上に仁王立ちをして、俯き加減のキアンの両頬に両手を添えてその顔を上向かせる。

「私は、あなたときちんと夫婦になりたいんです! 昨日とおとといは本当にグントバハロンに帰ろうと……いえ、帰るべきなんだと思いました。キアン様は私のことを敬遠されますし、あなたとろくに会話もできず、ただ人形のようにこの家で過ごす人生なんて無意味で……っ」
(人形などと……)

 キアンは困惑した。ティルフィーユを人形のように扱った自覚はなかったし、人形でいてほしいとも思ったこともない。だが彼女を妻として扱うことも、夫婦であるとして接することもしていなかったのは事実だ。そんな自分のせいで、ティルフィーユは自身のことを人形のようだと思うほどに思いつめてしまっていたのだ。

「でも……違うのでしょう?」

 困惑するキアンと違って、ティルフィーユは両目から溢れる涙を拭うことなく、しっかりとキアンを見つめて続けた。

「キアン様は私を疎んじてなど……いないのでしょう? 私はここにいて……あなたの妻として……この先を一緒に生きてもいいのではないのですか……。私に妻でいてほしいと……あなたは望んでくださらないのですか」
「ち、違う……そうではない」
「なら! それならなぜっ……グントバハロンに帰ればいいなどと……おっしゃるのですか……っ!」

 ティルフィーユはずずっ、と盛大に鼻をすすった。しかしすすいきれない量の鼻水が垂れてきてしまうので、キアンの頬から両手を離し、チリ紙を取りに寝台を離れる。

――俺と離縁してグントバハロンに帰るといい。
(なぜ俺はそんなことを言った? ティルフィーユとの離縁など……自分は望んでいないのに)

 ほんの少し前の自分の台詞を思い返し、キアンは黙って考え込んだ。そして、とても簡単な答えに気が付いた。

(俺はずっと……保身ばかりだったのか)

 結果的には誤解だったわけだが、妻となる女性は出会う前から自分を嫌っていると思っていた。しかし実際に顔を合わせたティルフィーユはとても愛らしくて、正直に言って好きだとキアンは思った。ティルフィーユのウェディングドレス姿は本当にきれいで、苦しみを覚えるほどにときめいた。
 だからこそ、ティルフィーユと結婚して以降、キアンは自己保身のために彼女を避け続けていた。「好ましく思うティルフィーユから自分は嫌われている」という現実を味わって傷つくのが嫌で、彼女と向き合うことを拒絶していた。ずっと自分を守ることに必死だったのだ。「自分がいない方が彼女もいいだろう」だなんて、いかにもティルフィーユを気遣うような体裁で、実態はただ自分が傷つかないですむように彼女との関係から逃げていただけ。こうして互いの本音を知り、二人の間にはそれぞれの誤解があったのだと判明してもなお、「母国に帰るといい」などと突き放すようなことを言うのも、自分の心へのダメージを最小限に抑えるためだ。「離縁したい」と言われて自分が傷つく前に、予防線を張っているにすぎない。

(何を……言えばいいんだ)

 チリ紙が置いてあるチェストの前から動かなくなってしまったティルフィーユの背中をキアンは見やる。小さなその背に、その身に――いま自分は何を言うべきなのだろうか。

(俺の……本音は……)

 それは悩む必要もないほどに単純で、はっきりしているじゃないか。
 初めて彼女と対面した日、可憐なティルフィーユの姿に胸がざわついたのはなぜか。結婚式の日、ドレス姿のティルフィーユを心から愛らしく思い、その姿を誰にも見せたくないと強く思ったのはなぜか。嫌われていると勘違いし続けていてもなお、ティルフィーユに傍にいてほしいと――諦めきれずに強くそう思ったのはなぜか。何もかも、ティルフィーユのことを愛しているからではないのか。

(ティルフィーユ……)

 キアンは無言で立ち上がった。そして大股でティルフィーユの背後に近付くと、彼女の身体に両腕を回した。うっかりと潰してしまわないように、しかしできる限り最大の力を込めてティルフィーユを抱きしめると、キアンの中で何かが鮮やかに花開いた。
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