ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第13話 里長の操言士と初めての恋情

3.裸(下)

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「はあ~」
「身体はいいのか」

 思わず息を漏らしながら入った湯船には先客がいた。少し白く濁った湯がたっぷりと張った、底の浅い湯船。そこに浸かっていたのは髪の濡れたエリックだった。

「一応な」
「長風呂はしない方がいいぞ。傷に障る」
「そういうあんたはずいぶんくつろいでんな。昼間からのんびり入浴か」

 エリックから少し距離をとり、ユルゲンも湯船の底に腰を下ろす。
 確かに、身体を動かして皮膚が伸びたり縮んだりすると、まだ新しい傷口が開きそうな気配がして危うい。けれども身体がゆっくりと温まりたいと叫んでいるようで、その声を無視することはできなかった。

「鍛錬をしていたら汗をかいたのでな。この先の道のりも長い。休養できるうちに身体を休めておくのも仕事のうちだ」
「そうかよ」

 湯気で少しだけ曇る視界。壁も床も真っ白な浴場はやけに眩しくて、思わず目を閉じる。
 すると、おもむろにエリックは言った。

「君が無事だったから言えるが、あの選択は意外だった」
「何がだ」
「あの時、君は王黎殿ではなく紀更殿をかばいに動くと……そう思ったんだ」

 ローベルと馬龍から、それぞれ同時に狙われた紀更と王黎。
 ユルゲンのいた位置から近いのは王黎の方だったが、それでもエリックは、ユルゲンが紀更を助けるために動くのではと、あの一瞬で予想した。

「操言士の護衛。それが今の俺の仕事だ」
「護衛対象である〝操言士〟の王黎殿を見捨てる選択をすることはない、か。それに、紀更殿には紅雷殿がいたからか」

 エリックの指摘のとおり、あの瞬間、ユルゲンは決断を迫られていた。近くにいる王黎か、それとも特別に想っているあのか。どちらをどんな理由で優先して助けるべきか。
 状況次第では、悔いの残る選択になってしまったかもしれない。だがそうならずにすんだのは、彼女の言従士が彼女の傍にいたからだ。言従士なら、必ず自分の操言士を守る。そう紅雷を信頼できたからこそ、ユルゲンは王黎を守ることを選べた。

「王黎殿をかばって傷を負うべきだったのはわたしの方だな。すまない」
「よせやい。俺もあんたも、自分にできることをする。それでいいんだ。誰が負傷しようが、それは誰のせいでもない。どっちが傷つくべきだったかなんてことは考えなくていい。そんな正解があってたまるかってんだ」

 ユルゲンはそう言うと、さっと湯船から立ち上がった。これ以上身体が温まって血行が良くなっては、本当に傷口が開きそうだ。

「もしもまた俺の意識がぶっ飛んで動けなくなったら、今回みたいに見捨てずにいてくれりゃ、それでいい」
「わかった。善処しよう」

 エリックは口元だけで静かに笑った。そんなエリックに背を向けて、ユルゲンは浴室を出ていく。
 どこへ消えたのか不明だったユルゲンの衣服は、誰が修繕したのか上下そろって破れた箇所が繕われてまるで新品のような状態で、脱衣所にちょこんと置かれていた。



「二人は?」

 ユルゲンが浴場から出ると、塔の中央広間でくつろいでいるのは王黎一人だけだった。

「部屋に戻ったよー。紀更は裁縫が途中なんだってさ」
「裁縫?」
「何か作ってるみたいだね。まあ、暇つぶしじゃない?」

 ユルゲンが椅子を引いて腰を下ろすと、テーブルの上には咀嚼が楽そうなリゾット、根菜のスープ、やわらかくなるまで煮込まれた肉などの食事が現れた。けが人への塔なりの気遣いのようだ。
 ありがたく、なんの遠慮も躊躇もなくユルゲンはその食事に手を伸ばした。

「ユルゲンくん、食べながら聞いてほしいんだけどさ」
「なんだ」
「この先のことだよ」

 王黎は、この塔に着いてから紀更とエリックと交わした会話をかいつまんで話した。

「つまり、ピラーオルドの誘いに馬鹿正直に乗って、サーディアのピラーパレスとやらを目指す。んで、その手前の目的地は傭兵の街メルゲントで、俺がなぜメヒュラであることを知らなかったのか、それともメヒュラになっちまったのか、そのあたりの経緯を探る。それらの道中で、できれば『空白の物語』を探す、と。ずいぶん壮大で欲張る旅路だな」

 呆れたような困ったような、ユルゲンは複雑な表情を浮かべた。

「もしもセカンディア国内を移動するとなると、これまで以上に危険だな。オリジーア人の俺らが好き勝手にセカンディア国内を歩いているとバレたら、いったい何をされるか」
「まあ、なんとかなるよ」
「何か策でもあるのか」
「いや、特にないけどなんとなく、ね」

 王黎は曖昧に笑った。
 ユルゲンは、王黎のその根拠のない楽観的予測を訝しむ。だがすぐに、必要以上に恐れても際限がないことを悟った。危険な道程であることはオリジーア国内にいても変わらない。怪魔が多発しており、ピラーオルドにまた襲撃されるかもしれないからだ。

(今さら、他国を移動するぐらいで怖がっていられねぇか)

 ピラーオルドは敵意をこちらに向けてきているが、セカンディアは今のところ、オリジーアを敵視しているわけではないはずだ。それを考えれば、馬龍たちがいるオリジーア国内を移動するよりも、もしかしたらセカンディア国内を移動する方が危険は少ないかもしれない。

「王黎、さっきの部屋の中での話なんだが」

 ユルゲンが話題を変えると、王黎は静かに首を横に振った。

「ああ、いいよ。そういう事情じゃしょうがない。まあ、僕としては残念だけど」
「何が残念なんだよ。人の過去で楽しむな」
「いやあ、ユルゲンくんもなかなか、巻き込まれてるよねえ」
「さあ、どうなんだろうな」

 ユルゲンは目を細める。巻き込まれたのか。それとも自ら飛び込んだのか。

「っ……!」

 二人の間に沈黙が流れかけたその時、王黎が何かの気配を感じて塔の外へと早歩きで飛び出した。ユルゲンは食事がまだ終わっていなかったので、目の色を変えた王黎の背中を見送る。
 しばらくしてから、王黎がすらりと背の高い女性、最美と一緒に戻ってきたのを見て、ユルゲンは少しばかり驚きの表情を浮かべた。

「よお、お疲れさん」
「ええ、ありがとうございます」

 ユルゲンと最美は淡々と言葉をかけ合った。

「最美、先に休む?」
「いえ、まずは皆様にご報告を。そのあとに、ゆっくりと休ませていただければ」
「そうだね、みんなを集めるよ。座って待っていて」

 王黎にうながされて、最美は椅子のひとつに座る。すると、最美の目の前の机上に柑橘系のさわやかな匂いが香る果実水の入ったグラスが現れた。まるで最美を労わっているようだ。
 最美が一息ついてその果実水を味わっている間に、王黎に呼ばれて紀更たち四人が、中央広間に集まってきた。七人全員がそろうのは数日ぶりだ。

「最美さん、お疲れ様でした。ご無事でよかったです」
「ええ、皆様も」
「最美、早速で悪いけど、わかったことを教えてくれるかい」

 全員が椅子に座るなり、王黎はすぐさま切り出した。

「はい。サナール湖付近にあった円形の鋳物ですが、ポーレンヌ操言支部の一室に運ばれました。分析のために、カルディッシュの操言士が数名、それからゼルヴァイスの皐月さんとヒューさんが、ポーレンヌに招集されました」
「皐月さんとヒューさんが!?」
「優秀な職人操言士なので円盤について解析できるだろうということで、幹部操言士から直々に指名されたようです」

 紀更たちが会ったその二人は、生活器作りに長けた職人操言士だ。作るのが得意なら、誰かが作ったものを調べたり分解したりするのも得意なのだろう。

「皐月さんが徹夜で調べた結果、円盤は移動のための生活器だと判明しました」
「移動……じゃあやっぱり、ライオスさんはそれで逃げたんですね」
「具体的にどうやって使うのかは聞けた?」

 王黎に問われて、最美はこくりと頷いた。

「一方の円盤の上で操言の力を使うと、鳥が飛ぶようにもう一方の円盤へ瞬時に移動できるのだそうです。移動できるのは人だけでなく、ぬいぐるみのような無機物も可能です。円盤の大きさや使う操言の力によっては、人より大きいものでも移動できるのでは、と皐月さんはおっしゃっていました。ただし、移動できる距離は最大でも王都から豊穣の村エイルーぐらいまで。これは、円盤に記されたほかの円盤の所在地からの推測です。また、ふたつの円盤は同じ空間にあるべきなので、たとえば部屋の中から外への移動はできないそうです」
「ふむ、なるほどねえ」
「それから、移動のための力は移動者の操言の力で賄えるそうですが、移動先の円盤は移動してきた者を受け止めた瞬間に、蓄えていた力を使いきってしまうそうです。そのため移動後は、移動先の円盤に再度操言の力を付与し、次の移動者を受け止められるようにしておく必要があります」
「うーん……ものすごく高度な生活器だねえ」

 王黎は腕を組み、深く相槌を打った。
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