ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第15話 異国の操言士と救出作戦

2.動機(下)

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 殺したいと思うほどに、憎んだり恨んだりしたことはない。だが、操言士団に対して腹立たしいと思ったことは、紀更にも何度かあった。特に、俊の死後いきなり家にやって来て操言院へ行くように一方的に告げてきた使者に対しては、当時はそこまで怒りが湧かなかったが、いま思い出すと苛立ちを覚える。それに、最初の祈聖石巡礼の旅から戻ったあと、王黎とともに操言士団の幹部会に呼ばれた時もそうだ。

(一方的で、決めつけるだけで……よく思わなかったことも、確かにある)

 けれども、殺したいなどと思ったことはない。そんな風に強く誰かを憎悪したことは――。

――全員、消えていなくなれぇええっ!!

 否定しかけて、紀更はふと、ンディフ墓地での戦闘のことを思い出した。
 ユルゲンと紅雷が倒れた直後、馬龍たちに対して抱いた強い憎悪。それが殺意だったかと問われるとそうではないが、しかしそれは、限りなく怒りを超えた憎しみの念だった。

「紀更ちゃんが操言士団を嫌っていれば、勧誘したのになあ。オリジーアの操言士団なんかやめて、ピラーオルドに入ろうよ、ってね」

 奈月は楽しげに笑う。
 まさか自分が、ピラーオルドへ加入しないかと誘われるなどと想像すらしていなかった紀更は、口をあんぐりと開けた。

(どうしてそんなことを言えるの)

 奈月は普通の少女に見える。レプティトゥイールスという術で生き永らえている身だとしても、見た目は紀更とそう変わらない、普通の町娘のようだ。
 けれど、彼女が口を開いて言葉を重ねるごとに、徐々に奈月の中の闇が見えてくる。常人の感覚とは違う、何か正常さを失った危うさが。

「あ、でも一応組織だから、自分勝手なことはできないんだけどねー。特に闇神様は怒らせると怖いし、レプティもできなくなっちゃうし。でも、あの操言士団を抜けてほんとによかったよ」
「どうして……」
「操言士団を抜けたこと? 聞く? あ、紀更ちゃんなら若い女の子だし、わかってくれるかなー」

 奈月は寝台の上で体勢を変えた。寝転がったままだが、紀更がいる方へ顔を向ける。

「あたしね、子供の頃、両親が死んだの。戦争に駆り出されたせいでね。そしたら父親の弟……叔父に売られそうになったの。相手はたぶん、売春宿かなあ。小児性愛とかの、気持ち悪いジジイとかかも。その叔父にも、散々身体をさわられたしねー。嫌な記憶だから、もうほとんど憶えてないけど。でもひとつだけ、まだはっきりと憶えてる」

 奈月の目から、光が消える。

「その時あたしは操言院にいて、教師操言士に助けを求めたの。両親を亡くして、叔父以外に頼れる大人は操言院の先生たちだけだった。でも、操言士団は何もしなかった。戦争が続いてて、一人でも多く早く、戦力になる操言士が必要だったから、操言士団はあたしを心配することなく、いいからさっさと一人前になれって言った」
「それは……」
「まあ結局、その叔父自身も戦争のごたごたでどうにかなっちゃったんだけどね。んで、ムカついたあたしは偶然にもアンジャリさんに見つけてもらって、ピラーオルドへのお誘いを受けたわけ。操言士団にイライラ絶頂だったあたしは、見習い操言士の時からアンジャリさんと連絡を取り合って、当時の操言士団や操言院の中のことを教えてあげたの。すっごい感謝されたよ! んで、操言院修了試験に合格してすぐに王都を出て、ピラーオルドに正式に加わったんだー」

 奈月はとても軽い口調で語るので、その内容も奈月自身の感情も、なんだか現実味が感じられない。だが、奈月が経験したことの一部に、紀更は感じるところがあった。

(わかる……私、知ってる)

 操言士団にムカついたことはないか――答えは是だ。紀更も、奈月と同じ経験がある。
 操言士団はただ一方的に言うだけ。こちらの感情も事情も、考慮なんてしない。紀更のことを、一人の人間ではなく駒のひとつか何かだと思っている節があった。

「あたしに味方してくれなかった先生たちを裏切って、あたしはピラーオルドに入ったの。あの時は気持ちよかったなあ。さいっこーに清々した。でも、あの時あたしを無視して放置した教師操言士の奴らへの憎しみは消えない。あたしの手で殺したかった。できなかったけど」

 紀更と奈月で違うのは、その一面だけが操言士団のすべてでないということを知っているかどうかだ。
 確かに操言士団は――正確に言うなら団長のコリンや幹部会、教育部の教師操言士たちは、そのほとんどが一方的な態度でこちらを見下している。見習い操言士や新米操言士なら、恭順して当たり前だという思いが言動に表れている。
 だが、「操言士団」という主語はあまりにも大きすぎる。

(ヒルダ、皐月さん、ラファル部長、イレーヌ様、フローレンスさん、タクト支部長、エレノアさん……)

 操言士団には、これまでに紀更が世話になったような立派な人もいる。雛菊やリカルドのように、一見すると変わっているが面倒見のいい人たちもいる。教育部のアンヘルだって、最初はとっつきにくかったが最後は思いやりをもって接してくれた。
 奈月はきっと、そういう人物に出会わなかった。出会えなかったのだろう。奈月が関わった操言士たちは誰一人、彼女にとって味方ではなく、ゆえに「操言士団」は悪しき存在であるという認識が、彼女の中に育ってしまったのだろう。
 人も組織も、本来は一様に評価することはできない。見方を変えたり見るタイミングが違ったりすれば、まったく異なるものに見えることもあるものだ。自分のその時の状況によって、相手への印象が百八十度変わることもあるだろう。

(両親を亡くして、すがる思いで操言士団の大人に助けを求めて……でも、誰も味方になってくれなかったら)

 紀更は、幼い奈月の立場になって想像してみた。
 紀更には王黎がいた。操言院のあの重苦しい空気の中から、休暇だと言って連れ出してくれた師匠が――大人の味方がいてくれた。けれど、もしも王黎がいなかったら?

(私もきっと、操言士団を憎んだかもしれない)

 奈月は話しているうちに疲れてしまったのか、いつの間にか寝ている。
 かつての奈月は、きっと深く絶望した。両親を亡くし、頼りたかった操言士団の大人たちは誰一人味方になってくれなくて、その絶望ゆえにピラーオルドの手を取ったのだ。

(ローベルさんも、きっと同じ)

 音の街ラフーア出身の操言士ローベルも、きっと絶望したのだ。音楽の道を進みたいのに、操言士になるしかなかったさだめに。あるいは、彼しか知り得ない何かほかの出来事に。その絶望から逃れるために、ピラーオルドの活動に迎合した。

(操言士だって、普通の人なのに)

 操言の力を持ち、言葉を操ることで森羅万象に干渉できるとはいえ、結局それができるだけの、操言士も普通の人間だ。ただ少し、力を持たざる者と違う生き方を定められてしまっただけ。

(そのさだめを、ひどくつらいと感じる操言士もいる。操言士として生きることに不満がなくても、ほかのことが原因で絶望して、国を恨むようになることもある)
――俺はオリジーアという国に……正確には平和民団に、心底嫌気が差したんだ。特に華族なんて呼ばれている奴らをな。皆殺しにしたいくらい憎く思っている。

 アーサーもそうだ。奈月の絶望は操言士団からもたらされたものだが、アーサーの場合は平和民団の華族が原因だ。

(馬龍さん、アンジャリさん、アーサーさん、ローベルさん……)

 ピラーオルドの幹部やメンバーたち。かつてオリジーアの操言士だった者たち。
 彼らが現役のオリジーアの操言士だった時、その時々でそれぞれ思うところがあった。そしてそれは、ほかの操言士たちより深く重く、それゆえにピラーオルドに加わってしまったのだ。

(でも、なぜピラーオルドに? 闇の四分力を集めれば、平和民団や操言士団に復讐できる? それが目的で集まっているの?)

 アーサーも奈月も、口をそろえて言う――殺してやりたいと。
 そんなにも憎む相手に、組織に、彼らがしたいのは復讐?

(怪魔をまき散らすのも、復讐が理由? 都市部を襲うのも操言士を誘拐するのも……)

 そんなこと、許されるはずがない。許してはいけない。
 誰を憎むかは自由だ。どんな理由でどれだけ憎んだっていい。
 けれど、その感情と直接関係のない人々を傷つけていい理由にはならない。どんなにオリジーアの組織が憎くても、無関係の人々に害を与えてはならない。そして――。

(――そうやって国を、人々を脅かすなら、私は戦わなきゃいけない)

 操言士は国と人々を支え、守る者だ。そして自分は、オリジーアの操言士団守護部所属の初段操言士である。普通の操言士とは少し違う事情ゆえに、操言士の道を歩き始めたのは遅かったが、今は操言士として生きる覚悟を決めた。操言士として自分にできることを、誠意をもってやり遂げたいと思っている。

(私は、ピラーオルドを止める! そのためには、ここから逃げないと)

 奈月は寝ている。
 腕は自由にできないが、足は自由だ。小屋の戸の施錠は、奈月が持っている鍵を奪えば開けられるはずだ。外に出れば操言の力を使っても大丈夫だろうし、どうにか王黎たちに見つけてもらえるようにすれば――。

――キィ。

 紀更がそう考え始めた時、戸が開いて二人の男が小屋の中に入ってきた。


     ◆◇◆◇◆
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