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第18話 潜入の操言士と涙の別れ
3.闇神様(下)
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もう、逃げ出してしまいたい。この場所から。この人から。
けれど、逃げてしまってはここへ来た意味がない。目的が果たせない。
恐怖で震える紀更を、ニアックは愛おしそうに見つめた。
「キミ、だよ……初代操言士の、魂を……持つのは、キミ……また、生まれて……くれた、んだ……ね……嬉しいよ……キミ、に逢いた、くて……待って……いたんだよ」
「嘘っ……違うわ!」
「あはっ……強情、なところ……変わらない、ね……あの頃と……ボク、と愛し、合った……頃も」
「いま、なんて?」
ニアックの発言に、紀更の胸の中が恐ろしいほどに冷えきった。
「あな、たは……初代言従士?」
「あはっ……あはっ……キミは、初代、操言士……生まれ変わり」
「違う……! あなたじゃない!」
紀更は、一瞬でもその可能性を考えたことを瞬時に後悔した。
初代操言士と愛し合った初代言従士。操言士のためにすべてを捧げて付き従う言従士が、レプティトゥイールスなどというおぞましい術を使ってまで己の操言士がいない時を生き永らえるはずがない。初代操言士が亡くなったのなら、初代言従士も自然の摂理に従って亡くなったはずだ。己の操言士がいない世界を、言従士が一人で四百年も生きるはずがない。
「愛し合ったなんて嘘よ! 初代操言士が好きだったのは初代言従士なんだから!」
不気味な薄笑いを浮かべていたニアックから笑みが消えた。再び首がにゅるりと反対側に曲がり、うっとりと紀更を見つめていた表情が憤怒を滲ませた表情に変わっていく。
「憶え、て……るの……? アイツ、のこと……ねえ」
「しっ、知らないわ……憶えてなんかいない!」
ニアックの凍てついた視線に、紀更の背筋に得体の知れない恐怖が走った。
(怖いっ……この人、嫌っ!)
闇神様だから?
ピラーオルドのリーダーだから?
闇の四分力を使って怪魔を生み出す存在だから?
そうじゃない。違う。何かもっと、根源的な怖さや生理的嫌悪感を覚える。
近付いてはいけないような。気を許したら、自分が壊されてしまうような。
「その、目……また……その瞳を、するんだ……ボクに」
「っ……来ないで!」
ニアックは首をにゅるりと左右に振りながら、すり足で紀更に近付いた。
紀更はぞくぞくとした薄気味悪さにとらわれて逃げたいと思ったが、身体が思うように動かない。
「ど、して……? ボクは、キミを……こんな……にも、愛してる」
「私はあなたなんか知らない! 初代操言士が愛したのはあなたじゃない、別の人よ!」
「ふっ……ん」
ニアックの憤怒の度合いは右肩上がりで上昇したかと思ったら、急激に下降した。怒りの代わりに、大きな悲哀がニアックの細い目に浮かぶ。
「あ、そう……かな、しい……キミを、愛して、るのに……キミの、闇の……四分力」
その時、ニアックの奇怪な気配に冷静さを欠いていた紀更ははっとした。自分を落ち着かせるように深く息を吸い込んでから、ゆっくりと口を開く。
「闇の神様ヤオディミスから四分力を授かった初代操言士は、光の神様カオディリヒスから四分力を授かった初代言従士と愛し合いました。その後の二人に何が起きたか、あなたは知らないのね、ニアック」
「愛……そう……憎い、アイツ……キミを、ボクから……奪った」
「いいえ、違う。初代操言士はこの世界でただ一人、初代言従士だけを愛したの。その二人の間にはやがて反転という事象が起きたのよ」
「はんて、ん……?」
ニアックの瞳孔はぎょろりと開いた。
「紀更くん、なんだねそれは?」
紀更の隣に立って紀更が逃げないよう見張っていたカギソも紀更に尋ね、冷静な表情の馬龍もわずかに疑問符を浮かべて、紀更を横目で見下ろした。
「初代操言士が持つ闇の四分力と、初代言従士が持つ光の四分力が入れ替わったのよ」
「入れ替わ、った?」
「そして二人はそのまま亡くなったの。あなたたちが探している最後の闇の四分力を持っているのは初代操言士じゃない。その生まれ変わりでもない。初代言従士よ!」
ニアックも馬龍もカギソも、あからさまに驚愕した。紀更の予想通り、「反転」についてピラーオルドは知らなかったようだ。
「反転……はん、てん……なに?」
「なんだそれは! どういうことかね、紀更くん!」
「紀更、なぜお前がそんなことを知っている!?」
紀更の左右と前方から、三者三様の強い視線が紀更に注がれる。紀更は三人分の男性の怒声に恐怖して震える身体にぐっと力を入れて、なおも冷静な自分を取り繕った。
「ニアック、あなたの弟オリジーアのレバ王は初代操言士を愛した。だけど、その愛は報われなかった。それでも彼は、ダニエラさんを愛した。次の……新しい愛を見つけて善き道を歩んだ。だから初代王になることができたのよ」
「レバ……ダニ、エラ……ああ……あの、地味な、女」
「あなたは初代操言士が……彼女のことが好きだったのかもしれない。でも、あなたは愛されなかった」
「は? な、に……め、ろ……やめ」
「あなたはいつまで報われない想いを引きずるの? あなたが欲しいのは四分力? それとも愛した人の心? 誰かに愛される自分? 満たされないままずっと惨めに……レプティなんて術を使ってまで生きてきて、あなたは幸せ?」
「言、うなあああああっ!」
紀更に挑発されて、ニアックは汚い声音で絶叫した。すると、ニアックの周囲に黒い煙が現れては飛散し、ぶちゅぶちゅと何かを潰すような音を立ててニアックを取り囲んだ。
「おまっ……お前、がっ……! 言うなっ」
「闇神様! お気を確かに!」
カギソが慌てて一歩前に出て、ニアックの両肩を掴んだ。
「落ち着いて! 魂を安定させねば! 乱してはなりません!」
「フーッ……フーッ」
ニアックの息は荒く、眉間に皺を寄せて紀更を睨んでいる。まるで縄張りに侵入してきた敵を警戒する獣のようだ。
「馬龍! 魂水晶を!」
カギソは振り向いて馬龍に叫ぶ。馬龍は懐から何かを取り出すと、ニアックに近付いてそれを彼の心臓付近に突き付けた。
「くっ……かはっ……苦しっ……! やめ、ろっ」
「耐えてください! あなたの魂はすり減って残りわずかしかないんです! 闇の四分力の魂水晶で――」
「――はなっ、せ」
ニアックは見かけ以上の力強さで暴れて、大柄なカギソの腕を振り払った。しかし、馬龍はカギソに構わず紐の付いた石――闇の魂水晶をニアックの心臓に押し当て続ける。
「ああっ……! 熱い……! やめろぉっ」
ニアックの眼に血が走り、顔中の血管が脈打ち浮かび上がる。
(何なの……)
異様な光景に、紀更は茫然自失した。
だが、ふと我に返って馬龍の背に向かって駆け寄る。
「それっ……返して、闇の四分力!」
馬龍ははっとして背後を振り返った。
◆◇◆◇◆
「紅雷、紀更の匂いは!」
「だめ、全然しない!」
マークに問われ、紅雷は悔しさを浮かべた表情で首を横に振った。
「操言の力で隠されたか」
「マーク、紀更様の魂を捜そう」
紅雷は駆け足を止めて、深呼吸を繰り返した。
ダンスホールのような空間の先は、細い通路が入り組んでいた。壁にドアのようなものが見えることもあるが、どれも閉じられていて開かない。紀更が連れていかれた場所がどこなのか、手掛かりはなく見当もつかなかった。
「あたしたちなら、必ずわかる」
「ああ」
紅雷とマーク――操言士紀更に従う、言従士。
ある時からずっと、どこにいる誰とも知らない主の魂に惹かれ、うずうずしていた。その時の感覚を思い出す。
(紀更様、どこにいるの!)
ずっと会いたかった存在。いつも近くにいて、役に立って、支えて、守って。世界中が敵になっても、自分だけは最後まで味方でいる。迷いなくそう思えるほどの、魂の主。
「あっちか!」
マークが指差した方角に、紅雷も目を向けた。その先は壁があるが、もしも直進できたならその先に間違いなく紀更がいるだろう。
「どうにかして行くわよ、マーク!」
「わかってる! でも、ユルゲンはどうする?」
「そうだね。失敗した」
戦力的に考えて、紅雷とマーク、ユルゲン一人。それで二分できたつもりでいた。だが、紀更の魂を感じ取ることでしか紀更の居場所が把握できないこの状況で、ユルゲンを一人にさせたのは判断ミスだった。
「あたしたちのどっちかが傭兵さんに付いておくべきだった」
「なら紅雷、匂いでユルゲンを見つけろ。紀更のところにはオレが先に行く」
「でもっ」
短剣を構えるマークに、紅雷はためらいの表情を浮かべた。
「あなた一人じゃ無理だよ」
「そうだろうな。さっきみたいに、あんな数の怪魔を呼ばれちゃ太刀打ちできない。でも、時間もない。とにかく紀更のところに行かなきゃ」
「っ……やっぱり一緒に行く! 傭兵さんは大丈夫! 馬鹿じゃないし、それに傭兵さんも紀更様のこと死ぬほど好きだから、きっとわかる!」
「は?」
紅雷は紀更の魂を感じる方角に意識を向けながら、どうにか細い通路を進み始めた。
「えっ……おい、紅雷! なんだよそれ!」
「うっさいな! 見てればわかるでしょ! 傭兵さんの紀更様を見る目! 好きで好きでたまらない、って超言ってるじゃない!」
「わ……わっかんねぇよ!」
「あなた、ほんとガキね! 紀更様も傭兵さんのことが大好きなの、気付いてないの!?」
「きっ」
マークの顔が、羞恥心によって一瞬で赤くなった。
「気付いてねぇよ! 馬鹿!」
「あたしに馬鹿って言ってどうすんのよ!」
「だって……そうなのか、あの二人。え、りょ、両思い……ってやつなのか」
マークは、紀更たちと初めて会った時のことから順番に思い出してみる。すると確かに、あの雨の夜、紀更を助けようとカギソに立ち向かっていったユルゲンは――紀更を追って躊躇なく崖の下の海へと飛び込んだユルゲンは、ただ護衛という仕事のためだけに振る舞っているとは思えなかった。あれは、愛する女性を守りたい一心の男の姿だ。
「ハネウマって、嗅覚はよくないの?」
早歩きで先を進む紅雷はふてくされたような声で尋ねた。
「悪くはねぇと思うけど、ミズイヌのお前よりは劣るだろ。なんでだよ」
「マークはいいね、匂いが気にならなくて。メルゲントで再会した時の紀更様、全身に傭兵さんの匂いがしてた……マーキングか、っての」
「全身に? なんでだよ」
「ああ、お子様にはわからないか。いいの、忘れて」
紅雷はそれ以上何も言わなかった。
(まあいつかは、って思ってたけどさ)
紀更は、一人の女の子としてユルゲンを好きになった。ユルゲンも、一人の男として紀更を好きになった。互いのその気持ちを知れば、自然と最後の距離は縮まるだろう。
(大丈夫。傭兵さんの手を借りなくても、紀更様はあたしが助ける!)
紀更が誰と愛し合おうが、自分が紀更の言従士であることに変わりはない。
紀更の想い人との幸福を台無しにしないためにも、今は一刻も早く紀更を見つけなければ。紅雷の早歩きの速度は一段と上がった。
◆◇◆◇◆
「さわるな!」
――バシッ。
「きゃっ!」
馬龍は急に近付いてきた紀更の身体を、勢いよく手で振り払った。
馬龍に弾き飛ばされて、紀更は冷たい床に転がる。地面に打ち付けた紀更のこめかみにはかすり傷ができた。
「闇の四分力は闇神様のものだ」
冷たい瞳で紀更を見下ろし、馬龍は呟いた。
「馬龍……ダメ、だよ」
うめいていたニアックは少し落ち着いたのか、血走った眼が元に戻っている。
「か、彼女に……ふれて、いいの、は……ボク、だけ」
「はい。申し訳ありません、闇神様」
「ふふっ……ね……き、気付いた……? 彼女、四分力を……持って、いる……よね?」
「やっ、カギソ、離して!」
いつの間にか紀更に近付いていたカギソが、紀更の二の腕を持ち上げて立ち上がらせた。あの雨の日がよみがえり、紀更は青白い表情でカギソを見上げる。
「ええ、そうです闇神様! 先ほどの反転! そんなことが起きていたとは驚きです! しかし、それはつまり、初代操言士の生まれ変わりである紀更くんの魂には光の四分力が宿っているということ! この場でそれを手に入れれば、闇神様の身体はさらなる強化が図れることでしょう!」
ニチャァ、という気味の悪い笑顔を浮かべて、カギソは紀更を見下ろした。その目は一人の人間を見ているというよりも、これから自分がぐちゃぐちゃに扱える実験道具を見て愉悦を感じているようだった。
「そう……光の四、分力……光と、闇……両方……手に入れ、る……キミ、を愛し」
「どうして?」
紀更は、たどたどしく喋るニアックを哀れに思った。
けれど、逃げてしまってはここへ来た意味がない。目的が果たせない。
恐怖で震える紀更を、ニアックは愛おしそうに見つめた。
「キミ、だよ……初代操言士の、魂を……持つのは、キミ……また、生まれて……くれた、んだ……ね……嬉しいよ……キミ、に逢いた、くて……待って……いたんだよ」
「嘘っ……違うわ!」
「あはっ……強情、なところ……変わらない、ね……あの頃と……ボク、と愛し、合った……頃も」
「いま、なんて?」
ニアックの発言に、紀更の胸の中が恐ろしいほどに冷えきった。
「あな、たは……初代言従士?」
「あはっ……あはっ……キミは、初代、操言士……生まれ変わり」
「違う……! あなたじゃない!」
紀更は、一瞬でもその可能性を考えたことを瞬時に後悔した。
初代操言士と愛し合った初代言従士。操言士のためにすべてを捧げて付き従う言従士が、レプティトゥイールスなどというおぞましい術を使ってまで己の操言士がいない時を生き永らえるはずがない。初代操言士が亡くなったのなら、初代言従士も自然の摂理に従って亡くなったはずだ。己の操言士がいない世界を、言従士が一人で四百年も生きるはずがない。
「愛し合ったなんて嘘よ! 初代操言士が好きだったのは初代言従士なんだから!」
不気味な薄笑いを浮かべていたニアックから笑みが消えた。再び首がにゅるりと反対側に曲がり、うっとりと紀更を見つめていた表情が憤怒を滲ませた表情に変わっていく。
「憶え、て……るの……? アイツ、のこと……ねえ」
「しっ、知らないわ……憶えてなんかいない!」
ニアックの凍てついた視線に、紀更の背筋に得体の知れない恐怖が走った。
(怖いっ……この人、嫌っ!)
闇神様だから?
ピラーオルドのリーダーだから?
闇の四分力を使って怪魔を生み出す存在だから?
そうじゃない。違う。何かもっと、根源的な怖さや生理的嫌悪感を覚える。
近付いてはいけないような。気を許したら、自分が壊されてしまうような。
「その、目……また……その瞳を、するんだ……ボクに」
「っ……来ないで!」
ニアックは首をにゅるりと左右に振りながら、すり足で紀更に近付いた。
紀更はぞくぞくとした薄気味悪さにとらわれて逃げたいと思ったが、身体が思うように動かない。
「ど、して……? ボクは、キミを……こんな……にも、愛してる」
「私はあなたなんか知らない! 初代操言士が愛したのはあなたじゃない、別の人よ!」
「ふっ……ん」
ニアックの憤怒の度合いは右肩上がりで上昇したかと思ったら、急激に下降した。怒りの代わりに、大きな悲哀がニアックの細い目に浮かぶ。
「あ、そう……かな、しい……キミを、愛して、るのに……キミの、闇の……四分力」
その時、ニアックの奇怪な気配に冷静さを欠いていた紀更ははっとした。自分を落ち着かせるように深く息を吸い込んでから、ゆっくりと口を開く。
「闇の神様ヤオディミスから四分力を授かった初代操言士は、光の神様カオディリヒスから四分力を授かった初代言従士と愛し合いました。その後の二人に何が起きたか、あなたは知らないのね、ニアック」
「愛……そう……憎い、アイツ……キミを、ボクから……奪った」
「いいえ、違う。初代操言士はこの世界でただ一人、初代言従士だけを愛したの。その二人の間にはやがて反転という事象が起きたのよ」
「はんて、ん……?」
ニアックの瞳孔はぎょろりと開いた。
「紀更くん、なんだねそれは?」
紀更の隣に立って紀更が逃げないよう見張っていたカギソも紀更に尋ね、冷静な表情の馬龍もわずかに疑問符を浮かべて、紀更を横目で見下ろした。
「初代操言士が持つ闇の四分力と、初代言従士が持つ光の四分力が入れ替わったのよ」
「入れ替わ、った?」
「そして二人はそのまま亡くなったの。あなたたちが探している最後の闇の四分力を持っているのは初代操言士じゃない。その生まれ変わりでもない。初代言従士よ!」
ニアックも馬龍もカギソも、あからさまに驚愕した。紀更の予想通り、「反転」についてピラーオルドは知らなかったようだ。
「反転……はん、てん……なに?」
「なんだそれは! どういうことかね、紀更くん!」
「紀更、なぜお前がそんなことを知っている!?」
紀更の左右と前方から、三者三様の強い視線が紀更に注がれる。紀更は三人分の男性の怒声に恐怖して震える身体にぐっと力を入れて、なおも冷静な自分を取り繕った。
「ニアック、あなたの弟オリジーアのレバ王は初代操言士を愛した。だけど、その愛は報われなかった。それでも彼は、ダニエラさんを愛した。次の……新しい愛を見つけて善き道を歩んだ。だから初代王になることができたのよ」
「レバ……ダニ、エラ……ああ……あの、地味な、女」
「あなたは初代操言士が……彼女のことが好きだったのかもしれない。でも、あなたは愛されなかった」
「は? な、に……め、ろ……やめ」
「あなたはいつまで報われない想いを引きずるの? あなたが欲しいのは四分力? それとも愛した人の心? 誰かに愛される自分? 満たされないままずっと惨めに……レプティなんて術を使ってまで生きてきて、あなたは幸せ?」
「言、うなあああああっ!」
紀更に挑発されて、ニアックは汚い声音で絶叫した。すると、ニアックの周囲に黒い煙が現れては飛散し、ぶちゅぶちゅと何かを潰すような音を立ててニアックを取り囲んだ。
「おまっ……お前、がっ……! 言うなっ」
「闇神様! お気を確かに!」
カギソが慌てて一歩前に出て、ニアックの両肩を掴んだ。
「落ち着いて! 魂を安定させねば! 乱してはなりません!」
「フーッ……フーッ」
ニアックの息は荒く、眉間に皺を寄せて紀更を睨んでいる。まるで縄張りに侵入してきた敵を警戒する獣のようだ。
「馬龍! 魂水晶を!」
カギソは振り向いて馬龍に叫ぶ。馬龍は懐から何かを取り出すと、ニアックに近付いてそれを彼の心臓付近に突き付けた。
「くっ……かはっ……苦しっ……! やめ、ろっ」
「耐えてください! あなたの魂はすり減って残りわずかしかないんです! 闇の四分力の魂水晶で――」
「――はなっ、せ」
ニアックは見かけ以上の力強さで暴れて、大柄なカギソの腕を振り払った。しかし、馬龍はカギソに構わず紐の付いた石――闇の魂水晶をニアックの心臓に押し当て続ける。
「ああっ……! 熱い……! やめろぉっ」
ニアックの眼に血が走り、顔中の血管が脈打ち浮かび上がる。
(何なの……)
異様な光景に、紀更は茫然自失した。
だが、ふと我に返って馬龍の背に向かって駆け寄る。
「それっ……返して、闇の四分力!」
馬龍ははっとして背後を振り返った。
◆◇◆◇◆
「紅雷、紀更の匂いは!」
「だめ、全然しない!」
マークに問われ、紅雷は悔しさを浮かべた表情で首を横に振った。
「操言の力で隠されたか」
「マーク、紀更様の魂を捜そう」
紅雷は駆け足を止めて、深呼吸を繰り返した。
ダンスホールのような空間の先は、細い通路が入り組んでいた。壁にドアのようなものが見えることもあるが、どれも閉じられていて開かない。紀更が連れていかれた場所がどこなのか、手掛かりはなく見当もつかなかった。
「あたしたちなら、必ずわかる」
「ああ」
紅雷とマーク――操言士紀更に従う、言従士。
ある時からずっと、どこにいる誰とも知らない主の魂に惹かれ、うずうずしていた。その時の感覚を思い出す。
(紀更様、どこにいるの!)
ずっと会いたかった存在。いつも近くにいて、役に立って、支えて、守って。世界中が敵になっても、自分だけは最後まで味方でいる。迷いなくそう思えるほどの、魂の主。
「あっちか!」
マークが指差した方角に、紅雷も目を向けた。その先は壁があるが、もしも直進できたならその先に間違いなく紀更がいるだろう。
「どうにかして行くわよ、マーク!」
「わかってる! でも、ユルゲンはどうする?」
「そうだね。失敗した」
戦力的に考えて、紅雷とマーク、ユルゲン一人。それで二分できたつもりでいた。だが、紀更の魂を感じ取ることでしか紀更の居場所が把握できないこの状況で、ユルゲンを一人にさせたのは判断ミスだった。
「あたしたちのどっちかが傭兵さんに付いておくべきだった」
「なら紅雷、匂いでユルゲンを見つけろ。紀更のところにはオレが先に行く」
「でもっ」
短剣を構えるマークに、紅雷はためらいの表情を浮かべた。
「あなた一人じゃ無理だよ」
「そうだろうな。さっきみたいに、あんな数の怪魔を呼ばれちゃ太刀打ちできない。でも、時間もない。とにかく紀更のところに行かなきゃ」
「っ……やっぱり一緒に行く! 傭兵さんは大丈夫! 馬鹿じゃないし、それに傭兵さんも紀更様のこと死ぬほど好きだから、きっとわかる!」
「は?」
紅雷は紀更の魂を感じる方角に意識を向けながら、どうにか細い通路を進み始めた。
「えっ……おい、紅雷! なんだよそれ!」
「うっさいな! 見てればわかるでしょ! 傭兵さんの紀更様を見る目! 好きで好きでたまらない、って超言ってるじゃない!」
「わ……わっかんねぇよ!」
「あなた、ほんとガキね! 紀更様も傭兵さんのことが大好きなの、気付いてないの!?」
「きっ」
マークの顔が、羞恥心によって一瞬で赤くなった。
「気付いてねぇよ! 馬鹿!」
「あたしに馬鹿って言ってどうすんのよ!」
「だって……そうなのか、あの二人。え、りょ、両思い……ってやつなのか」
マークは、紀更たちと初めて会った時のことから順番に思い出してみる。すると確かに、あの雨の夜、紀更を助けようとカギソに立ち向かっていったユルゲンは――紀更を追って躊躇なく崖の下の海へと飛び込んだユルゲンは、ただ護衛という仕事のためだけに振る舞っているとは思えなかった。あれは、愛する女性を守りたい一心の男の姿だ。
「ハネウマって、嗅覚はよくないの?」
早歩きで先を進む紅雷はふてくされたような声で尋ねた。
「悪くはねぇと思うけど、ミズイヌのお前よりは劣るだろ。なんでだよ」
「マークはいいね、匂いが気にならなくて。メルゲントで再会した時の紀更様、全身に傭兵さんの匂いがしてた……マーキングか、っての」
「全身に? なんでだよ」
「ああ、お子様にはわからないか。いいの、忘れて」
紅雷はそれ以上何も言わなかった。
(まあいつかは、って思ってたけどさ)
紀更は、一人の女の子としてユルゲンを好きになった。ユルゲンも、一人の男として紀更を好きになった。互いのその気持ちを知れば、自然と最後の距離は縮まるだろう。
(大丈夫。傭兵さんの手を借りなくても、紀更様はあたしが助ける!)
紀更が誰と愛し合おうが、自分が紀更の言従士であることに変わりはない。
紀更の想い人との幸福を台無しにしないためにも、今は一刻も早く紀更を見つけなければ。紅雷の早歩きの速度は一段と上がった。
◆◇◆◇◆
「さわるな!」
――バシッ。
「きゃっ!」
馬龍は急に近付いてきた紀更の身体を、勢いよく手で振り払った。
馬龍に弾き飛ばされて、紀更は冷たい床に転がる。地面に打ち付けた紀更のこめかみにはかすり傷ができた。
「闇の四分力は闇神様のものだ」
冷たい瞳で紀更を見下ろし、馬龍は呟いた。
「馬龍……ダメ、だよ」
うめいていたニアックは少し落ち着いたのか、血走った眼が元に戻っている。
「か、彼女に……ふれて、いいの、は……ボク、だけ」
「はい。申し訳ありません、闇神様」
「ふふっ……ね……き、気付いた……? 彼女、四分力を……持って、いる……よね?」
「やっ、カギソ、離して!」
いつの間にか紀更に近付いていたカギソが、紀更の二の腕を持ち上げて立ち上がらせた。あの雨の日がよみがえり、紀更は青白い表情でカギソを見上げる。
「ええ、そうです闇神様! 先ほどの反転! そんなことが起きていたとは驚きです! しかし、それはつまり、初代操言士の生まれ変わりである紀更くんの魂には光の四分力が宿っているということ! この場でそれを手に入れれば、闇神様の身体はさらなる強化が図れることでしょう!」
ニチャァ、という気味の悪い笑顔を浮かべて、カギソは紀更を見下ろした。その目は一人の人間を見ているというよりも、これから自分がぐちゃぐちゃに扱える実験道具を見て愉悦を感じているようだった。
「そう……光の四、分力……光と、闇……両方……手に入れ、る……キミ、を愛し」
「どうして?」
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