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第18話 潜入の操言士と涙の別れ
3.闇神様(上)
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オールバックの前髪に、左胸に垂れる一本の長い三つ編み。群青色の服に、離れていてもかすかに香る煙草の匂い。それは間違いなくピラーオルドの西方幹部馬龍だった。
「闇神様が闇の子にお会いになられる。紀更、お前一人で来い」
「だめです!」
「させるか!」
馬龍の誘いに、紅雷とマークが声を上げて歯向かう。二人は紀更を守るように紀更の前に立った。
「なんだ? 墓地にはいなかった顔だな」
「紀更様のもう一人の言従士です! 紀更様はあたしたちが守るんだから!」
「ああ、カギソから聞いた、二人目の言従士か。言従士が二人いるなど前代未聞だな。やはり闇の子は〝特別な操言士〟の方だったか。何かカラクリがあるんだろう」
「違う!」
紀更は紅雷とマーク超しに叫んだ。
「私は闇の子じゃありません! 闇の四分力なんて持っていないわ!」
「それが真実かどうかは闇神様が確かめる。お前たちも真偽を確かめたくてここへ来たのだろう?」
「それはそうなんですけどね。紀更一人で、ってのは無理ですよ」
王黎は馬龍に向かって挑発的な笑みを浮かべた。
「できぬ相談だな。闇神様が求めるのは闇の子ただ一人。この世界で最初に闇の四分力を授かった、初代操言士の生まれ変わりだけだからな」
「生まれ変わりなんて違うわ!」
「違わない」
大声で否定する紀更を、馬龍は冷静にたしなめた。
「闇の四分力を持ったまま死んだ初代操言士。その魂が再び地に降りたのだ。闇神様がその波動を感じ取った。初代操言士は生まれ変わったのだ」
「でも、それは一年前のことでしょう。私じゃない! 王黎師匠でもない!」
「そうだな。お前の年齢を考えると辻褄が合わない。だから一人で来い、紀更。なぜお前が後天的に操言の力を宿したのか、なぜお前だったのか、真実を明かしたいだろう?」
「くっ」
馬龍の訊き方を、ユルゲンはまずいと思った。
ただ闇の子だと呼ばれているだけなら、紀更は思いとどまるだろう。だが、なぜ自分が後天的に操言士になったのか――その疑問はピラーオルドに遭遇する前から紀更の中にくすぶっていた疑問であり、そこを刺激されたら紀更は揺らいでしまうかもしれない。彼女の操言士人生の始まりであり、彼女の心に引っかき傷をつけたこともあるその謎を、紀更はまだ完全に切り捨てることはできていないのだ。
「紀更、聞くな!」
ユルゲンは叫んだ。
馬龍は忌々しげに、眉間に皺を寄せる。
「やはり外野はうるさい。ニドミー、黙らせろ」
「かは~……ぁは~」
いつの間にかダンスホールの右端には、やけに手足の長い、細く不気味な人間のように見える怪魔ニドミーが立っていた。半開きの口からは怪しげな息が漏れている。
「さあ、行け」
馬龍がそう言うと、ダンスホールの中央上空に縹色の半透明の三日月が浮かぶ。そしてその三日月を破壊するように怪魔が現れ、ダンスホールの床に乱暴に下り立った。
「ギイィ! ギイィ!」
「ピアアァアア!」
「グォホオオオ!」
カルーテ、クフヴェ、ドサバト、キヴィネ、ゲルーネ。水中に現れる怪魔スミエル以外のすべての種類が、逆円錐の氷柱を避けて紀更たちを取り囲む。そして、その怪魔たちは不気味な息遣いのニドミーが指差したルーカスへといっせいに攻撃を仕掛けてきた。
【ディロスシーガス!】
王黎が操文を使うと、ルーカスを守るように大きな光の盾が現れ、ドサバトの粘液やクフヴェの蔓、そしてゲルーネが振り下ろしてきた拳からルーカスを守った。
「全員、応戦だ!」
エリックが叫び、戦闘態勢に入る。
だが、全員の意識が怪魔に向けられたその一瞬をついて、紀更の小さな身体が不自然に宙に浮き上がった。
「やっ! なにっ!?」
「紀更様っ!?」
腰のあたりで身体がくの字に曲がっている紀更の身体は、あっという間に宙を移動して馬龍へ近付く。すると、紀更の身体のすぐ傍に半透明の男の姿が現れ、彼が紀更を肩に担ぎ上げていたことが判明した。
「カギソ!」
次第にくっきりと現れたその姿に憶えのあったユルゲンは怒声を上げた。
「はっはっはっ、憶えていてくれたかね、ユルゲン君! だがよそ見をしている場合かい?」
黒い肌に映えるやけに白い歯をこちらに向けて高らかに笑うカギソは、紀更を肩に担ぎ上げたまま怪魔の方を指差した。
「ピアァアア!」
クフヴェの蔓が次から次へと繰り出されて、エリックとルーカスに長剣を構える余裕を与えない。蔓を払いのけたと思えばすぐさまゲルーネの拳が二人を薙ぎ払おうと飛んでくるので、二人の騎士はそれを必死に避けていた。そして、避けた先ではドサバトの放出する粘液にからめ取られそうになる。一瞬のよそ見も許されないような戦闘状況だった。
「まあ、まずは怪魔を斃したまえ。紀更くんとの再会はそれからでよかろう」
「カギソ! 離して! さわらないで!」
紀更はなんとかカギソに抵抗しようと暴れるが、持ち上げられている態勢は不安定で、カギソの背中をたたこうにも腕に力が入らない。
【陰影の暗幕、暗影の閑寂、我らを覆え。姿も声も匂いも、幕を超えて届きはしない】
「だめっ!」
カギソが操言の力を使うと、カギソと紀更の姿が見えなくなった。そしていつの間にか、馬龍の姿も消えている。
「紅雷、マーク、ユルゲンくん! 二手に分かれて左右の扉へ! 馬龍とカギソはどちらかへ逃げた! 行くんだ!」
王黎が怪魔に応戦しながら叫んだ。
「けど、師匠さん! その怪魔の量じゃ!」
「斃せなくても、まいて追いかけるくらいはできる! いいから行け!」
「わかった! オレと紅雷は右、ユルゲンは左だ! 行くぞ、紅雷!」
短剣を構えていたマークがいち早く、王黎の指示に従う。
紅雷は戦うエリックたちをためらいの表情でしばし見ていたが、マークに背中をたたかれると覚悟を決めた。そして氷柱と怪魔の攻撃を避けてかわしながら、ホール前方右手の扉に走った。
「王黎、お前らも必ず来い!」
「わかってる! 紀更を頼むよ、ユルゲンくん!」
ユルゲンは王黎と言葉を交わしてから、紅雷たちとは反対のホール左手に走った。
◆◇◆◇◆
「離しなさいよ!」
自分を担ぎ上げているカギソに紀更は声を荒げたが、紀更の要求通りにカギソが下ろしてくれるはずはなかった。カギソの前方を急ぎ足で進む馬龍も紀更には構わず、石の壁でできた通路を右へ左へと進んでいた。
(まるで迷路っ……)
怪魔と王黎たちが残るダンスホールのような広い空間を出た先は、人が二人すれ違えるかどうかという細い通路だった。壁にはところどころに青白い光を放つ明灯器が設置されていたため足元は見えるが全体的に薄暗い雰囲気で、夏だというのに紀更の二の腕には鳥肌が立った。それはひんやりとした空気によるものだけではなく、怖さによるものでもある。
(王黎師匠……紅雷、マーク……ユルゲンさん)
何度も角を曲がったので、あのダンスホールへはどうすれば戻れるのか、帰り道がわからない。何か危険なことになるという覚悟はしていたつもりだが、このまま闇神様のもとへ一人連れていかれて、いったい自分はどうなるのだろうか。
(怖い……っ)
わかっていたつもりだった。怖くても、それでも行くのだと決めたのは自分だ。だが、怖いものは怖い。ピラーオルドという組織が、自分の身に何が起きるのかわからない不透明さが。それらに対する恐怖が、操言の力を使って抵抗する勇気を紀更に持たせない。喉は潰されていないし布で覆われてもいないので、しようと思えばカギソに対して操言の力で何か抵抗ができる。だが恐怖が勝って、どんな言葉を紡いで操言の力を使えばいいのかわからない。
カギソに投げつけていた紀更の抵抗の言葉は、やがて消え失せた。
【我らを覆う暗幕、閑寂、役目を終えよ】
カギソが言葉を紡ぎ、自分たちの姿を見えなくさせていた操言の力の効果を解除する。それから馬龍が、三日月紋様が掘られた銀色の大きな扉を開けた。
そこは先ほどのダンスホールの三倍はある、非常に大きな空間だった。石畳の床はひんやりと冷たく、周囲に立ち並ぶ柱は高い。ここが地下の空間だということを忘れさせるほどだ。縦長の長方形の空間の奥には十段ほどの階段があり、上りきった先には大きな背もたれの黒い椅子が一脚、背景にとけ込むようにして置かれていた。
「あれは、玉座?」
「そうだよ、紀更くん。察しがいいね!」
「きゃっ……痛っ」
投げ捨てるように紀更を床に下ろしたカギソは、両手を左右に大きく広げて玉座に向かった。
「我らが闇神様の御座す場所だ!」
「闇神様……っ」
紀更は慌てて立ち上がり、目を見開いた。
その時、誰もいない玉座付近に黒い煙がたかり始め、御簾のように上から下へ波を描いてしばし玉座を隠す。その黒い煙の御簾が縦に割れて消えると、そこには一人の男の姿があった。
「あれが……闇神様?」
「ああ……ああ、そうだよ」
日に焼けたような黒ではない。まるで乾いた粘土に水を湿らせたような、不健康な土色の肌。切れ長の眉毛と目だが、その目の下には群青色のひどい隈がある。黒いタートルネックに黒いパンツと真っ黒な服に身を包んでいるが、どういう趣味なのか茜色の大きな厚手のストールを両腕に回しかけている。黒髪は全体的に短いが、前髪だけはやけに長く、目にかかっていない部分は鼻にまで届くような長さだった。
「ああ……あはっ……キミだ……馬龍!」
「はい、ここに」
馬龍は紀更の右隣に立つと、ピンと背筋を張った。
「彼女だ! 彼女だよ……! 間違いない……この、この魂……あ、甘い……匂いがっ……いや……あはっ……ああ、久しぶり……久しぶりだね」
「しっ……知りません、あなたなんて!」
紀更は両手で拳を握って自分を奮い立たせると、玉座の男をキッと見上げて睨んだ。
「そ、そっか……なまぇ……そう、名前……ニ、アック……だよ……ああ……よ、呼んで、ニ、ニアックって……」
「ニアック……初代オリジーア王、レバ王のお兄さんですね」
「れば……レバ……ああ、そう……弟……彼、元気?」
「四百年以上前に亡くなっています。あなたと違って、怪しげな術なんて使っていませんから!」
紀更が叫ぶと、ニアックはくくくっ、と喉で笑った。
青白い明灯器の光に照らされた彼は、人間離れした異様な雰囲気をまとっている。喋り方も非常にたどたどしく、それがライオスの言っていた「人間ではなくなりかけている」ということなのだろうか。
「術……レプティ、トゥイールス……ボクの、術……闇の四分力、で」
「闇の四分力は、人間には要りません! 神様に返してください!」
「ふっ、ははははっ!」
いつの間にか紀更の左隣に立っていたカギソが、裂けそうなほど口を開けて愉快に笑った。
「返す!? 返せと言うのか、紀更くん。四分力は神が人に与えた力! 奪ったわけではないのだがね!」
「カギソ」
馬龍がカギソに黙るよううながすが、カギソは目尻に涙を浮かべてなおも笑い続けた。
「いやいや、申し訳ないね! 闇神様の御前だからこそ笑わずにはいられない!」
「奪ったわけではなくとも、人が持つべきものではありません!」
紀更はカギソを見上げて眉をつり上げた。
「なぜだね? 厚意で与えられたものを自由に使って何が悪いのだ!」
「フォスニアのエンリケ王からは無理やりに奪ったじゃないですか!」
「ああ、紀更くん。エンリケ王のことは悪いと思うよ。だが必要な犠牲だ。闇神様がすべての四分力を手にして、完全な神になるために!」
「あなたは神様じゃない!」
紀更はニアックへ視線を戻し、大声で糾弾した。
「あなたは人間です! 普通の人が生きる時間をゆがめている、おかしな人よ!」
「ああ……そうだ……では、なぜ……ボクは、長く……生きている?」
ニアックの首がにゅるりと不自然な動きで横に曲がった。
薄気味悪さを感じた紀更は、ニアックの質問の答えもわからず口を閉ざした。
「ボク……レプティ……死なない……理由は……簡単」
ニアックはとても緩慢な動作で階段を下り始めた。一歩、二歩、ニアックが進むたびに両腕の茜色のストールが下がり、床に落ちる。階段下まで来る頃には、ただ真っ黒な服に土色の肌の顔が浮かび上がっているだけのような姿になった。
「キミに……逢いたかった」
「私?」
「逢いたかった、よ……初代、操言士……キミに」
「ちっ……違う」
ニアックのねっとりとした視線から目をそらし、紀更は首を横に振った。
「闇神様が闇の子にお会いになられる。紀更、お前一人で来い」
「だめです!」
「させるか!」
馬龍の誘いに、紅雷とマークが声を上げて歯向かう。二人は紀更を守るように紀更の前に立った。
「なんだ? 墓地にはいなかった顔だな」
「紀更様のもう一人の言従士です! 紀更様はあたしたちが守るんだから!」
「ああ、カギソから聞いた、二人目の言従士か。言従士が二人いるなど前代未聞だな。やはり闇の子は〝特別な操言士〟の方だったか。何かカラクリがあるんだろう」
「違う!」
紀更は紅雷とマーク超しに叫んだ。
「私は闇の子じゃありません! 闇の四分力なんて持っていないわ!」
「それが真実かどうかは闇神様が確かめる。お前たちも真偽を確かめたくてここへ来たのだろう?」
「それはそうなんですけどね。紀更一人で、ってのは無理ですよ」
王黎は馬龍に向かって挑発的な笑みを浮かべた。
「できぬ相談だな。闇神様が求めるのは闇の子ただ一人。この世界で最初に闇の四分力を授かった、初代操言士の生まれ変わりだけだからな」
「生まれ変わりなんて違うわ!」
「違わない」
大声で否定する紀更を、馬龍は冷静にたしなめた。
「闇の四分力を持ったまま死んだ初代操言士。その魂が再び地に降りたのだ。闇神様がその波動を感じ取った。初代操言士は生まれ変わったのだ」
「でも、それは一年前のことでしょう。私じゃない! 王黎師匠でもない!」
「そうだな。お前の年齢を考えると辻褄が合わない。だから一人で来い、紀更。なぜお前が後天的に操言の力を宿したのか、なぜお前だったのか、真実を明かしたいだろう?」
「くっ」
馬龍の訊き方を、ユルゲンはまずいと思った。
ただ闇の子だと呼ばれているだけなら、紀更は思いとどまるだろう。だが、なぜ自分が後天的に操言士になったのか――その疑問はピラーオルドに遭遇する前から紀更の中にくすぶっていた疑問であり、そこを刺激されたら紀更は揺らいでしまうかもしれない。彼女の操言士人生の始まりであり、彼女の心に引っかき傷をつけたこともあるその謎を、紀更はまだ完全に切り捨てることはできていないのだ。
「紀更、聞くな!」
ユルゲンは叫んだ。
馬龍は忌々しげに、眉間に皺を寄せる。
「やはり外野はうるさい。ニドミー、黙らせろ」
「かは~……ぁは~」
いつの間にかダンスホールの右端には、やけに手足の長い、細く不気味な人間のように見える怪魔ニドミーが立っていた。半開きの口からは怪しげな息が漏れている。
「さあ、行け」
馬龍がそう言うと、ダンスホールの中央上空に縹色の半透明の三日月が浮かぶ。そしてその三日月を破壊するように怪魔が現れ、ダンスホールの床に乱暴に下り立った。
「ギイィ! ギイィ!」
「ピアアァアア!」
「グォホオオオ!」
カルーテ、クフヴェ、ドサバト、キヴィネ、ゲルーネ。水中に現れる怪魔スミエル以外のすべての種類が、逆円錐の氷柱を避けて紀更たちを取り囲む。そして、その怪魔たちは不気味な息遣いのニドミーが指差したルーカスへといっせいに攻撃を仕掛けてきた。
【ディロスシーガス!】
王黎が操文を使うと、ルーカスを守るように大きな光の盾が現れ、ドサバトの粘液やクフヴェの蔓、そしてゲルーネが振り下ろしてきた拳からルーカスを守った。
「全員、応戦だ!」
エリックが叫び、戦闘態勢に入る。
だが、全員の意識が怪魔に向けられたその一瞬をついて、紀更の小さな身体が不自然に宙に浮き上がった。
「やっ! なにっ!?」
「紀更様っ!?」
腰のあたりで身体がくの字に曲がっている紀更の身体は、あっという間に宙を移動して馬龍へ近付く。すると、紀更の身体のすぐ傍に半透明の男の姿が現れ、彼が紀更を肩に担ぎ上げていたことが判明した。
「カギソ!」
次第にくっきりと現れたその姿に憶えのあったユルゲンは怒声を上げた。
「はっはっはっ、憶えていてくれたかね、ユルゲン君! だがよそ見をしている場合かい?」
黒い肌に映えるやけに白い歯をこちらに向けて高らかに笑うカギソは、紀更を肩に担ぎ上げたまま怪魔の方を指差した。
「ピアァアア!」
クフヴェの蔓が次から次へと繰り出されて、エリックとルーカスに長剣を構える余裕を与えない。蔓を払いのけたと思えばすぐさまゲルーネの拳が二人を薙ぎ払おうと飛んでくるので、二人の騎士はそれを必死に避けていた。そして、避けた先ではドサバトの放出する粘液にからめ取られそうになる。一瞬のよそ見も許されないような戦闘状況だった。
「まあ、まずは怪魔を斃したまえ。紀更くんとの再会はそれからでよかろう」
「カギソ! 離して! さわらないで!」
紀更はなんとかカギソに抵抗しようと暴れるが、持ち上げられている態勢は不安定で、カギソの背中をたたこうにも腕に力が入らない。
【陰影の暗幕、暗影の閑寂、我らを覆え。姿も声も匂いも、幕を超えて届きはしない】
「だめっ!」
カギソが操言の力を使うと、カギソと紀更の姿が見えなくなった。そしていつの間にか、馬龍の姿も消えている。
「紅雷、マーク、ユルゲンくん! 二手に分かれて左右の扉へ! 馬龍とカギソはどちらかへ逃げた! 行くんだ!」
王黎が怪魔に応戦しながら叫んだ。
「けど、師匠さん! その怪魔の量じゃ!」
「斃せなくても、まいて追いかけるくらいはできる! いいから行け!」
「わかった! オレと紅雷は右、ユルゲンは左だ! 行くぞ、紅雷!」
短剣を構えていたマークがいち早く、王黎の指示に従う。
紅雷は戦うエリックたちをためらいの表情でしばし見ていたが、マークに背中をたたかれると覚悟を決めた。そして氷柱と怪魔の攻撃を避けてかわしながら、ホール前方右手の扉に走った。
「王黎、お前らも必ず来い!」
「わかってる! 紀更を頼むよ、ユルゲンくん!」
ユルゲンは王黎と言葉を交わしてから、紅雷たちとは反対のホール左手に走った。
◆◇◆◇◆
「離しなさいよ!」
自分を担ぎ上げているカギソに紀更は声を荒げたが、紀更の要求通りにカギソが下ろしてくれるはずはなかった。カギソの前方を急ぎ足で進む馬龍も紀更には構わず、石の壁でできた通路を右へ左へと進んでいた。
(まるで迷路っ……)
怪魔と王黎たちが残るダンスホールのような広い空間を出た先は、人が二人すれ違えるかどうかという細い通路だった。壁にはところどころに青白い光を放つ明灯器が設置されていたため足元は見えるが全体的に薄暗い雰囲気で、夏だというのに紀更の二の腕には鳥肌が立った。それはひんやりとした空気によるものだけではなく、怖さによるものでもある。
(王黎師匠……紅雷、マーク……ユルゲンさん)
何度も角を曲がったので、あのダンスホールへはどうすれば戻れるのか、帰り道がわからない。何か危険なことになるという覚悟はしていたつもりだが、このまま闇神様のもとへ一人連れていかれて、いったい自分はどうなるのだろうか。
(怖い……っ)
わかっていたつもりだった。怖くても、それでも行くのだと決めたのは自分だ。だが、怖いものは怖い。ピラーオルドという組織が、自分の身に何が起きるのかわからない不透明さが。それらに対する恐怖が、操言の力を使って抵抗する勇気を紀更に持たせない。喉は潰されていないし布で覆われてもいないので、しようと思えばカギソに対して操言の力で何か抵抗ができる。だが恐怖が勝って、どんな言葉を紡いで操言の力を使えばいいのかわからない。
カギソに投げつけていた紀更の抵抗の言葉は、やがて消え失せた。
【我らを覆う暗幕、閑寂、役目を終えよ】
カギソが言葉を紡ぎ、自分たちの姿を見えなくさせていた操言の力の効果を解除する。それから馬龍が、三日月紋様が掘られた銀色の大きな扉を開けた。
そこは先ほどのダンスホールの三倍はある、非常に大きな空間だった。石畳の床はひんやりと冷たく、周囲に立ち並ぶ柱は高い。ここが地下の空間だということを忘れさせるほどだ。縦長の長方形の空間の奥には十段ほどの階段があり、上りきった先には大きな背もたれの黒い椅子が一脚、背景にとけ込むようにして置かれていた。
「あれは、玉座?」
「そうだよ、紀更くん。察しがいいね!」
「きゃっ……痛っ」
投げ捨てるように紀更を床に下ろしたカギソは、両手を左右に大きく広げて玉座に向かった。
「我らが闇神様の御座す場所だ!」
「闇神様……っ」
紀更は慌てて立ち上がり、目を見開いた。
その時、誰もいない玉座付近に黒い煙がたかり始め、御簾のように上から下へ波を描いてしばし玉座を隠す。その黒い煙の御簾が縦に割れて消えると、そこには一人の男の姿があった。
「あれが……闇神様?」
「ああ……ああ、そうだよ」
日に焼けたような黒ではない。まるで乾いた粘土に水を湿らせたような、不健康な土色の肌。切れ長の眉毛と目だが、その目の下には群青色のひどい隈がある。黒いタートルネックに黒いパンツと真っ黒な服に身を包んでいるが、どういう趣味なのか茜色の大きな厚手のストールを両腕に回しかけている。黒髪は全体的に短いが、前髪だけはやけに長く、目にかかっていない部分は鼻にまで届くような長さだった。
「ああ……あはっ……キミだ……馬龍!」
「はい、ここに」
馬龍は紀更の右隣に立つと、ピンと背筋を張った。
「彼女だ! 彼女だよ……! 間違いない……この、この魂……あ、甘い……匂いがっ……いや……あはっ……ああ、久しぶり……久しぶりだね」
「しっ……知りません、あなたなんて!」
紀更は両手で拳を握って自分を奮い立たせると、玉座の男をキッと見上げて睨んだ。
「そ、そっか……なまぇ……そう、名前……ニ、アック……だよ……ああ……よ、呼んで、ニ、ニアックって……」
「ニアック……初代オリジーア王、レバ王のお兄さんですね」
「れば……レバ……ああ、そう……弟……彼、元気?」
「四百年以上前に亡くなっています。あなたと違って、怪しげな術なんて使っていませんから!」
紀更が叫ぶと、ニアックはくくくっ、と喉で笑った。
青白い明灯器の光に照らされた彼は、人間離れした異様な雰囲気をまとっている。喋り方も非常にたどたどしく、それがライオスの言っていた「人間ではなくなりかけている」ということなのだろうか。
「術……レプティ、トゥイールス……ボクの、術……闇の四分力、で」
「闇の四分力は、人間には要りません! 神様に返してください!」
「ふっ、ははははっ!」
いつの間にか紀更の左隣に立っていたカギソが、裂けそうなほど口を開けて愉快に笑った。
「返す!? 返せと言うのか、紀更くん。四分力は神が人に与えた力! 奪ったわけではないのだがね!」
「カギソ」
馬龍がカギソに黙るよううながすが、カギソは目尻に涙を浮かべてなおも笑い続けた。
「いやいや、申し訳ないね! 闇神様の御前だからこそ笑わずにはいられない!」
「奪ったわけではなくとも、人が持つべきものではありません!」
紀更はカギソを見上げて眉をつり上げた。
「なぜだね? 厚意で与えられたものを自由に使って何が悪いのだ!」
「フォスニアのエンリケ王からは無理やりに奪ったじゃないですか!」
「ああ、紀更くん。エンリケ王のことは悪いと思うよ。だが必要な犠牲だ。闇神様がすべての四分力を手にして、完全な神になるために!」
「あなたは神様じゃない!」
紀更はニアックへ視線を戻し、大声で糾弾した。
「あなたは人間です! 普通の人が生きる時間をゆがめている、おかしな人よ!」
「ああ……そうだ……では、なぜ……ボクは、長く……生きている?」
ニアックの首がにゅるりと不自然な動きで横に曲がった。
薄気味悪さを感じた紀更は、ニアックの質問の答えもわからず口を閉ざした。
「ボク……レプティ……死なない……理由は……簡単」
ニアックはとても緩慢な動作で階段を下り始めた。一歩、二歩、ニアックが進むたびに両腕の茜色のストールが下がり、床に落ちる。階段下まで来る頃には、ただ真っ黒な服に土色の肌の顔が浮かび上がっているだけのような姿になった。
「キミに……逢いたかった」
「私?」
「逢いたかった、よ……初代、操言士……キミに」
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ニアックのねっとりとした視線から目をそらし、紀更は首を横に振った。
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