ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第10話 不可解な操言士と対人間戦

5.戸惑い(下)

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 なぜ操言士の馬龍が、ローベルが、同じ操言士を誘拐するのか。オリジーアの都市部を襲撃するのか。
 そして、先ほどのライオスとの戦闘。紀更が操言の力で作り出した黒い布は、ライオスの操言の力によって燃やされてしまい、意味を成さなかった。

(だから私は、操言の力で……)

 紀更は自分の手のひらに目線を落とした。
 見慣れた自分の手。たいしたことはできない非力な手のひらだが、この身体の中にある操言の力を使えば怪魔を斃すことができる。誰かの傷をふさぐことができる。

(そして同じように、傷つけることも……)

 操言の力を使って、直接人間の身体を痛めつける――あの時紀更は、ライオス相手に一瞬、それをしようと考えてしまった。

(操言の力で人を傷つけるなんて)

 物で視界を奪えないのなら、どうすればいい。物を使わなければいい。そう、目が見えなくなればいいのだ。ライオスの眼球が傷つけばいいのだ。そこまではっきりと想像してしまった自分が、紀更は怖かった。

(操言の力は人を支えるだけじゃない……傷つけることも簡単にできてしまう)

 これまでの紀更は、怪魔を相手に戦い、そして人を相手に癒してきた。そのことに精一杯だったので、今まで気付かなかった。怪魔を攻撃するのと同じように、操言の力は人を攻撃することにも使える。操言士の自分は、操言士として誰かを傷つけることができてしまえるのだ。

(そんなのだめ……人を傷つけるなんて)

 だがあの時、王黎を助けるためにはそれが有効だと思ってしまった。間接的にではなく直接的に、ライオスの身体を傷つけてしまえばいい。その残酷な手段を思いついてしまった自分自身に紀更は動揺していた。


     ◆◇◆◇◆


「ユルゲンくんってさ、どれくらいの番付だったの?」

 豊穣の村エイルーを守る祈聖石すべてに異常がないことを確かめた王黎は、村の西口に向かって歩きながら半歩うしろにいるユルゲンに尋ねた。

「お前はほんと、いろんなことを知ってるな」

 ユルゲンの故郷、傭兵の街メルゲント。オリジーアにある都市部の中でも、メルゲントはかなり異色だ。というのも、騎士よりも傭兵の方が多いのである。
 傭兵という職業が市民権を得たのは六十年ほど前、第二次オルフェ戦争の頃だと言われているが、始まりはもう少し前で約百年前のことだ。突如出現した怪魔という恐ろしい敵に臆することなく立ち向かった一人の男、名をベンジャミン。若いながらも身長が二メイ近くあったという巨躯の彼は、まだ祈聖石のないその時代において幾度となく怪魔と戦い、メルゲントだけでなくメリフォース城やヨルラの里を守った英雄と呼ばれている。王都から南に伸びる南国道の終点は、傭兵の街メルゲント内にあるベンジャミンの銅像だ。

 時には騎士よりも勇敢に戦った平和民団のベンジャミンを慕い、憧れる者は多く、ベンジャミンを中心とした若者たちが自分たちは傭兵であると名乗り出し、報酬と引き換えに怪魔と戦うことを生業としていった。怪魔に手を焼いていた騎士たちは、様々な理由によって彼らに報酬を渡し、怪魔との戦いに赴かせた。さらに、傭兵たちはセカンディアとの戦争にも駆り出された。今日でこそ傭兵は報酬次第で様々な依頼をこなすなんでも屋の側面も含むが、その始まりは怪魔退治が主だったのである。
 メルゲントを中心に増えた傭兵は、騎士の手が届かない街の治安維持などにも努め、グループを組んだり、あるいはフリーの傭兵としてほかの都市部を流浪したりと、様々な形を見せていく。そうした変遷の中で、傭兵団や組と呼ばれる傭兵のグループ内に、番付という順位付けの文化が生まれた。所属メンバー同士で力の差をはっきりと認識するためでもあるが、怪魔を斃すその力をほかの一般市民や騎士、操言士、あるいは国などに向けないように――間違っても反乱など起こさないように、リーダーを頂点にして序列をつけることで自分たち自身をコントロールするためだ。

「俺がいたのはメルゲント傭兵団だぞ? 番付なんて持ってると思うか?」

 メルゲント傭兵団は、メルゲントを仕切っている国内最大の傭兵グループだ。所属傭兵の人数が多いので、明確な番付はリーダー以外ではトップの十人しかいない。つまり、上位十人に数えられる実力がなければ番付などない。王黎はきっとそのこともわかっていて、あえて番付を尋ねているのだろう。

「思うよ。キミは絶対、上位十人のうちの一人だ」

 王黎は断言した。何もかもお見通しのような王黎に、ユルゲンは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。

「ねぇ~? 教えてくれてもいいじゃんか~」
「くねくねすんな、気色悪い」

 なぜそんなことを訊いてくるのか王黎の意図はわからないが、隠し通す意味もないのでユルゲンは渋々白状した。

「ナンバーエイトだ」
「八か。予想より低いなあ」
「どれくらいだと思ってたんだよ」
「五はかたくないかな、って」
「そりゃ俺を買いかぶりすぎだ」
「そうかな?」

 王黎はぴたりと足を止めて、ユルゲンの方に振り返った。

「キミは頭がいい。それにほんとに落ち着いている。自分の感情をよくコントロールできているし、度胸もある。怪魔が相手でも、ピラーオルドが相手でもね」
「それだけなら俺と同じ、あるいはそれ以上の奴らはほかにもたくさんいるよ」
「でも、彼らはキミより年上でしょ。キミが八番目の位置にいたのはまだ若いからかな」
「若くねぇよ」
「え、それ僕に言う? 僕、キミより二歳年上でもう三十なんだけど」
「二十八も三十もそう変わんねぇだろ。それよりなんだよ、いきなり番付なんて」

 ユルゲンはメルゲント傭兵団を抜けてフリーになった。八番目という番付は捨てたものだ。それを今さら尋ねて、何になるというのだろう。

「いや……まあ、ね。今日あらためてね、キミが頼りになるな~って」
「そうかよ。そりゃよかったな」
「ほんとだよ?」
「それだけじゃねぇだろ」

 王黎の細められた目の中で光る、グレーの瞳。何か考えがあるはずだ。

「これから先、もしもがあったらキミにしてほしいんだ」

 それだけではわからない。ユルゲンは納得できるまで王黎の言葉を待った。

「たぶん、さっきのライオスとの邂逅で紀更は気が付いたと思う。操言士が……操言の力が、誰かを傷つけることができるという可能性に。そしてこの先、ピラーオルドと対峙するならそうするしかない状況も発生する」

 ユルゲンは、先ほどふらりと村の西口へ歩いていった紀更の横顔を思い出す。
 暴力性とはほぼ皆無に過ごしてきたであろう、王都育ちの紀更。彼女が怪魔相手ではなく同じ人間相手に自分の中の暴力性を解き放たざるを得ない状況が、この先本格的に生じてくる。しかし、果たして本当に紀更はそれができるのか。すべきなのか。

「紀更は、騎士や傭兵ともほとんど関わることなく、平穏な王都のマルーデッカ地区の中で育ってきただ。誰かを暴力で傷つけるなんて、したことも考えたこともないと思う」
「同感だな」
「操言士の世界に身を置いてからも、まだ一年と少ししか経っていない。でもピラーオルドと敵対する中で必ず、紀更自身も戦わなきゃいけなくなる。紀更がピラーオルドのメンバーを傷つけられない場合、キミが代わりにやってあげてほしい」
「それは紅雷の役割じゃないのか。アイツが紀更の言従士だ」

 ユルゲンは少しだけ、紅雷への嫉妬を覚えながら言った。

「うん、もちろん、普通は言従士である紅雷の役割だよ。でも紅雷も、紀更とあまり育ちも歳も変わらない女の子だからね」
「なんでわざわざ俺に言うんだ」

 先ほど、王黎がライオスに捕らわれた時。紀更と同じくユルゲンも考えた。操言の力を直接ライオスに向ければいいと。操言の力は人の傷口をふさいだり、痛みをやわらげたりすることができる。人の身体に直接作用することができるのだ。つまり癒すだけでなく、その反対の傷つけるという行為もできるということだ。

「エリックでもルーカスでもいいだろう」
「駄目だよ。ユルゲンくんじゃなくちゃ」
「だから、なんでだよ」
「うーん」

 王黎はわざとらしく首を横に傾けて呆けた表情を浮かべた。どういう言葉で説明しようか悩んでいるようだった。
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