ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第12話 幼き操言士と解かれた波動

2.鶏小屋(下)

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「うそだ! なんで!」

 鶏小屋に着いたジムは、ひときわ大きな声を出して驚愕した。
 潤が掃除当番となっている鶏小屋の床には、糞も餌の食べかすも落ちてはおらず、とてもきれいになっていた。落ちているのは、いま目の前で羽を震わせた鶏から抜けた古い羽ぐらいだ。

「なんでだよ! どうやったんだよ、潤!」

 悔しい、羨ましい、納得がいかない。そんな瞳で、ジムは紀更に抱っこされている潤の背中に怒鳴る。その隣で、サヤも驚きの表情のまま声を失っていた。

「潤くんはちゃんと掃除をしたんだね。掃除のお仕事が終わったから、集落の中を歩いていたんだよね。でもトニーさんが怒鳴るから嫌な気持ちになって、それでトニーさんから逃げていたのかな。潤くんは嘘もついてないし、何も悪いこと、してないもんね」

 紀更は身体を左右に揺らしながら、ゆっくりと潤に話しかけた。トニーやジムのように怒鳴ることは決してせずに。潤のことを、何も否定せずに。

「……うん」

 紀更の声のトーンで落ち着いたのか、潤は小さな声で頷いた。

「潤くんがどうやって掃除したのか、お姉ちゃんも知りたいな。潤くん、やってみせてくれないかなあ」

 紀更はぽん、ぽん、と潤の背中をやさしくたたいた。すると潤はもぞりと動いて、下りるという意思表示をする。紀更はゆっくりと潤を地面に下ろした。

「サヤちゃん、ジムくん。少しの間、静かに見てようか」

 紀更はかがんで姿勢を下げて、サヤとジムの身体を両脇に抱える。そして潤の小さな背中を見守った。

【じめんのうえのはね。ここにあつまれ。たくさん、ぜんぶ、はね、あつまれ】

 潤が小さな声で言葉を紡ぐ。
 サヤにもジムにも、そして鶏小屋の外で成り行きを見守っている紅雷とルーカスにも、何も変わったことは見えない。しかし操言士の紀更だけは、潤の周りに操言の力が揺らめいて見える感覚がした。

(潤くんの操言の力の波動……間違いない。潤くんは操言の力を持っているのね)

 オリジーアの《光の儀式》を受けていない、セカンディア人の潤。
 この集落にいる唯一の操言士綾香の見立て通り、確かに潤は操言の力を持っている。そして、サヤやジムよりも幼くまだ語彙も少ないはずなのに、言葉を用いて操言の力を発揮することがすでにできている。

「羽が!」
「すげえ! なんだこれ!」

 潤の思い描いたとおりなのだろう。先ほど鶏から抜けた古い羽が、潤の目の前に集まってくる。きっと同じ要領で、糞や食べかすなども集めたのだろう。操言の力を使えば、普通に箒とちりとりで掃除をするよりも早く終わるに違いない。

「潤! なんでこんなことできるんだよ!」

 ジムが興奮気味に潤に話しかけるが、潤は委縮して何も言わず、紀更に駆け寄って紀更の背中にしがみついた。

「潤くんはね、操言士なんだよ」

 ジムとサヤに紀更は説明した。

「操言の力を持っている操言士なの。操言の力で、鶏小屋のお掃除をしたんだね」
「潤も綾香お姉ちゃんといっしょ!? 綾香お姉ちゃんも、こうやってそうじできる!?」
「できると思うよ」
「じゃあさ! じゃあさ!」

 ジムが目を輝かせて、紀更の腕から逃れる。

「はたけのじゃがいも、今すぐ大きくできる!?」
「うーん……それは無理かなあ」
「え~じゃあさ、水! 水も、こう、ばしゃーって、あつまる!?」
「それはできるかもしれないなあ」

 水自体を移動させるか、何か道具を使うか。
 方法はいくつかあるが、物を移動させることは見習い操言士も練習することだ。大量の水を容器にも入れずに動かせるかはわからないが、できないこともないかもしれない。

「ジムくん、サヤちゃん。潤くんは掃除をサボってないよね?」

 紀更がそう問いかけると、ジムとサヤは自分たちの言っていたことが間違っていたことを自覚し、気まずそうに視線をそらした。

「潤くんに謝ろう? 嘘つき扱いしてごめんね、って」

 ジムとサヤは互いに顔を見合わせる。そんな二人に紀更はほほ笑んだ。

「大丈夫だよ。ごめんね、って言える子はいい子だよ。いい子なら、潤くんとも仲良くできるよ」
「……ごめん」
「うん、ごめんね、潤」

 ジムが、続いてサヤが、喉から振り絞るように謝る。すると、紀更の背中にしがみついていた潤がそっと顔を出してジムとサヤに言った。

「うん……いいよ」

 紀更はにっこりと笑い、ジムとサヤの頭をなでた。それから潤を抱き上げて立った。

「潤くんもいい子ね。ジムくんとサヤちゃんに、いいよって言えたね」
「うん……」

 潤は紀更の胸にすり寄った。
 怒鳴らないでいてくれた。抱きしめてくれた。嘘つき扱いしなかった。見たい、知りたいと言ってくれた。ほかの子にはできない、自分にできることをわかってくれた。

(やさしい、おねえちゃん……)
「潤くんはきっと、立派な操言士になれるよ」
「うん……」

 そーげんし――それがどういうものか、潤にはまだよくわからない。キフェラ集落にいる唯一の操言士綾香が、何か普通の大人と違うことはなんとなくわかるが、その違いが何なのか。そして、自分も綾香と同じで立派になれると言われてもいまいちピンとこない。
 紀更の身体が左右に揺れる。すると、抱っこされている潤も揺れる。そのゆるやかな動きがとても心地いい。

(あったかい……)

 このあたたかい人がそう言ってくれるなら、そーげんしがどういうものなのかわからないが、それはきっと、いいものに違いない。

【やわらかな風が一筋、吹き抜けて、集まった羽は森へ飛んでいけ】

 紀更は子守唄のように言葉を紡ぎ、操言の力を使った。鶏小屋の中にすっと風が一筋吹いて、潤の集めた羽が列を成し、集落の外の森へと飛んで消えていく。

「お姉ちゃん、潤とおなじことした!」
「ほんと!? お姉ちゃんも、いま、なにかしたの!?」
「そうだよ。お姉ちゃんも操言士だからできるんだよ。集めた羽はもうここには要らないから、森の方へぽいってしたんだよ」

 目を輝かせるジムとサヤに、紀更は説明する。
 その時、潤が顔を上げて紀更の目を見た。

「おなじ……?」
「うん、同じ。潤くんと同じ、操言の力を持っているんだよ」
「できる? そうじ」
「できるよ。ほかにももっと、いろんなことができるよ。いつか潤くんもできるよ。練習しなくちゃいけないけどね」

 曇って淀んでいた空色の瞳に光が灯る。
 やさしく名前を呼んでくれる、あたたかい声。その声が教えてくれる、あたたかいもの。

「そーげんし……なれる?」
「なれるよ。潤くんが諦めずに頑張れば、きっとすごい操言士になれるよ」
「なる……」
「潤くんも操言士になる?」
「うん」
「それはいいね。お姉ちゃんも応援するね。潤くんが操言士になれますように、って」
「うんっ」

 ああ、あたたかい。潤はもう一度、紀更の胸に顔をすり寄せた。
 それから紀更は、三人の子供たちと一緒にキフェラ集落の中を見て回った。とても質素な集落は、王都に比べると民家も井戸も古く、だが丁寧に大事に使い込まれていることがわかる。わからないのは、わざわざこの集落に来て子供を捨てる親の気持ちだ。

(都市部の共同墓地じゃなくて、ンディフ墓地に眠る人……誰ともつながりがないまま死んでいく人。子供を捨てる人、捨てられた子供……。王都ベラックスディーオの中だけが、オリジーアという国じゃない。この国について、私が知らないことはまだたくさんある。そういう知らない人たちにも安らかに過ごしてもらいたい。そのために操言士の私にできること……すべきことは何?)
――知りたい、学びたいと思うならとにかく人と話せ。自分から話しかけろ。操言士のことを知りたいなら、操言士以外の人間ともたくさん話せ。ひとつの場所から見るんじゃなくて、複数の視点を持つことを意識しろ。

 ゼルヴァイス城で城主のジャスパー・ファンバーレはそう言った。今なら、なぜジャスパーがそんな説教じみたことを紀更に言ったのか、その真意がわかる。王都に生まれ育ち、王都の生活ぐらいしか知らない紀更にこういう都市部もあることを――王都だけがオリジーアのすべてではないことを伝えたかったのだ。

(怪魔から……ピラーオルドから、守ること)

 王黎はいま、集落のどこにいるだろう。早く、キフェラ集落を守る祈聖石の場所を教えてもらいたい。そして心の底から願い、祈り、思いを込めたい。怪魔が、ピラーオルドが、この集落とこの集落に住む人たちを傷つける脅威のすべてが、絶対に近付かないように。あたたかな光が、いつもこの場所を守ってくれるように。今なら風の村コルスカやモンタ漁村で込めた以上に深く、祈聖石に祈れる気がする。

(この子たちの未来を、私は守りたい)

 はにかむような、ささやかな笑顔を見せてくれるようになった潤。その表情に重なって仕方がない、亡き弟の姿。
 紀更の胸は少しだけツンと痛くなった。
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