ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第12話 幼き操言士と解かれた波動

5.秘密(上)

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 ローベルの放った矢が自分に向かってくるのを、紀更はただ見ていた。それはなぜか、とてもゆっくりに見えた。
 それから、ローベルの矢と自分の間に割って入ってきた紅雷のことも、紀更は動けずにただ見ているだけだった。

「か、はっ……」

 自分をかばう形で飛び出してきた紅雷が、ローベルの矢を全身に受ける。桜色の毛並みのミズイヌは、声もなく地面に倒れた。

「こ、らい……?」

 かすれた紀更の声が、なんとか紅雷の名前を呼ぼうとする。しかし喉が声の出し方を忘れたようで、うまく動かない。

「くっ、うぁっ……」

 そして、紀更から少し離れた背後でうめき声を上げたのは、王黎をかばって馬龍の攻撃を全身で受け止めたユルゲンだった。
 すんでのところで王黎と馬龍の間に割って入ったユルゲンは、馬龍の放った操言の力による攻撃――鈍色の光線束のようなものを両手を広げて全身で受け止めていた。光線束は本来の狙いであったはずの王黎をかすめることもなくユルゲンの身体を包み、やがて消えた。
 とてつもない痛みを受け取ったのは内臓か、血管か。それとも骨か、筋肉か。
 しかし痛みはすぐに消え去り、強い衝撃を受け止めたユルゲンの身体からはあらゆる感覚が消えていった。

「ユルゲンくん!」

 王黎が我に返ってユルゲンに駆け寄った。

「紅雷!」

 そして紀更もまた、紅雷に駆け寄る。

「紅雷! 紅雷っ!」
「だぃ、じょ……きさ、ら……様」

 ミズイヌ型の紅雷の瞳は、人型の時と変わらず今様色だ。鮮やかな紅の色が、紀更を安心させようとわずかにほほ笑んでみせる。

「もらった!」
「させるかっ!」

 タテガミライオン型のライオスが、無防備になった王黎の背後に飛びかかる。だがその攻撃はエリックが長剣で防いだ。エリックの長剣に噛み付く形になったライオスは、目を細めてエリックを睨む。

「もう……もうやめて……」

 ユルゲンが倒れ、紅雷が倒れる。それでもピラーオルドは攻撃の手を止めない。馬龍も、諦めず次の言葉を紡ごうと集中し始めている。ローベルやアンジャリ、傷ついた仲間には目もくれずに。

【ローベル、アンジャリ、ライオス、馬龍……】

 紅雷の傷だらけの身体に添えた紀更の手が震える。
 紀更の全身からはこれまでにないほどの強い操言の力のゆらめき――波動があふれ出し、徐々に濃さを増してふくらんでいく。それは紅雷、ルーカス、エレノア、カルディッシュの操言士と騎士たちと次第に周りを呑み込んでいく。操言の力を持っていないルーカスでさえ、紀更から発せられる何か異様に大きな「気」を感じ取れるほどの強さだった。

【全員消えて……ここから】

 紀更の緑色の瞳に激しい怒りが燃える。
 その目はピラーオルドの中でほぼ無傷の馬龍に向けられた。

「小娘ごときが! 邪魔をするな!」

 馬龍は自分を睨む紀更から発せられる殺気に気が付き、忌々しげに紀更を睨み返した。
 だがその時、自分の懐にある改具月石が燃えるように熱くなっているのに気が付いた。馬龍は操言の力を使うのをやめて、改具月石を取り出す。

「これは……」

 馬龍は紀更から王黎へ、急いで視線を移動させる。
 王黎は自分をかばったユルゲンの傷の回復のために操言の力を使っているようだったが、その波動の量は紀更に比べると小さい。いや、紀更の波動が大きすぎるのだ。

「まさか、改具月石が反応しているのは……!」
【今すぐに】

 紀更は脳裏に描いた。
 ローベル、アンジャリ、ライオス、馬龍――襲ってきたピラーオルドの全員が、この場から消えるように。カルディッシュもポーレンヌも超えて、いっそ他国へ去ってしまえばいいと。オリジーアから出ていけばいいと。

「王黎! 知りたければサーディアに来い! 王都イェノームのピラーパレス! そこで待つ! 闇神様がな!」

 馬龍は王黎に向かって叫んだ。
 思ってもみなかった馬龍からの挑発に王黎は驚愕し、ユルゲンから目を離して馬龍を見やった。馬龍は不敵に笑うと、紀更の波動に負けぬように自分も操言の力を使う。

【全員、消えていなくなれぇええっ!!】
【集結、退避、退散、退却、撤退、後退!】

 紀更の叫喚と、馬龍の大声が重なり合う。
 ンディフ墓地全体に紀更と馬龍の波動がぶつかりながら満ち満ちて、地面が揺れた。その地面から強い風圧が上空に向かって吹き荒れる。墓地の周囲を囲む森の中から鳥たちがいっせいに飛び立ち、木々の葉がけたたましくこすれ合った。
 エレノアたちカルディッシュの操言士と騎士たちは立っていられずよろめいて、地面に膝を突いた。王黎たちも地面から吹き荒れる風に目を開けていられない。
 それは紀更と馬龍、どちらの操言の力によるものだったのか。しばらくして地響きがおさまり、地面からの風圧がなくなる。ンディフ墓地の中にピラーオルドの四人の姿はなく、紀更たちだけが残っていた。

「消えた?」

 目を開けた王黎は周囲を見回す。
 エリックの長剣に牙を立てていたライオスも、重傷のアンジャリもその傍らにいたローベルも、そして不敵に笑った馬龍も、どこにもその姿がない。

「エリックさん、周囲の確認をお願いします!」
「ああ、わかった」

 王黎に言われてエリックは長剣を鞘にしまうと、周辺を歩いて様子を探った。しかし墓地内にいる仲間たちのほかには誰もいないようだった。

「っ、紅雷!」

 あれだけの波動を放って操言の力を使ったのに、紀更は身体になんの違和感も覚えることなく、ぐったりとしている紅雷の名前を泣きながら呼んでいた。エレノアが紅雷に近付き、桜色の毛の下にある血管を探して脈を確かめる。

「紀更さん、大丈夫、落ち着いてください。紅雷さんは大丈夫ですから」
「っほ、んと……ですか」
「ええ、大丈夫。操言士のあなたがそう思ってあげないといけません。あなたは紅雷さんの、たった一人の操言士なんですから」

 エレノアは紀更を励ますと、紀更に治癒の言葉とやり方を教えながら、紅雷の応急処置を開始した。
 涙目の紀更は鼻をすすりながらエレノアの胸元のブローチをふと見る。ほかの操言士のブローチをまじまじと見る癖のない紀更はそこで初めて、エレノアがタイプⅡ――治癒を得意とする操言士に与えられるブローチを所持していることを知った。

「落ち着いて、誰かを治療するときは冷静に。ゆっくりと流れていく水のようにやさしくじんわりと、操言の力を使ってあげてください。強くて急な力だと、弱った身体は逆にびっくりしてしまうんです。大丈夫、言従士にとっては自分の操言士の力がこの世界で一番、あたたかくて心地よいものなんです。そのあたたかさで、敵の操言士による操言の矢のダメージを癒してあげてください」

 エレノアに指導されながら、紀更はまず、ローベルの矢が刺さった紅雷の傷口に手のひらをかざした。矢で傷つけられた皮下組織の再生、皮膚の再生をイメージし、隣でエレノアが教えてくれる言葉を紡ぐ。そしてローベルの操言の力をゆっくりと紅雷から引きはがすような処置も行う。それから、アンジャリの棘の蔓で傷ついた箇所もひとつずつゆっくりと、傷口の回復を手助けするように操言の力を使った。

「王黎殿、ユルゲンは?」

 紅雷とルーカスの方はエレノアと紀更がついているのでとりあえず安心と判断し、見回りを終えたエリックは王黎の背中に声をかけた。

「エリックさん、それがですね」

 王黎はエリックに振り返り、非常に困った表情を浮かべた。エリックの眉間に皺が寄り、訝しむ。まさかユルゲンの息がないというのだろうか。
 だが、地べたに座り込みユルゲンを治癒しているはずの王黎の前に見慣れないものが転がっているのが目に入り、エリックの眉は複雑につり上がった。

「それは……とりあえず、治癒はすべきではないか」
「ええ、まあ……一応してるんですけど……ねえ」
「そういう問題でもない、か」

 馬龍が王黎に向けたつもりで放った鈍色の光線束の攻撃がどんなダメージを狙ったものなのか、正確にはわからない。しかし、その攻撃を受けた直後のユルゲンの苦悶の表情からすると、骨か内臓に大きなダメージを負わせるものだったに違いない。

「しかし、これは……」

 王黎がユルゲンを治癒する傍ら、エリックは戸惑いの声を隠せない。
 しばらく負傷者の応急処置に時間を費やしたあと、紀更たちはカルディッシュの操言士と騎士たちの手を借りて、ひとまずキフェラ集落に帰還すべくンディフ墓地を出た。


     ◆◇◆◇◆


「あら、何かしら」

 王都ベラックスディーオの王城がある第二城壁内の敷地、東寄りの一角。そこには「天女の間」と呼ばれる一階建ての建物がある。操言士団の中でも限られた者しか入ることができない特別な一室で、いまそこで仕事にあたっているのは操言士奈美だった。
 天女の間はほぼ正方形に近く、四辺は人が一人通れるほどの通路になっており、中央は天窓から日光が降り注いでいる。その光の中、中央の空間には大小様々、色とりどりの「波動符」が浮かんでいた。

「波動符が……この揺れ方は」

 宙に浮かんでいる波動符の一枚が、ぱたぱたとはためくように揺れ動く。
 奈美が近付くとその揺れはピタッと止まり、しかし次の瞬間、どこかへ飛んでいってしまいそうなほど激しく振れ始めた。

「これは、一年前の!」

 最初はその一枚だった。しかし次第にほかの波動符も大きく揺れ出す。まるで最初の波動符の影響を受けているようだ。しまいには、天女の間の中をばたつくように飛び回る波動符も出てきた。
 波動符の妙なその反応に、奈美は見覚えがあった。


     ◆◇◆◇◆
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