ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第12話 幼き操言士と解かれた波動

5.秘密(中)

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「どういうことだ? 彼に何が起きたんだ?」

 六人で使うようにと割り当てられたキフェラ集落の共同営舎の一室に、エリックの困惑した声がやけに大きく広がった。
 ピラーオルドとの戦闘を終えてンディフ墓地からキフェラ集落へ戻ったのは、夕方が始まる頃だった。沈みゆく太陽に照らされて人々の影は次第に長くなる。西の空は橙色に染まり、東の空は紺色を抱き始める。
 紀更と王黎はほぼ無傷だったので自力で歩いて帰ってこられた。ルーカスもけがはしていたが、エレノアの治療のおかげでエリックに支えられれば歩くことができた。重傷の紅雷は人型に戻ることができず、人型の時よりも大きな体躯をどうしようかと紀更は困った。しかしカルディッシュの騎士たちが、騎士に支給されている外套と手近な木の棒で即席の担架を作ってミズイヌ型の紅雷を運んでくれた。
 そして、ユルゲンはというと、エリックの外套でやさしく包まれ、王黎の手によってキフェラ集落へと運ばれてきた。

「彼はメヒュラであることを隠していたのか?」
「いえ、違うと思います。メヒュラにしては本人に自覚がまったくなく、ヒューマの自然な振る舞いだったと思います。それに、メヒュラだったなら最美が気付いていたでしょう。最美はそういう気配に敏感ですから」
「だが……」

 共同営舎のその一室は、出入り口となるドアを開けると奥へと通路がまっすぐに伸びている。その通路の左右に、地面から少し高い位置に雑魚寝スペースとして床板が張られており、必要最低限の掛け布団が用意されていた。
 ドアから向かって右手側のスペースにはミズイヌ型の紅雷が、そして左手側のスペースにはユルゲンとルーカスが寝転んでいる。しかしそこに横たわっているユルゲンの姿は、大柄なヒューマの男ではない。全身は薄い茶褐色の毛で、長い耳だけが黒毛のキツネ――クロナガミミギツネだった。

「王黎殿、このキツネは間違いなくユルゲンなのか」
「間違いありません。馬龍の攻撃で負ったダメージのせいなのか、しばらくの間は人型でしたが僕の目の前でこの姿になってしまいました」
「では、ユルゲンはメヒュラなんだな?」
「でも彼自身は、自分のことをヒューマだと思っていたように感じます」
「そんなことがあるのか。自分がヒューマかメヒュラか知らずに生きるなど」

 ヒューマは人型の姿しか持たないが、メヒュラは人型のほかにもうひとつの自分の姿である、何かしらの動物型の姿を持っている。そしてメヒュラは、自分の意志で自由自在に人型か動物型かに変化できる。

「メヒュラの持つ動物型は親から子への遺伝です。親がいれば、必ず自分がメヒュラだと教えられるはずです。キフェラ集落の子供たちのように様々な事情で親がいなかったとしても、成長していく中で自分が動物型になれることに自然と気付くものです」
「それなのにユルゲンは、自分がメヒュラだという自覚がなかったというのか」
「何か事情があるのかもしれません」

 王黎とエリックの会話を、紀更は紅雷の隣に座り込んでぼんやりと聞いていた。
 紅雷はミズイヌ型のまま、ずっと眠っている。時折聞こえてくる寝息は安らかで、懸命に身体を回復しているのだろう。エレノアに導かれて治癒はしたが、しばらくは安静にして休養が必要だ。それはクロナガミミギツネ型になってしまったユルゲン、そしてその隣で眠っているルーカスも同じだ。

「馬龍が僕を狙った攻撃……ユルゲンくんはそれをもろに食らいました。もしかしたらその影響かもしれません」
「操言の力で直接身体を攻撃されると、ヒューマがメヒュラになるのか?」
「いえ……ユルゲンくん自身も知らなかった自分の中の動物性。それが馬龍の操言の力によって目覚めさせられた。そう考える方が自然かもしれません」
「理解しがたい」

 自分がメヒュラであるという自覚のなかった理由も、操言の力によってメヒュラが持つ動物性が目覚めさせられたという推測も、理解の範疇を超えている。エリックは目をつむって頭を抱えた。
 紀更たちとの旅では始海の塔にまつわることなど、理解しがたい事象を何度か経験してきた。そして今回もまた、常識を超えた異常事態だ。

「王黎師匠、ユルゲンさんは大丈夫でしょうか。それにいなくなったピラーオルド……またすぐに襲ってくるでしょうか。いえ、向こうもあれだけけがをしていればそれはあり得ませんよね?」

 ンディフ墓地で泣いた紀更の声はまだ少しかすれている。けれども気持ちはだいぶ落ち着いてきたようだ。現状とこれからのことを冷静に考える余裕がある。

「ライオスは片方の手首を喪失、アンジャリも全身に傷を負い、ローベルもアンジャリほどではないがダメージを負わせた。ほぼ無傷の馬龍が全員を連れて撤退したようだけど、まあ、普通の人間なら向こうも少し休養が欲しいだろうね」
「でも、なら?」

 紀更の緑色の瞳がやんわりとくすむ。
 言従士だと思われるのに操言の力を使ったライオス。
 人間じゃなくなりかけているというピラーオルドの闇神様。
 あえて「普通の人間なら」という前提条件をつけなければならないのは、彼らピラーオルドには「普通の人間ではない」人間もいると考えられるからだ。

「今日来たのは四人だった。でも今日の四人のほかに、少なくともカギソと呼ばれる人物がピラーオルドに属していることは確実だ。けが人をうしろに下がらせたとしても、襲撃できる元気な面子をそろえてくる可能性はあるね」
「それは嫌です。紅雷たちをゆっくりと休ませてあげたいのに」

 紀更は紅雷と、そしてユルゲンの小さな身体を交互に見つめた。
 エリックとルーカスもだが、紅雷とユルゲンが奮戦してくれたからこそ、あれだけの乱戦でも紀更と王黎は無傷だった。「操言士の護衛」という役割と仕事を、二人は身を挺してまっとうしてくれたのだ。

(それなのに、私は……)

 戦闘を終えて操言士としてできる治療も終えて、紅雷とユルゲンが守ってくれた自分にはいったい何ができるのだろう。無傷のこの身体で、いますべきことはなんだろう。
 紀更が沈黙して考え込んだその時、エリックが王黎に提案した。

「王黎殿、最低限、紅雷殿とユルゲンが動けるようになるまではここで休養するしかあるまい。だが二人が動けるようになったら、まずカルディッシュに戻ろう。カルディッシュならば操言医術師もいる。そこでもう少し休んで、王都に帰還するべきだ」
「うーん……」

 王黎は腕を組んで難しい表情をする。王黎がそういう反応をするということは、エリックの提案には一切頷かないつもりだ。紀更はそう予測した。

「少し、考えます」
「考える? 何をだ? 国内を移動することは、やはりピラーオルドに狙われることと同義だった。ピラーオルドはどうやらサーディアを本拠地にしているらしい。。ここが今回の旅の終着点だ。死者が出ないうちに王都に戻ろう」

 この旅の目的。それは国王ライアンからの、ピラーオルドを調査せよという命令に応えることだ。
 ンディフ墓地での馬龍の挑発によって、彼らの本拠地がサーディアの首都イェノームにあるピラーパレスという場所であることは判明した。その情報は国王の命令に応え得る。ここで旅を切り上げてもいいだろう。エリックは言外にそう主張した。

「王都に戻ってどうなりますか」

 帰還を主張するエリックに訊き返したのは、王黎ではなく紀更だった。その声はいつもに比べて低く、どこか目が据わっている。

「ピラーオルドは一刻も早く、なんとかしなければいけません。あの人たちがいるから良くないことが起きる。あの人たちが私たちオリジーアに対して敵意を持っていることは明らかです。ピラーオルドをなんとかしないと――」
「――、王都に戻って騎士団と操言士団の戦力をそろえて対抗するんだ」

 珍しく意見してきた紀更に、エリックは真面目に返した。
 ピラーオルドは怪魔を使役し、操言の力も使う。一筋縄ではいかない。だが王都の戦力を――いや、国中の戦力を集めれば勝てないことはない。エリックはそう考えた。

「ピラーパレス……馬龍は僕に言いました。そこへ来い、そこで待つ、と」
「罠に決まっている。王黎殿を追い回すのではなく、王黎殿を誘い込む方法に変えただけのこと。のこのこと乗り込んでいくなど笑止千万だ!」
「でも、王都に戻って戦力をそろえたところで行き先は同じですよ。サーディアの王都イェノーム。そこにあるというピラーパレス……ピラーオルドの本拠地です」
「でも、王黎師匠」

 紀更が落ち着いた声で尋ねた。

「イェノームにあるピラーパレスって、どういうことなんでしょうか。それは都市部の中にある地区の名前なんでしょうか」

 光学院、そして操言院で学んだ世界地理を紀更は思い出す。
 サーディアの首都がイェノームという名前であることは地図からわかるが、イェノームの中の詳細は世界地図には載っていない。王都ベラックスディーオのようにいくつかの地区に分かれていて、その地区のひとつがピラーパレスと呼ばれているのだろうか。
 すると王黎はひとつ息を吐いて、観念したような表情で口を開いた。

「いや、イェノームはベラックスディーオみたいな地区に分かれているわけじゃない」
「え? どうして知ってるんですか」
「実は僕、サーディアに忍び込んだことがあるんだ」

 王黎はあまりにもこの場の空気に合わない、いたずらっぽい笑みを浮かべた。まるで誰かのおやつを内緒で食べてしまって、そのことを告白するような軽やかさだった。
 しかし、おやつの盗み食いとは比較にならない衝撃の告白に、紀更とエリックは口をあんぐりと広げた。

「忍び……込んだ?」
「サーディアにか?」
「うーん……二年くらい前ですかねえ」
「え……ええぇ?」

 シリアスだった空気が、王黎の間延びした声でゆるゆるとしぼんでいく。
 紀更は王黎の告白を受け止めきれないような、それでいて王黎らしくて今さら驚きもしないような、なんとも言えない気持ちになった。
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