言霊ノ師

角久 慎

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1章

第1話:アカデミーからの依頼

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「さて、今年は何人いることやら。」

 窓から差し込む淡い光を帯びた教室に入ると、数名の生徒が座っている。どの生徒の顔にも緊張感が張り付き、これから始まる授業への不安や期待が入り混じった表情をしている。私の授業は大学の中でも正直主流とは言えず、受講している生徒は少ない。今年の一年生も例に漏れないようで、見渡してみると三人だけだ。まぁ去年は二人だけだったから、これも進歩と言えよう。せっかく選んでくれた生徒につまらないと思われたくはない。できるだけ柔和な表情を浮かべて(こまで効果があるかはわからないが)、生徒達に声をかけた。

「こんにちは、私の名前はシグノル。ここは言霊術を学ぶ教室だけど、間違いはないかな?」

 一年生はまだ慣れておらず、教室を間違えることも多々ある。そのため初めての授業の際は、いつも確認しているのだ。私の授業を選ぶ生徒達がそもそも少ないからというのもあるのだが、今回はどうやら間違えて入ってきたわけではないようだ。生徒たちを見渡したが、立ち上がるそぶりは見せない。

「大丈夫そうだね。それではさっそく始めるとしようか。言霊術は言葉に魔力を込めて、様々な現象を起こす魔術であることはみんなも知っているね。実は言霊術は知らないうちに使ってしまっていることもあるんだよ。例えばこれまで自分が口にしたことが現実に起こったことがあるって人はいるかい?」

問いかけると一番前の席に座っていた生徒が手を挙げた。

「えーと、君の名前は?」
「エリーです。」
「エリー、どんなことが起きたかみんなに話してくれるかな?」
「あ、はい。子供のころ家によく来ていた叔父さんに、転んでしまえと口に出して言ったとき、その叔父さんが転んだことがありました……。」

 叔父さんに転んでしまえ?想定していなかった言葉が出てきたため、思わず言葉に詰まってしまった。他の生徒も不思議に思ったようで、私の顔をちらちら見ている。正直なぜそうなったのか気になるところだったが、今は授業を進めることに専念しよう。

「なるほど。なぜ叔父さんに転んでほしかったかは一旦置いておくとして、それこそが言霊なんだ。君たちのように魔力を持って生まれてきた子は、言霊を意図せず行使してしまうケースがある。でもまだ制御ができていない状態だから、時に危険を招くこともある。そうならないためにも言霊術を学んで、言葉の力を理解し、制御し、意図して使えるようにしないといけないんだ。言霊術を学んでいく上で、まずは言葉そのものの重要性について学んでいこう。」


 くぐもった鐘の音が聞こえる。授業の終わりを告げる鐘だ。授業を集中しているといつも時間を忘れてしまい、あっという間に終わってしまう。だから授業が中途半端なところで終わってしまうことも多いのだ。自分の悪い癖だとわかっているものの、なかなか直すことができない。

「おっと、もうこんな時間だったか。じゃあ今日はここまでにしょうか。来週までに教科書の十八ページまで予習しておくように。」

 流石に初日ということもあり、授業後に質問に来る生徒もいないようだ。三人が教室から出ていくのを見送り、自室に戻ることにした。大学では教授一人ひとりに個室が与えられ、人によってはそこで寝食もしている。私もその一人だ。教室に併設された自室に入ると、見知った顔がソファーに座り、まるで自分の部屋かのようにくつろぎながら、本を読んでいた。

「学長……。」
「お疲れ様。今年は去年よりも生徒が多いみたいね。良かったじゃない。」

 アルバイン学長。ここフラメリア王立魔術大学の学長にして、我が国随一の魔術師だ。もうすでに六十代に差し掛かろうというのに、まだまだ若々しく、正直外見だけで言えば四十代くらいに見える。驚くことに私が学生だった頃から、ほとんど外見の変化がないのだ。何かの私の知らない魔術をかけているか、あるいはそういう類の薬でも飲んでいるのだろう。光やや赤みを帯びた美しい金髪を指先でもてあそびながら、何か悪だくみでも考えているかのような目で私を見ている。

「わざわざ私の部屋までお越しになられて、どうかされましたか?雑談をしに来たわけではないのでしょう?」
「あら、そんなことないわ。私だってたまにはあなたと他愛のないおしゃべりをしたいと思っているわ。ただ今回はあなたの言う通り、仕事の話よ。」
「新しい授業でもやるのでしょうか?」
「いえ、外部の仕事よ。王立アカデミーから協力要請があってね。なんでもスミル村の近くにある遺跡の中で石碑が見つかったそうなの。その石碑には古代文字が書かれていたみたいなんだけど、アカデミーの先生方では解読できなかったわけ。」
「それでうちに解読協力の依頼が来たんですね。」
「ええ。ただ今回はもう一度現地に行くそうなの。だからそのタイミングであなたにも付いて来てほしいそうなんだけど、頼めるかしら。」

 フラメリア王国の王都メリアドには魔術師が通う王立魔術大学と、歴史学や政治学、天文学などといった様々な学問を学ぶ機関である王立アカデミーという二つの教育機関が存在する。魔術学院とアカデミーは教えている内容こそ違えど、同じ教育機関として協力関係にあり、たまに共同調査や研究を行っていたり、アカデミーの学者では対応できない案件への協力をしたりしているのだ。

「……わかりました。私がいない間の授業はお願いできますか?」
「ええ。もちろんよ。」

 過去も何度かアカデミーの協力要請で学院を留守にすることがあったが、いつもその間の代理はアルバイン学長にお願いしている。言霊術を専門としている魔術師は圧倒的に少ないため、大学においても私の代わりに授業ができるのはアルバイン学長以外にいないのだ。

「明日の十ノ刻にアカデミーの方が迎えに来てくださるそうだから、その時間に私の部屋まで来てちょうだい。」





 食堂へ降りていくと、既に何人かの教授が朝食を食べている。この大学内で暮らしている教授達は、学生たちと同じように学院食堂で食事をとるのだ。学生のように無料で食べれるというわけではないが、それでも町の食堂よりは幾分か安い。だからかたまに大学に暮らしていない教授達もたまに朝食を食べにきているようだった。見慣れた朝の風景を眺めながら、いつものサンドイッチと紅茶を注文して、いつもの席に座った。

「今日はいつもよりも早いじゃないか、シグノル。」

 紅茶を飲みながら顔を上げると、灰色のローブに身を包んだ男が立っていた。副学長のリーダスだ。リーダスはアルバイン学長に代わり大学運営の大半を担いつつ、魔術倫理学の担当教授として授業も受け持っている。私が学生時代から教授として働いている、学院の古株だ。非常にまじめな性格で厳しめに指導しているから、怖がる学生も多いが、学生のために本当に怒れる稀有な人だと思っている。

「リーダスさん、おはようございます。」
「学長から聞いたよ。スミル村の方まで行くんだって?」
「ええ、アカデミーの方と一緒に。古代文字の解読依頼だそうです。」
「なるほど。まぁスミル村までは街道も整備されているから大丈夫だとは思うが、道中気をつけるようにな。」
「ええ、ありがとうございます。」

 リーダスが立ち去ると、残りのサンドイッチを紅茶で流し込み、自分の部屋に戻った。スミル村までは馬車で4日ほど掛かる距離だ。読みかけの本だけでは、手持無沙汰になってしまうだろう。あと数冊持って行った方がいいな。購入したもののまだ一切開いてもいなかった本を二冊ほど手に取り、荷袋の中に詰め込んだ。あとは空気に触れると催涙効果のある煙が発生する薬が入った小瓶を護身用にローブのポケットに入れ、学長室へ向かった。
 学長室は大学に四つある尖塔の中で最も高い塔の最上階に設けられている。学長室まで伸びる長い階段を上るのは毎回一苦労だが、学長自身が文句の一つも言わず毎日上っているのだから、私がとやかく言う権利はない。息切れしながら、何とか数百段の階段を登り切り、ようやく学長室に辿り着いたとき扉は開け放たれていた。中には学長の他に女性の後ろ姿が見える。深呼吸して息を整えてから、開いたままの扉をノックした。

「失礼します。シグノルです。」
「どうぞ、入って。」

 部屋に入ると女性がこちらを振り返った。少し青みがかった灰色の長い髪を後頭部で丸くまとめ、くるぶしまで届く朱色のローブを身にまとっている。年齢は二十代半ばから後半といったところか。フラメリア最高の魔術師たるアルバインを目の前にしながらも、その目には力強い光が宿り、まったく臆するような気配も見えない。

「こちらはアカデミーで考古学分野の主席学者を務めておられるエルザ女史よ。」
「はじめまして。王立アカデミーのエルザと申します。」
「シグノルです。」
「シグノル教授、この度はご協力いただけるとのこと、感謝致します。」
「私でお役に立てるかは分かりませんが、最大限のことはさせていただくつもりです。」
「それではさっそく出発したいのですが、ご準備はよろしいですか?詳しい話は道中で。」
「分かりました。」

 最低限の挨拶を交わした後、エルザに連れられてメリアドの東門へ向かった。東門に到着すると馬車が止まっており、周りには四人の男が立っていた。うち一人はエルザと同じ意匠のローブを着ているため、アカデミーの者だろう。他の三人は剣を腰に差し、背中には弓と矢筒を背負っている。

「エルザ女史、あの武装した方たちは?」
「あれはアカデミーで雇っている傭兵の方たちです。今回の遺跡調査で護衛を務めてくれます。」
「なるほど。」
「あと、その……、エルザ女史と呼ぶのはやめていただけないでしょうか。正直恥ずかしいのです。」
「これは失礼。それでは普通にエルザさんとお呼びしても?」
「ええ。私もシグノルさんと呼ばせていただきますね。」

 私たちの姿が目に入ったのだろう。朱色のローブを着た男が駆け寄ってきた。遠目ではさほど感じなかったが、こうして対面するとエルザよりも若く見える。学生にも思えたが、エルザの担当生徒だろうか。

「エルザ先生、今出立の準備が整ったところです。その方が大学の魔術師の方ですか?」
「ええ、シグノルさんよ。」
「はじめまして。魔術大学のシグノルです。」
「エルザ先生の助手をしているトマスと申します。宜しくお願いします。荷物お預かりしますね。」
「ああ、これはどうも。」

 トマスは私の荷物を持つと馬車へと戻っていった。若くして首席学者になっているエルザの助手を務めているくらいだ。彼も優秀な学者なのだろう。心の中で学生と間違えたことを謝罪しつつ馬車へと近づくと、今度は傭兵の一人が立ちあがり、こちらに向かってきた。赤い髪を短く刈り込み、ところどころに傷が入った黒い革鎧に身を包んでいる。どうやらエルザが合図を送って、こちらに呼んだらしい。

「シグノルさん。紹介しますね。こちらはアカデミーと契約頂いている傭兵団で隊長を務めているフィンさんです。」
「あんたが魔術師先生か。俺はフィン、エルザ先生が言ったとおり、アカデミー専任の傭兵だ。あっちにいるのは俺の部下のトロンとシルバ。」
「シグノルです。宜しくお願いします、フィンさん。」
「スミル村までの道中はそこまで危険な道じゃない。先生方は安心して馬車に乗っているといい。」
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