言霊ノ師

角久 慎

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1章

第2話:依頼の裏側

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 メリアドの街を出て東に進路を取り四日ほど進むと、目的地である遺跡に一番近いスミル村に着く。道中は野営で過ごすことになるが、スミルまでの街道は定期的に狩人組合の者が害獣討伐をしているため、獣害が起こることはほとんどない。それでも時々野盗に襲われることもあるため、自衛手段を持たない者は傭兵などを雇う必要がある。アカデミーの学者たちも当然荒事には慣れていないため、傭兵団と専任契約を結んでいるのだろう。馬車に揺られて既に数刻は経っただろうか。すでに日が傾き始めている。

「先生方。そろそろ野営地を探すことにするが構わないか?」

 フィンが御者台から声をかけてきた。日が暮れてから野営地を探すのは危険。これは旅をする者の常識とされている。視界が暗く、安全な場所を見つけるのが困難になる上、獣にも襲われる可能性があるからだ。フィンはその常識に忠実に従っているのだろう。

「ええ。宜しくお願いします。」

 エルザは野外調査の経験が豊富にあるためか、特に疑問を呈することなく、野営地を探すことに賛成した。幸いにもそこまで時間を掛かることなく、街道沿いにあった巨岩の脇という、野営に適した場所を見つけることができた。巨岩を背にすれば、少なくとも四方から狙われる危険はない。それぞれ天幕を張り終える頃には、辺りも薄暗くなり始めていたため、フィンたちが辺りで拾ってきた木の枝を組み、手際よく火をつけた。

「そろそろ食事にしましょうか。」

 トマスが馬車の荷物から鉄鍋やら野菜やらを取り出し、慣れた手つきでスープを作り、火を囲みながら全員で夕食を済ませた。

「トマスさん。ご馳走様でした。とても美味しかったです。」
「よかった。野外調査の旅は辛いことも多いですから、せめて食事だけはちゃんとしておきたくて、練習したんです。」

 好感の持てる笑顔を見せながら、トマスは恥ずかしげに返事をした。まるで自分のためかのように言ってはいるが、きっと野外調査で忙しくしているエルザのためなのだろう。学者として優秀かどうかはまだわからないが、とても優しい人物であることは間違いない。天幕は全部で三つ用意されていた。一つは傭兵とトマスが使う大きい天幕。あとの二つはエルザと私がそれぞれ使うものだ。天幕を個別にしてくれたのは正直ありがたかった。

「先生方は安心して寝てくれ。見張りは俺たちが交代でやっておく。」

 傭兵隊長のフィンはその時々で必要な提案をしてくれる。経験豊富な頼れる男であると、彼の評価を定めた。しかし、いざという時に彼らが眠くて全力で戦えなかったという事態は避けたい。そのため一つ提案をすることにした。

「それには及びませんよ。フィンさん。」
「ん? 魔術師先生が見張りをしてくれるのかい?」
「いえいえ、結界を張っておくんですよ。獣や野盗くらいでは結界内に侵入することはできないので、皆さんもお休みになってください。」
「結界? そんな便利なものがあるのか?」
「はい。強力な魔術師であれば破ることができますが、まぁ大丈夫でしょう。そういうわけなので皆さんも明日に備えて休んでくださいね。」
「そういうことなら、俺たちも休ませてもらうか。今回は魔術師先生がいてくれて、助かるぜ。ありがとう。」

フィンたちが天幕に戻ったところで、野営地の大体中心にあたる地面に結界のための陣を描き、さらに野営地を囲む四隅にも小さく陣を描いた。そのあと中央の陣に魔力を込めると、野営地をすっぽりと包むように半透明上の幕が覆っていった。




「見えてきましたよ。」

 トマスの声を聴いて、馬車の幌から顔を出して前方を覗くと、川沿いに小さな集落が見えた。スミル村の周辺には、フラメリア王国の東端にそびえるフィニス連峰から流れてくるアモン川に育まれた豊かな森林地帯がある。ダンドリン大森林と呼ばれるその森林地帯には、様々な獣が生息しており、狩人達にとって魅力的な狩場だった。そのため川沿いにいくつかの狩猟小屋が立てられ、そこに住み着く狩人が出てきた。良質な獣の皮を求める革細工師や狩人達に弓矢などを提供する武器職人も次第に集まり、一つの村のようになっていき、今のスミル村になったと言われている。小さな村でありながら、遠出する狩人や旅人の姿も多く見られ、今では東へと旅をする際の要所として重宝されているのだ。今日はここで宿を取り、明日改めて遺跡へ向かうことになっている。村へ到着すると早速宿へと向かい、トマスが部屋を確保した。

「この時期に旅人はあまりこの村に訪れることはないそうで、三つ部屋を押さえられましたよ。野営と同じ部屋割りでいいですよね。」

トマスは自らの問いかけに全員が賛成したところを確認し、エルザに視線を送った。

「明日は八ノ刻に村の広場に集合しましょう。それまでは自由行動で。」

 トマスの視線を受けたエルザは明日の集合時間について皆に告げた後、足早に自分の部屋へと入っていった。明日の調査に向けて準備でもするのだろう。トマスと傭兵たちは酒場へ向かうようだ。トマスに一緒にどうかと誘われたが、今読んでいる本の続きが気になることもあり、自分の部屋に戻ることにした。食事は持参している乾パンでも食べればいいだろう。
 本を読んでどれくらい経っただろうか。窓の外を見るとすっかり暗くなっている。メリアドでは街灯がいくつも設置されているが、地方の村や町では街灯が行き届いていることは少なく、夜になればうっすらと辺りを銀色に照らす月明かりと、人家から漏れ出す橙色の光くらいしか目に入らないのだ。ここスミル村も例外ではなく、窓の外をのぞいても闇がこちらを覗き返すだけで、ほとんど何も見えない。ふと部屋の方に意識を戻すと、誰かが扉をノックしている。

「はい?」
「エルザです。夜分にすみません。少しよろしいですか?」

意外な訪問客に驚きながら扉を開けると、エルザは静かに部屋に入ってきた。

「どうかされたのですか?」
「明日の調査に先立って、少しお話しておきたいことがありまして。」
「……なんでしょう?」

エルザの少し不安そうな顔つきを見ると、あまりよい話ではなさそうだ。

「今回古代文字解読をお願いした時、なぜ羊皮紙などに書き写したものを提供せず、現地に行く必要があるのか疑問に思われませんでしたか?」
「正直思いましたが、何か事情があるのだろうと考えていました。」

 古代文字の解読依頼をされることは少なくない。しかし今回のように現地に赴くのは稀だ。エルザの言った通り、依頼の多くは古代文字が書かれた石板そのものや複写した羊皮紙などを渡されることが多いからだ。現地に行く場合もあるが、古代遺跡の発掘調査で古代文字が出てきた際に備えて同行するというもので、今回のような依頼は初めてだったので、少し気にはなっていた。

「そうですよね…。前回この遺跡に来て古代文字が書かれた石碑を見たとき、すぐに私たちでは解読できないと判断し、魔術学院に解読依頼を出そうと考えました。当然石碑に書かれていた古代文字は羊皮紙に複写をして。ですが、盗まれてしまったのです……。」
「盗まれた? メリアドに帰ってからでしょうか?」
「はい。メリアドに着いたその晩に。」

 メリアドに着いた日の夜、エルザはひとまず旅の労をねぎらうため、トマスやフィン達とともに街の酒場へと食事に出かけたそうだ。そこで二刻ほど食事や酒を楽しんだ後、自分の研究室に帰ると部屋が荒らされていた。慌てて部屋を確認すると、持って帰ってきた羊皮紙だけが盗まれていた。アカデミー上層部に仔細を報告し、一応調査は行われたが、結局盗人はおろか羊皮紙も出てこなかったという。

「そのため再度現地に向かわないといけなくなったのです。私の不手際でわざわざご足労頂くことになった上、今更の説明になって、本当に申し訳ありません。」
「いえ、問題ないですよ。少し気にはなっていましたが、外に出ること自体は好きですので。」
「そう仰っていただいて、少しは気が楽になりました。」
「ただ……。」
「ただ?」
「なぜ羊皮紙がその時、その場所にあると賊は知っていたのか、少し引っかかりまして。金品類も盗まれていたのであれば、適当に物色している際、たまたま見つけて価値がありそうだから盗んだという可能性はあるでしょう。でも羊皮紙だけ盗まれていたのは不自然です。」
「それは、私も気になっていました。ですがまた遺跡へ足を運びさえすればいいだけですし、ずっと気を揉んでいても仕方ないと思って。」

今回は私自身が現地に赴くことになるわけだから、仮に羊皮紙に複写した分が盗まれても、現地で解読した内容は私の頭に残る。それを踏まえた上で、今回は現地へ私を連れていくという判断をしたのだろう。

「……そうですね。」
「はい。これだけ事前に伝えておきたくて。それでは明日宜しくお願いしますね、おやすみなさい。」
「ええ、おやすみなさい。」

部屋を出ていくエルザを見送りながら、私は読みかけの本に意識を戻した。
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