言霊ノ師

角久 慎

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1章

第5話:迎え

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 王都に到着した時にはすでに太陽が山の陰に沈み、靄を帯びた月が顔をのぞかせていた。エルザもすでに気を取り直しており、フィン達にあれこれと指示を出している。道中で、トマスにした話を再度エルザにも話したことが功を奏したようだった。

「シグノルさん、今回はありがとうございました。結局ただ遺跡に行っただけになってしまい、本当にすみませんでした。」
「いえ、エルザさんが謝ることではありませんよ。もし古イブラル関連の解読依頼が来たら、お知らせしますね。」

 エルザはフィン達を連れて、アカデミーのある区画へと向かっていった。アカデミー側にも今回あった件は当然報告しなければならないだろう。まず自宅に帰る前に、報告しておくつもりなのかもしれない。トマスはエルザに何か話しかけた後、私の方に駆け寄ってきた。

「シグノルさん、ありがとうございました。色々お話できて勉強になりました。」
「こちらこそ。トマスさんも頑張ってくださいね。」
「あの、この前の話の続きではないのですが、古イブラル文明の古代文字を解読できる可能性がある方は本当に他にいないのでしょうか。もし可能性のある方がいらっしゃるのであれば、シグノルさんのように依頼が来た場合、知らせていただけるようにお願いしようと思いまして。」
「申し訳ありませんが思い当たる人はいません。鑑定組合の人であれば、あるいは知っているかもしれませんが可能性は限りなく低いと思いますよ。」

 トマスに話した通り基本的に古イブラル関連のものは私に依頼が入っているはずだが、他にそういった案件を回している人が絶対にいないとも言い切れない。私が知らないだけで別の人に回している可能性もある。ただ正直望みは薄いように思うが。

「そうですか……。一度念のため明日にでも鑑定組合を当たってみます。それではまた。」

 そう言うとトマスはエルザ達の後を追うように駆けていった。今回の旅は徒労に終わったと言ってしまえばそれだけだが、後味は良くない。少し個人的に調べてみるのもいいかもしれない。トマスも当たってみると言っていたが、私も鑑定組合に顔を出してみるか。とはいえ今日はもう夜だ。今から行っても組合に追い返されるのが関の山だろう。今日のところは大学に戻って、明日に改めることにしよう。




「言霊術と通常の魔術における呪文と何が違うのですか?例えば戦闘魔術で火を起こす場合、“炎よ”とか“燃えよ”といった呪文を唱えますよね。」
「いい質問だね。マカル。ここは実践して見せた方がいいね。じゃあみんな指先に火を灯してみてくれるかい?」

 生徒たちは私の言葉を聞いて、それぞれ聞き手の人差し指を顔の前まで上げ、呪文をつぶやいた。火よ、灯れ。炎よ。火よ、指に灯れ。三者三様の呪文を口にすると、三人の生徒たちの指先から小さな火が灯り、静かに揺らめいている。

「素晴らしい。それじゃあ呪文無しで同じことをしてみよう。」
「え! そんなの無理ですよ。魔術を使うときは必ず呪文を唱えるようにと、フラルデル先生も仰っていましたし。」

 呪文を一言もつぶやくことなく、広範囲を焼き尽くす魔術を淡々と使う男の顔が浮かんだが、すぐに意識を授業に戻した。

「そうだね。だけど基本的にほとんどの魔術は呪文無しでも使えるんだよ。」

右手の人差し指を突き出すと、すぐさま火が灯った。生徒達の顔に驚きが張り付いている。

「呪文はあくまで頭の中のイメージをより具体的にするためものに過ぎないんだよ。だから、ある程度経験を積んだ魔術師は無言で魔術を使うことができる。まぁ高度な魔術を行使する場合は、フラルデル先生が言ったように呪文を唱えた方がいいんだけどね。つまり何が言いたいかというと、戦闘魔術やその他の魔術において、呪文となる言葉は必要なものとは限らないということなんだ。だけど言霊術はそうはいかない。言霊術は言葉に魔力を込めるという特性上、言葉は必須になる。この点が大きく違うと言えるね。」

 質問したマカル以外の生徒達も熱心に聞き、真面目にノートに今私が話したことを書き写しているのを眺めていると、鐘の音が教室に飛び込んできた。

「今日はここまでにしておこう。じゃあ課題は次週の授業までに終わらせておくようにね。あとさっき私が呪文無しで魔術を使ったことは、フラルデル先生には内緒にしておいてくれるかい?何を生徒に見せてるんだと怒られてしまうから。」

 三人とも笑顔でわかりましたと答えてくれたものの、恐らく別の生徒たちに伝わり、巡り巡ってフラルデルに伝わることになるのだろう。そんなことを想像して、少し憂鬱な気分になりつつ、生徒たちを見送った。



 昨日スミル村から帰った後、アルバイン学長に事の次第を報告し、夕方から外出する許可を取っている。鑑定組合に行くためだ。トマスはもう既に顔を出しているだろう。トマスがそこで見知った情報以上のことがわかるかは疑問だが、今できることをやるしかない。

 王都は綺麗な円形を取っており、その円を分けるように斜めに二本の大通りが走り、中央で交差している。大通りで仕切られた各地区は北地区、南地区、東地区、西地区の四つに分割されているのだ。そのうち西地区には魔術大学やアカデミーなどの学術機関を中心に、教科書や専門書などを取り扱う本屋、筆記用具や羊皮紙を販売する文具店などが集まっている。目的の鑑定組合は、狩人組合や魔術師組合など他の組合と同じく大通りが交差する中央広場を挟んだ東地区に位置している。
中央広場を越えて東地区に入ると歩いている人たちの様相が変わった。西区は学者然としたローブを見にまとっている人が大半となっているが、東地区ではローブの人も見かけはするが、剣や弓を携えた狩人の方が多く見かける。

 鑑定組合に到着し、事の詳細は触れずに保留になっている古イブラル文明関連の解読案件はないか尋ねたが、そういったものはないという。まぁ盗品の解読依頼が正規の組合に入る可能性は低い。当然だろう。最後にアカデミーのトマスが訪れたかどうか尋ねてみたが、今日は来ていないとのことだった。それでは私以外で解読できる者がいるかどうかの確認はまだできていないわけだ。

「ちなみに魔術大学以外で古イブラル関連の解読依頼の委託先はありますか?」
「ありませんよ。古イブラル解読は非常に高度な知識が求められるため、いつも魔術大学の先生にお願いしています。そういえば、今日同じ質問をしてくる方がいましたね。最近古イブラル文明時代の遺跡が多く見つかりでもしたのですか?」
「……いえ、そういうわけではないと思いますが。ちなみにその質問された方はどんな方でしたか?」
「フードを目深にかぶっておられたので顔はよく見えませんでしたが、背格好からすると男性だと思います。依頼もせずにそのまま帰ってしまったので、印象に残ってましてね。」
「いくつくらいの方でしたか? 名乗りましたか?」
「名前はわかりません。声はまだ若い感じがしましたが。……なぜそんなに気にされるのです?」
「いえ、ちょっと知り合いかと思ったもので。ありがとうございました。」

 これ以上不審に思われるのを避けるため足早に鑑定組合を後にした。それにしても思わぬ情報が得られた。古イブラル文明の解読ができる者を探していて、鑑定組合に依頼を出さないということは、何かしら事情があることは間違いないだろう。ただもしエルザから羊皮紙を盗んだ者だとすれば、このタイミングで尋ねに来たのは不自然に思える。盗んだ直後を避けるのは理解できるが、それにしても期間が空き過ぎている……。まぁ今はこれ以上考えても閃きは得られそうにない。
 鑑定組合で話をしている間に日もすっかりと暮れ、辺りは濡れた鴉の羽のような漆黒に包まれている。せっかく東地区まで来ているのだ。普段行かない食堂で夕食でも取るとしよう。食堂を探しながら路地を歩き回っていると、ふと誰かに見られているような感覚を覚えた。
振り返っても通行人くらいしか目に入らない。ただの思い過ごしかと思い、そのまま食堂探しを続けようとしたが、数歩先に明らかにこちらを見て立つ男が目に入り、合食事を諦める必要があることを悟った。黒の長い外套を纏い、気配を殺して佇んでいるところを見ると、ただの通行人ではないことは確かだ。

「魔術大学のシグノル教授とお見受けするが、間違いないだろうか?」
「ええ。私ですが、何か御用でしょうか。」
「一緒に来てもらいたい。」
「なぜでしょうか?」
「その理由をお前が知る必要はない。」
「断ればどうなるのですか?」
「実力行使という対応を取らざるを得ないな。」

 そう言うと背後からも二人現れ、逃走経路を防いだ。正直振り切ることはできるだろうが、さてどうしたものか。確証はないものの、この者たちがエルザから羊皮紙を奪った者、もしくはその者と関係している可能性は高そうだと直感が告げている。

「わかりました。ご一緒しましょう。」
「賢明な判断だ、教授。」

そのまま私は人気のない路地まで連れていかれ、あらかじめ手配されていたであろう馬車に詰め込まれた。

「到着するまでこれを被っていてもらおう。」

 そういうと男は私の頭に袋を被せた。暗闇に包まれた私にとって、馬車を引く馬の蹄が石畳に当たる音と、男たちの緊張した息遣いだけが全てだった。
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