言霊ノ師

角久 慎

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1章

第6話:真相

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 落ち着かない。デイルが出ていって既に二刻と少し経とうとしている。あいつはこういったことに慣れている。失敗なんてことはないと思うが、あの飄々とした学者気質の男を思い浮かべると、何やら言いようのない不安を覚える。

「まだなのか?」
「もうこちらに向かっているころだと思うのですが……。」

 くそ。デイルの奴は何をしているんだ。今回のことは僕にとっても重要な機会になる。絶対に失敗は許されない。だからこそ一秒一秒が重く、長く、そして身を切り刻むように感じられた。そのとき一階の方で扉を荒々しく開ける音が聞こえた。デイルがようやく辿り着いたのだろうか。一階へと降りていくとデイルが頭に袋を被せた男の手を引き、部屋に入れているところだった。

「連れてきたぜ。」
「まったく……、遅いじゃないか。失敗でもしたのかと肝を冷やしたぞ。」
「これでも急いできたんだ。大学にいると思ったが外出していたから、あちこち探しまわったのさ。」
「まぁいい。そのまま二階へ連れて行ってくれ。」

 目的の男は黙ってデイルに導かれるまま二階へと上がっていった。後を追って二階の部屋に入ると男は両手を縛られた状態で椅子に座らされていた。

「じゃあ俺たちは下にいる。何かあれば呼べ。」

 デイルが扉を閉めて出ていくのを見送ると、男に視線を戻した。相変わらず着古した深緑のローブに身を包んだ男は、顔を布で覆われ、椅子に縛られているに状況においても、不思議とおびえている様子は見られない。指示を仰ぐようにガサイに目を向けると、顎を突き出した。僕から話せということか。男の顔にかぶせた袋を取ると、幾度か瞬きをし、こちらを見据えた。

「……トマスさん」
「シグノル教授、手荒な真似をして申し訳ない。」
「どういうことか説明してくれますか?」
「あなたにはこの羊皮紙に書かれている古代語を解読いただきたい。あなたを巻き込むつもりはなかったのですが、解読できる者が他にいないとなると、あなたに協力してもらう他ないでしょう。解読いただければ、解放します。」
「なるほど。友好的な提案ではありませんね。」
「あなたはエルザから事の経緯を聞いてしまった。そんなあなたが素直にこちらの要求に従うとは思えません。ですからこのような形になったのです。エルザが話さえしなければ、もっと違った形でお願いができましたよ。」
「もし解読を拒んだらどうなるのですか?」
「私にはわかりません。デイルに任せますので。ただ、解読する方がお互いにとって良い結果をもたらすことは間違いないでしょう。」
「この計画を考えたのはあなたですか?」
「質問はここまでです。解読をお引き受けいただけるか、その返答を聞かせてください。」

 シグノルは解読を拒むはずはない。もし拒んだ場合どういった結末を迎えるのかは容易に想像ができるはずだ。なのにこの男は残念そうな表情こそすれ、その目に怯えや恐怖の色が見えない。そういった状況に追い詰められているのは逆に自分であるような気がして、腹立たしさを通り越し、少し恐怖すら感じている。

「もう一度お尋ねします。この計画を考えたのはあなたですか?教えてください。」
「ガ、ガサイ教授、だ。」

 なんだ?今僕は答えるつもりなんてなかった。でも口から勝手に言葉が出た。いや、漏れ出した。

「トマス!」

ガサイからなぜ名前を出したのかという意味の叱責が飛んできたが、それに応える余裕はない。

「なるほど。ガサイ教授は何故このようなことをあなたにさせているのでしょうか。」
「お、お前には関係ない。これ以上無駄口をたたくと、命は保証しないぞ。」
「おや、それがあなたの本当の顔なのですか? もっと柔和な人かと思っていましたが残念です。あなたの作ったスープはあれほど美味しかったのに。」
「黙れ……。」
「私もこれ以上無駄な問答を続けたくはありませんので、伝えておいた方がよさそうですね。私は言霊術が使えます。つまり私があなたに話せといえば、あなたは話をせざるを得ませんし、当然嘘もつけません。」

言霊術?言った言葉が現実になるというあれか?

「だから正直に話し合いましょう。あー、ところでガサイ教授。あなたもそこで動かず、黙って話を聞いていてくださいね。」

 視界の端で部屋を出ようと動いていたガサイが、その時の姿勢のまま動かなくなってしまった。その顔には恐怖が張り付いている。このままではまずい。デイルを呼んで、まずこいつの口を閉じなければ。

「デイ……」
「口を閉じてください。ちなみにデイルは呼ばない方がいいですね。そこで固まっているガサイ教授の二の舞になるだけです。もう口を開いて結構ですよ。」

 以前の旅では結界魔術こそ使っていたがそれ以外の魔術は使っていなかったし、熊との戦闘の時も何かしているようには見えなかった。だからこそ両手を拘束しさえすれば、脅威にならないと考えたのだ。しかし今は魔術師である男を見くびった過去の自分に腹が立っていた。
この男の言う通り、相手が厄介な言霊術を使う以上、嘘やごまかしは通じないだろう。だが幸いシグノルは椅子に縛られている。ここは一旦素直に話をしつつ、隙を伺えば、口を防ぐことはできるはずだ。

「さぁ話してください。ガサイ教授があなたにそんなことをさせた理由を。」
「………エルザが邪魔だった。それだけの話だ。」
「というと?」
「ガサイ教授はご自分の立場をエルザに奪われることを恐れた。そこで羊皮紙を盗み出し、解読することで発見成果を横取りしようと考えたんだ。」
「なるほど。そんなことだろうと思いましたよ。しかしあなたはエルザさんの助手なのに、なぜ裏切るようなこと?」
「エルザの代わりに主席学者にしてくれると言われたからだ。」
「……そうですか。あなたのことを優しい人物であると評価した過去の自分を、戒めなければなりませんね。」

 彼は目を閉じ、下を向いて首を横に振るような仕草をした。今しかない。彼の方に急いで駆け寄った。何かが聞こえた気がするが、今はそれどころではない。口を閉じるためにひそかに忍ばせていた布を持ち出し、彼の顔に触れようとした。その瞬間に全てが止まってしまった。身体も思うように動かない。言葉を発することもできない。すぐさま自分自身がガサイ教授と同じ状態になっていること、自分のかすかな望みが瞬く間に砕かれたことを察した。




 滑稽な姿勢で固まったままのトマスを眺めつつ、自分の両手を縛る縄を焼き切るため、意識を集中した。瑠璃石が付けられた魔術師用の縄でなくて本当に良かった。縄は簡単に灰となり、両手が自由になった。手首に残された縄の痕をさすりながら、改めて滑稽な姿勢で固まるトマスに視線を戻した。

「まったく。ここまで学習能力がないとは……。」

 憎しみと恐れが半々に混ざりあったような視線を受けながら、トマスとガサイを彼らが付けていた革ベルトで椅子に縛って座らせた。椅子の片隅に落ちている羊皮紙を拾い上げ、彼らに掛かっている言霊を解除した。ガサイ教授は恐怖からか嗚咽を漏らしている。

「ひとまず羊皮紙はお預かりします。さて、どうしたものか。」
「僕たちをどうする気だ?」
「どうするも何も、衛兵に突き出すしかないですね。幸い衛兵隊には知り合いがいます。」
「ふん、今の状態はどう見てもお前が我々に何かしたように思われるぞ。」
「ご心配には及びません。また真実を話してもらえれば済みますから。」

 その時扉が開く音が聞こえ、振り返るとデイルと部下の二人が剣を抜いてこちらを睨んでいた。先ほどの騒ぎを聞きつけて、様子を見に来たのだろう。デイルと目が合った瞬間、トマスが叫んだ。

「耳をふさげ!おかしな術を使うぞ。」

 デイル達はトマスのただ事ではない様子を見て、素直に忠告に従い、慌てた様子で何かをズボンのポケットから取り出して耳に詰め込んだ。何を詰め込んだかは知らないが、完全に言霊を防ぐことはできないだろう。ただ効果が薄れることは確かだ。こういった局面で言霊が効きにくいというのは致命的と言える。
 そうこう考えているうちにデイルがこちらに迫ってきた。後々衛兵に説明するためにも、彼らを必要以上に傷つけるわけにはいかない。まずは意識をデイル達の握っている剣の柄に集中させ、魔力を起こり込んだ。

「あ、熱い!」

 デイル達は一様に剣を床に落とした。赤くなった手に必死に息を吹きかけている。武器の次は彼らの服だ。手をこすり魔力で小さな火種を創り上げ、デイル達の着ている外套に吹きかけた。外套から煙が立ち始めたところで、デイル達は自分の服が燃えていることに気づいた
。必死に脱ごうとしているが、焦っているためか上手くいかないようだ。デイル以外の二人は床に転がり、火を消そうとしている。その拍子に彼らの耳から詰め物が落ちるのが見えた。

「眠れ」

 二人は動かなくなった。かすかに背中や腹を上下させているところを見ると、上手くいったようだ。その間にデイルは冷静に自分のローブを脱ぎ捨て、どこかに仕込んでいた短剣を片手に目前まで迫ってきていた。かわし切れない。何とか体を反らせて深く切られるのは避けたが、右肩の前あたりが抉られた。
するどい痛みから来る眩暈を抑えながら、何とかデイルから距離を取った。追撃を緩めるつもりはないようで、すぐさま返し手で切りつけようとこちらに跳躍してくる。

「止まれ」

 デイルの動きが止まった隙に再度距離を取った。やはり耳を防がれている以上、効果が薄い様だ。もうすでにデイルは言霊の呪縛から逃れ、こちらに再度向き直っている。かくいうこちらは視界がぼやけ始めた。消耗の激しい言霊術の無駄遣いは控えるべきだろう。もし使うとしても決定打だけに絞る必要がある。
その時、ローブのポケットの中に無意識に入れた手の指先に冷たい何かが触れた。スミル村へと出立する際に入れた小瓶がまだ入ったままだったのだ。これは使える。デイルが短剣を逆手に持ち、姿勢を低めたまま左手から回り込んでくる。小瓶を躊躇なくデイルと自分の間の床に投げつけ、ローブで目を覆った。ガラスが砕ける音がした途端、デイルは激しく呻き、床でもんどりうっている。

「目が、目がぁ。」

 少し距離を開けて、目の前に広がっている靄のようなものが晴れるまで待ち、まだ目を押さえて痛みに耐えて転げまわるデイルの耳から何とか詰め物を外した。なんてことはない布の小さな切れ端だ。そのまま他の二人と同じように言霊で眠らせた。

「デイルに何をした!?」

一部始終を見ていたトマスが怒り交じりの声を発した。

「……催涙作用のある薬を使っただけです。心配せずともあと数時間もすれば視力も回復しますよ。」

 身体は休みたいと悲鳴を上げているが、今はデイル達を縛る方が先だ。服や靴などに刃物が隠されていないか念入りに調べてから、彼らが持っていた縄を使って縛っておいた。これでひとまず大丈夫だろう。まぁそもそも言霊術で眠らせた相手は数分で目覚めることはないが。

「じゃあしばらくここで待っていてください。」
「待て、これは私の発案じゃないんだ。トマスが私に持ち掛けてきた話なんだ。私は悪くない。だから開放してくれ。」

 いよいよ危ういと察したのかガサイが必死に弁明をしている。土壇場で裏切られたトマスは目をむいてガサイを睨んでいる。

「そういった話は私ではなく、然るべきところにすることですね。」

互いに罵声を浴びせ合う二人を背に、私は衛兵を呼ぶべく、その場を後にした。
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