放課後の君は、まだ遠い。

海月いおり

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第8章 踏み込んだ関係

1. モデルの再開

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 白い息が、吐くたびにふわりと空へ消えていく。
 冬の夕暮れは、思っていたよりもずっと冷たかった。
 太陽が落ちかけた空は薄紫に染まり、校舎の影が長く伸びている。
 有理は俺に近づいて来なくなった。
 祥吾とずっとつるんで、見向きもしない。
 俺もどうすればいいのかわからない。『普通にしてて』と言った有理はどこに行ったのか。
 完全に関係を拗らせてしまっていた。



 放課後、初めて南条が俺のクラスを訪れた。
 そこで呼び出され、校舎裏にやってきたのだ。
 人気のないこの場所は、いつも風がよく通る。
 校舎の壁に背を預けている南条は、スケッチブックと1本の鉛筆を手に持っていた。
「白浜くん……寒くない?」
「まぁ、ちょっと。やっぱ冬って感じよね」
「……ごめん。わざわざ呼び出して」
 南条はそう言いながら、ゆっくりとスケッチブックを開いた。
「別に、構わないよ」
「……僕ね、描きたくなったんだ。絵」
「ん?」
「文化祭前からずっと、絵が描けなかった。でも……ふと、描きたいって思って」
 そう言う彼の目は、どこか迷いを含んでいた。けれど、芯のある色をしている気もする。
 鉛筆の先が紙に軽く触れ、わずかな音が空気を切った。
 その音が久しぶりに思えて、なんだか胸が熱くなる。
「モデル、俺でいいの?」
「うん。むしろ……白浜くんがいい」
 即答だった。驚くほどに迷いのない声に、つい俺が驚いてしまう。
「……なんか、やっぱり〝光〟って感じがして」
「……やっぱり、って?」
「前にも言ったけど。白浜くんは〝光〟って感じなんだ。ずっと……そう思ってた」
 照れたように目を伏せる南条の頬が、夕日を浴びて赤く染まっている。
 それが日差しのせいなのか、寒さのせいなのか、それとも——俺にはもうわからなかった。
「……なんか、よくわかんないけど。ありがと」
 俺はどうしてか、涙が出そうだった。
 絵を語るときの南条は、すこしだけ饒舌になる。
 その言葉の端々に、どうしようもないくらいまっすぐな想いが滲んでいる気がするのだ。
「別に……お礼を言われることじゃないから」
 南条は視線を紙に戻し、黙々と鉛筆を動かす。
 だけどその表情は穏やかで、久しぶりに〝何かを創る人〟の顔をしていた。
 俺が惹かれた、絵と向き合う南条の姿だった。

 しばらくの間、風の音と鉛筆の走る音だけが、俺たちの間に流れる。
 気がつけば、肩先にふわりと雪が降りてきていた。
 細かく舞う雪が静かな世界をつくっている。
「……なんか、不思議」
「何が……?」
「南条とだと、こうやって何も話さずにいても、落ち着くっていうか」
 自分でも、なんでそんなことを口にしたのかわからなかった。
 だけど、それは間違いなく本音だった。
 嘘ひとつない言葉だった。
「……白浜くんってさ、こういうときも、やっぱり光ってる」
 南条の声は、小さな雪よりも静かで優しい。
 胸が、きゅっと鳴った。
 俺はきっと、この人が——南条が描く〝光〟になりたいと思ってる。
 その絵に、一生残されてもいいって、今ならそう思えた。
「なぁ、南条」
「……何?」
「俺……また、お前の絵が見たいって思ってたんだ」
 言いながら、胸の奥がじんわりと熱くなった。
 そう、これは〝また〟なんだ。あの文化祭前、南条自身が破ったあの1枚に心を奪われてから、ずっと。
 南条は相変わらず無表情だ。
 だけど、その中にわずかな微笑みが見えた。
 嬉しそうな様子で、軽く会釈をする。
「そっか……ありがとう」
 南条が出したその声は、すこし震えていた。

 しばらく呆然としていると、スケッチブックを閉じる音が、静かな世界にふわりと響いた。
 そして南条は、まっすぐ俺を見る。
「……続きは、また今度。完成したら見せるね」
「うん。楽しみにしてる」
 校舎裏の冷たい空気の中で、心のどこかが温まっていた。
 俺はまだ〝好き〟なんて言葉を伝えてはいない。
 でも確実に、何かが近づいている。
 なんとなく、そんな気がした。

 降り始めた雪が、俺たちをそっと包み込んでいく。
 その優しい静けさが、ずっと終わらなければいいのにと、初めて思った。

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