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第七章
人類史を動かす装置
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奥核回廊――宇宙の心臓へ至るその道は、凌がこれまで見てきたどの異界よりも静かで、
どの地獄よりも残酷だった。
複雑に編まれた光の繊維が空間を満たし、そこへ浮かぶ数え切れないほどの“球体ファイル”。
一つ一つが、世界を揺るがす出来事そのものの“設計図”である。
足を踏み入れた瞬間、凌は息を呑んだ。
球体は無言で浮かび上がり、心臓の鼓動のようにゆっくり脈動し、内部からは微弱な叫び
声のようなエコーが漏れてくる。
それは死者の記憶、歴史の悲鳴、時代の断末魔が折り重なったものだった。
眞名は彼の横に立ち、まるで病院の手術室を歩くような慎重さで球体の列へと近づいた。
「ここには、地球史における“全ての大量死イベント”の設計データが保管されていま
す」
「設計……?本当に、設計されたものなのか……?」
「はい。自然現象に見えても、宇宙は“結果が一定範囲に収まるよう”内部調整をしてい
ます。
その調整プランがここに記録されているのです」
その言葉は、凌の感覚の全てを逆撫でるように突き刺さった。
凌が手を伸ばし、ひとつの球体に触れた瞬間、空間に冷気が走った。
球体の内部が急激に拡大し、まるで巨大な映画館のスクリーンのように視界いっぱいに広
がる。
ヨーロッパ大陸の地図が浮かび、黒い染みのような斑点が一瞬で都市を覆い尽くしてい
く
。
教科書では知っていたはずの光景。
だが今見ているのは“現実そのもの”だ。
人々が咳き込み、倒れ、埋葬の列が途切れることなく続く。
都市は悲鳴で満ち、死体は街路に山のように積み上げられる。
眞名が静かに語った。
「――十四世紀、黒死病。
人類史上最大級の死者数を記録した災禍です」
凌が震える声で訊ねる。
「これも……宇宙の判断だったの?」
「はい。当時のアストラル界は“魂の膨張期”でした。
地球での人口増加速度が予想を上回り、魂の処理が追いつかなかったのです。」
球体内部で、アストラル界の混雑した魂の行列が映し出された。
黒雲のような魂が行列を成し、何十年も待機している。
「そんな理由で……あんな悲劇が……」
凌の手が震えた。
球体は彼の感情に反応し、一瞬だけ光が激しく揺れた。
次の球体は、触れた瞬間に金属の匂いを広げた。
光景は一変し、爆発音とともに第二次世界大戦の戦場が展開される。
砲弾が大地を裂き、黒煙が空を覆い、涙と怒号が響く。
街が燃え、兵士が倒れ、国境線が赤く染まる。
眞名が重い口調で言う。
「第二次世界大戦の主要目的は、“魂の停滞打破”です。
当時の魂の多くは、前世での経験を引きずりすぎて“次の生を選択できない”状態に陥
っていました」
球体に映る魂たちは、灰色で、動かず、沈殿しているようだ。
「彼らを再び動かすには、大きな衝撃が必要だった。
だから管理派は“世界規模の衝突”を計画しました」
「……人類史最大の戦争が、ただの魂の渋滞解消……?」
凌の言葉はひどく乾いていた。
「管理派にとっては、地球文明の損失よりも“魂の健康”が優先なのです」
「健康だって?死んでるのに?」
「魂の“流動性”こそが、宇宙の秩序を維持する最重要項目です」
言い換えれば、宇宙は魂を“流れる物質”としか見ていない。
人間が人生をどう生き、どう苦しみ、何を願ったかなど問題ではない。
凌の胸には、吐き気に似た怒りが込み上げた。
さらに進んだ先で、眞名は巨大な球体を指し示した。
それは他より巨大で、表面が波打つように揺れていた。
眞名が触れると、空間は激しく揺れ、巨大地震・大津波・断層破壊などの映像が次々と展
開された。
「これは“地球災害モデル”。
アストラル界が“業務限界”を迎えた時に発動されるリセット処理の設計図です」
「リセット……?」
「はい。
魂の受け入れ処理が過負荷になると、
・転生割当の遅延
・肉体設定のズレ
・魂の誤配
…などの多重エラーが発生します」
実際の誤作動例が球体に表示された。
・同じ魂が同時代に二人存在する誤配属
・異なる文明圏に生まれるはずの魂が混線
・周囲の“宿命コード”を間違えて配布する事故
「こうしたエラーが蓄積すると、地球社会も不安定化します。
戦争が妙に長引いたり、リーダーが適正外の魂で誕生したり……」
凌の背筋が凍った。
「その社会的ゆがみを修正するため、宇宙は……“災害”を起こすのか?」
「……はい。
地表を揺らし、魂を一度回収して整列させ直す。
いわゆる“宇宙的初期化”です」
その説明は、あまりにも非情だった。
■歴史の真相に打ち砕かれる凌 凌の視界がぐにゃりと歪んだ。
血の気が引いていくのがわかる。
「こんな……こんなもののために……
人類は何億人も死んできたのか……?」
球体の光景はまだ続いていた。
ペスト。
コレラ。
ナポレオン戦争。
大飢饉。
原爆投下。
世界規模のウイルス流行。
大陸規模の地震。
大洪水。
どの球体も、目的には無機質な言葉が並んでいる。
・
“魂の供給量調整”
・
“停滞期強制流動化”
・
“アストラル界処理負荷の解消”
・
“文明成長速度の是正”
眞名が横で見守る中、凌は崩れ落ちるように膝をついた。
「……俺たちの痛みは……努力は……希望は……
宇宙の都合で捨てられてきたのか……」
嗚咽がこみ上げ、声にならない。
その肩に、そっと眞名の手が触れた。
「凌。
その苦しみは、真実を知った者なら誰もが抱くものです」
「どうして……宇宙はこんな仕組みを作ったんだ……」
「宇宙も完璧ではありません。
創造主たちは、魂を“労働資源”として見てしまった。
その偏った価値観が、数十億年の歴史をこうして歪めてきました」
「人間は……ただの部品じゃない……!」
「ええ。
そして、あなたのその怒りこそが――」
眞名は凌の両肩を抱き寄せ、真っ直ぐに瞳を合わせた。
「――自由派があなたを選んだ理由です。
宇宙のあらゆる創造主の中でも、あなたは“涙”を理解した」
凌は眞名の胸元に顔を伏せた。
彼女の体温は存在しないはずなのに、不思議と温かかった。
「……宇宙が間違っているなら……俺が正す……」
「はい。
一緒に、宇宙を書き換えましょう」
眞名の声は震えていたが、揺るぎない信念が込められていた。
その瞬間、回廊全体に重い鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォォォン……
「管理派が動きました。
大量死“加速案”の最終承認が近いです」
「そんなこと……絶対にさせない」
凌の瞳から迷いは消えていた。
彼は立ち上がる。
自分の足で。
歴史の悲鳴を聞いた人間として。
眞名とともに、宇宙の心臓の奥へ歩み出した。
人類史を書き換えるために。 そして、悲劇のない宇宙を作るために。
アストラル庁の「歴史干渉アーカイブ」。
そこは、宇宙の奥底に漂う巨大な深海のようだった。照明という概念はなく、むしろ闇
そのものが淡く発光している。何万、何億もの魂の履歴と、そこに紐づく“大量死イベン
トの設計図”が、星座のように光る粒子として浮遊していた。
凌は圧倒されながらも、その“記録の海”を必死に受け止めていた。
けれど、心の震えは止まらない。
「なんだよ、これ……全部、仕組まれてたってことなのか……?
人間が苦しんで、叫んで、助けを求めて……それでも届かなかった出来事の裏に、こん
な……計算式みたいな理屈が……」
眞名は隣で静かに目を伏せた。
彼女の銀色の虹彩には、無数の史実が映り込んでいるようだった。
「凌、あなたには残酷に映るでしょう。でも、宇宙は“善悪”で動いていないわ。
魂の流れが滞れば、世界は膨張しすぎて破裂する。
魂が増えすぎれば、成長すべき生命が成長できなくなる。
だから――」
「だから殺すって?だから、“死”を起こすって……?
そんなの……そんなの、理屈じゃねえだろ……!」
凌の声は怒りというより、むしろ泣き出しそうな震えに近かった。
その揺らぎを見て、眞名は言葉を選ぶように息を吸った。
「私はね、凌……“大量死イベント”を正当化したいわけじゃないの。
ただ、知ってほしい。あれは“誰か一人の悪意”ではなく、
宇宙という巨大な存在が、限界を超えないための苦渋の選択だったの」
「宇宙の都合、ね……。そんなの、被害者はどうすりゃよかった?
未来を奪われた子どもたちは……?
家族を失って立ち直れなかった人たちは……?」
「……わからない。私たちアストラル庁の者にも、完全な答えはないわ」
眞名の手が、そっと凌の肩に触れる。
その温度は、生きた人間と変わらなかった。
「でもね、凌。あなたが今抱いている“疑問”や“怒り”は、
アストラル界の誰もが持ち続けているものなの。
『宇宙はもっと別の在り方があったはずだ』―― そう考え続ける者もいる。
だからこそあなたが必要なのよ。
今の宇宙のやり方を疑い、別の流れを創るために」
凌は拳を握りしめたまま、小さく息をついた。
「……もし、本当に、別の道があるなら。
俺は……そっちを選びたい。
戦争も、疫病も、災害も……全部、“魂の渋滞”のために起こるなんて、そんな仕組
み、ぶっ壊したい」
「ええ。あなたなら、きっとできる」
眞名は微笑む。その笑みは、決意を秘めた静かな光を帯びていた。
アーカイブの中心へ向かうと、巨大な記録の球体が浮かんでいた。
大陸ひとつを丸ごと包み込むほどの球体は、内部で無数の光点が渦巻き、まるで膨大な歴史が螺旋を描いているようだった。
「これが……何なんだ?」
「“歴史生成コア”。
各文明の魂流動データを基に、未来の人口推移や魂の回転率を予測していた……アストラル庁最大級の装置よ。
地球で起きた大量死のほとんどは、この装置が導き出した“最適解”に基づいて調整されたの」
凌は思わず後ずさった。
「最適解……?
死んだ人たちの人生は……“計算された数字”だったのかよ?」
「“数字にさせられた”と言うべきね」
眞名の語気は少し強くなった。
「管理派は常に―― 『宇宙の寿命を守るために必要な選択だ』
と言ってきた。
でも私は……ずっと疑っている。
“宇宙の寿命”という言葉を盾にして、魂を効率化する方向へ偏りすぎたって」
「じゃあ……眞名は、管理派じゃないのか?」
「私は“改革派”よ。
アストラル界内では少数派。
でも、あなたの存在が勢力図を変える可能性がある」
「俺に何が……?」
「人間としての感覚を持ったまま、魂の運用を理解できる存在なんて、あなた以外にほぼ
いないわ。
あなたの視点は、私たちが何万年かけても持ち得なかった“痛みの記憶そのもの”だから
」
凌
は眞名を見た。
眞名は、どこか悲しげな眼差しで静かに微笑んだ。
「あなたの痛みは、宇宙にとっての“盲点”なのよ、凌」
「盲点……?」
「宇宙は巨大すぎて、“個”の叫びを聞けない。
でもあなたは、その叫びを――実際に生きて、感じてきた。
その痛みを持つ者が、宇宙の仕組みを変えられる唯一の鍵なの」
凌は深く息をついた。胸の奥の炎はまだ完全には鎮まっていない。
けれど、その怒りはただの破壊衝動ではなく、別の形へと変わりつつあった。
「……だったら、やるしかねえよな。
もう“都合のために殺される人間”なんて見たくねえし」
眞名は静かに頷く。
「これからあなたに見せるのは、地球の“未来の設計図”。
ここから先は、あなたが選択しなくちゃいけない」
眞名が手を伸ばした瞬間、歴史生成コアの内部が裂けるように光を放ち始めた。
そこには―― これから起こり得る“未来の大量死イベント”の構造式が、淡く浮かび上がっていた。
戦争。
疫病。
巨大水没。
火山連鎖噴火。
深層生態系の崩壊。
そして……“未知の人類消失現象”。
凌は息を呑んだ。
「ふざけんなよ……未来まで計画されてんのかよ……!」
「ええ。でもね―― その未来は“変更可能”なの。
あなたがここからどう動くかで、すべて変わる」
眞名の声は震えていた。
彼女だって、この現実を見せるのがつらいのだと分かる。
「凌……あなたに選んでほしい。
歴史を宇宙の都合に任せるのか。
それとも、宇宙そのものを書き換える道を行くのか」
凌は静かに歴史生成コアへ歩き出した。
巨大な球体の中心には―― 宇宙の“設計思想の根源”、すなわち創造主たちの意思の名残が、脈動するように光を
帯びていた。
「……俺はもう迷わねぇ。
地球の未来を……人間の未来を……“計算式の犠牲”にさせるなんて、絶対に認めな
い
」
その宣言は、アーカイブの闇に広がり、
まるで宇宙の心臓に届いたかのように、光が震えた。
眞名はその背を見つめながら、小さく呟いた。
「凌……あなたこそが、
転生流動機関を変革するために選ばれた魂なのよ。
宇宙の都合ではなく、人間の意思で歴史を紡ぎ直すための、ね」
どの地獄よりも残酷だった。
複雑に編まれた光の繊維が空間を満たし、そこへ浮かぶ数え切れないほどの“球体ファイル”。
一つ一つが、世界を揺るがす出来事そのものの“設計図”である。
足を踏み入れた瞬間、凌は息を呑んだ。
球体は無言で浮かび上がり、心臓の鼓動のようにゆっくり脈動し、内部からは微弱な叫び
声のようなエコーが漏れてくる。
それは死者の記憶、歴史の悲鳴、時代の断末魔が折り重なったものだった。
眞名は彼の横に立ち、まるで病院の手術室を歩くような慎重さで球体の列へと近づいた。
「ここには、地球史における“全ての大量死イベント”の設計データが保管されていま
す」
「設計……?本当に、設計されたものなのか……?」
「はい。自然現象に見えても、宇宙は“結果が一定範囲に収まるよう”内部調整をしてい
ます。
その調整プランがここに記録されているのです」
その言葉は、凌の感覚の全てを逆撫でるように突き刺さった。
凌が手を伸ばし、ひとつの球体に触れた瞬間、空間に冷気が走った。
球体の内部が急激に拡大し、まるで巨大な映画館のスクリーンのように視界いっぱいに広
がる。
ヨーロッパ大陸の地図が浮かび、黒い染みのような斑点が一瞬で都市を覆い尽くしてい
く
。
教科書では知っていたはずの光景。
だが今見ているのは“現実そのもの”だ。
人々が咳き込み、倒れ、埋葬の列が途切れることなく続く。
都市は悲鳴で満ち、死体は街路に山のように積み上げられる。
眞名が静かに語った。
「――十四世紀、黒死病。
人類史上最大級の死者数を記録した災禍です」
凌が震える声で訊ねる。
「これも……宇宙の判断だったの?」
「はい。当時のアストラル界は“魂の膨張期”でした。
地球での人口増加速度が予想を上回り、魂の処理が追いつかなかったのです。」
球体内部で、アストラル界の混雑した魂の行列が映し出された。
黒雲のような魂が行列を成し、何十年も待機している。
「そんな理由で……あんな悲劇が……」
凌の手が震えた。
球体は彼の感情に反応し、一瞬だけ光が激しく揺れた。
次の球体は、触れた瞬間に金属の匂いを広げた。
光景は一変し、爆発音とともに第二次世界大戦の戦場が展開される。
砲弾が大地を裂き、黒煙が空を覆い、涙と怒号が響く。
街が燃え、兵士が倒れ、国境線が赤く染まる。
眞名が重い口調で言う。
「第二次世界大戦の主要目的は、“魂の停滞打破”です。
当時の魂の多くは、前世での経験を引きずりすぎて“次の生を選択できない”状態に陥
っていました」
球体に映る魂たちは、灰色で、動かず、沈殿しているようだ。
「彼らを再び動かすには、大きな衝撃が必要だった。
だから管理派は“世界規模の衝突”を計画しました」
「……人類史最大の戦争が、ただの魂の渋滞解消……?」
凌の言葉はひどく乾いていた。
「管理派にとっては、地球文明の損失よりも“魂の健康”が優先なのです」
「健康だって?死んでるのに?」
「魂の“流動性”こそが、宇宙の秩序を維持する最重要項目です」
言い換えれば、宇宙は魂を“流れる物質”としか見ていない。
人間が人生をどう生き、どう苦しみ、何を願ったかなど問題ではない。
凌の胸には、吐き気に似た怒りが込み上げた。
さらに進んだ先で、眞名は巨大な球体を指し示した。
それは他より巨大で、表面が波打つように揺れていた。
眞名が触れると、空間は激しく揺れ、巨大地震・大津波・断層破壊などの映像が次々と展
開された。
「これは“地球災害モデル”。
アストラル界が“業務限界”を迎えた時に発動されるリセット処理の設計図です」
「リセット……?」
「はい。
魂の受け入れ処理が過負荷になると、
・転生割当の遅延
・肉体設定のズレ
・魂の誤配
…などの多重エラーが発生します」
実際の誤作動例が球体に表示された。
・同じ魂が同時代に二人存在する誤配属
・異なる文明圏に生まれるはずの魂が混線
・周囲の“宿命コード”を間違えて配布する事故
「こうしたエラーが蓄積すると、地球社会も不安定化します。
戦争が妙に長引いたり、リーダーが適正外の魂で誕生したり……」
凌の背筋が凍った。
「その社会的ゆがみを修正するため、宇宙は……“災害”を起こすのか?」
「……はい。
地表を揺らし、魂を一度回収して整列させ直す。
いわゆる“宇宙的初期化”です」
その説明は、あまりにも非情だった。
■歴史の真相に打ち砕かれる凌 凌の視界がぐにゃりと歪んだ。
血の気が引いていくのがわかる。
「こんな……こんなもののために……
人類は何億人も死んできたのか……?」
球体の光景はまだ続いていた。
ペスト。
コレラ。
ナポレオン戦争。
大飢饉。
原爆投下。
世界規模のウイルス流行。
大陸規模の地震。
大洪水。
どの球体も、目的には無機質な言葉が並んでいる。
・
“魂の供給量調整”
・
“停滞期強制流動化”
・
“アストラル界処理負荷の解消”
・
“文明成長速度の是正”
眞名が横で見守る中、凌は崩れ落ちるように膝をついた。
「……俺たちの痛みは……努力は……希望は……
宇宙の都合で捨てられてきたのか……」
嗚咽がこみ上げ、声にならない。
その肩に、そっと眞名の手が触れた。
「凌。
その苦しみは、真実を知った者なら誰もが抱くものです」
「どうして……宇宙はこんな仕組みを作ったんだ……」
「宇宙も完璧ではありません。
創造主たちは、魂を“労働資源”として見てしまった。
その偏った価値観が、数十億年の歴史をこうして歪めてきました」
「人間は……ただの部品じゃない……!」
「ええ。
そして、あなたのその怒りこそが――」
眞名は凌の両肩を抱き寄せ、真っ直ぐに瞳を合わせた。
「――自由派があなたを選んだ理由です。
宇宙のあらゆる創造主の中でも、あなたは“涙”を理解した」
凌は眞名の胸元に顔を伏せた。
彼女の体温は存在しないはずなのに、不思議と温かかった。
「……宇宙が間違っているなら……俺が正す……」
「はい。
一緒に、宇宙を書き換えましょう」
眞名の声は震えていたが、揺るぎない信念が込められていた。
その瞬間、回廊全体に重い鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォォォン……
「管理派が動きました。
大量死“加速案”の最終承認が近いです」
「そんなこと……絶対にさせない」
凌の瞳から迷いは消えていた。
彼は立ち上がる。
自分の足で。
歴史の悲鳴を聞いた人間として。
眞名とともに、宇宙の心臓の奥へ歩み出した。
人類史を書き換えるために。 そして、悲劇のない宇宙を作るために。
アストラル庁の「歴史干渉アーカイブ」。
そこは、宇宙の奥底に漂う巨大な深海のようだった。照明という概念はなく、むしろ闇
そのものが淡く発光している。何万、何億もの魂の履歴と、そこに紐づく“大量死イベン
トの設計図”が、星座のように光る粒子として浮遊していた。
凌は圧倒されながらも、その“記録の海”を必死に受け止めていた。
けれど、心の震えは止まらない。
「なんだよ、これ……全部、仕組まれてたってことなのか……?
人間が苦しんで、叫んで、助けを求めて……それでも届かなかった出来事の裏に、こん
な……計算式みたいな理屈が……」
眞名は隣で静かに目を伏せた。
彼女の銀色の虹彩には、無数の史実が映り込んでいるようだった。
「凌、あなたには残酷に映るでしょう。でも、宇宙は“善悪”で動いていないわ。
魂の流れが滞れば、世界は膨張しすぎて破裂する。
魂が増えすぎれば、成長すべき生命が成長できなくなる。
だから――」
「だから殺すって?だから、“死”を起こすって……?
そんなの……そんなの、理屈じゃねえだろ……!」
凌の声は怒りというより、むしろ泣き出しそうな震えに近かった。
その揺らぎを見て、眞名は言葉を選ぶように息を吸った。
「私はね、凌……“大量死イベント”を正当化したいわけじゃないの。
ただ、知ってほしい。あれは“誰か一人の悪意”ではなく、
宇宙という巨大な存在が、限界を超えないための苦渋の選択だったの」
「宇宙の都合、ね……。そんなの、被害者はどうすりゃよかった?
未来を奪われた子どもたちは……?
家族を失って立ち直れなかった人たちは……?」
「……わからない。私たちアストラル庁の者にも、完全な答えはないわ」
眞名の手が、そっと凌の肩に触れる。
その温度は、生きた人間と変わらなかった。
「でもね、凌。あなたが今抱いている“疑問”や“怒り”は、
アストラル界の誰もが持ち続けているものなの。
『宇宙はもっと別の在り方があったはずだ』―― そう考え続ける者もいる。
だからこそあなたが必要なのよ。
今の宇宙のやり方を疑い、別の流れを創るために」
凌は拳を握りしめたまま、小さく息をついた。
「……もし、本当に、別の道があるなら。
俺は……そっちを選びたい。
戦争も、疫病も、災害も……全部、“魂の渋滞”のために起こるなんて、そんな仕組
み、ぶっ壊したい」
「ええ。あなたなら、きっとできる」
眞名は微笑む。その笑みは、決意を秘めた静かな光を帯びていた。
アーカイブの中心へ向かうと、巨大な記録の球体が浮かんでいた。
大陸ひとつを丸ごと包み込むほどの球体は、内部で無数の光点が渦巻き、まるで膨大な歴史が螺旋を描いているようだった。
「これが……何なんだ?」
「“歴史生成コア”。
各文明の魂流動データを基に、未来の人口推移や魂の回転率を予測していた……アストラル庁最大級の装置よ。
地球で起きた大量死のほとんどは、この装置が導き出した“最適解”に基づいて調整されたの」
凌は思わず後ずさった。
「最適解……?
死んだ人たちの人生は……“計算された数字”だったのかよ?」
「“数字にさせられた”と言うべきね」
眞名の語気は少し強くなった。
「管理派は常に―― 『宇宙の寿命を守るために必要な選択だ』
と言ってきた。
でも私は……ずっと疑っている。
“宇宙の寿命”という言葉を盾にして、魂を効率化する方向へ偏りすぎたって」
「じゃあ……眞名は、管理派じゃないのか?」
「私は“改革派”よ。
アストラル界内では少数派。
でも、あなたの存在が勢力図を変える可能性がある」
「俺に何が……?」
「人間としての感覚を持ったまま、魂の運用を理解できる存在なんて、あなた以外にほぼ
いないわ。
あなたの視点は、私たちが何万年かけても持ち得なかった“痛みの記憶そのもの”だから
」
凌
は眞名を見た。
眞名は、どこか悲しげな眼差しで静かに微笑んだ。
「あなたの痛みは、宇宙にとっての“盲点”なのよ、凌」
「盲点……?」
「宇宙は巨大すぎて、“個”の叫びを聞けない。
でもあなたは、その叫びを――実際に生きて、感じてきた。
その痛みを持つ者が、宇宙の仕組みを変えられる唯一の鍵なの」
凌は深く息をついた。胸の奥の炎はまだ完全には鎮まっていない。
けれど、その怒りはただの破壊衝動ではなく、別の形へと変わりつつあった。
「……だったら、やるしかねえよな。
もう“都合のために殺される人間”なんて見たくねえし」
眞名は静かに頷く。
「これからあなたに見せるのは、地球の“未来の設計図”。
ここから先は、あなたが選択しなくちゃいけない」
眞名が手を伸ばした瞬間、歴史生成コアの内部が裂けるように光を放ち始めた。
そこには―― これから起こり得る“未来の大量死イベント”の構造式が、淡く浮かび上がっていた。
戦争。
疫病。
巨大水没。
火山連鎖噴火。
深層生態系の崩壊。
そして……“未知の人類消失現象”。
凌は息を呑んだ。
「ふざけんなよ……未来まで計画されてんのかよ……!」
「ええ。でもね―― その未来は“変更可能”なの。
あなたがここからどう動くかで、すべて変わる」
眞名の声は震えていた。
彼女だって、この現実を見せるのがつらいのだと分かる。
「凌……あなたに選んでほしい。
歴史を宇宙の都合に任せるのか。
それとも、宇宙そのものを書き換える道を行くのか」
凌は静かに歴史生成コアへ歩き出した。
巨大な球体の中心には―― 宇宙の“設計思想の根源”、すなわち創造主たちの意思の名残が、脈動するように光を
帯びていた。
「……俺はもう迷わねぇ。
地球の未来を……人間の未来を……“計算式の犠牲”にさせるなんて、絶対に認めな
い
」
その宣言は、アーカイブの闇に広がり、
まるで宇宙の心臓に届いたかのように、光が震えた。
眞名はその背を見つめながら、小さく呟いた。
「凌……あなたこそが、
転生流動機関を変革するために選ばれた魂なのよ。
宇宙の都合ではなく、人間の意思で歴史を紡ぎ直すための、ね」
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