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第二章 美月と竹流
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しおりを挟む――愛してるだろ?
そう問うた竹流の双眸は底知れぬ闇をたたえていた。
(試されている)
正しい答えを言わなければ、きっと処分される。
少しずつでも彼に近づけたと思っていたのに、それは幻想に過ぎなかった――そのことに気付かされ、美月は呆然とした。
違う。気づかないふりをしていただけだ。きっとわかりあえると、薄氷を踏むような思いでその望みにかけていたが、そんなことはありえなかったのだ。
足元から込み上げる震えを、歯を食いしばってこらえる。
(愛せるわけがない。こんな扱いをされて――)
竹流のために造られたというのに無条件に彼を愛せない自分は、確かに不良品なのだろう。
だがそれは、美月にとっては救いだった。自分に個人としての意志があるということだから。
(じゃあ、竹流にとっての救いは何……?)
ここで話に聞く美月の行動――大っ嫌いとひっぱたいてやれば、この人は満足するのだろうか。それが竹流の救いになるのだろうか。
きっとならないだろう。
そして美月は、誰に対してだろうと暴力などふるいたくなかった。こんなにも傷ついている竹流にならなおさらだ。
そこで美月は、自分が、今から自分を処分しようとしている相手を憐れんでいることに気付いた。自分自身に呆れかえる。
この状況で、どこにそんな余裕があるというのだ。
(そうよ竹流さんは――わたしと美月さんを一緒にしているから苦しいんだわ)
まったく同じ人間なんて造れやしない。製作者の竹流こそ、それをわかってるはずだ。
それでも造らずにはいられないのだ。どうしても、今いちど会いたいのだ――美月はひどく切ない気持ちになった。
(竹流さんの中で、わたしと美月さんを切り離さなきゃいけないんだ。それがわたしの唯一生き残る道で……きっと竹流さんの救いにもなるんだわ)
美月は意を決し、顔をあげた。
「……ねえ竹流さん。わたしはあなたの妻の美月さんじゃない。同じ顔をしてるし、記憶も共有してるけど、違う人間なの。だからあなたを愛してもいないし、憎んでもいないわ」
竹流はいぶかし気に目を細めた。突然何を言い出したのかと思っていることだろう。
美月はまっすぐに見返す。
「美月さんと暮らしたくてわたしを造ったのに――別の人間でごめんなさい」
「別の人間? そんなもの造ってない。俺は美月を造ったんだ」
「そうゆう考えだから、美月さんかそうでなければ失敗作という二極論になるんだわ」
竹流はひくりと頬を痙攣させ――ははっと乾いた笑い声をあげた。
「自分は失敗作じゃないと遠回しに言ってるのか?」
「そう。わたしは失敗作じゃない。ただ美月さんじゃないだけ。だからわたしにしてほしいことはなに? なんでも言って。何でもしてあげるから。あなたがわたしをこの世に生んでくれたんだから、あなたのためなら――」
「俺がおまえに望むこと……?」
思わぬことを言われたように竹流はぽかんとする。その顔は、たちまち怒気に歪んだ。
「おまえに何ができるっていうんだ? 決まった時間に飯を取ってくるくれえしか役に立たねえだろ! そもそも美月の代わりになれねえのならお前は用済みだ!!」
「竹流さん、わたしは――」
「黙れ! 何度も言うがな、俺は化け物が人間面すんのが一番気に食わねえんだよ」
怒鳴りつけられ、逃げ出したい気持ちをぐっとこらえる。
「……そんなことじゃわたし、傷つかないよ」
美月は滾るような紅蓮の瞳を見つめた。あからさまな憎しみを向けられることは本当に怖かった。
その一方で、美月は気づいていた。いつの時からか、竹流の憎しみが、オリジナルの美月から自分自身に向けられるようになったことを。
それはきっと、美月を個人として見はじめた一歩なのではないだろうか。
オリジナルの美月の呪縛から竹流を解き放つものであるなら、憎しみであれかまわない。
竹流は苛烈な眼差しで美月を見下ろしていたが、苛立たし気に舌打ちをすると、踵を返して螺旋階段を上っていった。
美月はソファーに背を預けると、はーっと息を吐いた。とりあえず、命拾いしたのだろうか。
――そこで我に返った。
(駄目。ここで逃げられたら何も変わらない)
ちゃんと向き合わなきゃいけないのだ。美月は後を追った。
「待って、竹流さん!!」
螺旋階段を上りきったところで、竹流はぎょっと振り向いた。
「なんだよ。どうしてついてくんだよ!」
「だって……まだ話は終わってないもの」
「それを決めるのはご主人さまのこの俺だ!!」
「怒鳴らないで! 怖い!」
とっさに叫んでしまった。誰かに大声をあげるなど、美月はほとんどしたことがなかった。
「な――何が怖いんだよ? 化け物のくせに――」
唐突に叫んだ美月に、竹流も驚いたようだった。
「……竹流さん。わたし、人間でないことを納得してるって言ったけど、そんなの嘘。やっぱり自分のこと、人じゃないなんて思えない。あなたのことが怖いし、ひどいこと言われたら傷つくし、悲しいもの」
昂った感情は、すぐさま沈み込むような悲しみに変わっていった。
喉の奥から熱いものが込み上げ、涙がこぼれて頬を伝った。いったん泣き出してしまうと、堰を切ったように涙がどんどん溢れてくる。
「泣くな! 床が汚れるだろうが……」
たじろいだような声音に、美月は目を上げた。
そして気づいた。竹流の見据える目は鋭かったが、怒っているのでない。動揺しているのだ。
「……おまえが一人の人間だっていうなら、よけいに俺みてえな男は嫌だろ。絶対に……いつか逃げ出したくなる」
「わたしは逃げない。竹流さん、わたしね。腹を決めたのよ。――千年経ってもあなたのそばにいるわ」
竹流は美月の強い眼差しを見返す。そして、こらえるように呟いた。
「……ずっと一緒にいてくれるのか」
微かな声音が懇願しているように感じ、美月ははっとする。
そうか――これが正解――彼の言ってほしかった言葉だったのだ。
美月はひどく切ない気持ちになった。
「美月さんのように置いていきはしない。だからもう、寂しくないよ」
美月を模した不定形生物は、なだめるように言った。
その声音がすごく優しくて、竹流は叫び出したくなった。
美月にはひどい目に遭わされてきたし、それ以上にひどい目に遭わせた。ひどい関係性だったと思う。
この美月の方がずっといい。本当に、望み通りの女なんだと思う。
なのに――どうしてこんなに寂しいのか。理想の美月を前にして、孤独が増すのはなぜか。
独りでいたときよりも。
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