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第4項 港町ディネール

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 中央広場では朝市が行われていた。
 心なしか活気がない。露天に並ぶ品も少なく、品を求める客もちらほらといったところだ。
「にいちゃん、朝食にどうだい?」
 赤い果実を持った店主に声をかけられる。
「リンゴか、いくらだ?」
店主は言いにくそうな表情。

「5ギルだ」
「5ギルって……倍以上の値段じゃねえか。ふっかけかよ」
「いや、ここいらだと今この値段が定価なんだよ」
 周囲の露天に表示されている価格も同じような表記ばかり。

「そうみたいだな。なんでこんな高いんだ?」
「規制がかかっていてな。物価が高騰する一方で困ってんだ。これでも親切価格なんだぜ」
 困り顔を向けながら店主は口をこぼすように話す。
「領主は対策取っていないのか?」

「いや、政策を行ってるようだが、海流が変化して魔物の出現が多くて危険だからってことでほとんど打つ手がないんだ。おかげで傭兵どもは潤ってるようだが……」
「それで入荷が少ないってことか。なるほど。俺も手持ちが多くはないが、まあいい。一つくれ」
「おおっ、ありがたい」
銀貨1枚を店主に渡し、リンゴを受け取る。

「釣りはいいや。きついのはお互い様だろ?」
「本当か? すまねえな。代わりと言っちゃなんだが、俺の知ってることならなんでも教えてやるぜ」
「なら、あの酒場のことを教えてくれないか? ここにきてから日が浅い。ほぼなんにも知らないんだ」
「お安い御用だ。あの酒場の店主リリィさんは、昔かなりの腕前だったらしいぜ。一戦を退いてからはここで酒場を開いたんだ。あの性格だ。傭兵どもに慕われるのも時間の問題だったさ。今じゃここの顔役だ」

「なるほどな。それであのアイリって子は?」
「あー、アイリ嬢ね。リリィさんの娘だよ」
「なるほどね。……って、は?」
ゼクスの時間が止まったかのように動きと表情が固まる。

「だから、アイリ嬢はリリィさんの娘。俺も小さい頃から見てたんだ間違いない。最近帝都から戻ってきたが--」
「いやいやいや、リリィさんの娘? じゃあリリィさんいくつなんだよ。まだ全然若いじゃねか」
「んーと、36だったかな。あ、一つ言っとくが、あの人はエルフでもドワーフでも獣人でもないからな? 生粋の人間様だ」
 露天の店主は豪快に笑う。

「おっと、もうこんな時間か。すまんな、これから用事があるんだ。俺はラルフってんだ。いつもはメインストリートで店を出してる。いつでも来てくんな。じゃあ」
挨拶もほどほどにラルフは去ってしまう。
(さて、これからどうしたものか……)
アイリに言われた時間にはまだ早すぎる。
 といってもやることも思いつかない。
 露天も撤収を始めている。
ふとゼクスは昨日の晩を思い出す。
(そういやメンテ用品が欲しかったんだよな)
 視線を腰元の長剣に移す。
街の職人街に行けば何かわかるだろうとおもい、手に持ったリンゴをかじる。


宿屋の周辺一帯は、職人街になっている。武具を扱う工房から道具屋まで一通り揃っている。
ギルド街もあり、厄災戦争が起きる前までは活気があったようだが、今ではちらほらと傭兵が買い物をしているくらいだ。
ゼクスは食品以外の薬草などを買い足すために、道具屋に入っていった。
(思った以上に品揃えはいいな)
店内に陳列されて品々は多く、朝市の露天よりも品揃えが良い。
「いらっしゃい、なにかお探しかい?」
店の奥から老婆が現れる。

「薬草とポーション類、それと瓶があれば欲しい」
「はいはい、薬草、とぽーしょん、と、えっと……樽だっけか?」
「……瓶な?」
「ああ、瓶だったね。あとテントだっけか?」
老婆はテントを持ってこようと店の奥へと向かう。
慌ててゼクスは止めようとするが一瞬のうちに姿を消してしまった。
「まじかよ……あのばあさん……」

 唖然と立ちすくしていると誰かに背中を押されて戻ってくる。老婆の手にテントはない。
「あ、すみませんね。いらっしゃいませ。おばあちゃんちょっとぼけちゃっってて変なもの買わせようとしちゃうのよ。よければ私がご用意しますよ」
 プラチナブロンドの髪を揺らしながら、はにかむ彼女は耳が長い。エルフ族だ。
彼女が現れると柑橘類の爽やかな匂いがゼクスの鼻をくすぐる。
「ああ、いや大丈夫だ。余計なものも持ってこようとしていただけだ」
苦笑いをしながら品物を確認する。

「そうでしたか。ではこれで大丈夫です?」
「ああ、ひとまず大丈夫だ。それにしてもここは品揃えがいいように見えるが--」
「お恥ずかしい話、お客さんがあまり来ないので在庫が余ってるんですよ。最近になって傭兵の方を見るようになりましたが」
「なるほどな。それで一つ聞きたいんだが、武具屋はどこにあるんだ?」
道具代の銀貨を手渡し、腰元の皮袋に押し込める。
「それでしたら、職人街をもう少し行くと大きな看板があるのでわかりますよ。目印は併設してる工房です。一目でわかるようになってますから」
立ち去るゼクスに柔らかい笑顔を向けて手のひらを振る。
(行けばわかるっていってたな…………)
 店を出て少し歩くと否が応でも目に入るどデカい看板。
『鍛冶屋』それだけ書かれた看板だが大きさのせいで妙な迫力がある。
 看板は見えるが結構な距離がある。それもそうだ、直線道で目的地は見えてるのだが大きさのせいで距離感を誤認してしまい、より距離があるように感じてしまっている。

「やっとついた……」
変に疲弊したゼクスはヘトヘトになりながら小さな武具屋の方に入っていく。
「いらっしゃい……ませ」
 看板の豪快さとは裏腹に消え入るような声で迎えられた。
 ゼクスと目が合うと帽子で目線を隠すように俯く。
「すまんが、砥石はあるか?」
彼女は俯いたまま、カウンターのガラスケースを手で示す。

様々な種類の砥石が置いてある。目の荒さや素材の違いで千差万別。
はっきり言ってゼクスの審美眼は全くない。要は使えればいいという考えだ。
「すまんが、俺の剣みてくれないか?」
 苦笑いをしながら剣を腰元から外す。
「ぅえっ? わ、私がですかっ?」
 出された剣を前にオドオドし始める。
「君以外いないと思うんだけどな……」
「そ、そうですよね。……これ、いい剣ですね。装飾もこだわっていて、刀身の素材は--」
 ゼクスの長剣を鑑定し始めると目つきが一変する。職人の眼差しだ。
お気に入りの剣を褒められて悪い気はしない。その様子をしばし眺める。
「あいつの鑑識眼は大したもんだ。鍛治職人としてはまだまだひよっこだけどな。自信持ってもいいんだがな」
 ゼクスの後ろにいつの間にか腕を組んで立っていた店主。工房から出てきたのだろう身体中から汗が吹き出るように流れていた。
「あ、とーちゃん。これレアメタルで出来てると思うんだけど、よくわからないんだよ。メンテナンスしてないから劣化速度が速いけど、刃こぼれを起こしてる。そこまで硬い鉱物じゃないとは思う。クロムとモリブデンの低合金鋼みたいだけど」
「おめーがそう言うんなら多分そうだ」
店主が剣を上に掲げ、光にかざす。
「ずいぶんと乱暴に扱ってんだな。それに剣の気持ちがわかってないときたもんだ。さてはにいちゃん騎士崩れだな?」
 一目見ただけでゼクスの剣筋を言い当てる。
「なんで分かるんだよ」
よくぞ聞いてくれたとでも言わんばかりに豪快にニィと笑う。
「剣に限らず、刃物ってのは使用者のくせが色濃く出るもんだ。まあ、騎士特有のクセってのがよく出てんだよ。それでどうする、俺が鍛え直してやってもいいが、それなりに時間はもらうぞ?」
ゼクスは一瞬考える。この後何をやるのかわかっていないが、予備の装備もあることだし問題ない、と判断し長剣を預けることにした。
「おうよ、明日中にはできるとは思うが、一応にいちゃんの名前聞いといてもいいか?」
「ああ、俺はゼクスだ。デギンズの宿屋で間借りしてる」
「あの親父のとこか。了解だ」
ゼクスは「じゃあ頼んだぞ」と言い放つと店を後にする。「ありがとうございました……」相変わらず帽子で顔を隠してぼそっというが、ゼクスの耳に届いていたのかはわからない。
「おめーもう少し自信もったらどうだ。それじゃあ客も心配しちまうだろうが」
 預かった剣を鞘にしまいながら彼女に向かう。
「自身はあるよ。ただ……」
「ただなんでい」
「男の人と話すのは恥ずかしい」とは言えずになんでもない、と怒ったように言い捨てて店の奥へと入ってしまう。
「わからないやつだな……」
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