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07.
しおりを挟む彰は、沙耶子の背中を見送ったあと、
ゆっくりと煙を吐いた。
火のついたままの煙草を持て余し、
夜の冷えた空気の中でじっと立ち尽くす。
「……好きやった、か」
彼女の言葉を反芻する。
昔から懐かれていたのはわかっていた。
母親が忙しく、父親に甘えられなかった沙耶子は、
物心ついた頃から彰の後をついて回った。
東京へ行ってからは距離もでき、
会うたびに大人びていくのを見てはいたが───
まさか、そんな風に思われていたとは。
「……俺のこと、ほんまに好きやったんか」
独り言のように呟いて、彰は煙草を吸う。
肺に煙を溜め込みながら、
沙耶子の表情を思い返した。
初恋。
そう言った彼女の声は、どこか未練を含んでいた。
お前の父親を悪く言いたくはないけど、
それは初恋とは言わない。
そう言い聞かせたのは、
自分のためか、彼女のためか。
───違う。
どちらのためでもない。
ただ、そうでなければならなかった。
ふっと、笑いが漏れる。
「……ほんまに、間抜けやな」
煙草の火をもみ消し、彰はそのまま家の中に戻った。
廊下を抜けて二階へ上がり、部屋の扉を閉める。
沙耶子の部屋の前を通ったとき、彼女がまだ起きている気配を感じたが、何も言わずに通り過ぎた。
ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。
「……ほんまに結婚すんのか」
ぽつりと呟いてみても、答えはない。
過去形で告げられた沙耶子の気持ちは、
今どうなっているのか。
それを確かめることに、何の意味があるのか。
考えるだけ無駄や。
そう思いながら、目を閉じる。
それでも───
微かに指先に残る温もりだけは、
なぜか消えてくれなかった。
天井を見上げたまま、彰はゆっくりと息を吐いた。
ベッドに横になると、途端に身体が重くなる。
葬儀の疲れもあるのだろう。
けれど、眠れる気はしなかった。
───沙耶子。
「……好きやった」
さっきの彼女の声が、耳の奥で繰り返される。
あのときの沙耶子の目は、どこか懐かしむようで、
それでいて寂しげだった。
本気やったんやろうか。
いや───本気だったのだろう。
子どもの頃から自分を頼り、慕ってくれた沙耶子。
父親に甘えることができなかった分、
兄のように、父のように、時には友人のように
彰に懐いていた。
けれど、そういう感情は、恋とは違う。
そう言い聞かせたのは、間違いじゃない。
「……ほんまに、そうか?」
独り言のように呟いた自分に、苦笑する。
沙耶子の気持ちを否定することで、
安心しようとしてるだけなんちゃうか。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
もし、沙耶子の気持ちを認めたらどうなる?
──何も変わらない。
自分がそれに応えることはない。いや、できない。
大人になった沙耶子は、
もう自分の手の届かないところにいる。
彼女には、別の人生があって、別の未来がある。
「……俺のこと、まだ好きなんか?」
言葉にしてみた途端、喉がひどく渇くのを感じた。
自分でも、何を期待しているのかわからなかった。
もし、沙耶子が「まだ好き」と言ったらどうする?
──何もできないくせに。
彰は目を閉じた。
だったら、あれでよかった。
沙耶子は「そっか」と言って、受け入れた。
それでいい。それで、よかったんや。
何も変えずに済んだのだから。
そう思いながら、彰は深く息を吐く。
けれど、胸の奥に残る重たい感覚だけは、
どうしても消えてくれなかった。
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