闇夜に欲望は嗤う

Asuka

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ホロウ編

2話 取引

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人は目の前で非現実なことが繰り広げられた時、何もできず立ち尽くすらしい。

思考が止まり彫像のように動かなくなる。

今の私はまさにそのような状態らしい。

目の前に「死神」が現れたのだから。



私の前に突如立ちはだかった謎の存在。顔がなく、真っ黒で背の高いそれは、人を殺していた。凄惨なその光景を前に私は渇望した。

「私を楽しませろ。」と。

その影と、私は互角にやり合っていた。テコンドーを経験していた私は、蹴りで奴にダメージを与えた。しかし、奴の攻撃の一つ一つは、速く重い。故に私はすぐに追い詰められた。興奮と快楽が私の体を追い越し限界を超えていたが、私の体は追いつかなかった。

死を悟り、奴の攻撃を受けようと、私は目を瞑っていた。天国の楽園、地獄の業火、どちらにせよ私を楽しませてくれることを願いながら。



しかし、私が死ぬことはなかった。奴のトドメの凶刃は私には届かなかった。何故か。
簡単な、しかし受け入れられないような現実が答えだった。奴は突如現れた何かによって腹を貫かれて絶命していた。奴から血が出ることはなくそのまま奴は砂に変わった。その砂が私の体にこぼれ落ちる。そして砂となって消えた影を貫いた腕だけが残っていた。

「人間にしてはなかなかやるじゃないか。見事な戦闘だった。」

遠くから、低い男の声がする。直感で只者ではないとわかった。その主の方を向く。

奴はすぐ近くにいた。私を見据えるその目は紅く光、吸血鬼のそれを思わせた。体格はあの影と比べると少し小さいが、そこから放たれる覇気は、奴が人間ではないという十分な証明となった。

「誰だ?」私は尋ねた。

「私か…名前はない。」影は答える。

「ふざけるな…お前…一体何者なんだ!?」

焦りから口調がつい鋭くなる。初対面の者に少々強く当たりすぎたか、とも考えたが、人ではないであろうこいつならまだいいか。

「私が何者、か…ふふっ面白い事を聞くな。私はお前達からすれば何者でもない。闇に生きる存在だ。」
「答えに…なっていないな…ガフッ!」

さっき食らった攻撃から、また吐血してしまう。話したせいで体を刺激したのか。

「どうやら体への負担が大きいようだ。大丈夫かね?」
「人間でもない奴に…心配されたくない…」
「強情な女だ…」

奴は呆れたように私を見た。それを無視して私は停めてあったバイクに向かう。ただこの傷で運転などできはしなかった。

「貴様…まさかそれになっていくつもりではないだろうな?無謀にも程があるぞ。」

流石に見ていられないのか、奴が止めに入ってくる。聞き入れたくはなかったが、確かにこの傷は深い。体へのダメージが大きすぎる。バイクは諦めるか…

「まあ待て…貴様を連れて帰ってやろう。家とやらはどこだ。人間にはそのような場所があるのだろう。」

親切にもこいつは私を送ってくれるらしい。何か魂胆があるのではないかと疑ったが、この傷ではそれを疑おうにも戦えない。故に奴の言葉に甘んじるしかなかった。

「頼む…ただし少しでも不審な行動をしたら警察に通報する…いいな。」
「構わん。その警察とやらに私をどうにかできるか、だがね。」

警察、という脅し文句は彼には通用しなかったらしい。まあ、無能な奴らに、人間でない影を一撃で殺すような奴をどうにかさせようとする事自体、阿保な話ではある。
奴は私のバイクに乗った。私はその背中に捕まる。二人乗りの形だ。そのまま奴は家までバイクを走らせた。

家に着きリビングに向かう。とりあえず、外傷の治癒が先だ。私は服を脱ぐが…

「お前…家に入ってくるのは百歩譲っていいとしよう…ただ、絶対に今この場には居合わせるな!」

無遠慮にリビングに入ってくる奴を蹴飛ばして外に出させた。

「全く…手荒だな。」奴は苦笑して呟いた。

服を脱ぎ下着だけになると、固まったばかりの瘡蓋が身体中にできていたのが見えた。ところどころが骨折し、痣もたくさんできていた。足が無事なのは不幸中の幸いだった。血が出ているところは止血し、ガーゼを当てる。家でできることなどたかが知れており、明日は病院へ行こうと決めた。外傷の手当を終えて、服を着替えた後に骨折した腕をタオルと棒で固定した。着替えの時に激痛が走った。これから毎日手間がかかりそうだ。

「入ってくるなら構わないよ。もう終わった。」

外で待っているであろう奴に声をかける。すると奴はゆっくりとドアを開けて入ってきた。

「着替えた手当は終えたのか、ただ貴様のその状態を見る限り、明日は医療機関へ行くべきだと思うがね。」
「言われなくてもそうするつもり。とにかくお前には聞きたいことがたくさんある。」

そう言って、私は奴に問い詰める。

「まず、お前は一体何者だ?」
第一に解決すべき疑問をぶつけた。こいつの正体を知らない限り、気持ち悪くて眠れもしない。

「私の正体…か、そうだな。」
奴は答えにくそうにしている。本当に名前がないようだ。
「お前達の世界の言葉を借りよう。私は、
死神だ。」

死神、その言葉に私は震え上がった。目の前に、人の命を奪う存在である死神がいる。私は固唾を飲んだ。

「そうか、仮にお前が死神だとして、お前は私の命を取るのか?人間の世界の死神は、死期の近いものの命を奪いにやってくる。」
「ほう、そんなことがあるのか。興味深い。ただ、安心しろ。私はそのようなことはしない。命を奪うことはないぞ。」

本当にそうか、疑わしかった。おそらく今の私の命を奪うなど造作もないはずだ。ただ奴が今まで何も危害を加えなかったため、本当である可能性も大いにある。とりあえず、信じておいてやろう。

「わかった。次の質問だ。いや、すまない。お前に話をさせるばかりで、私のことを話していなかったな。私は黒崎麻衣。帝都大学三回生、21歳だ。」
「律儀なものだな。黒崎麻衣。帝都大学、この世界、いやこの国か…その中では最もレベルの高い大学と聞いている…貴様、只者ではないな。」

奴も私を見て感心しているようだ。またいつも通りか…嫌な空気になる前に私は次の質問をぶつけた。

「そんなことより、次、あの黒い奴らは何?いきなり襲いかかって、戦闘してきたが…異常だったぞ…奴らは…」
「ああ、あれか。あれは、影だな。」

私の名付けた通りの名前だった。影か…安直な気もした。ただ次の瞬間、奴は衝撃の事実を奴は口にした。

「奴らは、お前達人間の影さ。」
「私たちの、影!?」私は驚く。

「ああ、奴らはお前達の欲望の影、負の象徴とも言おうか。奴らは昼に人間が起こした欲望が、夜に具現化するのさ。奴らは本能のままに欲望を求め、人を殺すという形でそれを実行する。つまるところお前達が欲を掻けば掻くほど、奴らは力を増してお前達を殺しにくるというわけだ。」

「つまり、奴らは私たちの欲望の権化、というわけか…」

人間が起こした欲望がこのような化け物になって出てくるとは。どこか哀れな気もした…自分が起こしたことによって命を奪われるとは。人のつまらなさは、こんな形でも現れるようだ。

「だから、私はその原因を探りにここにきた。死神と名乗るのも、私がその人間の化身を多く殺したからさ。」
「なるほど、そう言われれば納得ね。正義の死神、というのが妥当かしら。」
「なかなか、名誉なことを言うじゃないか。有難いぞ。」

奴が完全な悪ではないと言うことを知り、安堵する。ただこいつを居候させたくないと言う気持ちはずっとあるが、私たちの負の側面を殺していると言うならば、決して悪いようにはしたくなかった。

「お前は、何のためにそれをしてる?何か目的があって、私たちの影を殺すんだろ?」

「目的か…そんなものは考えたことはなかった。ただ目障りなだけ、とでも言おうか。それと、退屈だったから。」

「何?」私は興味をそそられた。
「そうだ。退屈なのさ。俺たちの世界、仮に死神界とでも言おうか。そこはただ目的のない奴らが寿命を食い漁るだけのつまらない世界でな。下界であるお前らの世界に降りて俺は命を謳歌しようとしたのさ。その時、死神界の何かが、《この世界に細工をした》》。その細工のせいで、今このように人間の欲望が夜になって具現化して、元となった人間を殺している。」
「何のためにそんなことを…」
「きっとそいつも退屈だったのさ…退屈で仕方がなかったから、お前達をコマにして遊びだしたのさ。」

「なるほど、ただそれは見当違いだな」
私は一呼吸置いて言った。この世界の、人間のなんたるかを。

「この世界も十分につまらないよ。上のものが下のものをただ統治するだけの世界。民主主義だの世界平和だの御託をつぶやく連中は山ほどいるが、いつもその国の利益のみを求め世界は暗に対立しあっている。それは民間でも同じさ…
この世界にはネットという社会の縮図もあってね。これを見てごらん。」
そう言って私は死神にスマホを見せた。Twitterだ。

「見ろ、ある有名人の書き込みに対してここまで返信が来るだろう。それを一つ一つよく見てごらん。」
「酷いな、そいつを褒めるものから、徹底的に侮辱するものまで…たかが一つの書き込みとやらにここまでついてくるとは。」
「だろう?ただその本人はそれに愉悦を覚えるのさ。それが自分の存在意義を示すからね。こんなことがネットというものでは頻繁に、私たちのこの会話の間にもたくさん行われる。まったく、馬鹿どもの戯言ばかりだよ。この世界は。」
「何やら言いたげだな。」死神が言う。

「ああ、退屈なんだよ。私も。こんな世界で生を受ける私もね。」

言いたいことを言ってやった。人間の醜い性も、その人間どもが作る愚かな世界も。そしてその結果あの様な化け物が現れているという事実に呆れていることも。全て言ってやった。

「くくっ…ハハハハ!」
死神は嗤っていた。まるで、人間を嘲るように。
「面白いな。同じ人間をここまで言いすてるものがいるとは…」
「同じ人間が、つまらないんだけどね…」
「そうか、失望しているか?」
「そうだね。失望しているよ…」
私は言った。それに聞き死神は遂に言った。
私の運命を変える一言を。



「なら、一つ私と取引をしないか?貴様の退屈を晴らせる取引を。」
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