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大嫌いな君は空を見る ~健太編~
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高校3年、夏。
放課後の屋上で、俺たち『銀紙少年』4人は腹をくくった。
今しがた書いたばかりの、進路希望申告書。全員一致で記入した?東京進出?の筆跡に迷いはない。
「よっしゃ、ほんなら行ってくるで」
用紙をひと纏めにして立ち上がると、ギターの聡も腰を上げた。
「健太、やっぱ俺も一緒に行ったるわ」
ジャンケンに負け、ひとり職員室に向かう俺を不憫に思ったのだろう。こいつは昔から優しいところがある。対してドラムの大輔とベースの雄一郎は、スマホを覗き込み、「やっぱ、住むなら下北沢かのお」「家賃高え、高円寺はどうや」などと浮かれている。
まあ、この能天気さがふたりの長所でもあるんだが。
*
東京行きを否定するであろう、担任の馬場にどう対抗するか。もう、ぶっちぎるしかねえ。いやこのご時世、大学に行ったところでナンタラカンタラと理詰めでいこう。
そんなことを話しながら、渡り廊下に差し掛かったとき――不意に聡が足を止めた。
「なあ、お前さあ……祥子ちゃんに言うた?」
俺に質問しながらも聡の目は、窓の外に見つけた何かに縛り付けられている。
視線を辿ると、校庭の隅。花壇のところに聡の彼女、美登里ちゃんが立っていた。
ジョウロを傾け、自分より背の高いヒマワリに向かって何やら話しかけている。
「美登里な、ああやって毎日花と話しよるんよ。変なやっちゃろ」
「そおか、可愛らしい思うけどな」
「うん、可愛らしいな」
「惚気かよ」
「そやな、惚気やな」
会話を重ねながら、聡の顔は暗く沈んでいく。
「なんかあったんか」
「うん」
「東京に行くの、反対されたとか」
「いや」
首を横に振った聡は、壁にもたれて糸が切れたようにしゃがみこんだ。
ただ事ではないその様子に、俺も隣に腰を下ろし続きの言葉を待つ。
すると聡は、年季の入った天井をぼんやりと見つめながら口を開いた。
「……応援しとるよって」
「良かったやないか」
「けど別れよって……都会で変わってまう俺を見るんは嫌なんやって」
かける言葉が見つからなかった。
大人しい美登里ちゃんが考えそうなことだ。
「なあ、都会の生活に慣れたら、東京で売れたら、俺……変わってまうんかな」
変わらない――とは言ってやれなかった。
言えるのはこんな言葉くらいだ。
「そんなもん分からん、けど、やるって決めたんだろ」
「ん、そやな」
思いを吹っ切るように立ち上がった聡が歩き出した。
慌てて追いながら振り返ると、美登里ちゃんがこちらを見上げていた。
* * *
うどん種をガシガシと踏みつけながら、俺は悶々としていた。
食い物にあたっているのではない。讃岐うどんの命?コシ?を出すための大切な作業だ。
実家のうどん屋『一源』は、なかなかの人気店で、県外からの客も珍しくない。当然、おやじは俺があとを継ぐものと信じているし、俺自身、銀紙少年が学生バンドの全国大会で準優勝するまでは、それが当たり前だと思っていた。
俺たちの東京進出。
担任の馬場は「アホなこと言うな」と鼻で笑っていたけど、所詮は他人、ほっといたらええ。問題はあの頑固オヤジと……それからもうひとり。
「健太ぁ! 祥子ちゃん送ったれ」
一階の店舗から聞こえたオヤジの声に、心臓が跳ね上がった。今まさに、祥子のことを考えていたからだ。
別に彼女でもなんでもないが、親同士が親友ってだけで、子供のころから常に一緒にいる祥子。ことあるごとに、俺の言動にいちゃもんをつけてくる……まあ、同い年の兄妹みたいな存在だ。
家でバイトをしている祥子を送るのは毎度のことだが……はあ、今日だけは気が重い。
東京行く言うたら、アイツはバカにするやろうか。「一源はどうするや」って、怒り狂うかもしれん。
逃げようにも運悪く、キリの良いところまで作業が終わってしまったし、先程、防災無線で不審者が出たと言っていた。
しゃあない……覚悟、決めるか。
憂鬱な気持ちを押し込めて、階下に向かう。
「祥子が不審者のことを襲わんよう、監視しとけってか」
「なんてぇ!」
憂鬱隠しの軽口に、祥子はポニーテールの毛先を逆立てる勢いで食いついてきた。
相変わらす、うるせえ女だ。
「アホなこと言うてんと、早う送っちゃれ」
「へえい」
オヤジに言われ、ふたりで店を出る。
俺の自転車の劣化が早いのは、日常的にこいつを後ろに乗せているせいだと思う。
祥子は前カゴの中に、鞄とバイト用の割烹着を丁寧に重ねた。
性格はガサツなくせに、こういうところは妙に几帳面だ。
「ほら、早う乗れ」
荷台に飛び乗った祥子を確認してから、ペダルを踏む。
「飛ばすけん、つかまっとれよ」
声をかけると、背中あたりのシャツを握られたのが分かった。ウンとかスンとか言えばいいのに。無言のまま、汚いものでも触るみたいに……。
ああ、マジでムカつく。美登里ちゃんと違ってつくづく可愛げのないヤツだ。
「くっそ、あちぃ」
もう7時を回っているとはいえ、夕焼け空は赤く、熱を孕んだ風も昼のままだ。
「汗……キモい」
「はあ、ふざけんな、祥子が重いからやろうが」
振り落としたろか、と思った。
「クラスで二番目に細いわ、ボケ」
「ほうか、なら着太りするんやな、ブタ」
言い合いながら、ふと思った。
俺がこの町を出たら、誰がこいつを送ってやるんやろう――と。
「限界や、降りい」
「ヘタレ」
「うっせえ、ちょっと歩くぞ」
坂道の途中で祥子を降ろした。
このまま黙っとるわけにもいかん。ここで言おう。
「なあ、祥子。進路希望出した?」
「まだ……でも、文理女子短大と、穴川専門の保育かな」
「ほおか。やっぱし、保母さんになるんやな」
「うん。いろいろ考えたけど……健太はええよな、悩むまでもないし」
やっぱり祥子は俺が東京に行くやなんて、想像もしていないようだ。
サラッと言いたいのに、言葉が喉にへばりついて出てこない。
やべえぞ……このかんじ。
頭の上でヘリコプターの轟音が響いた。
「なんやの……その顔」
「……」
祥子のこんな不安げな声は初めて聞く。今、俺はどんな顔をしているんだろう。
心拍数があがって、汗のせいでハンドルがぬめる。
ついにはなにも言えないまま、坂のてっぺんに辿り着いてしまった。
眼下に広がる瀬戸内の海。
東京に行くと決めた途端に、やけに綺麗に見えた。
祥子の息遣いが聞こえるほど静かな坂道。
オレンジ色に輝く海に、小さな漁船。
だめだ……決心が鈍る。
俺は鼻から息を吐き出して顔をあげ、言い切った。
「俺、東京に行く」
「え、何て」
「やから、高校卒業したら東京行くって」
「待って……だって……うどん屋どうするんよ」
見慣れた童顔が歪んでいく。でも俺は祥子を真正面から見つめた。
「うどん屋にはならん、聡らと東京行って音楽続ける」
言葉にしてしまえば、迷いは消えた。
「……聞いとらんし」
「メンバー以外、初めて言うしな」
まん丸に見開かれた祥子の目。頬をこわばらせ、口をパクパクと開く様は、夏祭りで見た出目金みたいで……。
俺は初めて、こいつを可愛らしいと思った。
けど祥子は拳を握って肩を震わせたかと思うと、怒りを爆発させた。
「健太のアホ、勝手にしたらええやん!」
「おい、待てって」
坂を駆けおりる背中を、自転車に飛び乗って追いかける。
「祥子。危ないし、走んなや」
「うるさい、ついてくんな」
「止まれって!」
このまま行ったら、旧国道に突っ込みかねない。イノシシみたいに走る祥子の腕を掴んだ。と思った瞬間、大きく振り払われてバランスを崩す。
ガシャン――という音が聞こえたと思ったら、景色が反転して夕焼け空が見えた。
「祥子!」
首だけ起こして叫ぶ。
けど、俺の心配をよそに、旧国道に入る前に速度を落としたアイツは、驚くべき身体能力で見事な直角の導線を描き、自宅の方へ走っていってしまった。
ああ……俺、必要ねえわ。
小さいころから危なっかしくて、俺に手間ばかりかけさせた祥子。
けど、あいつはもう、自分の身は自分で守れるくらい大人になっていたんだな。
自転車と一緒に道路に倒れたまま、空を見上げる。
ひときわ明るい宵の明星が、ポツンと浮かんで俺を見ていた。
一番星見~つけた、見つけたから帰~えろ――。
小学生のころ、祥子があの星を見るたび、歌っていたのを思い出した。
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