優しい世界を望んだおれが、神のバグでした⁉

さとね(SatoNe)

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第一章 風の学び舎

呼ぶ風、去る背

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 夜明け前の学園は、まだ眠っていた。風塔の鈴だけがかすかに鳴り、青白い光を帯びた羽根がゆっくりと回る。その音を聞きながら、セイルは机の上の手紙を見つめていた。封には見覚えのある筆跡。アリアからだった。

 封を切ると、懐かしい香りが鼻をくすぐる。文字は丁寧で、まるで声が聞こえるようだった。
 ——エリネの里で、風が止まる夜があるの。根が光らない。祈りの灯も消えて、誰も眠れないの。
 ——あなたがいなくなってから、風の音が少し寂しそう。帰ってこられるなら、一度戻ってきて。

 読み終えた瞬間、胸の奥がざわついた。風が止まる。根が光らない。
 それはただの自然現象ではない。この世界の根にある“理”が乱れている証拠だった。
 セイルは手紙を握りしめ、深く息を吐く。
「……アリア、やっぱりお前は気づいてたんだな」

 外では朝の光が塔を照らし始めている。淡い金色の風が街を包み、鈴の音がいくつも重なって響いた。
 今日、ここを発つ。
 それが決まっているのに、心はどこか落ち着かない。
 胸の奥で風が呼んでいる——行け、と。

 荷をまとめて外に出ると、門の前に仲間たちが立っていた。
「来たな!」リクスが満面の笑みを浮かべ、背中から妙な装置を取り出した。「じゃーん、“旅風測定器”!風の動きと湿度と——」
 ——ボンッ!
 小さな爆発音がして、リクスの髪が逆立った。
「……今のはテストだ!想定内!」
「風を測る前に爆風測ってるじゃない!」メイラがツッコミを入れる。
 レオンが苦笑して言った。「お前の装置、もはや恒例行事だな」
 笑いが起こり、空気が少し軽くなった。

 ノアがセイルの荷を直してやりながら言う。
「みんな笑ってるけど……本当は寂しいんだよ」
「俺もだよ」
「なら、ちゃんと帰ってきて」
「約束する」
 ノアは少し頬を膨らませた。「“約束する”って簡単に言うけどね……帰ってこなかったら、風が怒るよ」
「怒られるのは困るな」
 二人が笑い合う。その笑いがどこか名残惜しかった。

 その時、塔の下からアレンの声がした。
「セイル、来てくれ」
 近づくと、朝日を背にしたアレンの姿があった。
「手紙を読んだんだろう?」
「はい。エリネで風が止まっているようです」
「風が止まる時、それは“理”が歪む時だ。神が何かをしているのかもしれん」
「神が……」
 アレンは少し間を置き、静かに言った。
「君が見に行くべきは風そのものではない。風の“奥にいる何か”だ。神は常に風を通してこの世界を見ている。だが、風はもう君に囁いているはずだ。“外”を見ろ、と」
「……理の外」
「そうだ。神が定めた理の外には、“余白”がある。そこには何もないが、君のような異物が入ることで世界が形を変える。君はバグではない、変化そのものだ」
「……アレン先生」
「忘れるな。風が止まっても、息をしていればそれでいい」
 アレンの声は穏やかで、それでいて遠く響いた。

 門の前に戻ると、リクスたちがまだ待っていた。
「よし、最後の挨拶だ!」
「まだ言ってなかったの!?」メイラが呆れる。
「大事なことは最後に言うんだ!——生きて帰ってこいよ!」
「当たり前だろ」
「それなら次の実験、手伝ってもらうからな!」
「それは帰りたくなくなる条件だな」
「ははっ!」
 笑いがこぼれる。レオンが一歩前に出て言った。
「……風に流されすぎるな」
「わかってる」
「お前は風を読める。だからこそ、風に飲まれるな」
 短い言葉に、重みがあった。

 ノアが最後に一歩近づく。手の中で小さな風鈴が揺れている。
「これ、持ってて。風が寂しがらないように」
 セイルはそれを受け取り、指先で軽く鳴らした。
 澄んだ音が響く。
「ありがとな。……これが鳴る時は、俺も息をしてる証拠だ」
「なら、ずっと鳴ってて」
 ノアの声が風に混じって消えた。

 馬車が門前に止まり、御者が帽子を取って頭を下げた。
「出発の時間です」
 荷を積み終え、セイルは塔を振り返った。
 羽根が静かに止まり、一筋の光が走る。
 まるで見送るように。
「風よ、導け。俺の帰る場所へ」
 馬車がゆっくりと動き出し、車輪の音が石畳を叩いた。
 学園の鈴が一斉に鳴り、街の風が彼を押し出すように流れていく。
 ノアたちの姿が遠ざかり、塔が小さくなる。
 やがて光の中に溶けていく時、風が囁いた。

 ——理の外を歩め。
 ——おまえは余白。
 ——風は、おまえを覚えている。

 セイルは静かに目を閉じた。
「なら、その余白に、俺の答えを書こう」

 馬車が朝の光の中へ消えていく。
 風鈴の音が最後にひとつ鳴り、世界が新しい息をした。
 その音は、次の物語の始まりを告げるように、優しく響いていた。
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