優しい世界を望んだおれが、神のバグでした⁉

さとね(SatoNe)

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第二章 風の帰郷――揺らぐ根の祈り

静止する優しさ

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 朝の風は、まるで水のように透き通っていた。
 鳥の鳴き声はやさしく、根の拍は一定の間隔で鼓動を刻む。
 どこを見ても穏やかで、どこを聞いても安らかだった。
 けれど、その「均一」がセイルの胸に小さなざらつきを残していた。

 村の入口では、子どもたちが祈り花を並べていた。
 花は風を受けて静かに揺れ、白い粉を光の中に散らしている。
 風の流れが乱れない。
 ——まるで、誰かが見えない手で風を梳いているようだ。

 セイルは丘を降りながら、畑を見渡した。
 地面の光はやさしい。
 けれど、根の呼吸は浅い。
 土を掘れば拍がある。
 だが、それは心臓の鼓動ではなく、機械のような律動だった。
 均整。整列。静止。
 風の理が完全に保たれた世界は、呼吸をやめていく。

 「セイル」
 声がして、振り向くとアリアがいた。
 両腕には祈り花の籠を抱え、朝露が髪に光っている。
 「おはよう」
 「……おはよう」
 「今日の風、きれいだね。昨日より優しい」
 セイルは笑わなかった。
 「優しすぎる。 風が息をしてない」
 「息をしてない?」
 「流れているようで、止まってる」
 アリアは少し困ったように笑う。
 「また難しいこと言うね。 でも、静かなのはいいことじゃないの?」
 「静かすぎると、音が死ぬ」
 その言葉にアリアは小首をかしげた。
 「……でも、痛みがないの。 風が止まる夜もなくなったし、ティオも安心して眠れる」
 「そうだな」
 言葉を閉じたあとも、胸の中に冷たい風が流れた。

 村の広場では、人々がひとりの少女を囲んでいた。
 白い髪が風に浮かび、瞳は光を帯びている。
 ルーミナ。
 神の使いを名乗るその存在は、ただ立っているだけで風の流れを変えていた。
 「風律、安定。根の拍、完全同期」
 低く響くその声に、村人たちは一斉に頭を垂れた。
 「ルーミナ様……ありがとうございます!」
 「おかげで畑の風も戻りました!」
 喜びの声。祈りの唄。笑顔の輪。
 それは祝福の光景のはずだった。
 けれど、セイルの耳には、その笑いがどこか金属の音のように響いた。

 丘の上で見ていたアリアが、ふとつぶやいた。
 「ねぇ、あの人、本当に風の人なのかな?」
 「風の“理”そのものだ」
 「理……?」
 「神の使い。風を整えるための存在。俺たちが乱れた呼吸をすると、あいつが直す」
 アリアは不思議そうに空を見た。
 「なら、きっといい人なんだね」
 「……かもな」
 セイルは口の中で風の粒を感じながら、目を細めた。

 午後、ルーミナは村の中心に立ち、両手を広げた。
 風が彼女の体を通り抜け、光の糸を生んでいく。
 それは見ているだけで、心が浄化されるような美しさだった。
 子どもたちが祈り花を差し出し、老人たちは涙を流した。
 「これが“正しい風”です」
 ルーミナの声が響く。
 「乱れのない呼吸こそ、神の望む優しさ。痛みも、苦しみも、過去も、ここにはありません」
 その言葉にアリアは微笑んだ。
 「ねぇ、セイル。 いい風だよ」
 「……ああ」
 言いながら、胸の奥に何かが引っかかった。
 痛みがない。苦しみもない。
 それは、命の欠片が風から抜け落ちているということだ。

 夜。
 村の祈り火が灯る広場で、セイルはひとり地に手を置いた。
 ルートクラフトの線が淡く光る。
 根の奥を通う拍が可視化され、地の中を流れる風の息が見える。
 だが、そこに“揺らぎ”がなかった。
 呼吸ではなく、規則。
 鼓動ではなく、演算。
 「……これが優しさの正体か」
 根の光は美しい。だが、生きてはいない。
 “息をしていない優しさ”。
 世界が眠りの中に沈もうとしていた。

 「セイル」
 ルーミナの声が背後から響いた。
 彼女の白い光が地面に落ち、セイルの影を溶かしていく。
 「あなたの観測は理を乱す」
 「俺の風が、お前の静寂を壊すのか」
 「静寂は優しさ。乱れは苦しみ」
 「苦しみがあるから、風は生まれる」
 「理解不能」
 ルーミナの瞳が、わずかに揺れた。
 「あなたは理の外。理外の拍は、存在を侵す」
 「それでも構わない。風が動かないなら、世界は死ぬ」
 彼の声は静かだったが、根の奥が震えた。

 その瞬間、風が一度逆流した。
 ルートの光が脈動し、祈り火が一斉に揺れる。
 村人たちがざわめき、アリアが駆け寄った。
 「セイル! なにしてるの!?」
 「確かめてるだけだ。風が本当に生きてるのか」
 ルーミナの瞳が紅く光る。
 「風は理によって生かされています。あなたのような異物がそれを壊す」
 「壊さなきゃ、生まれない」
 ルーミナが一歩踏み出した瞬間、風が音を失った。
 静寂。
 すべての音が吸い込まれ、祈り花の揺れすら止まる。
 空気の粒が光を固め、世界が一瞬、完全な静止を迎えた。

 その中で、アリアだけが動いた。
 彼女の髪がわずかに揺れ、唇が震える。
 「……ねぇ、セイル。 なんでそんな顔をしてるの」
 「この風は、生きてない」
 「でも……穏やかだよ」
 「それは息を止めた穏やかさだ」
 アリアは瞳を伏せた。
 理解できない。でも、感じている。
 セイルの声がどこか遠くに聞こえる。
 彼の言葉が、なぜか胸を締めつけた。

 ルーミナの周囲で光が揺れる。
 「理、再整列。乱れ、収束」
 風が再び動き出す。
 祈り花が咲き、根の拍が静かに戻る。
 完璧な秩序。
 だが、セイルにはそれが“息の消失”にしか見えなかった。

 「あなたは何を望むのです」
 ルーミナの声は、冷たくもどこか迷いを含んでいた。
 セイルは空を見上げた。
 「風が風であること」
 「意味が不明」
 「お前の理が正しいなら、風は死んでる」
 「それでも神は静寂を選んだ」
 「神が選んだ優しさは、俺には優しくない」

 ルーミナは彼を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。
 「観測を中断。あなたの拍は記録に残す」
 その言葉と同時に、彼女の体が淡い光に溶けた。
 風がすれ違い、空が一度だけ鳴いた。

 静けさが戻る。
 人々は再び祈りを捧げ、風は柔らかく流れた。
 アリアがそっとセイルの横に立つ。
 「ねぇ……私、あなたが言ってた“息”の意味、少しだけわかった気がする」
 「どんな意味だ」
 「痛いけど、あったかい。 そんな風」
 セイルは微笑んだ。
 「それが生きてる証だ」
 アリアは顔を伏せ、小さく頷いた。

 空に浮かぶ雲は、ゆっくりと流れ始めた。
 根の光も拍を戻し、鳥が一羽、空を渡る。
 セイルは風の中に手を伸ばした。
 まだどこかで、ルーミナの残響が揺れている。
 優しさと静止、その境界で風が呼吸を取り戻そうとしていた。

 夜、丘の上。
 風鈴がひとつ鳴った。
 セイルはその音を聞きながら、アリアの言葉を思い出していた。
 ——痛いけど、あったかい。
 風が頬を撫でる。
 それは確かに、息をしている音だった。
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