異世界を救えなかった異端の勇者−百年戦争異聞録−

奏楽雅

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第11話:ノルマンディーの影

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森の端に立つ俺たちは、白み始めた空に影を浮かび上がらせるコンピエーヌを後にした。
ルーアンまで馬で突っ切ることも考えたが、街道でイングランド兵やブルゴーニュ派の斥候と鉢合わせする可能性が高い。
目立つのは危険すぎる。
徒歩で森を縫い、丘や小道を辿るほうを選んだ。
オンブルとブロンダンはラ・イルの部下に預けた。二頭の温かな鼻息が、しばらく耳に残っていた。

バシリアが俺の横で小さく息を吐く。
 「……歩き通しになりそうですね、アニェス様」
 「そうだな。でも馬で一々突っ切るよりはまだ安全だ」
 「安全というには……森で敵に会わない保証はありません」
もっともな意見だが、それでも街道よりはまだマシだ。

俺は薄暗い道を見下ろし、背負った装備品の感触を確かめた。
ラ・イルは前方で警戒を怠らず、風や枝の揺れ、遠くの動物の気配を耳で拾っている。ポトンは背後と左右に意識を向け、俺たちを守る形で歩く。
基本は街道を進むが、兵士や人を見かければ茂みや森の中を進む。森は昼間でも暗闇が深く、枝葉が絡み合って足元の道を遮る。

時折、焼け落ちた村落を見かける。
「ずいぶん廃村が多いな」
バシリアは表情を曇らせ、静かに言う。
「イングランド軍の襲撃の跡です。略奪のあと、村ごと焼かれたところも……住民が残っていれば、殺されています」
「そうか…」
俺は両手を合わせ黙祷する。

「天使様は何をされているんだ?」
「神々しく見えるな。我らとは違うが死者を悼んでくださっているのだろう」
ポトンとラ・イルが不思議そうにしている。
バシリアによると、カトリックでは胸の前で手を組む、あるいは胸の前で両手を重ねるのが普通で、俺の合掌は見慣れぬものらしい。

この場を離れようとしたとき、俺は近くに気配を感じた。
敵や野盗のものではない。
かなり弱っている人の気配だ。
「ラ・イルさんちょっと待って」
「どうされました」
俺は人差し指を口元にあて、ゆっくり歩き始めた。皆も静かについてくる。
比較的原型を留めた家の前で俺は足を止める。
俺はドアをゆっくり開ける。すると中から棒切れを持った子供が殴りかかってきた。
力加減のない全力であったが、俺は慌てることもなく、その棒を掴んで止める。
「はなせ、この、はなせよ」と叫び泣き、子供が暴れる。
即座にバシリアが子供を押さえつけ無力化する。
俺は更に奥へと入ると、母親らしい女性と、小さな子供が三人居た。
どうやら母親は矢傷を受け、瀕死のようだ。
俺が母親に近づくと、小さな子供が間に立って母親を守ろうとする。
「大丈夫、心配しないで」と優しく話しかける。

優しく声をかけると、母親は息を詰まらせながら俺に縋るように言った。
「どうか……この子たちだけでも……助けて……」

母親が起き上がろうとするが、俺は制して、傷口を見る。
肩に受けた矢傷により壊死し始めていた。
放っておけば長くないだろう。
俺は「…《キュア》」と唱える。
このくらい詠唱も不要だ。俺の手が光り、壊死して赤黒く変色した肉が、ゆっくりと本来の色へ戻っていく。
やがて傷は滑らかに閉じた。
「これで大丈夫」
「……え?」
バシリア以外の者が、口を開けて呆けている。
「おお、おお、おお正に神の御業」
ラ・イルが涙をためている。
「流石は天使様」ポトンも同様だ。
呆気に囚われていた母親も、奇跡を前に涙を溜めて祈り始める。
子供は母親にすがりついて泣き崩れている。
バシリアに捕まった子供だけがジタバタしていた。

「貴方方は?」
一心地ついたところで、母親に聞いてみる。傷は治ったが体力までは回復させられないので、顔色は悪い。
「ルーアンから逃げてまいりました。農奴として連れていかれましたが、徴税が厳しく……逃げ出したのです」
バシリアが補足する。
「ノルマンディー地域は徴税、徴発が苛烈で、農民逃亡者、いわゆるバガールが増えているそうです」
母親は続ける。
「逃げる途中、イングランド軍は私たちを狩りの獲物のように追いかけ回し、夫は切り刻まれてしまいました。私は矢を受けつつもなんとかここまで逃げましたが。動けなくなり…」
胸の奥にじわりと怒りが湧いてくる。
俺は別に、イングランドとかフランスとか実のところどっちが勝っても負けても興味がない…が、どうも、イングランド兵のやることに憤りを感じ始めていた。
「……ルーアンでは毎日誰かが連れていかれ、教会前で火が焚かれています。些細なことで異端に……家族で話すこともできません」
「ジャンヌ・ダルクのことは何か知ってるか?」
ラ・イルが質問に加わる
「ごめんなさい」
「そうか」
「ですが、イングランド兵はジャンヌ様の影に怯えているようです。天罰や呪いなどの噂を耳にしました」
「ありがとう」
そのとき、バシリアが外を見て声を潜めた。
「アニェス様……」
「わかってる。皆はここに居て」
俺はそう言って表に出る。
近づいてくる蹄の音が、地面を震わせていた。
廃村の中心には広場があった。廃村になる前は市がたっていたであろう場所。
そこに俺が一人立つ。

やがて八人のイングランド兵が広場へ入り、俺を上から下まで舐めるように見て、距離を取りながら包囲した。
「なあ、コノ辺で親子を見かけなかったか?」
俺は首を横に振って応える。
「ふーん、それにしても随分イカれた格好をしているな。襲ってくれって言ってんのか?」
なんだろう、怒りがこみ上げてくる。
許せない気持ちが止められない。
「お前ら、そいつを引きずり倒しな」
下卑た笑い声を上げて兵たちが馬から降り、俺へ手を伸ばした、その瞬間。
俺の太腿に仕込んだ両足計10本のスローナイフが、手を触れること無く、イングランド兵に向かって飛んでいく。
最初は俺に触れようとした兵士の腕を裂き、次が足を切り裂き、続けて刃が舞う。
「な、なんだ……」
ナイフは次の獲物を定め同じ用に切り裂く。
「こ、こいつ魔女」
「ま、魔女だ、逃げろ」
ナイフが意思を持ったかのように飛び回り、イングランド兵を減らしていく。
「やめろ」
「やめてくれ」
「すまん、八つ当たりだ。諦めてくれ」
広場は血風が支配し、静寂が戻った。
「アニェス様」
いつの間にかバシリアが横に来て肩を抱いてくれた。
その腕の温もりで、俺の怒りがゆっくりと冷めていった。
***
一晩母親に、栄養の有るものを与え、休息させると、だいぶ良くなったようだ。血色も戻っている。
イングランド兵の乗ってきた8頭の馬のうち4頭を勧銀するようにと言って親子に渡し、残り4頭は俺たちが使うことにした。当初の作戦を撤回し俺たちは騎馬でルーアンに向かうことにした。
100年戦争はまだまだ続き、不幸に落とされる人々はこれからも増えることだろう。一々助けることもできないし、俺が苛立つ必要もないが、あの世界で魔物に理不尽に蹂躙された人々のことがふと頭を過ぎってしまう。
助けられるものは助けたいと思ってしまうのはエゴだろうか。

昼夜関係なく馬を走らせる、森の闇はさらに深まる。小川のせせらぎ、風で揺れる葉の音、遠くで動物が走る気配。すべてが鋭く耳に届く。
「森を抜けると丘陵地帯です」ラ・イルが囁く。
 そこから見下ろす谷には、夜露に濡れた小道と、民家の灯りが点々と光っていた。
「人の気配はある……しかし生活感がない、話し声すらしない。まるで息を潜めているようだ」ポトンが低く呟く。
丘を下る途中、再びどこぞの家族が現れすれ違う。二人の少年が藪の陰からじっとこちらを見ていた。
「俺たちは敵じゃねえ」ポトンが声をかける。少年たちは互いに目を合わせ、ようやく少しだけ笑った。バシリアも手を振って返す。
民衆の恐怖を間近に感じつつ、俺たちはさらに進む。夜明け前、丘の向こうにルーアンの街がぼんやりと浮かび上がる。
 石造りの城壁、教会の尖塔、夜空に立ち上がる煙。
「……あれがルーアンか」俺は低く呟いた。
 バシリアが手でピンホールを作って覗く。
 「灯りも少なく、静かですが……息をひそめている感じです」

街の外側では、イングランド占領下の徴税兵や徴発隊が巡回している。馬では目立つため、徒歩に切り替えて回避しながら接近する。
「ルーアンの街道は警戒が厳しいな」ラ・イルが囁く。

ルーアンは、パリ、トロアと同様に城郭都市だ。街に入るには検問を通らなければならない。
検問の前には、市民・農民・商人が列をつくり、身分証の確認が極端に厳しい。

バシリアが囁く。

「アニェス様、街道の正門は無理です。
 巡礼者、商人、修道士でもひとりずつ身体検査。
 武装した男の通行はほぼ許可されません」

「ポトンとラ・イルがいたら一発アウトってわけか……」

「ええ。二人は“顔バレ”のリスクが高すぎます」

ポトンは苦い顔をした。

「……すまん。
だが確かに、わしが正面から行けば
イングランド兵に追いかけまわされるだけだ」

俺は息を整えた。
「じゃあ――水路から行こう。
セーヌ川の逆流する取水口が、城壁の下にあるはずだ」

バシリアが目を見開く。
「よくご存知ですね。」
俺はバシリアに、バスティーユの見取り図を見せる。
小さな記載が以前見たときよりも増えている。
「ルーアンへの潜入方法が浮かび上がった」
「さ、さすがジャンヌ・ド・ブリグですね…」
「魔女の怖さを思い知らされた気分だよ」

夜霧に紛れて川沿いへと降りる。
セーヌ川の匂いは生臭く、街の汚泥が溶け込んでいる。
「ここか……」
石壁の下、半没した鉄格子。
幅は人ひとりがなんとか通れる。
ポトンが眉を寄せた。
「下水か……天使様に申し訳が立たんが……」
「気にしなくていい…必要なことだ」

俺は微笑む。引きつり気味に。

そして小声で呪文。

《サイレント・シェイプ》

鉄格子が、音もなく「たわんで」開いた。

ラ・イルが息を呑む。

「……アニェス殿は、そんな芸当までできるのか」

「芸達者なんです」

中は真っ暗だった。

かすかな光さえ吸い込むような湿気と、ひんやりした冷気。
遠くから“滴る音”と“流れる水音”だけが響く。

バシリアが囁く。

「音に気をつけてください。
ここはイングランド兵が定期巡回している区画です」

「任せろ。…《スニーク》…《インビジブル》」

足元の気配が霧のように消え、4人の姿がなくなった。
今回先頭がラ・イル、俺、バシリア、ポトンの順で、ラ・イルとポトンとは右手と左手で手をつなぎ、バシリアは俺の肩に手を置いている。俺に接触していないと《インビジブル》、《スニーク》、《質量軽減》、《表面活性》などの魔法の効力がないからだ。なんというかイモムシ状態の行動である。

「アニェス殿、前方、松明の光。」

曲がり角の奥に、赤い火の揺らめき。

足音――二名。

俺はとっさに指示を出す。

「――止まれ。壁に張り付いて」

二名のイングランド兵が、狭い水路を松明をかざしながら進んでくる。

(ここを通る……?
 大丈夫、相手から見えはしない……けど、ぶつかったら終わりだ)

ラ・イルの呼吸が荒い。彼は戦士ゆえに気配が濃い。
ポトンの方は……そもそも緊張すると直立不動になるタイプだ。

兵が松明を掲げて近づく。

俺は、限界まで魔力を絞った。

《サイレンス・ヴェイル》
(存在感そのものを薄くする魔法)

松明の光が4人の場所を舐めた――

だが、兵たちは気づかず通り過ぎた。
そのまま、遠ざかる足音。

ポトンが小声で呟いた。

「……天使様、あなたは本当に……」

「大丈夫だったろ」



水路を抜けると、石造りの円形井戸の真下に出た。

俺は井戸の蓋を押し上げる。
街の空気が流れ込む。

しんと静まり返った中庭。
近くに修道院の建物が見えた。

バシリアが周囲を確認して囁く。

「ここはサントゥアン修道院の裏手……
完全に街の中心です。大成功ですよ、アニェス様」

ラ・イルが井戸から身を乗り出し、低く笑った。

「まさか、ルーアンの真ん中に出てくるとは……
これほどの潜入は生涯で初めてだ」

ポトンも井戸から上がりながら言う。

「天使様。わしは……貴方様に命を預けられることが誇りです」

俺は苦笑しつつ、ドレスの汚れを振り払った。

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