1 / 7
第一話 私の結婚が知らない間に決まっていました。
しおりを挟む
父に呼ばれたのは、夕食前だった。
窓の外では、庭師たちが冬支度の最後を進めている。アルヴェーン家の屋敷は、いつも通り静かで、整っていて――だからこそ、その呼び出しが妙に胸に引っかかった。
書斎に入ると、父は椅子に深く腰掛けて待っていた。私の顔を見て、短く頷く。
「リュシア。座りなさい」
声は低く、感情が乗っていない。
私は言われた通り部屋の真ん中に置かれた椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばした。
「話がある」
それだけ言って、父は一拍置いた。
書斎の空気が、わずかに張りつめる。
「お前の結婚を、決めてきた」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
結婚。決めてきた。
その二つが、まるで別々のもののように頭の中を浮かぶ。
「……お相手は」
私の口から出たのは、それだけだった。
本当は聞きたいことが山ほどあった。なぜ、いつ、どうして――。けれど、父の表情を見て、それらは喉の奥に押し戻された。
「ローディア領主家だ。長男で、アルベルトというらしい」
ローディア領。
その言葉に、胸の奥が冷たくなっていくのを感じる。
私はその家名を、知らないわけではない。だが、それは地図の上の名前でしかなかった。顔も、声も、どんな人柄かも分からない。
「……承知しました」
自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。
父の眉が、わずかに動く。
「異論はないのか」
異論がないわけがない。
けれど私は、父の前で感情を露わにする年齢ではなかった。
「父上がお決めになったことです。
アルヴェーン家の娘として、従います」
そう答えながら、私は膝の上で拳を握っていた。
爪が食い込む感覚で、自分が動揺しているのを誤魔化す。
父は、少しだけ視線を逸らした。
「……詳しいことは、追って伝える。
準備は急ぐことになる」
「はい」
それ以上、父は何も言わなかった。
私は一礼し、静かに書斎を出た。
部屋を出るまでの所作、廊下を歩く足取りは、我ながら完璧だったと思う。
背筋を伸ばし、歩幅を乱さず、使用人とすれ違えば労いの言葉をかける。
自室の扉を閉めるまでは。
鍵を掛けた瞬間、私はベッドに倒れこんだ。
次の瞬間、胸の奥に溜め込んでいたものが、一気に溢れ出す。
「……なんなのよ、それ……!」
声が震えた。
怒りと困惑が、熱になって喉を焼く。
「決めてきた、って……!」
私は大きな枕を抱きしめ、バタバタと両足を暴れさせた。
ひとしきり感情的に動いたあと、電池が切れたように脱力する。
静かになり、自分の心臓が早鐘のように鳴っているのがわかった。
顔も知らない。
会ったこともない。
ただ“地方の領主の長男”という肩書きに、私の人生が投資されるのだ。
「どうして……どうして私が……」
領民のため?
アルヴェーン家のため?
そんな言葉は、今は綺麗事にしか聞こえなかった。
私は、政略結婚というものを理解している。
それが貴族の責務だということも。
でも――理解できることと、納得できることは違う。
「せめて……せめて、どんな人なのかくらい……」
声が、弱々しく途切れた。
怒りの奥に、不安が顔を出す。
もし、尊大な人だったら。
もし、私を“道具”としか見ない人だったら。
私は、見知らぬ土地で、見知らぬ家に嫁ぎ、
そこで一生を過ごすことになる。
「……私、ちゃんと……やれるかしら」
誰に向けるでもない問いが、部屋に落ちる。
返事はない。
けれど――嘆いてばかりもいられない。
私はアルヴェーン家の娘だ。逃げることは許されない。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
涙は、まだ流さない。
「……覚悟を、決めなさい」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
この結婚が、何のためにあるのか。
そして、なぜこんなにも父が多くを語らなかったのか。
それを知るのは――これからだ。
窓の外では、庭師たちが冬支度の最後を進めている。アルヴェーン家の屋敷は、いつも通り静かで、整っていて――だからこそ、その呼び出しが妙に胸に引っかかった。
書斎に入ると、父は椅子に深く腰掛けて待っていた。私の顔を見て、短く頷く。
「リュシア。座りなさい」
声は低く、感情が乗っていない。
私は言われた通り部屋の真ん中に置かれた椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばした。
「話がある」
それだけ言って、父は一拍置いた。
書斎の空気が、わずかに張りつめる。
「お前の結婚を、決めてきた」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
結婚。決めてきた。
その二つが、まるで別々のもののように頭の中を浮かぶ。
「……お相手は」
私の口から出たのは、それだけだった。
本当は聞きたいことが山ほどあった。なぜ、いつ、どうして――。けれど、父の表情を見て、それらは喉の奥に押し戻された。
「ローディア領主家だ。長男で、アルベルトというらしい」
ローディア領。
その言葉に、胸の奥が冷たくなっていくのを感じる。
私はその家名を、知らないわけではない。だが、それは地図の上の名前でしかなかった。顔も、声も、どんな人柄かも分からない。
「……承知しました」
自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。
父の眉が、わずかに動く。
「異論はないのか」
異論がないわけがない。
けれど私は、父の前で感情を露わにする年齢ではなかった。
「父上がお決めになったことです。
アルヴェーン家の娘として、従います」
そう答えながら、私は膝の上で拳を握っていた。
爪が食い込む感覚で、自分が動揺しているのを誤魔化す。
父は、少しだけ視線を逸らした。
「……詳しいことは、追って伝える。
準備は急ぐことになる」
「はい」
それ以上、父は何も言わなかった。
私は一礼し、静かに書斎を出た。
部屋を出るまでの所作、廊下を歩く足取りは、我ながら完璧だったと思う。
背筋を伸ばし、歩幅を乱さず、使用人とすれ違えば労いの言葉をかける。
自室の扉を閉めるまでは。
鍵を掛けた瞬間、私はベッドに倒れこんだ。
次の瞬間、胸の奥に溜め込んでいたものが、一気に溢れ出す。
「……なんなのよ、それ……!」
声が震えた。
怒りと困惑が、熱になって喉を焼く。
「決めてきた、って……!」
私は大きな枕を抱きしめ、バタバタと両足を暴れさせた。
ひとしきり感情的に動いたあと、電池が切れたように脱力する。
静かになり、自分の心臓が早鐘のように鳴っているのがわかった。
顔も知らない。
会ったこともない。
ただ“地方の領主の長男”という肩書きに、私の人生が投資されるのだ。
「どうして……どうして私が……」
領民のため?
アルヴェーン家のため?
そんな言葉は、今は綺麗事にしか聞こえなかった。
私は、政略結婚というものを理解している。
それが貴族の責務だということも。
でも――理解できることと、納得できることは違う。
「せめて……せめて、どんな人なのかくらい……」
声が、弱々しく途切れた。
怒りの奥に、不安が顔を出す。
もし、尊大な人だったら。
もし、私を“道具”としか見ない人だったら。
私は、見知らぬ土地で、見知らぬ家に嫁ぎ、
そこで一生を過ごすことになる。
「……私、ちゃんと……やれるかしら」
誰に向けるでもない問いが、部屋に落ちる。
返事はない。
けれど――嘆いてばかりもいられない。
私はアルヴェーン家の娘だ。逃げることは許されない。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
涙は、まだ流さない。
「……覚悟を、決めなさい」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
この結婚が、何のためにあるのか。
そして、なぜこんなにも父が多くを語らなかったのか。
それを知るのは――これからだ。
45
あなたにおすすめの小説
何でもするって言うと思いました?
糸雨つむぎ
恋愛
ここ(牢屋)を出たければ、何でもするって言うと思いました?
王立学園の卒業式で、第1王子クリストフに婚約破棄を告げられた、'完璧な淑女’と謳われる公爵令嬢レティシア。王子の愛する男爵令嬢ミシェルを虐げたという身に覚えのない罪を突き付けられ、当然否定するも平民用の牢屋に押し込められる。突然起きた断罪の夜から3日後、随分ぼろぼろになった様子の殿下がやってきて…?
※他サイトにも掲載しています。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
悪役令嬢ですが、今日も元婚約者とヒロインにざまぁされました(なお、全員私を溺愛しています)
ほーみ
恋愛
「レティシア・エルフォード! お前との婚約は破棄する!」
王太子アレクシス・ヴォルフェンがそう宣言した瞬間、広間はざわめいた。私は静かに紅茶を口にしながら、その言葉を聞き流す。どうやら、今日もまた「ざまぁ」される日らしい。
ここは王宮の舞踏会場。華やかな装飾と甘い香りが漂う中、私はまたしても断罪劇の主役に据えられていた。目の前では、王太子が優雅に微笑みながら、私に婚約破棄を突きつけている。その隣には、栗色の髪をふわりと揺らした少女――リリア・エヴァンスが涙ぐんでいた。
ナイスミドルな国王に生まれ変わったことを利用してヒロインを成敗する
ぴぴみ
恋愛
少し前まで普通のアラサーOLだった莉乃。ある時目を覚ますとなんだか身体が重いことに気がついて…。声は低いバリトン。鏡に写るはナイスミドルなおじ様。
皆畏れるような眼差しで私を陛下と呼ぶ。
ヒロインが悪役令嬢からの被害を訴える。元女として前世の記憶持ちとしてこの状況違和感しかないのですが…。
なんとか成敗してみたい。
ただの婚約破棄なんてため息しか出ませんわ
アキナヌカ
恋愛
私、ユディリーア・パヴォーネ・スカラバイオスは、金の髪に美しい蒼い瞳を持つ公爵令嬢だ。だが今は通っていた学園の最後になる記念の舞踏会、そこで暇を持て余して公爵令嬢であるのに壁の花となっていた。それもこれも私の婚約者である第一王子が私を放っておいたからだった、そして遅れてやってきたヴァイン様は私との婚約破棄を言いだした、その傍には男爵令嬢がくっついていた、だが私はそんな宣言にため息をつくことしかできなかった。
婚約破棄された私と侯爵子息様〜刺繍も私も、貴方が離さない〜
ナナミ
恋愛
「ディアナ!お前との婚約を破棄する!」
ディアナ・コヴァー伯爵令嬢は、婚約者である伯爵子息に断罪され、婚約破棄されてしまった。
ある子爵令嬢に嫌がらせをしていたと言うことである。彼女には身に覚えのない冤罪であった。
自分は、やっていない、と言っても、婚約者は信じない。
途方に暮れるディアナ。そんな時、美形の侯爵子息であるフレット・ファンエスがやって来て……。
伯爵令嬢×美形侯爵子息の恋愛ファンタジー。
【短編】私悪役令嬢。死に戻りしたのに、断罪開始まであと5秒!?
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
「エリーゼ・ファルギエール! 今日限りでお前との婚約を破棄する!」と嫌がらせをした記憶も、実家の公爵家が横領した事実もないのに冤罪で、悪役令嬢のように、婚約破棄、没落、そして殺されてしまうエリーゼ。
気付けば婚約破棄当日、第一王子オーウェンが入場した後に戻っていた。
嬉しさよりもなぜ断罪5秒前!?
スキルを駆使して打開策を考えるも、一度目と違って初恋の相手がいることに気付く。
あーーーーーーーーーー、私の馬鹿! 気になってしょうがないから違うことを考えなきゃって、初恋の人を思い出すんじゃなかった!
気もそぞろになりつつも、断罪回避に動く。
途中でエリーゼも知らない、番狂わせが起こって──!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる