アリア

桜庭かなめ

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本編-ARIA-

第27話『Aria-後編-』

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 ――クラスや部活でいじめを受けているんです。

 美来からその言葉を聞いて、僕は彼女と再会してからの日々を思い出す。あれはいじめを受けていたからなのかな……と思い当たる節がいくつもあった。

「いじめか。つまり、そのあざは……誰かに叩かれたりしてできたんだね」
「……はい」

 何がきっかけなのかは分からないけれど、美来を傷つけるなんて許せないな。

「あざはそこだけ?」
「……いいえ。下着で隠れているところにもう1カ所あります。あと、あざにはなっていないんですけど、触れると痛む場所が数カ所ほど」
「そうなのか……」

 僕は仕事で使っているノートをバッグから出し、美来が言ったことをメモする。
 数カ所も痛い場所があるなんて。たくさん叩かれ、それが長期的に続いていると考えられる。あと、美来をいじめる人物は恐らく複数人だろうな。クラスでも、部活でもいじめられているようだから。

「美来、見せてくれてありがとう。服を着ていいよ」
「……はい」

 美来がメイド服を着直したところで、話を再開する。

「クラスとか、部活とかって言っていたよね。つまり、クラスメイトや部員……複数人からいじめられているのかな」
「……はい。部活でもいじめが始まってからは、私のことを『アリア』と言うようになりました。多分、先生達に私へのいじめがバレないためだと思います」
「そうなんだ。アリア……」

 確か、アリアは『独唱』って意味だったよな。

「あっ、美来ってそういえば……」
「はい。音楽コンクールで、声楽部門では独唱するんです。私はその部門に出場するために練習しています。そんな意味もあると思いますけど、一番はお前は独りぼっちだという意味を込めた揶揄だと思います」
「そうだったのか……」

 美来に味方をするような人間なんていないんだぞ、という意味もあるかもしれない。アリアという好きなことで周りから揶揄されるなんて。凄く辛いと思う。
 美来がいじめを受けていると知った今の状況で、僕がまず知りたいこと。それは、いじめる生徒は何を口実に美来にいじめをしているか。

「美来。何を口実に美来に嫌なことをしているのかな。思い出すのは辛いとは思うけれど、教えてくれるかな」
「告白を断ったことや、この金色の髪のことです。主な理由は前者です。そのことでいじめを受け始めてから、髪についても嫌なことを言われたりするようになったんです」
「……そうなんだ」

 口実は告白を断ることや金色の髪か。

「告白を断るっていうのは、もちろん僕と結婚したい気持ちがあるからだよね」
「はい。智也さんと結婚したい想いはあの日から一度も変わりません。ですから、告白は全て丁重に断ってきました。告白してくれた方が傷付かないように、断るときの言葉には気をつけたつもりだったのですが。まあ、断られるのですから多少なりとショックはありますよね……」
「ショックはあるかもしれないけれど、それで美来をいじめるなんてことはあっちゃいけないよ。向こうは『美来が虐められても仕方ない』とか言ってくるんだろうけど、それは絶対に違う。いじめは……いじめる人間が100%悪いと僕は思ってる」

 美来は誠実な対応をしていた。けれど、告白を断られたショックが、いつしか恨みに変わってしまったという感じかな。金色の髪は珍しさからだろう。

「ということは、美来をいじめてくる人って、美来に告白をしてきた人なのかな?」
「いいえ、むしろそういう人の中でいじめてくる人はほとんどいません。『たくさんの人の告白を断って傷つけている』『調子に乗っている』『お前のような傷つける人間は、早く学校からいなくなってしまえ』告白してきた人の友達や告白してきた人のことを好きな人からそう言われて、嫌なことをされることが多いです」
「なるほど」

 告白してきた本人よりも、その友達や本人のことを好きな人の方が多いのか。つまり、親しい人の想いを踏みにじった美来が許せないと考えているのか。1人だけではなく、たくさんの人にしている美来に痛みを与えるのは当然なのだと。
 そういえば、諸澄君は美来のことが好きだと言っていたけれど、少なくとも火曜日の時点では告白はしていない。
 今日の午前中に、羽賀がアパートを見ている諸澄君を目撃したけれど、それは未だに告白していないからなのか。それとも、告白して断られたけれど諦めきれないのか。はたまた、それ以外の理由なのか。

「ねえ、美来。告白してきた人の中に、諸澄司っていう男子生徒はいた?」
「いえ、いませんけど……でも、どうして彼の名前を?」
「実は火曜日の放課後にたまたま話しかけられたんだ。先週の土曜日、僕と美来が一緒にデートをしている姿を見たんだって。美来が学校で僕を運命の人って言っていたから、運命の人が僕なのかどうかを、どうしても知りたかったらしいよ」
「そうだったんですか」
「美来のクラスメイトで名前を知っているのは彼だけだったから、訊きたくなったんだ。それ以外に理由はないよ」
「なるほどです」

 良かった、納得してくれて。諸澄君のためにも、まだ告白していないのなら彼が美来を好きなことは伏せておかないと。本人もいずれは告白すると言っていたし。
 諸澄君は告白していないから、休日の居場所を確認していたということなのかな。それか、待ち伏せして家を出た瞬間に告白するつもりとか。理由はどうであれ、ストーカーだと言われてもおかしくないけどね。

「最初はクラスだけだったんですけど、徐々に部活でもいじめられるようになって。告白してきた人の中には上級生の方もいましたから、先輩からも……」
「そうだったんだね」
「最初は私をかばってくれる子もいたんですけど、今度は自分がターゲットになるのを恐れたのか、今では誰も助けてくれる人はいません。部活では上級生がいじめてくるので、私を助けようとする空気は微塵も感じられなくて」

 部活という小さなコミュニティだと、上級生がいじめているとそれに意見はしづらいのだろう。特に下級生からは。
 それにしても、誰も助けてくれないのか。
 ということは、諸澄君は今の美来を助けようとしなかったってことになる。助けが必要になったとき、実際に助けられないと意味がないと言ったのは彼なのに。彼は気付いていないだけか? それとも、別の理由があったりして。彼がいじめに関わっている可能性も考えておこう。

「じゃあ、寮で過ごすのは辛いよね。寮っていうと、一緒に住んでいるルームメイトとかもいるの?」
「いえ、私の部屋は1人部屋です。ですけど、寮の空気に絶えられなくて。土日に智也さんの家で泊まっていたことも、『男と泊まって不純なことをしていた』という風に話が広まって……」
「そ、そうなんだ」

 美来にマッサージをしたり、キスをしたりしたけれど……あれは合意の上でしたことだから大丈夫だと思っておこう。

「もし、僕のせいで美来が嫌がらせを受けていたなら謝るよ。ごめんなさい」

 僕がそう言うと、美来はそれを否定するように激しく首を振る。

「いえいえ、とんでもないです! 泊まりたいと言ったのは私の我が儘ですし、それを快く許してくださった智也さんには本当に感謝しているんです。それに、智也さんと過ごした時間は10年間、待ちに待った時間でとても楽しかったから。それを不純だとか言われたのがとてもショックでした」
「……そうか」

 美来にとっては僕と一緒にいたことが不純と言われたことで、僕への気持ちを否定されたように感じたのかもしれない。
 いずれにせよ、いじめによって受けた美来の傷は深い。

「じゃあ、僕が朝に間違えて見てしまった『週末になると寮からいなくなるけど何をやっているのか』っていうあのメッセージは、美来をいじめている子からかな」
「……はい。なので、智也さんと一緒にいるときは音が鳴ったり、スマホが震えたりしないようにしています」
「嫌だよね、鳴ったり、震えたりしたら。僕もきっとそうする」

 例のメッセージを送った子は、まさか僕がメッセージを見ているとは思わないんだろう。いじめっ子は、おそらくいじめられている子が誰にもこのことを言えないと思って、心ないメッセージを送っているのだろう。

「できるだけ寮にいたくなかった。だから、毎日、学校が終わると智也さんの家に行って料理を作っていたんです。部活のあった日でも。もちろん、智也さんに料理を食べてほしい気持ちもありましたよ!」
「分かっているよ。美来のおかげで、平日もしっかりと食事を取れているよ。本当に助かってる。ありがとう」
「……はい」

 美来は可愛らしい笑顔を見せる。こんなに素敵な笑顔を持っているいい子なのに、いじめるってことはその笑顔を一生失うことだってあり得るんだ。
 おそらく、いじめることが楽しいからやっているんだろうけど、いじめられている方は本当に辛いんだ。

「ねえ、美来。このことを話すのは僕が初めて?」
「……はい。今、智也さんに話すのが初めてです。家族にも話していませんし、先生方にもまだ。ただ、先生の方は気付いているかもしれませんけど、私の感覚ではもし気付いていても見て見ぬふりをしていると思います」

 本当に先生方が見て見ぬふりをしていたら、それはひどいことだ。最近、いじめの報道を見ると、担任がいじめる側を擁護する姿勢を見せたり、話してもいじめはなかったと事実を隠蔽していたりするケースが多い。いじめられている方が、これまで以上に生きにくい状況になってしまっている気がする。

「そっか。分かった。辛かっただろうけど、よく僕に話してくれたね。ありがとう。美来は何も悪くないよ。それだけはしっかりと胸に刻んでおいて」
「……はい」
「僕は美来の味方だ。僕が絶対に美来のことを守る」

 僕が守らないで、誰が守るんだ。独りだと思っていた美来が頑張って僕に手を伸ばしているのに、そんな彼女の手を僕から握らないでどうするんだ。

「……智也さん……」

 すると、美来は涙をボロボロと流して、僕の胸の中に顔を埋める。

「……辛かった。怖かった。寂しかった」
「うん、今週もよく頑張ったね。でも、もう我慢しなくていいんだよ」

 我慢しなくていいという言葉がポイントだったのだろうか。美来は声に出して泣き始めた。そんな彼女のことを抱きしめて、美来の頭を撫でる。
 僕や有紗さんのことになると、嫌そうな顔をしたり、実際に嫌だって言えたりしているのに。でも、それができないときも当然あるか。

「美来、僕はアリアっていうのはとてもいい言葉だと思うよ。たとえ独りでも、力強く声に出して伝えたいことを伝えようとする。美来は独りで寂しかっただろうけど、頑張って僕にいじめがあることを伝えてくれた。そんな美来は凄いよ……と僕が言っても、今すぐにアリアがまた好きになれないとは思うけれど、いつかまた好きになれるといいよね」
「……うっ、うっ……」

 今は泣いてしまって、僕の言葉はまともに聞けないか。
 今は美来を抱きしめていよう。きっと、それが美来に自分が独りではないと一番伝えることができると思うから。
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