アリア

桜庭かなめ

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続編-螺旋百合-

第7話『過去と今を繋ぐ夜』

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 洗面所の開く音が聞こえたので、美来は慌てて唇を離し、抱擁を解いた。素早く僕の隣に座る体勢に戻る。さすがの美来も、桃花ちゃんにキスする姿を見せるのは恥ずかしいようだ。

「はぁ、気持ち良かった」
「気持ち良かったですか?」
「うん! 湯加減もちょうど良かったよ。湯船もとても広くて」

 桃花ちゃん、とてもいい表情をしているな。昔からのお風呂好きは今も健在か。

「そうでしたか。それなら良かったです。じゃあ、次は私が入ってきますね」
「分かった。ゆっくりしてきてね」
「ええ」

 今度は美来がリビングを後にした。ただ、美来の性格からして、今の状況ではゆっくりお風呂に入ることはないと思う。
 美来と入れ替わるようにして桃花ちゃんが僕の隣に腰を下ろした。お風呂から出て間もないこともあって、彼女からはシャンプーやボディーソープの甘い香りが感じられる。

「また、お兄ちゃんとこうして一緒に過ごすときが来るなんてね」
「大げさだなぁ。まあ、僕もこのタイミングで桃花ちゃんと再会するとは思わなかったけれど」

 実際、前触れもなく突然やってきた感じだし。

「もう、お兄ちゃんったら。6月にお兄ちゃんが逮捕されたって知ったとき、うちの家族やお爺ちゃんやお婆ちゃんの家も大騒ぎだったんだからね」

 桃花ちゃんは不機嫌そうな表情をして頬を膨らませた。桃花ちゃんの家から母さんの実家までは近いからな。それ以外の母方の親戚も近くに住んでいるし。

「その件については本当にお騒がせしました」
「別にお兄ちゃんのことを悪く言っているんじゃないよ。悪いのはお兄ちゃんを嵌めた真犯人と警察関係者だもん」
「そう言ってくれると僕も気が楽になるよ。……ちなみに、そのときは桃花ちゃんは大丈夫だった? 僕の名前や顔写真が大々的に報道されていたから、友達とかから嫌がらせとか受けなかった?」
「苗字が違っていたこともあってか、そういうことは一度もなかったよ。ひとみんからはお兄ちゃんのことで何回か話したけれど」
「そっか……」

 アルバムやホームビデオに何度も登場しているくらいに、仁実ちゃんとも結構遊んだかな。仁実ちゃんは心配して桃花ちゃんと連絡していたんだろう。

「2日か3日経って、お兄ちゃんが釈放されて会見の映像を観て、ひとみんも親戚も落ち着いたけどね。逮捕されてから、ずっと何かの間違いだって言っていたけど……」
「父さんや母さんも一度、面会に来たけれど同じことを言っていたな」
「そういえば、伯父さん……『息子にそんな度胸はない!』って言ってたっけ。それ、何度もテレビで観たよ」
「……僕を信じてくれているのは嬉しいけど、父さんはもう少し言葉を選ぶべきだったと思うけどね」

 釈放された直後にテレビを観たら『父親が言うように息子さんには度胸はなかったようですね』と評論家が笑っていたくらいだぞ、まったく。あの一言のせいで、日本の笑いものになってしまったよ。

「そういうことがあったから、お兄ちゃんとまた会えて良かったって思っているんだよ、本当に」

 桃花ちゃんはゆっくりと僕に寄り掛かってくる。そういえば、昔もこうやって寄り添っていたっけ。

「また出会うことができて良かった……か」
「うん」

 さっき美来と話したことを思い出す。桃花ちゃんは僕とひさしぶりに会いたいのも理由の一つだけど、ここに来たのは何か別の目的もあるんじゃないかと。僕と2人きりだし、桃花ちゃんに訊いてみることにしようかな。

「ねえ、桃花ちゃん。どうして、急にここに来たのかな。もちろん、僕とひさしぶりに会いたいのも理由の一つだと思うけれど。どのくらいの間、僕の家に滞在するのかはっきり言わないことが気になって」

 この週末だけとか、美来の夏休み期間である8月末までとか。そういったはっきりとした期間を桃花ちゃんは一切言ってこなかった。

「……お兄ちゃんは感付いていたんだね」

 桃花ちゃんは儚げな笑みを浮かべながらそう呟いた。今の桃花ちゃんを見る限り、決してポジティブな理由ではなさそうだ。

「そう言うってことは、僕と会う以外の理由もあるんだね」
「……うん。でも、まだそのことを言う勇気が出ないの。ごめんなさい」
「いいよ、気にしないで。でも、勇気が出たら僕や美来には話してくれるかな」
「……分かった。ごめんね、美来ちゃんがいるのに。でも、お兄ちゃんと美来ちゃんの関係を壊すような理由じゃないから。それだけは絶対だから」
「うん、分かった」

 桃花ちゃんの頭をゆっくりと撫でる。仁実ちゃんが関わっているんじゃないか訊こうと思ったけど、勇気が出たら話すと本人が言っているんだから、今はこれ以上何も訊かないでおこう。

「早くお風呂から上がってきて正解でした。何だかいい雰囲気になってませんか?」

 リビングの方を観ると、廊下へと続く扉の側に寝間着姿の美来が立っていた。表情が恐いぞ。やっぱり、美来は早めにお風呂から出てきたか。

「勘違いさせちゃったかな、美来ちゃん。今日は長時間移動して疲れたからか、お風呂に入ったら一気に眠気が来ちゃって、お兄ちゃんに寄り掛かっていたんだ」
「……本当ですかぁ?」
「うん。ごめんね、誤解される行動を取っちゃって」
「桃花ちゃんとは僕が誤認逮捕されたときの話をしていたんだ。桃花ちゃんを含めて、僕の親戚は心配していたからね。ところで美来、まだ髪が濡れているじゃないか、ほら……一緒に洗面所に行こう。桃花ちゃんはここでゆっくりしてて」
「うん、分かった」

 僕は美来の手を引いて、一緒に洗面所へと向かう。

「桃花ちゃんにここに来た理由について訊いてみた。僕に会いたい以外の理由があるって言っていたけど、まだ言う勇気がないって。僕と美来の関係を壊すような理由じゃないってことは確かだって」
「それならひとまずは安心ですね。あと、仁実さん絡みなんですかね?」
「そこまでは訊けなかった。でも、勇気が出たら僕と美来に話してくれるように約束したから、それまではこっちからは訊かないようにしよう」
「分かりました」

 すると、美来はようやく僕に笑みを見せてくれた。きっと、それは桃花ちゃんに細心の注意を払っていたからだろう。
 美来が髪を乾かし終わった後、僕もお風呂に入った。これまで美来と一緒にお風呂に入ることが多いので、1人で入浴するととても広く感じた。
 お風呂から出てリビングに戻ると、美来と桃花ちゃんはホームビデオのDVDを観ながら談笑していた。本当に、今日は桃花ちゃんのおかげで昔話に浸れたな。

「今日は小さい頃の智也さんを堪能できました。桃花さん、ありがとうございます!」
「美来ちゃんがそう言ってくれて嬉しいよ」

 美来が喜んでくれて良かったよ。

「そういえば、私はどこで寝ればいいかな。私、どこでも寝られる体質だから、ソファーの上で寝て大丈夫だけど」
「いえ、3人で一緒にベッドで寝ましょう。たまに別の女性が泊まりに来ることがあるのですが、その方と寝るときも私を真ん中にして3人で寝ているんですよ」

 確かに、この家に住み始めてから、有紗さんが泊まりに来るときは3人で一緒に寝ているな。

「美来ちゃんがそう言うなら、お言葉に甘えちゃおうかな。お兄ちゃんもそれでいい?」
「うん、いいよ。昔は一緒に寝ていたよね。桃花ちゃんの面倒を見ることも兼ねて」
「うん、そうだったね」
「わ、私だって智也さんに……夜の面倒を見てもらっているんですよ。たまにですけど」

 きゃっ、と美来は一人でニヤニヤしている。まったく、何を想像しているんだか。そして、何を張り合っているんだか。

「じゃあ、ちょっと早いけれど……今日はもう寝ようか」
「そうですね」
「うん。じゃあ、2人のベッドにお邪魔するね」

 僕達は歯を磨いて、寝室へと向かう。有紗さんのときは3人一緒に眠られたので、彼女よりも体が小さめな桃花ちゃんとなら大丈夫かな。
 実際にベッドに入ってみると、桃花ちゃんと3人で体を横にすることができた。予想通り、有紗さんのときよりも少し余裕があるかな。ちなみに、美来を真ん中にしている。

「こうしていると、昔のことを思い出すね、お兄ちゃん」
「そうだな。小学生に入るくらいまでは、僕にしがみついてたよね」
「そうだったね」
「……私を挟んで昔話をするなんて羨ましいです。しかも、私と出会う前の頃の話だなんて……」

 アルバムやDVDを観ているときはあんなに喜んでいたのに。まあ、美来の気持ちも分からなくはないけど。

「じゃあ、今からでも思い出を作ればいいんだよ、美来ちゃん。それに、最近のことなら美来ちゃんの方がよっぽどお兄ちゃんとの思い出があるでしょ? それは羨ましいなって思ってるよ」
「そうですか。今日は桃花さんからたくさんお話を聞きましたので、明日は私が智也さんとの思い出を話したいです」
「うん、楽しみにしてる」

 ふふっ、と桃花ちゃんは優しく笑う。こういった桃花ちゃんの穏やかで優しい性格は昔から全然変わっていないな。あと、僕には甘えてしまうようなところも。
 仕事もあるから、できれば日曜日である明日中に、ここに来た本当の理由を話してほしいけど……桃花ちゃんの勇気が出るまで待つことにしよう。

「じゃあ、そろそろ寝ましょうか。おやすみなさい」
「おやすみ、美来ちゃん、お兄ちゃん」
「……おやすみ」

 普段よりも寝るのは早いけど、疲れていたのか……美来も桃花ちゃんも程なくして寝息を立て始めた。桃花ちゃんの寝顔を見たらまた昔のことを思い出した。

「今年になってひさしぶりの再会が続くな」

 美来も桃花ちゃんもおよそ10年ぶりか。その2人がこうして仲良く一緒に寝ているのを見ると感慨深い気持ちに。こうした気分になれるのも大人になったからなのかな。

「おやすみ、美来、桃花ちゃん」

 僕もそれから程なくして眠りにつくのであった。
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