恋人、はじめました。

桜庭かなめ

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特別編3

第3話『壁ドンしてほしいです。』

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「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした。パンもサラダも美味しかった」
「アイスコーヒーも美味しかったです。あと、笠ヶ谷ベーカリーのパンを一度に4種類も食べられて幸せですっ」

 そう言う氷織の顔には、言葉通りの幸せそうな笑みが浮かんでいて。俺の買ったピリ辛カレーパンとチョコチップメロンパンは一口だけど、好きなパン屋さんで売られているパンを一度に4種類も食べられたら、そりゃ幸せな気持ちになれるよな。

「良かったな。これからもたまに、半日期間のときには笠ヶ谷ベーカリーのパンをお昼ご飯で食べようか。美味しいし、色々な種類のパンが売っているし。一日学校がある日でも、放課後に夕方のおやつで買うのもいいかも」
「そうですね! 美味しいパンやサンドイッチがいっぱいありますから」

 氷織は首肯して、にこやかにそう言った。今後、笠ヶ谷ベーカリーは氷織と一緒に行く定番のお店になりそうだ。
 その後、俺が昼食の後片付けをする。その間に氷織がアイスティーを淹れてくれた。
 片付けが終わった後は氷織の部屋に戻り、氷織が昨晩録画していた深夜アニメを観始める。アイスティーを飲みながら。もちろん、アニメを観るときは氷織と隣同士でクッションに座って。
 氷織と一緒に観ているアニメは、俺も氷織も持っているラブコメ漫画が原作であり、昨日からスタートした作品。なので、少し前からアニメが楽しみだと話題に上がることが何度かあった。内容はもちろん覚えているので、氷織と喋りながら観た。

「アニメになっても面白いですね!」
「そうだな! 作画もいいし、メインキャラクターの声も合っているし。個人的にはこの夏からスタートしたアニメの中では一番面白い第1話だったな」
「同感です。原作を読んでいるのもありますが、今後の話も期待できますね」
「そうだな」

 アニメが面白かったし氷織との意見も合うので、満足度が高いし、嬉しい。毎週、どちらかの家でこのアニメの最新話を氷織と一緒に観ていきたい。ある程度話数が溜まったら、第1話から最新話まで一気に観るのも良さそうだ。
 とても面白かったので、もう一度観ることに。
 間髪を入れずに二度目の視聴をするけど、ストーリーがいいし、キャストの方の演技もいいからさっきと変わらず面白い。氷織と一緒に笑うこともあった。

「二度観ても面白かったですね!」
「面白かったな! 毎週の楽しみが一つ増えたよ」
「私もです。……私は特に壁ドンのシーンが面白かったです」
「分かるなぁ。ハプニング的な流れで面白かったな。『何か壁ドンしちゃったよぉ!』っていう主人公の表情と演技が凄く良かった」
「ですね。それで、壁ドンのシーンを観た後に思ったのですが……」

 そう言うと、氷織の頬がほんのりと赤くなり、それまで俺の方に定まっていた視線がちらつき始める。どうしたんだろう?

「私……明斗さんに壁ドンされたことないなって」
「ああ……確かに」

 氷織に壁ドンしたことないな。氷織を壁に追い詰める状況がなかったし。
 今観た作品を含め、ラブコメのアニメ、漫画、ラノベ、ドラマにおいて壁ドンは定番シーンの一つだ。壁ドンの流れで告白することも多く、壁ドンのエピソードが印象に残っている作品はいくつもある。
 ただ、創作では何度も見たことのある壁ドンだけど、現実では見たことがない。俺もお試しの恋人になる際に氷織へ告白したけど、そのときは壁ドンじゃなくて、氷織がぶちまけてしまったゴミを一緒に集める中でのことだったし。

「ないですよね。……ですから、明斗さんに一度、壁ドンされてみたいなって」

 えへへっ、と氷織ははにかむ。
 ラブコメ系の作品の影響で壁ドンされるのに憧れる女性がいると、以前ネットの記事で見たことがある。
 また、先日のここでのお泊まりのとき、氷織が漫画のシーンに憧れていたのをきっかけに、左胸にキスマークを付け合った経験がある。だから、氷織らしさも感じて。本当に可愛い恋人だ。

「いいよ。俺も壁ドンしたくなってきた。氷織にしたらどんな感じが気になるし、今はこの家に俺達以外はいないから」
「ありがとうございますっ」

 ニッコリと笑って、嬉しそうに言う氷織。俺からの壁ドンに結構な憧れを抱いていたのだと窺える。

「ちなみに、明斗さんって壁ドンってしたことはありますか?」
「一度もないな。逆に氷織って壁ドンをされたことはある? 壁ドンって告白シーンで描かれることが多いじゃないか。氷織ってたくさん告白されていたから」
「一度もありませんね。壁の近くで告白されたことは何度かありますけど」

 壁の近くで告白か。そういう人達は壁ドンしようと考えていたのかな。

「そうだったんだ。じゃあ、俺も氷織も今回が壁ドン初体験だね」
「そうですね。あと、初体験……いい響きですね」

 氷織はやんわりとした笑顔で言う。そんな氷織の頬はほんのり赤らんでいて。
 初体験……か。そのワードを聞くと、俺の誕生日の夜のことを思い出す。そのときに氷織と……初めて肌を重ねたから。氷織の頬が赤いし、きっと、氷織もそのときのことを思い出しているんじゃないだろうか。そういったことを考えていたら、頬が少し熱くなっているのが分かった。

「壁ドンは初めてだから、どういう風にしようかな。今見たアニメの壁ドンはコメディな感じだし。氷織は何か漫画とかアニメとかでお気に入りの壁ドンシーンってある?」
「ありますっ! ちょっと待っていてください」

 ハキハキとした声でそう言うと、氷織は本棚へ向かう。今の様子からして、結構お気に入りの壁ドンシーンがあるようだ。
 氷織は一冊の本を取り出して、ページをペラペラとめくっている。その本の表紙を見てみると……どうやら、少女漫画のようだ。少女漫画はあまり読まないけど、女子の理想の壁ドンシーンが描かれていそう。

「ありました」

 そう言うと、氷織は俺のすぐ側まで近づいて、開いている漫画のページを見せてくれる。そのページには制服を着た男子が、女子のことを壁ドンしているシーンが描かれている。綺麗な絵柄だ。
 男子は赤面しつつも女子に顔を近づけて、

『お前のことが好きだ。だから、俺以外の男を見るなよ。そう思うくらいにお前のことが好きなんだ』

 少し強気な口調で、女子に向かってそう告白する。
 女子はとても嬉しそうな笑顔になり、

『……はい』

 と返事をし、男子を抱き寄せてキスをする……という流れになっている。

「告白シーンも絡んでいるんだ。男子の強気な言葉での告白もいいし、女子が一言だけ返事してキスする流れもいいな」
「いいですよね! キスもするのでキュンキュンして。このシーンを何度も読み返しました」
「そうなんだ。凄く気に入っているんだね」
「はいっ。いつもの優しい雰囲気の明斗さんも好きですが、この漫画の男子のように、強気な感じで壁ドンしてほしいな……って」
「分かった。やってみようか」
「はいっ」

 氷織は漫画をローテーブルに置いて、妹の七海ななみちゃんの部屋側の壁の近くに立つ。今から壁ドンをするからか、氷織はワクワクした様子。

「では、お願いしますっ」
「ああ、分かった」

 俺は氷織の方へとゆっくり近づいていく。そんな俺に合わせて、氷織も壁の方へゆっくり後ずさりしている。
 氷織の背中が壁についたところで、
 ――ドンッ!
 氷織の顔の近くで、右手で壁を叩き付け、氷織のことを壁ドンする。少し強めに叩いたので、なかなか大きな音が響いて。その音に驚いたのか、氷織は「きゃっ」と声を漏らし、体をビクつかせた。怖がらせてしまっただろうか。
 氷織に壁ドンしているので、氷織の顔がすぐ目の前にあって。頬を中心に顔を赤くしている氷織が可愛くて、氷織の甘い匂いがしっかりと感じられるからかなりドキドキする。この体勢だと氷織を独占できている感じがするし……壁ドンいいな。
 よし。あの漫画の男子のように。

「氷織のことが好きだ。俺は氷織のものだから。この先ずっと俺の側にいろ。離れるなよ」

 氷織のことを見つめながら、氷織への想いを強めの口調で言ってみた。今は氷織と2人きりだけど、普段とは違う口調で言うと照れくさいな。
 俺の言葉を受けてか、氷織の顔の赤みがさらに強くなっていく。ただ、それと同時にとろけた笑みを浮かべ、

「はいっ。私も明斗さんが好きです。ずっと明斗さんの側にいます」

 甘い声色でそう言って、俺のことを抱き寄せ、その流れでキスしてきた。
 これまで、氷織とは数え切れないほどにキスしてきた。でも、壁ドンからのキスは初めてだからか、凄く新鮮に感じる。顔を真っ赤にしているほどだから、氷織の唇が普段よりも熱くて。抱擁されているので、氷織の全身から強い温もりを感じる。

「んっ……」

 俺に初めて壁ドンされて、キスして気持ちが高ぶったのだろうか。唇を重ねて少しすると、氷織から舌を絡ませてきた。そのことで、アイスティーの味が濃厚に感じられて。それが心地良くて、氷織の舌の動きに合わせて俺も舌を動かした。
 どのくらいの時間したのか分からないほどにキスした後、氷織から唇を離す。目の前には唇を湿らせ、「はあっ……はあっ……」と息を乱し、うっとりとした笑みを浮かべる氷織の顔があった。そんな氷織はとても艶やかに感じられた。
 氷織と目が合うと、氷織は口角を上げて、

「とてもいい壁ドンでした! 強めの口調で想いを伝えてくれてキュンキュンしました。ギャップ萌えですっ!」
「氷織が喜んでくれて良かったよ。俺も氷織に壁ドンできて良かった。ああいう体勢になって見る氷織が凄く可愛かったし。ただ、強めに壁を叩いたから、氷織は体をビクつかせていたよな。怖くなかった?」
「ちょっとビックリしましたけど、怖くはなかったですよ。むしろ、このくらいの勢いがあった方が壁ドンらしいのかもって思えたほどです。明斗さんの壁ドンと言葉にキュンときたので、キスしたときに舌も絡ませちゃいました」
「氷織らしいなって思ったよ」
「ふふっ。壁ドンしてくれてありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」

 氷織が満足するような壁ドンをすることができて良かった。これからも、氷織の再現したい漫画やアニメのシーンがあったらやってみよう。
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