ラストグリーン

桜庭かなめ

文字の大きさ
17 / 83

第16話『半分、甘い。』

しおりを挟む
 お店を出たときは蒸し暑いと思っていたけど、歩いて汗を掻き、そんな中で風が吹いてきたことで涼しく思えてきた。

「まさか、翼君と2人きりで家に向かって歩く日が来るとは思わなかったな」
「僕もですよ。鈴音さん、とても嬉しそうですけど、そんなに僕のことを家に招きたかったんですか?」
「ま、まあね。ワールドカップをみんなで観るために、翼君の家には何度もお邪魔しているのに、翼君を家に連れて来ないのは不公平な気がして」

 律儀な人なんだな、鈴音さんは。僕は特に鈴音さんの家に行っていないことに不公平だなんて思っていなかったけど。

「なるほど。そういえば、ワールドカップの日本戦を見るときは決まって僕の家でしたもんね。日本も活躍しましたし、みんなで観て楽しかったですよね」
「日本代表半端なかったよね! まあ、あたしに仕事を教えながら、バイトをしていた翼君も半端じゃなかったけれど!」
「ははっ、そうですか。というか、半端ないって言葉を言いたいんでしょう」
「……それはちょっとある」

 やっぱり。そういえば、ワールドカップをきっかけに学校でも「半端ない」って言葉を口にする生徒の数が半端なく増えたな。国語教師である松雪先生でさえも「半端ない」という言葉を使っているし。ワールドカップ効果半端ないな。

「そういう鈴音さんだって、仕事の覚えが早かった鈴音さんも半端ないですよ。これからも頑張ってくださいね」
「……うん、頑張るよ」

 そう言うと、鈴音さんは寂しげな笑みを浮かべ、僕の手をより強く握ってくる。

「お店にたまに来ますから、そのときは美味しいものを食べさせてください」
「……もちろんだよ。でも、お店じゃなくてもあたしの家に来てくれれば、いくらでも料理も作るし、大好きなコーヒーだって淹れてあげるけど……」
「ははっ、ありがとうございます」

 鈴音さんのお家に行くのもいいけど、元スタッフとしてお店にお金を払って料理やコーヒーを味わいたい気持ちもある。

「ねえ、翼君。今のあたし達を周りの人が見たらどう思うのかな? これまでに何人もすれ違ったけれど、どう思われたのかな?」
「……恋人じゃないですかね。小さければ姉弟にも見えそうですけど」
「やっぱり、恋人同士だよね。そうだよね」

 それが照れくさいのか、鈴音さんははにかむ。そんな姿にほっこりしている自分がいて。そう考えると恋人っぽいのかも。

「翼君。あのアパートだよ」
「へえ、オシャレな外観ですね」

 東京とかその近郊にありそうな雰囲気だ。喫茶店から10分くらい歩いたところにこういうアパートがあったとは。

「ここ、主に1人暮らしをする女性を中心に貸し出しているんだって」
「そうなんですね。周りに女性が多いと安心できますよね」
「うん。それも決め手の1つだよ。あと、里奈さんのように大学近くのアパートも便利だけれど、何だか嫌で。それで、電車で15分くらいの桜海駅周辺にしようと思ったの。本当にこのアパートで正解だなって思ったよ」

 僕らは鈴音さんの自宅である106号室の玄関の前に向かう。

「さっ、入って」
「お邪魔します」

 鈴音さんの家に上がる。
 アパートだけど、僕が想像していたよりも広いな。あと、絨毯やベッドのシーツ、カーテンなどの色が柔らかな桃色が中心になっている。芽依や明日香の部屋に似ているけれど、勉強机にある専門書とかを見てここは大学生の部屋なんだなと思った。

「連れてきてアレだけれど、部屋の中を見渡されると恥ずかしいな」
「すみません。ただ、とても素敵なお部屋だと思います」
「ありがとう。翼君、紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「お店でコーヒーを飲みましたから、紅茶でお願いします」
「うん、分かった。温かいのと冷たいのとどっちがいい?」
「温かい方でお願いします」
「はーい。じゃあ、適当にくつろいでて」

 テーブルの近くにクッションがあったので、それに座ってベッドに寄り掛かる。そうしたら急に眠くなってきた。休憩を挟まずに働いた疲れがここでやってきたのかな。1人暮らしの女子大生の家なので緊張はしているけど、今はそれよりも眠いのだ。
 背後から香ってくる既にどこかで知った甘い匂い。そこに紅茶の香りが混ざってより心地よくなる。ますます眠気が。

「お待たせ、翼君……って、うとうとしちゃって可愛い」
「すみません。今日は朝から休憩無しでバイトしたからか急に眠くなっちゃって」
「それじゃ、あたしのベッドで寝る?」
「お気持ちだけ受け取っておきます。今寝たら日付が変わるくらいまで寝ちゃいそうですし」
「ふふっ、そっか。はい、温かい紅茶ですよ」
「ありがとうございます」

 眠いので冷たい方が良かったかな……と思いながら、鈴音さんが淹れてくれた温かい紅茶を一口飲む。

「うん、美味しいですね」
「良かった」

 鈴音さんも紅茶を飲む。彼女の紅茶にはミルクが入っている。

「……実は、ここに招き入れた男の人って翼君が初めてなんだよ」
「そうなんですか。それは光栄なことですね」

 ここに住み始めて3ヶ月あまりか。学校の近くでもないから、女性の知り合いはともかく男性が来ることはないのかな。思い返せば、大学に見学しに行ったときも女子の方が多かったような気がする。

「鈴音さんって兄弟や姉妹はいらっしゃるんですか?」
「うん。3歳年上の姉と、5歳年下の妹がいるよ。だから、自分の家に男の子がいることに緊張してる」
「そうですか。僕も緊張してますよ」
「芽依ちゃんっていう妹がいて、明日香ちゃんや咲希ちゃんっていう幼なじみがいるのに? あと、眠そうにしていたのに?」
「ええ。1人暮らしの女子大生のお家ですからね。多少は意識しますって」

 10年ぶりに桜海に帰ってきた咲希の部屋でさえ、初めて行ったときは緊張した。妹の芽依はもちろんのこと、明日香の部屋も行き慣れているので緊張はしないかな。

「そうだ、僕に渡したいプレゼントってどんなものなんですか? それがさっきから気になっているんですよ」
「えっ? あぁ……プ、プレゼントね。じゃあ、目を瞑ってくれるかな……」
「分かりました」

 鈴音さんの言うように僕はゆっくりと目を瞑る。顔が赤かった気がするけれど、プレゼントを渡すことに緊張でもしているのかな。

「しっかりと目を瞑っていてね。絶対だからね。いいよって言うまで目を開けちゃダメなんだからね」
「はいはい、分かりました」

 相当緊張しているのか。それとも、僕を驚かせる自信があるのか。何にせよ、どんなプレゼントか楽しみだな。

「……よし」

 そんな鈴音さんの声が聞こえてくる。そろそろいいよって言われるのかな。
 しかし、そんな言葉がなかなかかけられない。それに、唇が温かくなったような気がするのは気のせいだろうか。さっき、背後から香ってきた匂いと同じものが前面から強く感じるし。
 いつまで経っても彼女の声が聞こえないのでゆっくりと目を開けると、彼女の顔で視界が覆われていた。じゃあ、唇から伝わってくる柔らかくて温かい感触って……まさか、鈴音さんの?
 鈴音さんの背中を軽く叩くと、彼女はゆっくりと顔を離す。すると、優しい笑顔になって僕に跨がってくる。

「プレゼントは……あたしだよ、翼君。あたし、翼君のことが好き。優しくて、かっこよくて、お仕事もテキパキできて。そんな翼君が今日でバイトが終わったことがとても寂しいの。翼君と離れたくないよ。だから、今日……こうして想いを伝えようって決めました。翼君、あたしと恋人として付き合ってくれませんか」

 ただ、想いを伝えるのに言葉だけでは足りないと思ったのか、鈴音さんは再びキスしてきたのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

まずはお嫁さんからお願いします。

桜庭かなめ
恋愛
 高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。  4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。  総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。  いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。  デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!  ※特別編6が完結しました!(2025.11.25)  ※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、感想をお待ちしております。

あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。

NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。 中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。 しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。 助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。 無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。 だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。 この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。 この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった…… 7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか? NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。 ※この作品だけを読まれても普通に面白いです。 関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】     【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語

ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。 だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。 それで終わるはずだった――なのに。 ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。 さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。 そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。 由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。 一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。 そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。 罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。 ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。 そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。 これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。

小さい頃「お嫁さんになる!」と妹系の幼馴染みに言われて、彼女は今もその気でいる!

竜ヶ崎彰
恋愛
「いい加減大人の階段上ってくれ!!」 俺、天道涼太には1つ年下の可愛い幼馴染みがいる。 彼女の名前は下野ルカ。 幼少の頃から俺にベッタリでかつては将来"俺のお嫁さんになる!"なんて事も言っていた。 俺ももう高校生になったと同時にルカは中学3年生。 だけど、ルカはまだ俺のお嫁さんになる!と言っている! 堅物真面目少年と妹系ゆるふわ天然少女による拗らせ系ラブコメ開幕!!

S級ハッカーの俺がSNSで炎上する完璧ヒロインを助けたら、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくる秘密の関係になったんだが…

senko
恋愛
「一緒に、しよ?」完璧ヒロインが俺にだけベタ甘えしてくる。 地味高校生の俺は裏ではS級ハッカー。炎上するクラスの完璧ヒロインを救ったら、秘密のイチャラブ共闘関係が始まってしまった!リアルではただのモブなのに…。 クラスの隅でPCを触るだけが生きがいの陰キャプログラマー、黒瀬和人。 彼にとってクラスの中心で太陽のように笑う完璧ヒロイン・天野光は決して交わることのない別世界の住人だった。 しかしある日、和人は光を襲う匿名の「裏アカウント」を発見してしまう。 悪意に満ちた誹謗中傷で完璧な彼女がひとり涙を流していることを知り彼は決意する。 ――正体を隠したまま彼女を救い出す、と。 謎の天才ハッカー『null』として光に接触した和人。 ネットでは唯一頼れる相棒として彼女に甘えられる一方、現実では目も合わせられないただのクラスメイト。 この秘密の二重生活はもどかしくて、だけど最高に甘い。 陰キャ男子と完璧ヒロインの秘密の二重生活ラブコメ、ここに開幕!

処理中です...