ラストグリーン

桜庭かなめ

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第22話『告白の結果』

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 7月10日、火曜日。
 今日は雲が広がっており、切れ間から青空が見える箇所がいくつかあるくらいだ。それでも蒸し暑い。
 寝ている間に羽村からメールやメッセージが来るかと思ったけど、そんなことはなかった。むしろ、そんな羽村のことが気になる明日香達からのメッセージばかりだ。
 連絡のないまま、僕は明日香や咲希と一緒に登校する。教室に行くと常盤さんはいたけれど、羽村の姿はなかった。

「おはよう、常盤さん。羽村はもう来ているかな」
「ううん、来てない。蓮見君にも全く連絡がなかったんでしょ?」
「そうだね」

 教室で話せるし、普段から平日の夜に羽村とはそこまで多く連絡は取らない。それでも、全くないとさすがに不安になる。
 その後は、明日香達とあまり言葉を交わすことなく、羽村が登校してくるのを待つ。時折、スマートフォンを確認しながら。

「あっ、羽村君が来たよ、つーちゃん」

 明日香がそう声をかけたときには朝礼が始まる直前だった。とりあえず、一声かけるだけでも――。

「はーい、みんな席に着いて。さっさと朝礼やっちゃうよ」

 その前に松雪先生が来てしまった。パッと見た感じは普段とあまり変わらないし、大丈夫そうかな。ただ、朝礼が終わったら一声かけるか。
 そういえば、今日も試験後初めての授業の教科があるから、きっと定期試験が返却され――。

「はあっ……」

 誰かの大きなため息がはっきりと聞こえた。その主が誰なのか心当たりがある。
 羽村しかいない。
 彼の方を向くと、彼は再び大きなため息をついた。今日はいつもと違って朝礼ギリギリに来たし、きっと何かがあったんだ。

「人の夢はまさに儚い。あぁ、二次元の世界へ飛んでいきたい……」

 表情こそは普段と変わっていなかったけど、元気のない声で言うその言葉には妙な説得力があるように思えた。

「おいおい、どうしたんだよ」
「アニメの推しキャラでも死んだんじゃないか?」
「そういえば、前にもがっかりしていたことあったよなぁ」

 さすがだな、と笑い声が聞こえてくる。
 羽村のアニメ好き、推しキャラへの深い愛情についてはクラスメイトのほとんどが知っている。実際に、オリジナルアニメで羽村の推しキャラがまさかの死亡展開になったとき、羽村は一時期深く落ち込んでいたこともある。普段の僕ならそう考えたけど、今は別の原因があると考えている。

「確かに、人の夢は叶わないと分かったとき、無性に悲しくなったり、投げたしたくなったりするときがあるよね、羽村君。だからこそ『儚い』という言葉があるのだと先生は思っているよ。夢を抱いているのが馬鹿らしく思うときもある。けれど、夢を抱いていると自然と元気になることだってあるし、それが大半だと信じているよ。だから、先生は夢を抱くことはいいことだと思っているよ。ただ、そんな人を馬鹿にする人は何も達成できないとも信じてる。あと、期末試験が返却されて赤点だとしても絶望せずに、しっかりと復習するように。特別な課題が出てしまったらしっかりと取り組むように。じゃあ、今日も授業を頑張ってください。これで朝礼を終わります」

 そう言うと、松雪先生は僕の方をチラッと見て軽く頷いた。きっと、先生も今の羽村の心境に察しが付いているんだろうな。
 先生が教室から出た瞬間、僕は羽村の元へと向かう。

「……羽村。何か……あったんだよな」

 あんな羽村を見てしまったら、こちらから訊くしかないと思った。
 すると、羽村は口元だけ僅かに笑って、

「……ああ、あったよ。それを蓮見だけじゃなく先生も気付いたようだが……」
「昨日の終礼のとき、羽村が普段と違うことが気になっていたみたいで、茶道室に行ったときに例のことを大まかにだけれど話しちゃったんだ。……ごめん」
「いいよ、気にするな。それで結果が変わることもない」

 結果……ということは三宅さんに告白したんだな、きっと。

「ただ……俺は本気で二次元へと飛んでいきたいと思っている。だから、スマホにタッチしたら二次元に行けるプログラムを作ってくれないか! VRもいいな! イラストもCGもプログラミングもできる蓮見ならきっと作れるはずだ! もちろん、たっぷりと報酬は払わせてもらう! 何なら全財産捧げるつもりだ!」

 両肩をがっちりと掴まれ、真剣な表情をしながら見つめられる。さっきよりも元気そうに見えるけれど、これは精神的にかなりやられているな。

「できそうだって思ってくれるのは嬉しいけれど、VRゲームまでは作れないよ。それに実際問題、受験とか色々あるし。ごめん」
「……俺こそすまない。変なことを一方的に言ってしまったな。現実逃避したくなって、挙げ句の果てに次元逃避までしたいと思うようになってしまったんだ」

 次元逃避、というなんて初めて聞いた言葉だけれど彼らしい言葉な気がする。百合作品の漫画を読むと、作中世界に飛び込んでヒロイン達を見守りたいと言っていたこともあるくらいだから。

「明日香達のところに行くか?」
「……ああ。朝霧達もきっと、何があったかおおよそ想像できているだろうからな」

 僕は羽村と一緒に明日香達のところへと向かう。さすがに彼女達も彼のことを想ってかしんみりとした様子に。

「羽村君……もしかして玉砕しちゃった?」
「何言っているの。少しは言葉を考えようよ、みなみん」
「ははっ、心に言葉をグサリと刺してくるなぁ、常盤は。でも、君の言うように、三宅に告白したら見事に玉砕したっていうのが正しいかもな。……うん、みんなにその事実を話したら少しだけ心が軽くなった。あははっ……」

 その言葉が本当であるかのように、羽村は多少明るい表情になった気がする。目が死にかけているけれど。きっと、僕らに話したことで、三宅さんにフラれたことの悲しさや悔しさとかが少しは吐き出せたんだと思う。

「終礼後もずっと緊張していて、生徒会室で三宅の姿を見た瞬間、この緊張は告白しない限り決して取り払うことのできないものだと分かった。ただ、生徒会は俺と三宅だけじゃないし仕事もあるから、三宅達に感付かれないためにも仕事を一生懸命やった」
「そうか。ということは、三宅さんに告白したのは……」
「ああ。仕事が終わって、三宅にちょっと用があるから生徒会室に残ってほしいと言って、彼女と2人きりになったときに、有村先生のアドバイスを参考に『好きだ。俺と恋人として付き合ってくれないか』って言ったのだが……」

 そこで、羽村は言葉を詰まらせ、その代わりに目に涙を浮かべるようになった。

「好きになってくれてありがとうとは言われた。ただ、俺とは恋人としては付き合えない。先輩と後輩、そして生徒会の仲間としてこれからもよろしくお願いします……って、精一杯に作った笑顔を浮かべながら言われたよ」

 そう言う羽村も精一杯の作り笑い。溢れる涙が本心なのだろう。
 三宅さんは羽村と恋人としてではなく、これまでと同じように1学年上の先輩として。そして、同じ生徒会の仲間として羽村と付き合っていくことに決めたのか。

「三宅さんがそういった返事をする理由は訊いたのか?」

 やはり、どうして三宅さんが羽村の告白を断ったのかが気になる。それを羽村自身から言われるのは酷なことだとは分かっている。
 しかし、羽村はゆっくりと首を横に振った。

「……訊けなかった。訊くのが恐かったというのが一番の理由だ。あとは、あの返事を一生懸命に言われたら……」
「彼女の心情を考えて訊けなかったってことか」
「そんな感じだ」

 きっと、三宅さんも羽村の気持ちと自分の想いを考慮した上で、恋人ではなく今まで通りの関係でいようという返事をしたんだと思う。

「分かった。羽村、昨日はあんなに緊張していたのによく告白したな。僕はそれを凄いと思っているよ。言葉が間違っているかもしれないけれど、よくやったな」
「翼の言うとおりね。好きだという気持ちを伝えること。それは緊張もするし、勇気も要ることだよね。羽村君、立派だよ」
「つーちゃんやさっちゃんの言う通りだね。好きだって言えることは凄いって思う。本当に。尊敬するくらいだよ」
「確かに尊敬できるね。次元を問わずに好きな人を深く愛するし。好きだと言ったことも凄いって思う。こういう人が生徒会長で良かったとあたしは思ったよ」
「……ありがとう、みんな」

 大分、いつもに近い雰囲気に戻ってきた気がする。

「たまに、告白してフラれて……スッキリしたと笑顔で言って、それまでと変わらない感じに戻る作品があるけれど、実際はその通りでもないんだな。確かに、告白してどこか心は軽くなったけれど、悔しさとか悲しさとか切なさとか色々な気持ちが湧き上がってきて。何よりも、告白する前よりも三宅のことが好きだって気持ちが強くなって。二次元と比べて、三次元は複雑なんだな」
「……そうか。まずは、ゆっくりでいいから気持ちの整理をすればいいんじゃないかな。相談でも愚痴でも僕も付き合うから。いつでも言ってきてくれ」
「ああ。ありがとう、蓮見。とりあえず、今日やるべきことをやっていくよ。まあ、いつも通りのことをしっかりとやるだけだが」
「……分かった」

 普段やっていることを普段通りにやること。それは今の羽村にとって難しいのかもしれないけれど、それが気持ちの整理をする上では一番いい方法かもしれない。
 僕に何かできることはないのかと思ったけど、羽村はいつも通りのことをやろうとしている。だから、彼を気にかける程度にして、なるべくいつも通りの学校生活を送ろう。羽村から何か相談されたらそのときに考えよう。


 そして、今日も授業を受ける。中には期末試験を返却された教科もあり、どれも高得点だったので安心した。
 羽村はきっと100点なんだろうなと思って彼の方をちらっと見ると、彼は返却されたテストを裏返しにして、黒板の方をただぼうっと眺めていたのであった。
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