ラストグリーン

桜庭かなめ

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第55話『Lemon-後編-』

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 朝食を食べ終わり、月影さんと一緒に後片付けをした後、とりあえずは自分の部屋に戻ってゆっくりとすることにした。ベッドの上で仰向けになると、昨日よりは気持ちよさを感じられるようになった。

「ちょっと寝ようかな」

 昨日はあまり眠ることができなかったし、心地よく感じられるときに眠った方がいい。
 ゆっくりと目を瞑ると、すっと力が抜けていく感覚が。あぁ、気持ちいい。



 気付けば、僕は自宅の自分の部屋にいて、ベッドの前には制服姿の明日香と咲希が立っている。2人は頬を赤らめながら可愛らしい笑顔で、僕のことを見つめている。

「あたし、翼のことが大好き! あたしと恋人として付き合ってください。もちろん、いずれは結婚したいな……」

「私もつーちゃんのことがずっと好きだよ。つーちゃんとずっと一緒にいたいです。だから、結婚を前提に私と付き合ってくれませんか」

 それぞれが今一度、告白の言葉を言うと、咲希は僕の右手を、明日香は左手をしっかりと掴んできた。
 ここで、僕は決めなければならないのか。交互に2人のことを見ながら考えていると、

「こうなったら、アピールタイムってことで押し倒しちゃおうよ、明日香!」
「そうだね、さっちゃん!」

 すると、僕は2人によってベッドの上に押し倒される。

「さあ、翼。これから色々なことをしてどっちが好みか決めてね。もちろん、あたしであってほしい」
「……わ、私かもしれないよ。つーちゃんが選んでくれるように頑張るね」

 そして、2人の顔が近づいたところで、視界が急に白んでいった。



「夢か……」

 ゆっくりと目を開けると、そこは自宅の部屋の天井ではなく別荘の部屋の天井だった。スマホで時刻を確認すると午前10時過ぎ。1時間くらいは眠っていたのか。

「何という夢を見たんだ、僕は……」

 夢の中でも僕は迷っていたな。ただ、明日香と咲希は実際よりも大胆な行動をしていたけれど。

「明日香か、咲希か……」

 昨日、夏山神社へと散歩しに行ったときにスマホで撮った写真を見ながら、明日香と咲希のことを考えることに。2人とも可愛らしく写っているな。あと、松雪先生も。
 ずっと一緒にいたお淑やかな明日香と、10年ぶりに再会した明るく活発な咲希。
 咲希はこの10年の空白を取り戻すかのように、できる限り僕の側にいて可愛らしい笑みを見せてくれて。僕のことが好きだという気持ちを言葉や行動にして積極的に伝えてきてくれる。
 でも、咲希よりも一緒にいるときが少ない明日香も、僕にそっと寄り添って幸せそうに見せてくれる。咲希から受けたのか、以前よりも気持ちを伝えることが多くなったかな。みんなの前だと咲希以上に恥ずかしがっているけれど。
 タイプは違うけれど、2人とも可愛らしくてとても魅力的な人だと思う。
 付き合うとしたら2人以外には考えられない。ここまではちゃんと決断できているけど、どっちかと付き合うかとなると……。

「う~ん……」

 2人の楽しそうな顔や嬉しそうな顔、悲しそうな顔など色々と頭に思い浮かんでしまい、決めようとすることを躊躇ってしまうな。いつもここで考えるのが終わらせてしまう。だからダメなんだよな、きっと。
 そうだ、明日香や咲希だけじゃなく、自分のことも考えて、何か決め手になりそうなことを探してみるか。例えば、どういう考えを持っている人なら、ずっと一緒に人生を歩むことができそうか、とか。
 ――プルルッ。
 バイブレーションの音がした瞬間、常盤さんから新着メッセージが1件届いたという通知が届く。さっそくそのメッセージを見てみることに。

『蓮見君と2人きりで話したいけれど、今、大丈夫?』

 僕と2人きりで話したいことか。それはきっと、昨日の夜にあった明日香とのことだろうな。

『大丈夫だよ。僕が常盤さんのお部屋に行くってことでいいかな』

 自分の部屋の方が多分話しやすいだろうし、部屋を出たら明日香達に会ってしまうかもしれない。
 すると、すぐに常盤さんから返信が来て、

『うん、いいよ。じゃあ、待ってるね』

 彼女からの許可を得たので、僕はさっそく彼女の部屋へ向かうことに。その間に誰かと会うことはなかった。
 部屋の扉をノックすると、

「蓮見だ」
『うん。今開けるね』

 それから程なくして、鍵の開ける音が聞こえゆっくりと扉が開かれる。そこにはブラウスとロングスカート姿の常盤さんがいた。顔色は思ったより悪くないかな。

「おはよう、常盤さん」
「……おはよう、蓮見君。さあ、入って」
「お邪魔します」

 僕は常盤さんの部屋の中に入る。彼女がここで朝ご飯を食べたからか、カレーと野菜スープの匂いが残っている。
 僕がベッドの側にある椅子に座ると、常盤さんは僕と向かい合うような形でベッドに腰を下ろした。

「常盤さん、体調の方はどうかな」
「……まあ、ぼちぼちかな。凛さんが持ってきてくれたカレーとスープを少しだけれど食べたからかな。あと、美味しかったよ。ありがとう」
「いえいえ。少しでも朝ご飯を食べることができて良かったよ」

 僕が寝ている間に明日香は朝食を食べたかな。さっき、スマホを確認したときは明日香から連絡はなかったけれど。常盤さんとの話が終わったら訊いてみよう。

「まさか、凛さんが別荘に来るとは思わなかったな。明日香のことで深夜に凛さんに電話したけれど……」
「それだけ、常盤さんのことが大好きで、大切に想っているってことじゃないかな」

 ただ、朝の話を聞く限り、常盤さんが寝ている間に色々な方法で堪能してみたかったっていう目的もありそうだった。

「今はお盆の時期だし、この旅行中は凛さんも夏休みだったけど、あたしのせいで凛さんに仕事させちゃった。迷惑も掛けちゃったし、休日出勤の手当と振替休日をしっかりと与えないと」
「……雇用する人としてしっかりしているね」

 むしろ、月影さんはこの別荘に来ることができて嬉しそうだったけど。

「……凛さんから聞いたよ。蓮見君、昨日の夜の明日香とのことを実際に見ていたんだね」
「2人が別荘から出て行く姿が見えたから気になって。こっそりと聞いちゃってごめん」
「ううん、いいよ。むしろ、謝るのはあたしの方。明日香に対して言ったけど、蓮見君のことを甘えているとか、最低だとか言っちゃって本当にごめんなさい」

 常盤さんは僕に対して深く頭を下げた。直接言ったわけじゃないけど、きっと、昨日のことを謝りたくて僕に話したいと言ってきたんだろうな。

「顔を上げて、常盤さん」

 常盤さんに色々と話したいことがあるけれど、なるべく彼女の目を見て話したいから。
 常盤さんが顔を上げると、彼女の目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

「確かに、昨日の常盤さんと明日香の様子を見ていたとき、ずっと胸を苦しめられたよ。告白や口づけもそうだし、2人の喧嘩も僕が原因みたいなものだから。だけど、常盤さんのおかげで僕は2人じゃなくて自分中心に考えていて、逃げたり、甘えていたりしているって自覚できたよ」
「蓮見君……」
「今朝には羽村にも同じようなことを言われたよ。なかなか決断できないからこうなったんじゃないかって。明日香や咲希のことをもっと信頼してもいいんじゃないかとも。僕は2人が傷付くのが恐かったけれど、きっと2人は僕が想っているよりもずっと強いんだと思う。昨日、常盤さんが明日香と喧嘩してしまったのは、今まで2人を信頼しきれず、2人の告白に対して決断できていない僕の責任だと思ってる。本当にごめんなさい」

 喧嘩さえなければ、明日香も咲希も今ごろ、それぞれがやりたいと思っていたことを思いきりできていたかもしれない。咲希達も心置きなくそれぞれのやりたいことを楽しむことができていたかもしれない。そんな可能性を僕が奪ってしまったんだ。

「違うよ。結果としてこうなっちゃったけれど、蓮見君のせいじゃない。一晩経ってそれがようやく分かった。あのときは、明日香にフラれたことを誰かのせいにしたくて、蓮見君に原因を擦り付けた。甘えていたのはあたしの方なんだよ。フラれたことのショックでイライラして、蓮見君に八つ当たりした。多分、それが明日香も分かっていたから、あたしのことを許せなくて、大嫌いだって言ったんだと思う」

 あのときの明日香は、今までの中で一番と言っていいほどの激しい怒り方だった。僕のことを最低だと言っただけではなく、そんな常盤さんの心境を察したからだったのかもしれない。

「ずっと好きな人のことを、あたしは貶したんだもんね。あれが夢なら……どれだけ良かったことか。もちろん、喧嘩のことね。告白はして良かったと思ってる。明日香のことを初めて見たとき、可愛い子だなって思って。クラスや部活で一緒に過ごしていくうちに、いつしか他の子とは違って見えた」
「明日香に好意を抱くようになったんだね」

 そう言うと、常盤さんは頬を赤くしてゆっくりと頷いた。もしかしたら、これまでに明日香にもこのような顔を見せていたのかも。

「でも、明日香が蓮見君に好意を抱いているんだなって思った。明日香もまた、他の子を見る目と蓮見君を見る目が違って見えたから。もちろん、あたしはその『他の子』と一緒だったけれど。蓮見君のことを話していくうちに、明日香は蓮見君のことが恋愛的な意味で好きだって言われて。悔しかったけれど、明日香がそれで幸せになれるなら応援しようと思ったの」

 そういえば、色々と学校でも明日香のことをからかっていたときがあったな。そして、それに明日香が恥ずかしがっていて。

「……そっか。でも、昨日の夜に告白した。我慢できないって言っていたけれど」
「うん。明日香のことは応援している。でも、一緒にいる時間は長いから、私も好意が増えていくばかりで。あなたに好きだって告白してからの明日香は一段と可愛くて。蓮見君が明日香と付き合うと決断すれば諦めが付くけれど、実際はそうじゃなかった。旅行に来て、明日香の色々な姿を見たとき、気持ちを押さえる自信が全くなかった。だから、昨日の夜に明日香と2人きりになって告白したんだよ。99%の確率でフラれると思ったけれど、その通りになって。ただ、実際にフラれると……凄く心がざわついて。それで、感情に身を任せて蓮見君のことを色々と言っちゃったんだ」
「……そういうことだったんだね」

 常盤さんも長い時間、明日香のことを想っていた。様々な葛藤の末、明日香に好きだという想いを伝えたんだ。

「明日香に……謝りたい。みんなに迷惑を掛けちゃったから、できるだけ旅行中に。でも、まだ謝る勇気が出ないの」
「……そうか。明日香と同じだ」

 まるで、2つに切り分けられた果実のように、2人の考えていることは見事に重なっていた。これなら旅行中には仲直りできるだろう。もしかしたら、今日にも。

「ねえ、蓮見君」
「うん?」
「……一度、抱きしめてもいい? 明日香、蓮見君の好きなところはたくさんあるけど、特に好きなことに1つが匂いなんだって。とても落ち着くみたいで。それがどんなものなのか体験してみたい」
「……いいよ」

 何を言うかと思えば、明日香が好きだからか。そういえば、明日香は僕のベッドの枕の匂いを嗅いで喜んでいたっけ。
 僕がベッドに近づくと、常盤さんは僕のことをぎゅっと抱きしめて顔を胸の中に埋めてきた。その瞬間に髪から常盤さんの匂いが感じられた。

「悪くないね。確かに落ち着く。明日香が凄く好きだっていうのも……分かる、かな……」

 その言葉の後、鼻をすする音や泣き声が聞こえてきた。そして、常盤さんの温もりが段々と強く感じられてきて。僕はそんな彼女の頭を優しく撫でるのであった。
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