『やり直し』できる神さまと私のすれ違い

吉川緑

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1-4.ルルとユアの駆け引き

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「どうしたのだ? 急に血相を変えおって」


 駆け出したルルにクロが胡乱気うろんげについてくる。いつも通りのだるま体形で、思い出した様に左右にふらふら揺れている。ちょっと鬱陶しいが、その平常運転にルルはほっとする。


「そうだ。クレープを食べに来ただけだぞ」


 ユアのどこか上機嫌な声に、ルルは微かに目を細める。
 あれほど『やり直さない』と言っていたのに、ルルは過去へ来ている。警戒していたがクレープに釣られた。甘い話には裏があるとはこのことだろう。


(……完全に狙われてた感じだな)


 クロが怪訝けげんに眺めてくるが、まず考えを巡らせるのが先だろう。ルルの記憶では、だいたい十六歳の頃から街の人が減っていた。そして、貧しい暮らしを続けていた十八歳の頃に母と父が流行り病で亡くなった。


(この街の状態と私の服装から考えたら……)

『街に活気が溢れ、母と父がまだ健在である時間』


 そういうタイミングだろう、とルルは推測する。つまり、ここで『やり直し』に応じたら、ルルにとって幸せな日々が戻ってくる。

 甘く、心の隙間に入り込む様な誘惑だとルルは思う。虚言やただの絵空事ではなく、現実に見せられている。ここで誘いに乗ってしまえばきっと、楽だろう。


(でも、『やり直し』に合意すると、記憶を失くしちゃうって聞いたっけ……)


 時間を戻す行為は、『憑依ひょうい』するものと、単に『移動』するものが存在する。いま行われている過去への旅は、記憶も残っているため『移動』だけである。『移動』で、過去を変えることは困難で不可能とされている。


(……私が誘いに乗ったら、母さんと父さんとの、貧乏暮らしの時間はなくなるのか)


 クロが気遣わし気にルルを見ている。様子がおかしいのに気づいて、ルルヘ何かしてくれようと考えているのだろう。だが、今のルルは突っ込めないので、何もしなくて良いのだ。


『辛いことは何もかも忘れて、幸せに生きれば良い。』


そんなユアの言葉を、ルルは思い出した。


(記憶を失ったことすら忘れてしまえば、それは存在しないのと同じだ。私はそれが怖い……)


 それほど時間は経っていないはずだった。ルルはいつの間にか自分の両頬を、思い切り叩いていたらしい。気づくと、頬が熱くなっている。

 ふと横を見れば、デブこけしみたいな姿で、クロが一生懸命変な顔をしてくる。


(どんな表情をしていたら、こんな必死に笑わせようとするのだろうね……)


 ルルは思わず鏡を見たくなったが気を取り直して、息を吸う。それから、眼鏡を直す。


(もうやめよう。クレープ食べて帰れば良いだけの話だ)


 もう少し用心することはルルとしても出来ただろうが、どの道結果は変わらないだろう。ユアが会話を『やり直す』ことでルルも知らぬ間に誘導しているのだから、抗うのは難しい。


(勝手に人を操ろうとするのは止めて欲しい。ちゃんと言ってくれれば考えるから)


 たとえ、何かの理由で過去に来るとしてもルルは納得しておきたい。そのために今、必要なことは。


(まずは、会話の最中にやり直されないようにしないといけない)


 そう思ってルルは辺りを見渡す。武器屋の中でひときわ目立つ物に目が留まった。


(あの剣がちょうど良いかな)


 そこに飾られている剣について、ユアの『やり直し』をする気が起きなくなるくらい、ルルは説明できる。
 俯いた顔を上げ、姿勢を正したルルは、横にある剣へ手を向ける。


「何でもありません。過去に戻れたと思ったら、この店の『ムラマナ』のことが気になりまして」

「……なんだそれは」


 ルルにとってはありがたい反応だった。ユアの知らないことを話すのは好きなことの一つである。


「ご存じなかったのですね?」


 ルルは無表情な顔から口角を上げてにぃっと笑う。出来るだけ不遜ふそんな表情で、軽く首を傾ける。一瞬目を閉じて、手癖の様に眼鏡を直すと、黄色い目を細くする。


(神だろうと、怯んではいけない。このまま、すべてを私が話しきる)


「ムラマナとは、双剣の一つです。二刀とも硬さに優れるボーゾンこうで作られ、やや小ぶりの細い剣です。美しい見た目も有名ですが、少し変わった特徴があることもよく知られています」


 わざとらしく咳払いをし、よろしいですか、と注目を惹くようにルルは確認を取る。クロが話に頷きながら双剣のそばに浮き、装飾に声をあげている。なかなか良い聴衆を味方につけて、ルルの説明にも熱が入る。


「持つ者の魔力に応じて形状が変わる、と言った物でして。多くの魔力を持つ者が振るった時に起こる、白羽の軌跡が繊細でとても美しいのです。剣自体の装飾の可憐さも合わさり、宝剣の一つにも数えられています。製作者は、和の国で名を馳せたあの『村学むらまな』です。値段は城が一つ建つほどと言われていてとても高価です。出来ることなら、私も一度は使ってみたい逸品ですね」


 すべて説明し終えたルルは、仕上げにちょこんとスカートの裾を摘まんで礼をする。体中から嫌な汗が流れている。


(もう、この剣について私が知っていることはないはずだ……)


 数瞬の沈黙。意外な剣への知識に怯んだのか、クロが少し距離を取りながら拍手をしてくる。静かな緊張は、武器屋の親父が発した無遠慮な声によって途切れた。


「まぁ、でもこれ、盗まれちまってレプリカなんだよ。がははは!」


 武器屋の一画に微妙な空気が流れ始める。
クロが、「ご主人、高いそうだが大丈夫なのか?」と話している。ユアは眉を微かに下げ、やや毒気抜かれたかのように姿勢を変えた。


(あともう少し。ユアの『やり直し』を止めさせるなら、今しかない)


 剣の試合ならここが勝負の分かれ目だったと言えよう。
 傾いた流れと言うのは、当人たち同士には案外分かるものだ。


「ユアさま」

「なんだ?」


 受け身に回ったユアが横目でこちらを見てくる。表情がやや苦々し気に見えるのは、気のせいだろうか。二人の様子に気づかないのか、クロは呑気に武器屋の親父と会話している。


「私と賭けをしませんか?」

「賭け?」

「私が何のクレープを頼むか、当ててください。もちろん、インチキやり直しはなしで」


 つまり、ユアは『やり直し』をしないでルルの注文を当ててみろ、と言うことだ。ここまで話を進めたことに手ごたえを感じたのか、ルルの表情は少し緩む。店の外の喧騒けんそうが、思い出したように段々と音を取り戻していくのを感じる。


(いつまでもこんな武器屋に長居もしていられない。さっさとクレープ屋に行こう)


 露天商が客を引く声。馬車の走る音。客が来店する時のカランカランという、ベルが鳴った。


「この通り、私はユアさまとちゃんと話します。ですから、知らない間に私に聞くのを止めてください」


 ルルは賭けの結果で『やり直されたか』、『やり直されていないか』が分かる。よほど運が良くなければ、ルルの注文を当てるのは困難だろう。

それでも、賭けの結果を知った後に『やり直し』をすることだって出来る。
そうしたら、この賭けは成立しない。


(私はユアさまを、ただ追い詰める神とは思っていない。あなたは立ち直らせてくれる神……そうですよね)

「クレープを食べるために、連れて来てくれたのでしょう?」

(だからユアさま。私は、あなたを信じます)


 私はそれなりに天邪鬼なのです、と付け加えるとルルは微笑みを浮かべた。ユアは目を閉じると、考えるように目元を手で覆う。肩で大きく息を吐いて姿勢を改めると、片手をすっと上げて歩き始めた。


「……分かった。応じよう。正直、私も少々面倒くさくなった」

「ありがとうございます」


 ルルは透き通った無表情に戻ると、丁寧に礼をした。
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