心霊エリートな男子高校生はひとりぼっち。

吉川緑

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柚貝三矢編

解決の朝

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 部屋に、同じクラスの女子と二人きりだ。しかし、まったくもって喜べない。
 卜部うらべは迫られている。じりじりと、にじり寄られている。


(これは……完全に我を忘れているだろ……!)


 邪悪な臭いと、狂気と絶望を携えるクラスメイト。
 手を足のように使い、足を手のように使う。逆立ち姿。
 『生霊』に憑かれた人間。

 足の上に、胴体から離れてしまった己の首を乗せて、不気味に笑う。
 そう、自分で自分を呪ってしまった『柚貝三矢ゆずかいみや』。


「落ち着け! 柚貝!」

「あなたが、何とかしてくれないの?」

「自分は、自分の行いでしか、どうにもできない!」

「「あなたが、何とかしてくれないの?」」

「くそ。聞く耳なしか」


 卜部うらべは、まずは窓を開ける。それから、部屋のドアも。
 懐から特別製の塩を取り出して、ドアの前へ線を引いた。
 この白い線より前、つまり、部屋の外へは出さない。絶対に。

 淀む空気は人の心を惑わせ、『生霊』はそこに付け込む。ゆえに、まずは換気。
 柚貝の部屋以外は、『ガラスの破片』つまり、割れた鏡もある。
 もし、我を忘れた状態で自分の歪んだ姿を見たら、どうなることか。

 卜部は応急処置とばかり、いくつか手を打った。
 しかし、目の前には、自らの黒い思いに憑りつかれた人間が迫っている。
 なかなか思うようには手が打てない。

 事態がどんどん、悪い方向へ流れていく。

 柚貝の姿が、少し大きくなったように見えた。
  ――――いや、これは。


「まずいな。雰囲気に飲まれてきた……」


 物理現象で考えてみれば、相手が大きくなるはずも、小さくなるはずもない。
 卜部は、自分が『柚貝に気圧されている』ことを客観的に口に出して、冷静になろうとした。


(『心霊現象』にあたる時、冷静になれなくなったら終わりだ)


 心霊現象が『視える』卜部だが、対処方法はどうしても現実的なものになる。
 当たり前の話だ。『超常的な力』なんて、卜部にはない。
 悲しいことに、卜部は『視える』だけで、霊的な才能はない。

 父母に『心霊スポット』をあちこち連れられたのは、口にこそ出されなかったが『自衛しろ』そういうメッセージも、込められていたのだろう。


「仕方ないな……柚貝。悪く思うなよ」


 卜部は、懐から一本の小さな瓶を取り出すと、蓋を緩める。
 タイミングを伺い、柚貝の生首に飛びついた。

 柚貝は小柄な女だ。中肉中背の卜部の方が、単純に力では勝る。
 瓶の中身を柚貝の口に入れて、無理やり飲ませる。

 霊への対抗で正気を取り戻す方法には、いくつか種類がある。
 天然海塩で身を清めるほか、お経を唱える、神聖な水をまく、なども有効だ。

 しかし、意外にも身体を揺するなど、『衝撃を与える』方法も、かなり効く。

 先ほど、柚貝に飲ませたものは、卜部特製の、『わさび汁』だ。

 霊験あらたかな寺のそば、清められた水で育ち、坊さんが丁寧に育てたわさび。
 神聖さもさることながら、その辛みはどうだろうか。


「うえっ! 辛っ! 何ですか、これ!!!」


 わさびに含まれる辛み成分『アリルイソチオシアネート』。
 柚貝の名誉のために、ちょっと描写は控えたいが、目と鼻に大変効く。
 要は『目と鼻から水をだらだら流しながら、ごろごろ転がる』くらい辛い。

 卜部は、そんな柚貝の姿に、ふうと額の汗を拭うと、満足そうに呟いた。


「やっと正気に戻ったか。これでまともに話ができ……」

「なに、飲ませてくれるんですか、女子に!!!」


 こんな柚貝の表情、初めて見たな、卜部がそう思った瞬間、柚貝の平手が、卜部の頬に突き刺さった。

 とても、痛かった。


◇◆◇


 その後のことを話そう。
 卜部は、『柚貝三矢』と『かずみやゆい』が向き合う場を設けた。
 特別なものではない。ただ、蝋燭と御座を敷いて、清めた鏡を置いただけだ。

 柚貝は卜部に『あなたが、何とかしてくれないの?』と言った。
 しかし、卜部はこう思っている。

 『呪いは、かけた者とかけられた者、その二人でしか解決できない』

 誰かが間に入るのは、仲裁だ。解呪ではない。
 人間の心から溢れた思い、それを掬い上げるのは、他人ではないのだ。

 卜部は、柚貝にちらっと視線を送り、扉を閉めた。


◇◆◇


「父さんと母さんが出て行ったのは、私がもっと子供らしくできなかったから、そうではないのでしょうか?」

「そうかもしれない。でも、どうにもならなかったのでは? 二人して浮気していたのですから。……思っていたこと言いますが、ありえなくないですか?」

「私も、あいつら何してるんだよ、って思ってたよ」

「良かった。普通に考えて、私だけのせいじゃないよね」

「まぁ、何かできたかもしれないけど、置いてくのも親としてどうかと思うし」

「私もあなたも、浮気したら、そんな気持ちになるのでしょうかね?」

「どうでしょうね。そもそも、好きな人も、私たちいないでしょう?」

「……」

「……」

「居場所は、もしかしたらあるのかもしれないですけどね」

「「そうだね」」


◇◆◇


 時間が夜から朝へ流れていくのを、手に差す陽が知らせてくる。
 柚貝を見送ってから、もうずいぶんと廊下で座っている。
 そろそろ、済んだ頃だろうか。小さい息を吐き、卜部は立ち上がった。

 部屋の扉を開けると、カーテンの隙間から入ってくる光が眩しい。
 目を細めて、ゆっくり部屋へ入る。
 一人の女子が、部屋の中央でこちらに背を向けている。逆光でよく見えない。


「……終わったのか? 柚貝?」

「あぁ、卜部くん。ごきげんよう」

「あ、あぁ。ごきげんよう。それで、どうなった?」

「ふふ。じゃあ、もう一度、始めましょうか」


 何をだ、と問おうとした卜部は、すぐに目を見開く。
 その女子は卜部へ振り返ると、首を傾けて、にいっと口角を上げる。

 何度も見た気がする顔だったが、『人間の姿』で見るのは初めてだった。
 スカートの裾を掴み、一礼した少女は、とても綺麗な微笑みを浮かべた。

 細身で小柄な体躯。不愛想そうに見える長髪の整った顔。
 他人を威圧するような黒い目。弧を描く唇。

 黒くて透き通ったその目は、朝日を背にして、あまりにも眩しい。


「はじめまして、卜部くん。私は『一宮唯かずみやゆい』。あなたには、私がどう視える?」
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