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第1章
92.ダライの後悔
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◆◆◆
(どうしてこうなったんだ。何故……)
日差しが入らない牢の中、ダライは硬い鉄格子を見つめながら壁に拳を打ち付けた。鈍い音と痛みが走る。
(俺はいつどこでまちがえた? 一体いつから、どこから)
斜陽を転がり落ちるサード伯爵家の一粒種として生まれたダライは、己の霊威の低さに絶望し、毎日のように男爵家や豪商と遊び歩いた。
この世界では霊威の強さで序列が決まる。だが、そもそも徴が出るほどの霊威を持たない下級貴族や平民が相手であれば、伯爵家の地位を振りかざすことで優位に立つこともできた。
ダライの父は、身を持ち崩す息子に幾度も苦言を呈し、軌道修正をさせようとした。
『貴族としての自覚と節度を持ちなさい』
『霊威が低いなら別の才能を伸ばして身を立てなさい』
『霊威が弱くとも、霊具や霊獣の扱いを極めることで補う者もいる』
『勉学に勤しみ、次期伯爵に相応しい教養を身に付けるように』
だが、ダライの素行は一向に改善せず、15歳で成人してからは毎晩のように飲み歩き、泥酔して乱闘騒ぎを起こすこともあった。ついに、父親は爵位の返還を決意した。
『お前が伯爵を継ぐのは無理だ。私の育て方が悪かった。伯爵家としての我が家は、私の代で幕を引く』
貴族の地位を失ったダライは、今まで従えていた男爵家や豪商にも軽んじられるようになった。霊威もない。地位もない。特技もない。かといって、努力も研鑽も工夫もしない。何も持たず何もしないダライは、しかし、全てが欲しいと望んだ。
『貴族の嫁と強い霊威を持つ子を得て、サード家を復活させる。そして幸せな家庭を築き、俺を笑った奴らを見返してやる』
帝国と皇国の貴族からは相手にされず、属国の貴族から嫁を迎えたことは不満だったが、仕方がないと割り切った。
幸いなことに、政略で結ばれたネイーシャとも、自分の見栄を果たすためにもうけたミリエーナとも、関係は良好だった。役立たずのアマーリエを罵倒し、ミリエーナを救世主だと溺愛しておけば、ネイーシャは喜んで同調してくれた。
アマーリエを生贄にすることでサード家の結束は強まり、家族の絆は安泰になっていたのだ。自分は幸せな家庭と輝く未来を手に入れたのだと信じていた。
なのに――
『出して! 出してよ! 何故私がこんな所に入らなければならないの!』
向かい側の牢では、ネイーシャが半狂乱になって叫んでいる。アマーリエへの暴言と暴力は、彼女の方がダライよりもずっと激しかった。気にくわないことがあると、何も落ち度がない長女に八つ当たりし、頰を力一杯引っ叩いて雪空の下に叩き出したこともある。このたび行われている調査により、それらはすべて露見した。
『帝国の――宗主国の元伯爵家の男だというから結婚してあげたのに! これで私も宗主国の人間になれると思ったのに! ミリエーナを生んで霊威を持つ子を産む義務は果たしたのに! なのに何でなのよおおぉぉ!』
斜め向かいの牢の壁にうずくまるミリエーナは、何も言わない。最低限の治療が終わったため、彼女も牢獄に移されたのだ。ずっと体を丸め、抱えた膝の間に顔をうずめて、ただ泣き続けている。
『アマーリエ……いえ、ユフィー! お母様を助けて! この前送った手紙の返事はまだなの? お母様が愛してあげると言っているのよ、ありがたいことでしょう! お願い、ここから出してちょうだい。私の娘はあなただけよ、ユフィーお願いよ!』
ここにはいない長女に向かって必死で語りかけるネイーシャを冷めた目で見ながら、ダライは疲れ切った表情で壁にもたれかかった。
先日したためた書簡。あれを書いた時点では、アマーリエは喜んでこちらの言うことを聞くと思っていた。父から娘と認められ、ずっと憧れていたであろう家族の輪に入れてもらえるのだ。これ以上の幸福はないだろう、と。
しかし、差し入れられた新聞に、新たな聖威師となったアマーリエの写真が載っているのを見て、衝撃を受けた。
蕩けそうなほど甘やかな眼差しを向ける焔神の腕の中に守られ、花が咲き染めるような笑顔で微笑む長女。その左右には、甘えるように鼻を寄せる二匹の獅子がいた。
その瞬間に悟った。
アマーリエに、自分たちの声はもう届かない。手を伸ばしても掴まれない。縋り付いても触れられない。
アマーリエの家族は、とっくに自分たちではなくなっていたのだ。
(アマーリエ……アマーリエ)
牢獄の食事はまずい。牢番が保温霊具の付いた上等な弁当を食べているのを横目に、ダライたちは古びたパンと冷め切った薄いスープ、野菜の残り滓のみを集めたサラダを口に押し込んでいた。幾人もの囚人が着古した衣服は破れており、薄いマットレスを敷いたパイプ式ベッドはギシギシと音が鳴る。
(すまない、アマーリエ)
アマーリエが作ってくれる温かい食事が食べたいと思った。アマーリエが丁寧に繕ってくれた、柔らかい服が恋しかった。アマーリエが整えてくれたフカフカのベッドで眠りたかった。
だが、もうどれも自分の元には無い。
長女が今までどれだけの努力と誠意を尽くしてくれていたのか。それにより自分たちとサード家がどれだけ支えられていたのか。目の前で豪奢な食事をされながら、自分だけ質素な物を食べるのがどれだけ辛いか。自分の身に返って来て、ようやく悟った。自分たちがして来たことがどれほど罪深く、相手を傷付けることであったのか。
(どうか許してくれ……頼むから)
自分はこれからどうなるのだろう。アマーリエを溺愛する焔神には完全に睨まれ、はっきりと敵視されている。取り調べの中で、帝国の大神官たちには凍える碧眼を向けられてこう言われた。我が子を虐待する親というものを心の底から嫌悪する、と。
高位神の不興を買ったからには昇天後に散々な扱いが待っているだろうし、神官府の長に見限られた以上、生きている間は自国にも属国にも居場所がない。
加えて、酔った勢いで解決を請け負ったミハロの神器の件で帝国と属国の双方から詰問されている。属国に出向中、帝国の所属であったことを鼻にかけてテスオラ王国の神官府に幅を効かせていたことについても問題視されている。八方塞がりとはこのことだ。
(こんなはずではなかったのに。こんなはずでは……)
浄化の火が消えるまで10年だと、焔神は言っていた。それまでに自分を矯正できなければ、邪神の使いとして取り立てられると。
(もう一度だけ機会が欲しい。アマーリエとやり直したい。今までの謝罪と礼を言いたい)
だが、その声が届くことはないだろうと分かっていた。アマーリエはもはやこちらの声など聞かないだろうし、焔神が彼女の耳に入れないようにする。
先日書いた弁明の書簡が、最後の機会だったのだ。あれを書く時点で気付き、心の底から懺悔していれば、細い細い蜘蛛の糸くらいは垂らされていたかもしれないのに。
ガクリと膝を付くと、頰に冷たいものが流れた。
(あの子に笑いかけてやれば良かった。優しい言葉をかけてやれば良かった。抱き締めてやれば良かった。同じ食事をさせてやれば良かった。もっと良いドレスを用意してやれば良かった)
難しい話ではなかったはずだ。ミリエーナと同じ対応を、アマーリエにもしていれば良かっただけなのだ。二人の娘を同じように見て同じように接していれば、それで良かったのに。
(俺は……始まりの時点から間違えていたんだ)
「……う……うぅっ……」
一度流れ始めた涙は止まらず、後から後から零れ落ちた。床に付いた掌から、石畳の冷たさが伝わる。だが、誰も気遣ってはくれない。
『おとうさま、ここはさむいからかぜをひかないでください』
ずっと昔、ベランダの椅子でうたた寝していた自分に、背伸びしながら小さな手でブランケットをかけてくれたアマーリエ。
この世界で、唯一自分を本当の意味で愛してくれていた長女は――もう、自分の手の届く場所にはいない。
もう二度と、戻って来ない。
(どうしてこうなったんだ。何故……)
日差しが入らない牢の中、ダライは硬い鉄格子を見つめながら壁に拳を打ち付けた。鈍い音と痛みが走る。
(俺はいつどこでまちがえた? 一体いつから、どこから)
斜陽を転がり落ちるサード伯爵家の一粒種として生まれたダライは、己の霊威の低さに絶望し、毎日のように男爵家や豪商と遊び歩いた。
この世界では霊威の強さで序列が決まる。だが、そもそも徴が出るほどの霊威を持たない下級貴族や平民が相手であれば、伯爵家の地位を振りかざすことで優位に立つこともできた。
ダライの父は、身を持ち崩す息子に幾度も苦言を呈し、軌道修正をさせようとした。
『貴族としての自覚と節度を持ちなさい』
『霊威が低いなら別の才能を伸ばして身を立てなさい』
『霊威が弱くとも、霊具や霊獣の扱いを極めることで補う者もいる』
『勉学に勤しみ、次期伯爵に相応しい教養を身に付けるように』
だが、ダライの素行は一向に改善せず、15歳で成人してからは毎晩のように飲み歩き、泥酔して乱闘騒ぎを起こすこともあった。ついに、父親は爵位の返還を決意した。
『お前が伯爵を継ぐのは無理だ。私の育て方が悪かった。伯爵家としての我が家は、私の代で幕を引く』
貴族の地位を失ったダライは、今まで従えていた男爵家や豪商にも軽んじられるようになった。霊威もない。地位もない。特技もない。かといって、努力も研鑽も工夫もしない。何も持たず何もしないダライは、しかし、全てが欲しいと望んだ。
『貴族の嫁と強い霊威を持つ子を得て、サード家を復活させる。そして幸せな家庭を築き、俺を笑った奴らを見返してやる』
帝国と皇国の貴族からは相手にされず、属国の貴族から嫁を迎えたことは不満だったが、仕方がないと割り切った。
幸いなことに、政略で結ばれたネイーシャとも、自分の見栄を果たすためにもうけたミリエーナとも、関係は良好だった。役立たずのアマーリエを罵倒し、ミリエーナを救世主だと溺愛しておけば、ネイーシャは喜んで同調してくれた。
アマーリエを生贄にすることでサード家の結束は強まり、家族の絆は安泰になっていたのだ。自分は幸せな家庭と輝く未来を手に入れたのだと信じていた。
なのに――
『出して! 出してよ! 何故私がこんな所に入らなければならないの!』
向かい側の牢では、ネイーシャが半狂乱になって叫んでいる。アマーリエへの暴言と暴力は、彼女の方がダライよりもずっと激しかった。気にくわないことがあると、何も落ち度がない長女に八つ当たりし、頰を力一杯引っ叩いて雪空の下に叩き出したこともある。このたび行われている調査により、それらはすべて露見した。
『帝国の――宗主国の元伯爵家の男だというから結婚してあげたのに! これで私も宗主国の人間になれると思ったのに! ミリエーナを生んで霊威を持つ子を産む義務は果たしたのに! なのに何でなのよおおぉぉ!』
斜め向かいの牢の壁にうずくまるミリエーナは、何も言わない。最低限の治療が終わったため、彼女も牢獄に移されたのだ。ずっと体を丸め、抱えた膝の間に顔をうずめて、ただ泣き続けている。
『アマーリエ……いえ、ユフィー! お母様を助けて! この前送った手紙の返事はまだなの? お母様が愛してあげると言っているのよ、ありがたいことでしょう! お願い、ここから出してちょうだい。私の娘はあなただけよ、ユフィーお願いよ!』
ここにはいない長女に向かって必死で語りかけるネイーシャを冷めた目で見ながら、ダライは疲れ切った表情で壁にもたれかかった。
先日したためた書簡。あれを書いた時点では、アマーリエは喜んでこちらの言うことを聞くと思っていた。父から娘と認められ、ずっと憧れていたであろう家族の輪に入れてもらえるのだ。これ以上の幸福はないだろう、と。
しかし、差し入れられた新聞に、新たな聖威師となったアマーリエの写真が載っているのを見て、衝撃を受けた。
蕩けそうなほど甘やかな眼差しを向ける焔神の腕の中に守られ、花が咲き染めるような笑顔で微笑む長女。その左右には、甘えるように鼻を寄せる二匹の獅子がいた。
その瞬間に悟った。
アマーリエに、自分たちの声はもう届かない。手を伸ばしても掴まれない。縋り付いても触れられない。
アマーリエの家族は、とっくに自分たちではなくなっていたのだ。
(アマーリエ……アマーリエ)
牢獄の食事はまずい。牢番が保温霊具の付いた上等な弁当を食べているのを横目に、ダライたちは古びたパンと冷め切った薄いスープ、野菜の残り滓のみを集めたサラダを口に押し込んでいた。幾人もの囚人が着古した衣服は破れており、薄いマットレスを敷いたパイプ式ベッドはギシギシと音が鳴る。
(すまない、アマーリエ)
アマーリエが作ってくれる温かい食事が食べたいと思った。アマーリエが丁寧に繕ってくれた、柔らかい服が恋しかった。アマーリエが整えてくれたフカフカのベッドで眠りたかった。
だが、もうどれも自分の元には無い。
長女が今までどれだけの努力と誠意を尽くしてくれていたのか。それにより自分たちとサード家がどれだけ支えられていたのか。目の前で豪奢な食事をされながら、自分だけ質素な物を食べるのがどれだけ辛いか。自分の身に返って来て、ようやく悟った。自分たちがして来たことがどれほど罪深く、相手を傷付けることであったのか。
(どうか許してくれ……頼むから)
自分はこれからどうなるのだろう。アマーリエを溺愛する焔神には完全に睨まれ、はっきりと敵視されている。取り調べの中で、帝国の大神官たちには凍える碧眼を向けられてこう言われた。我が子を虐待する親というものを心の底から嫌悪する、と。
高位神の不興を買ったからには昇天後に散々な扱いが待っているだろうし、神官府の長に見限られた以上、生きている間は自国にも属国にも居場所がない。
加えて、酔った勢いで解決を請け負ったミハロの神器の件で帝国と属国の双方から詰問されている。属国に出向中、帝国の所属であったことを鼻にかけてテスオラ王国の神官府に幅を効かせていたことについても問題視されている。八方塞がりとはこのことだ。
(こんなはずではなかったのに。こんなはずでは……)
浄化の火が消えるまで10年だと、焔神は言っていた。それまでに自分を矯正できなければ、邪神の使いとして取り立てられると。
(もう一度だけ機会が欲しい。アマーリエとやり直したい。今までの謝罪と礼を言いたい)
だが、その声が届くことはないだろうと分かっていた。アマーリエはもはやこちらの声など聞かないだろうし、焔神が彼女の耳に入れないようにする。
先日書いた弁明の書簡が、最後の機会だったのだ。あれを書く時点で気付き、心の底から懺悔していれば、細い細い蜘蛛の糸くらいは垂らされていたかもしれないのに。
ガクリと膝を付くと、頰に冷たいものが流れた。
(あの子に笑いかけてやれば良かった。優しい言葉をかけてやれば良かった。抱き締めてやれば良かった。同じ食事をさせてやれば良かった。もっと良いドレスを用意してやれば良かった)
難しい話ではなかったはずだ。ミリエーナと同じ対応を、アマーリエにもしていれば良かっただけなのだ。二人の娘を同じように見て同じように接していれば、それで良かったのに。
(俺は……始まりの時点から間違えていたんだ)
「……う……うぅっ……」
一度流れ始めた涙は止まらず、後から後から零れ落ちた。床に付いた掌から、石畳の冷たさが伝わる。だが、誰も気遣ってはくれない。
『おとうさま、ここはさむいからかぜをひかないでください』
ずっと昔、ベランダの椅子でうたた寝していた自分に、背伸びしながら小さな手でブランケットをかけてくれたアマーリエ。
この世界で、唯一自分を本当の意味で愛してくれていた長女は――もう、自分の手の届く場所にはいない。
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