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悪神兄の裏話
☆悪神兄の追憶 疫神編⑥
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言いながら片腕を解き、零れ落ちる滴を拭ってやりながら苦笑する。
『と言っても、天界という同じ領域で暮らしていれば、そうはいかん事もあるだろう。荒神と相対せねばならん時、して欲しいと頼まれる時も訪れよう。ゆえにお前に守りを施しておく』
ラミルファの神衣の胸元を軽くはだけ、白い肌にトンと指を当てた。暗緑の御稜威と共に刻まれた神紋は、疫神のものだ。
『これは我の守護だ。荒神と対峙した時、その威圧からお前の精神を守る。並の荒神が相手であれば、心が萎縮することはない』
だから安心して向かい合い、遊ぶならば遊ぶが良いと告げる。精神的な負荷さえ軽くしてやれば、ラミルファの神威自体は荒神のものなので、どうにかなるはずだ。
『仮に、アレクや怒れるハルアと相対する事態になったとしても、この守護が相応に負担を軽減するだろう。それで凌いでいれば、我が駆け付けて助けてやる』
鉄壁の守りがあろうとも、武器を携えて気を昂らせた葬邪神を前にすれば、かつての恐怖が再燃し、萎縮してしまうかもしれない。その時は飛んで行ってフォローしてやろうと決める。
『それとなぁ、我のこともディス兄上と呼んで良いのだぞ』
打ち解けた場では、葬邪神のことをアレク兄上と呼ぶこともあると聞いていた。つい先般、ここを訪れた葬邪神がデレンとした顔で嬉しそうに話していたので、アレクのくせにマジでウザいと思ったものだ。早い話がヤキモチである。
『はい、ディス兄上』
可愛い末弟は素直に復唱した。よしよしと頷き、神衣を元通りに整えてやりながら続ける。
『我の私見を言えば、お前の心が和神のそれであることは、せめてアレクには告げた方が良い。さらに言うならば、荒神には告げるべきだ。できれば天の神々にもな。さもなくば、荒神たちが何かの拍子に真実を知った時、お前を知らぬ内に威圧していたのかと自責の念にかられることになる』
『……分かっています。分かっていますが……』
ラミルファが一度言葉を切り、押し殺した声で先を紡ぐ。
『それで皆が遠慮し、本当に荒神の力や援護が必要な時にも僕を呼ばず、無理をして傷付いてしまえば、それも嫌なのです』
『なるほど。どの選択をしようとも一長一短があるからなぁ』
この子がどのような事態を想定しているかは定かではない。だが、この子だけが把握している事情や、それに伴う考えなどもあるだろう。それに荒神には直感がある。本能部分で何か閃いているのかもしれない。
ならば末弟の秘密を知るのは、今しばらくは自分だけになるのかと考えたところで、雷光が爆ぜるように父神の姿が浮かぶ。禍神は知っているだろうか。気付いているだろうか。己の末子の秘め事に。……何となく、察していてもおかしくないように思った。
実を言えば、片割れと大喧嘩した末に一億年ほどふて寝していた疫神を、そっと揺り起こす神威を感じた気がしたのだ。本当に微かなものであっため、気のせいかと思ったが……御子神たちから全幅の信頼を寄せられる禍神ならば、気配を気取られず警戒もさせず、スルリと疫神の懐に入り込んで陰から覚醒に誘導できるだろう。
――おはようディス、会いたかったよ。……起きてくれてありがとう
起床の挨拶に行った時、父神は疫神を優しく抱きしめてそう言った。ありがとうとは何に対しての礼だったのだろうか。
――禍神は末子が抱える事情を把握し、疫神ならば助けてやれる、支えてやれると思って起きるよう仕向けたのではないか。ふとそんな考えがよぎった。今この状況に辿り着く未来を、父神ならば視通せていても不思議ではない。
だが、事実がどうなのかは彼の神のみぞ知る。あの父神の思考は、荒神の閃きと息子の勘をもってしても読み切れない。詮無いことを考えるのは止め、意識を眼前の弟に戻す。
『我が独断でバラすことはない。お前の思うようにしてみよ。ひとまず今以降は、我の守護によりお前の精神的負担に関する問題は解決している。伝える際、あるいはその前に知られてしまった際は、そのことも併せて告げれば良い』
落ち着かせるように背をトントンと叩いてやりながら、好きにして良いのだと語りかける。
『言うも言わんも、言うならばその時期も、お前の自由にして良い。どの道を行こうとも、我が全面的に支えてやる』
『……僕は三の兄上も怖いです。もちろん深く愛しておりますが、少しだけ苦手です』
『フレディか。そうであろうなぁ』
禍神の三番目の御子である弟神を思い浮かべ、疫神は大きく頷いた。あの子は大の悪戯好きだ。悪戯をする理由もあるにはあるが、そもそも純粋に誰かを驚かせる行為が好きなのだ。
むろん、一般の神相手にはきちんと加減している。だが、自身と同格にして同じ荒神であるラミルファへは、それほど配慮していなかっただろう。末弟に対して悪意があるわけではない。まさか中身や感覚が和神だとは思っていないからだ。
ラミルファの方も、三の兄を愛しているという気持ちは本物のはずだ。この白髪灰緑眼の容姿は、あの子の姿を彷彿とさせる。きっと人型を取る時、大好きな兄の形を参考にしたのだ。
『フレディは200年ほど前から、悪戯場所を求めて世界を放浪中だと聞いたが』
『はい。ですが、いずれお還りになられるでしょう。三の兄上が天界にお出でだった頃は、まだ自分の感性が和神だとは分かっておらず、どうして恐怖を感じるのか分からなかったのですが……』
『ならば守護を強化しておくとしよう』
ラミルファが纏う神衣の内側で、深緑の守護紋が鳴動し、形状を複雑化していく。
『ツォルのことは大丈夫か』
『四の兄上は滅多に外へ出て来られませんから』
『それもそうか。アレは面倒くさがりだからなぁ』
また別の弟を思い浮かべ、疫神は肩を竦めた。
『今後、有事の際は守ってやる。お前は我の後ろにいれば良い』
それはラミルファのためであり、他の兄弟や荒神たちのためでもある。いつか末弟の事情を知る時が来れば、皆は大きな衝撃を受けるだろう。自分たちは今まで、意図せずこの子を威圧してしまっていたのかと。片割れや弟たちは、きっと物凄く悔やむ。あの子たちにそんな思いをさせたくない。だからこそ、疫神が守っていたから恐怖が緩和されていたことにできれば、少しはショックを和らげられるかもしれない。
『はい』
サラサラの頭がコクンと小さく縦に振られた。疫神は腕に力を込め、きっと今までずっと無理をして来たのであろうその心を、体ごと優しく抱きしめた。先程も発した言葉を、再度繰り返す。
『今後は我がお前を守る。我の前では小さく弱い姿でいて良いのだ』
応えはない。疫神の神衣の中に埋もれた末弟は、しばらく動かなかった。やがて、小さな嗚咽が聞こえて来た。また泣いているようだ。ただし、不安ではなく安堵で。強張りが解けた体が、それを証明している。ならば、それで良い。このまま泣けば良い。好きなだけ、心から安心できるまで泣けば良い。いつまでだろうと、こうして包んであげよう。今だけでなく、これからもずっと、いつでも。
最大とも言える秘密を打ち明けてくれたこの子を、今後は自分が守ってやらねば。
時が静止した部屋に、か細いすすり泣きの声だけが響き続けた。
『と言っても、天界という同じ領域で暮らしていれば、そうはいかん事もあるだろう。荒神と相対せねばならん時、して欲しいと頼まれる時も訪れよう。ゆえにお前に守りを施しておく』
ラミルファの神衣の胸元を軽くはだけ、白い肌にトンと指を当てた。暗緑の御稜威と共に刻まれた神紋は、疫神のものだ。
『これは我の守護だ。荒神と対峙した時、その威圧からお前の精神を守る。並の荒神が相手であれば、心が萎縮することはない』
だから安心して向かい合い、遊ぶならば遊ぶが良いと告げる。精神的な負荷さえ軽くしてやれば、ラミルファの神威自体は荒神のものなので、どうにかなるはずだ。
『仮に、アレクや怒れるハルアと相対する事態になったとしても、この守護が相応に負担を軽減するだろう。それで凌いでいれば、我が駆け付けて助けてやる』
鉄壁の守りがあろうとも、武器を携えて気を昂らせた葬邪神を前にすれば、かつての恐怖が再燃し、萎縮してしまうかもしれない。その時は飛んで行ってフォローしてやろうと決める。
『それとなぁ、我のこともディス兄上と呼んで良いのだぞ』
打ち解けた場では、葬邪神のことをアレク兄上と呼ぶこともあると聞いていた。つい先般、ここを訪れた葬邪神がデレンとした顔で嬉しそうに話していたので、アレクのくせにマジでウザいと思ったものだ。早い話がヤキモチである。
『はい、ディス兄上』
可愛い末弟は素直に復唱した。よしよしと頷き、神衣を元通りに整えてやりながら続ける。
『我の私見を言えば、お前の心が和神のそれであることは、せめてアレクには告げた方が良い。さらに言うならば、荒神には告げるべきだ。できれば天の神々にもな。さもなくば、荒神たちが何かの拍子に真実を知った時、お前を知らぬ内に威圧していたのかと自責の念にかられることになる』
『……分かっています。分かっていますが……』
ラミルファが一度言葉を切り、押し殺した声で先を紡ぐ。
『それで皆が遠慮し、本当に荒神の力や援護が必要な時にも僕を呼ばず、無理をして傷付いてしまえば、それも嫌なのです』
『なるほど。どの選択をしようとも一長一短があるからなぁ』
この子がどのような事態を想定しているかは定かではない。だが、この子だけが把握している事情や、それに伴う考えなどもあるだろう。それに荒神には直感がある。本能部分で何か閃いているのかもしれない。
ならば末弟の秘密を知るのは、今しばらくは自分だけになるのかと考えたところで、雷光が爆ぜるように父神の姿が浮かぶ。禍神は知っているだろうか。気付いているだろうか。己の末子の秘め事に。……何となく、察していてもおかしくないように思った。
実を言えば、片割れと大喧嘩した末に一億年ほどふて寝していた疫神を、そっと揺り起こす神威を感じた気がしたのだ。本当に微かなものであっため、気のせいかと思ったが……御子神たちから全幅の信頼を寄せられる禍神ならば、気配を気取られず警戒もさせず、スルリと疫神の懐に入り込んで陰から覚醒に誘導できるだろう。
――おはようディス、会いたかったよ。……起きてくれてありがとう
起床の挨拶に行った時、父神は疫神を優しく抱きしめてそう言った。ありがとうとは何に対しての礼だったのだろうか。
――禍神は末子が抱える事情を把握し、疫神ならば助けてやれる、支えてやれると思って起きるよう仕向けたのではないか。ふとそんな考えがよぎった。今この状況に辿り着く未来を、父神ならば視通せていても不思議ではない。
だが、事実がどうなのかは彼の神のみぞ知る。あの父神の思考は、荒神の閃きと息子の勘をもってしても読み切れない。詮無いことを考えるのは止め、意識を眼前の弟に戻す。
『我が独断でバラすことはない。お前の思うようにしてみよ。ひとまず今以降は、我の守護によりお前の精神的負担に関する問題は解決している。伝える際、あるいはその前に知られてしまった際は、そのことも併せて告げれば良い』
落ち着かせるように背をトントンと叩いてやりながら、好きにして良いのだと語りかける。
『言うも言わんも、言うならばその時期も、お前の自由にして良い。どの道を行こうとも、我が全面的に支えてやる』
『……僕は三の兄上も怖いです。もちろん深く愛しておりますが、少しだけ苦手です』
『フレディか。そうであろうなぁ』
禍神の三番目の御子である弟神を思い浮かべ、疫神は大きく頷いた。あの子は大の悪戯好きだ。悪戯をする理由もあるにはあるが、そもそも純粋に誰かを驚かせる行為が好きなのだ。
むろん、一般の神相手にはきちんと加減している。だが、自身と同格にして同じ荒神であるラミルファへは、それほど配慮していなかっただろう。末弟に対して悪意があるわけではない。まさか中身や感覚が和神だとは思っていないからだ。
ラミルファの方も、三の兄を愛しているという気持ちは本物のはずだ。この白髪灰緑眼の容姿は、あの子の姿を彷彿とさせる。きっと人型を取る時、大好きな兄の形を参考にしたのだ。
『フレディは200年ほど前から、悪戯場所を求めて世界を放浪中だと聞いたが』
『はい。ですが、いずれお還りになられるでしょう。三の兄上が天界にお出でだった頃は、まだ自分の感性が和神だとは分かっておらず、どうして恐怖を感じるのか分からなかったのですが……』
『ならば守護を強化しておくとしよう』
ラミルファが纏う神衣の内側で、深緑の守護紋が鳴動し、形状を複雑化していく。
『ツォルのことは大丈夫か』
『四の兄上は滅多に外へ出て来られませんから』
『それもそうか。アレは面倒くさがりだからなぁ』
また別の弟を思い浮かべ、疫神は肩を竦めた。
『今後、有事の際は守ってやる。お前は我の後ろにいれば良い』
それはラミルファのためであり、他の兄弟や荒神たちのためでもある。いつか末弟の事情を知る時が来れば、皆は大きな衝撃を受けるだろう。自分たちは今まで、意図せずこの子を威圧してしまっていたのかと。片割れや弟たちは、きっと物凄く悔やむ。あの子たちにそんな思いをさせたくない。だからこそ、疫神が守っていたから恐怖が緩和されていたことにできれば、少しはショックを和らげられるかもしれない。
『はい』
サラサラの頭がコクンと小さく縦に振られた。疫神は腕に力を込め、きっと今までずっと無理をして来たのであろうその心を、体ごと優しく抱きしめた。先程も発した言葉を、再度繰り返す。
『今後は我がお前を守る。我の前では小さく弱い姿でいて良いのだ』
応えはない。疫神の神衣の中に埋もれた末弟は、しばらく動かなかった。やがて、小さな嗚咽が聞こえて来た。また泣いているようだ。ただし、不安ではなく安堵で。強張りが解けた体が、それを証明している。ならば、それで良い。このまま泣けば良い。好きなだけ、心から安心できるまで泣けば良い。いつまでだろうと、こうして包んであげよう。今だけでなく、これからもずっと、いつでも。
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