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本編
33.一人で立つ
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「……かはっ……」
解放された日香の体は、長時間祖神を降ろし続けたことで疲弊し切っていた。とても立ち続けることなど叶わず、ばたりと倒れこむ。
「日香!」
月香が駆け寄って来た。秀峰とラウ、ティルもだ。
(み、んな……)
心配気に覗き込む皆に大丈夫だと返したくても、その気力すらなかった。
「――還御の儀をさせていただきます」
地面に崩れ落ちたままの日香を庇うように、口火を切った白珠が叩頭した。横目で案じるようにこちらを見ている。できるかとその目が問うていたが、やるしかない。祖神を天にお還しするまでが勧請だ。今からそれをやらねばならない。
むろん、祖神たちは自分の意思で自由に還れる。だが、公の儀式の中で降臨した祖神に対しては、礼儀として天威師が還御の儀を行うことになっていた。
なお、金日神に関してはこちらが呼んだ覚えはないが、それでも還御対象となる。正規の儀式で降りて来たのに加え、勧請の際、日香は緋日神と限定せず『皇家の祖』『日神様』と言って喚んでしまったからだ。その範囲には金日神も含まれているため、勧請したと言えなくもない。
(ああ、もう……私の馬鹿!)
『ええ。――紅の子よ。体は返しましたよ。早く私たちを還してちょうだいな』
己の迂闊さを呪う日香に微笑みかけ、何食わぬ顔で告げる金日神は、10代前半の少女の姿をしていた。美しいというよりも可愛いらしいと評した方が合う、大きな瞳に小さな唇。艶やかな金髪を軽くまとめ、裳裾のようにふわりとした神衣を纏っていた。
そして始祖は、日香の体を治してくれない。他の祖神もだ。疲労困憊した日香が還御に失敗すれば、それを理由に天威師の務めを十分に果たしていないと主張し、今からでも強制送還する理由になるからだ。
さりとて、神格を抑えた天威師では、祖神の神威による負担は癒せない。
「そうだな。我らを送り出しておくれ。裔たちよ」
同調した黒闇神も、高嶺から抜け出した。
一瞬ガクリと力が抜けた高嶺が、その場に片膝を付く。フゥと虚空にたゆたった黒闇神は、スラリとした肢体に妖艶な麗姿を持つ青年の姿をしていた。ゆったりと領布を絡めた神衣をなびかせている。
(ちょ、ちょっと待って……少しだけ休みたいよ!)
日香は胸の内で叫んだ。肉体の疲労は極限を超えていた。
元々は、始まりの神器の確認のためにほんのひと時、皇祖を降ろすだけの予定であった。しかし、金の始祖の降臨によりそれが狂い、予定よりもずっと長時間、祖神をその身に降ろし続けることになった。
しかも金日神は、裔を還らせると決めて降りた。ゆえに、地上における日香の肉体は天威師として被っている仮のものであると割り切り、その身に負担をかけない配慮をしなかった。
日香の体は限界をとうに突破して疲弊し、起き上がるどころか小指の一本を動かすことも、呼吸することすら困難なほどに消耗している。それ以前に、もはや体の感覚自体が無い。
(むり……むり、すぐには動けない! 何とか回復する時間を稼がないと……)
日香が内心で首を横に振った時。
「承知いたしました」
さらりと答え、高嶺が立ち上がる。日香と同程度――いや、事前の準備をしていなかったのだから、日香よりさらに遥かに消耗しているはずの高嶺が。
常と変わらぬ所作で、些かの不自然さもなく、普段通りの涼やかで軽やかな表情で立ち上がった。
(え――う、嘘でしょ)
愕然とそれを見つめる日香に、彼はにこりと笑いかけた。一切の弱みも揺らぎも見せない顔で。
(高嶺、様)
その瞬間、これが高嶺の姿にして生き様なのだと、日香は悟った。
誕生直後より天威師として覚醒し、その務めを決して投げ出すことなく果たし続け、人を世界を守り抜いて来た。彼はずっとずっと、こうして歩き続けて来た。
どれだけの苦痛と絶望の中にしようとも、それを表に出すことなく、弱音の一つも吐かず、ただ絶対的な超越者の面を纏う。
信じ難い光景に目を剥く日香を見据え、いつもと同じ優しい眼差しの高嶺が、穏やかに告げた。
「立て、日香」
手を差し伸べてはくれない。自力で立ち上がれと言っているのだ。
「今少し地上に在ることを選ぶならば立て。自身の役目を果たすが良い」
日香に向かって手を伸ばそうとした月香と秀峰が、高嶺の言葉を聞いて躊躇するように動きを止めた。そして数拍後、苦渋の表情で手を引く。
自分で立て。一人で立たければならない。
彼らもまた、そう言っている。
高嶺が静かながら断固とした声音で続けた。
「今までの天威師もここにいる天威師も、全員がそうして来た。倒れても倒れても平然とした顔で立ち上がり、例えその力がとうに尽きていようとも、澄まし顔で進み続ける。天威師ならばそれが出来なければならない」
「……は、い――」
頰を叩かれたような衝撃と共に、心の奥底から自覚と責任が芽生える。これは避けて通れぬ宿命なのだ。できないならば、もう地上にはいられない。誰かの手に縋らねば立てない天威師など、天威師ではない。
例え四肢が千切れ臓物が飛び出していようが、どれだけ疲れ果てていようが、泰然と身を起こし歩き出さなければならない。
(立て――立て、私。高嶺様の所に行くの。高嶺の隣に)
日香は満身の力を込め、感覚の戻らない体を奮い起こして頭をもたげた。無様に震えそうになる四肢を叱咤し、気力と意地と根性で立ち上がり、足を引きするようにして踏み出す。
『……何だ、まだ歩みを止めずにいられるのか。つまらぬ』
『倒れたままでいてくれれば、天威師としての務めを果たせなかったとして強制送還できましたのに』
黒闇神と金日神が残念そうな顔で呟いている。
白珠たちがほっと肩の力を抜いたのが視界の端に映った。
(誰が寝転がったままでいるもんか!)
日香は高嶺の横に並び立った。
「高嶺様、お待たせました」
高嶺が再び眦を緩めて笑う。先ほどとは違う、心からの笑みで。
「ああ。一緒にやろう、日香」
祖神たちの還御式を。日香は静かに頷いた。
「はい」
解放された日香の体は、長時間祖神を降ろし続けたことで疲弊し切っていた。とても立ち続けることなど叶わず、ばたりと倒れこむ。
「日香!」
月香が駆け寄って来た。秀峰とラウ、ティルもだ。
(み、んな……)
心配気に覗き込む皆に大丈夫だと返したくても、その気力すらなかった。
「――還御の儀をさせていただきます」
地面に崩れ落ちたままの日香を庇うように、口火を切った白珠が叩頭した。横目で案じるようにこちらを見ている。できるかとその目が問うていたが、やるしかない。祖神を天にお還しするまでが勧請だ。今からそれをやらねばならない。
むろん、祖神たちは自分の意思で自由に還れる。だが、公の儀式の中で降臨した祖神に対しては、礼儀として天威師が還御の儀を行うことになっていた。
なお、金日神に関してはこちらが呼んだ覚えはないが、それでも還御対象となる。正規の儀式で降りて来たのに加え、勧請の際、日香は緋日神と限定せず『皇家の祖』『日神様』と言って喚んでしまったからだ。その範囲には金日神も含まれているため、勧請したと言えなくもない。
(ああ、もう……私の馬鹿!)
『ええ。――紅の子よ。体は返しましたよ。早く私たちを還してちょうだいな』
己の迂闊さを呪う日香に微笑みかけ、何食わぬ顔で告げる金日神は、10代前半の少女の姿をしていた。美しいというよりも可愛いらしいと評した方が合う、大きな瞳に小さな唇。艶やかな金髪を軽くまとめ、裳裾のようにふわりとした神衣を纏っていた。
そして始祖は、日香の体を治してくれない。他の祖神もだ。疲労困憊した日香が還御に失敗すれば、それを理由に天威師の務めを十分に果たしていないと主張し、今からでも強制送還する理由になるからだ。
さりとて、神格を抑えた天威師では、祖神の神威による負担は癒せない。
「そうだな。我らを送り出しておくれ。裔たちよ」
同調した黒闇神も、高嶺から抜け出した。
一瞬ガクリと力が抜けた高嶺が、その場に片膝を付く。フゥと虚空にたゆたった黒闇神は、スラリとした肢体に妖艶な麗姿を持つ青年の姿をしていた。ゆったりと領布を絡めた神衣をなびかせている。
(ちょ、ちょっと待って……少しだけ休みたいよ!)
日香は胸の内で叫んだ。肉体の疲労は極限を超えていた。
元々は、始まりの神器の確認のためにほんのひと時、皇祖を降ろすだけの予定であった。しかし、金の始祖の降臨によりそれが狂い、予定よりもずっと長時間、祖神をその身に降ろし続けることになった。
しかも金日神は、裔を還らせると決めて降りた。ゆえに、地上における日香の肉体は天威師として被っている仮のものであると割り切り、その身に負担をかけない配慮をしなかった。
日香の体は限界をとうに突破して疲弊し、起き上がるどころか小指の一本を動かすことも、呼吸することすら困難なほどに消耗している。それ以前に、もはや体の感覚自体が無い。
(むり……むり、すぐには動けない! 何とか回復する時間を稼がないと……)
日香が内心で首を横に振った時。
「承知いたしました」
さらりと答え、高嶺が立ち上がる。日香と同程度――いや、事前の準備をしていなかったのだから、日香よりさらに遥かに消耗しているはずの高嶺が。
常と変わらぬ所作で、些かの不自然さもなく、普段通りの涼やかで軽やかな表情で立ち上がった。
(え――う、嘘でしょ)
愕然とそれを見つめる日香に、彼はにこりと笑いかけた。一切の弱みも揺らぎも見せない顔で。
(高嶺、様)
その瞬間、これが高嶺の姿にして生き様なのだと、日香は悟った。
誕生直後より天威師として覚醒し、その務めを決して投げ出すことなく果たし続け、人を世界を守り抜いて来た。彼はずっとずっと、こうして歩き続けて来た。
どれだけの苦痛と絶望の中にしようとも、それを表に出すことなく、弱音の一つも吐かず、ただ絶対的な超越者の面を纏う。
信じ難い光景に目を剥く日香を見据え、いつもと同じ優しい眼差しの高嶺が、穏やかに告げた。
「立て、日香」
手を差し伸べてはくれない。自力で立ち上がれと言っているのだ。
「今少し地上に在ることを選ぶならば立て。自身の役目を果たすが良い」
日香に向かって手を伸ばそうとした月香と秀峰が、高嶺の言葉を聞いて躊躇するように動きを止めた。そして数拍後、苦渋の表情で手を引く。
自分で立て。一人で立たければならない。
彼らもまた、そう言っている。
高嶺が静かながら断固とした声音で続けた。
「今までの天威師もここにいる天威師も、全員がそうして来た。倒れても倒れても平然とした顔で立ち上がり、例えその力がとうに尽きていようとも、澄まし顔で進み続ける。天威師ならばそれが出来なければならない」
「……は、い――」
頰を叩かれたような衝撃と共に、心の奥底から自覚と責任が芽生える。これは避けて通れぬ宿命なのだ。できないならば、もう地上にはいられない。誰かの手に縋らねば立てない天威師など、天威師ではない。
例え四肢が千切れ臓物が飛び出していようが、どれだけ疲れ果てていようが、泰然と身を起こし歩き出さなければならない。
(立て――立て、私。高嶺様の所に行くの。高嶺の隣に)
日香は満身の力を込め、感覚の戻らない体を奮い起こして頭をもたげた。無様に震えそうになる四肢を叱咤し、気力と意地と根性で立ち上がり、足を引きするようにして踏み出す。
『……何だ、まだ歩みを止めずにいられるのか。つまらぬ』
『倒れたままでいてくれれば、天威師としての務めを果たせなかったとして強制送還できましたのに』
黒闇神と金日神が残念そうな顔で呟いている。
白珠たちがほっと肩の力を抜いたのが視界の端に映った。
(誰が寝転がったままでいるもんか!)
日香は高嶺の横に並び立った。
「高嶺様、お待たせました」
高嶺が再び眦を緩めて笑う。先ほどとは違う、心からの笑みで。
「ああ。一緒にやろう、日香」
祖神たちの還御式を。日香は静かに頷いた。
「はい」
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