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本編
39.エピローグ
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◆◆◆
それからも季節は移ろい、星は巡り、時間は進み、世界は崩壊と再生を繰り返しながら前へ前へと進んで行った。
『……香、日香』
天界よりもさらに上にある絶域で、物思いに耽っていた日香は目を開いた。虹色の光に満たされた空間の中、周囲には紅色の煌めきが瞬いている。
ここは至高神が御坐す超天の中でも、日香の領域に属する場所だ。目の前に漂って来た藍色の燐光が弾け、日香と同様に人型を取って顕現した。
『――あなた』
唇を綻ばせた日香の呼びかけに、懐かしい姿になって顕われた高嶺が臈長けた美貌に笑みを浮かべた。
『また人間の姿になっていたのか。未だに人身を取るのはそなたくらいだ。私もこの姿は久方ぶりだ』
至高神はどんな姿にもなれるが、今もなお人の姿を取っている者は少ない。
『いいじゃないですか。私にとってとても思い出深い姿ですから』
『自身が良しと思うならば、そうすれば良い。……随分とぼんやりしていたようだが、どうかしたのか』
小首を傾げて問いかけられ、日香は遥か彼方の記憶を辿るように視線を馳せた。
『ずっとずっとずーっと昔のことを思い出していたんです。まだ神々が怒っていた頃……私たちや私たちの子孫が地上にいた頃のこと』
きょとりと瞬きした高嶺が笑う。
『本当に遥か来し方の話だな。天威師が全員地上から撤収し、この超天に還って来てから、もうかなりの年月が経つというのに』
『そうですね。でも未だにあの時間が脳裏に浮かぶの。辛いことや苦しいことばかりだったけど、思い出深い時間だったから』
にっこりとして告げれば、こちらを見返す流麗な面が苦笑を帯びた。高嶺にとっては楽しい時間ではなかったのだろう。
日香や高嶺たちが天威師の皮を脱いで超天に帰還した後、本人がポツポツと話してくれた。
誕生直後に天威師として覚醒した高嶺は、言い換えれば、顕現した瞬間から己の使命を悟っていた。そして絶望した。
来る日も来る日も神鎮めに明け暮れ、苦痛を伝えることすらできず、消耗しない消耗品として自分を使い潰すことを宿命付けられていると察したからだ。
『私は絶望と共にこの世に生まれ落ち、絶望の産声を上げて生誕を知らせたのだ。――私は誕生の瞬間から常に絶望と共に在った』
そんな高嶺を支えていたのは、次兄の秀峰であったという。人間の兄を見捨てられない、守らねばという一心が、地上に残る原動力となっていた。
だが、やがて秀峰は遅咲きで覚醒し、高嶺と同じ側に――天威師の側に来た。それにより、高嶺が人を守る理由がなくなった。
始まりの神器にほとんど光を注げなくなり、強制送還すれすれのところまで来ていた高嶺を見ていた他の天威師たちは、一様に悟っていた。高嶺には、己を照らしてくれる太陽が必要なのだと。その光の導きの下でならば、彼は今少し地上に留まることができるであろうと。
そして、人を愛する日香こそがその太陽であった。
日香にとっても、高嶺の側は心から安心して休むことができる唯一の場所だった。常時輝き続ける太陽すらも包み込み、静寂と安寧を与える夜闇の腕のごとく。
『我はてっきり、生と死が――紅の子と黇の子が想い合うと考えておった。しかし実際は違った。どうなるかは分からぬものだ』
ポツリと呟いていたのは翠月神だ。彼は遥か昔に帝祖として地上に降臨していた期間に、幾重にも制限をかけた天威で次々と未来の出来事を予言し、それらのほとんどを的中させていた。
遠い未来で日香と秀峰が顕現する光景を垣間見た際は、この二人が結ばれると予想したのだという。それがまさか、三千年も後のことだとは思っていなかったらしいが。始まりの神器の耐用年数が千年であり、皇国と帝国の名に千が入っていたように、当初の見立てでは長くても千年ほどで天威師の役目は終わると見込まれていた。
だが、神々の怒りは想定より遥かに長く続き、日香と秀峰は互いに別の者を伴侶に選んだ。
『やはり神威の断片でしかない天威では、完全な未来視は無理ということだな。改めてこの目で直に確認して分かった。紅の子と藍の子、そして黇の子と朱の子以上に相応しい組み合わせはないであろう』
予言を超えられてしまったな、と頭をかく帝祖に、当たり前だと日香は思った。
自分と高嶺――光と闇が惹かれ合い愛し合ったのは当然であり必然のことなのだから。
目の前の高嶺が優しく手を差し伸べる。
『ならば父上方や兄上方、子どもたちと一緒に当時のことを語ろう。皆喜んで付き合ってくれる』
『ええ、そうしましょう』
日香は微笑んで夫の手を取った。二人並んで、虹の中を歩いて行く。天の領域には、大切な身内や祖神、末裔たちがいる。もう、地上で天威師をしていた頃のような苦痛を受けることはない。還るべき絶域に還り、至高の神に戻って久しい今は、ただ穏やかで満ち足りた幸福だけがあった。
『あっ、佳良や当真君、フルード君たちとも話したいな。後で会いに行こうっと』
歩を進めていると、頭上から柔らかな視線を感じた。目を向けると、出会った時と変わらぬ穏やかな眼差しが見下ろしていた。
『どうしたんですか?』
『いや、可愛いなと思っていただけだ。……うん、日香は本当に可愛いな』
『あなたこそいつもながらかっこいいですよ』
何度繰り返したか覚えていないこのやり取りは、しかし一向に飽きることがない。夫が一瞬だけ黙り、照れたように言った。
『名前で読んでくれ。そなたの声で呼ばれたい』
立ち止まってきょとんとした日香は、同じように足を止めた相手と見つめ合い、ふふっと相好を崩した。
『分かりました』
天に帰還した以上、地上で暮らしていた時のような個人名は必要ない。しかし、愛しい者たちと呼び合った名は、用を終えてもなお、日香の宝物となっていた。今後も永久に。
『はい、いつでも何度でもお呼びします――高嶺様』
それからも季節は移ろい、星は巡り、時間は進み、世界は崩壊と再生を繰り返しながら前へ前へと進んで行った。
『……香、日香』
天界よりもさらに上にある絶域で、物思いに耽っていた日香は目を開いた。虹色の光に満たされた空間の中、周囲には紅色の煌めきが瞬いている。
ここは至高神が御坐す超天の中でも、日香の領域に属する場所だ。目の前に漂って来た藍色の燐光が弾け、日香と同様に人型を取って顕現した。
『――あなた』
唇を綻ばせた日香の呼びかけに、懐かしい姿になって顕われた高嶺が臈長けた美貌に笑みを浮かべた。
『また人間の姿になっていたのか。未だに人身を取るのはそなたくらいだ。私もこの姿は久方ぶりだ』
至高神はどんな姿にもなれるが、今もなお人の姿を取っている者は少ない。
『いいじゃないですか。私にとってとても思い出深い姿ですから』
『自身が良しと思うならば、そうすれば良い。……随分とぼんやりしていたようだが、どうかしたのか』
小首を傾げて問いかけられ、日香は遥か彼方の記憶を辿るように視線を馳せた。
『ずっとずっとずーっと昔のことを思い出していたんです。まだ神々が怒っていた頃……私たちや私たちの子孫が地上にいた頃のこと』
きょとりと瞬きした高嶺が笑う。
『本当に遥か来し方の話だな。天威師が全員地上から撤収し、この超天に還って来てから、もうかなりの年月が経つというのに』
『そうですね。でも未だにあの時間が脳裏に浮かぶの。辛いことや苦しいことばかりだったけど、思い出深い時間だったから』
にっこりとして告げれば、こちらを見返す流麗な面が苦笑を帯びた。高嶺にとっては楽しい時間ではなかったのだろう。
日香や高嶺たちが天威師の皮を脱いで超天に帰還した後、本人がポツポツと話してくれた。
誕生直後に天威師として覚醒した高嶺は、言い換えれば、顕現した瞬間から己の使命を悟っていた。そして絶望した。
来る日も来る日も神鎮めに明け暮れ、苦痛を伝えることすらできず、消耗しない消耗品として自分を使い潰すことを宿命付けられていると察したからだ。
『私は絶望と共にこの世に生まれ落ち、絶望の産声を上げて生誕を知らせたのだ。――私は誕生の瞬間から常に絶望と共に在った』
そんな高嶺を支えていたのは、次兄の秀峰であったという。人間の兄を見捨てられない、守らねばという一心が、地上に残る原動力となっていた。
だが、やがて秀峰は遅咲きで覚醒し、高嶺と同じ側に――天威師の側に来た。それにより、高嶺が人を守る理由がなくなった。
始まりの神器にほとんど光を注げなくなり、強制送還すれすれのところまで来ていた高嶺を見ていた他の天威師たちは、一様に悟っていた。高嶺には、己を照らしてくれる太陽が必要なのだと。その光の導きの下でならば、彼は今少し地上に留まることができるであろうと。
そして、人を愛する日香こそがその太陽であった。
日香にとっても、高嶺の側は心から安心して休むことができる唯一の場所だった。常時輝き続ける太陽すらも包み込み、静寂と安寧を与える夜闇の腕のごとく。
『我はてっきり、生と死が――紅の子と黇の子が想い合うと考えておった。しかし実際は違った。どうなるかは分からぬものだ』
ポツリと呟いていたのは翠月神だ。彼は遥か昔に帝祖として地上に降臨していた期間に、幾重にも制限をかけた天威で次々と未来の出来事を予言し、それらのほとんどを的中させていた。
遠い未来で日香と秀峰が顕現する光景を垣間見た際は、この二人が結ばれると予想したのだという。それがまさか、三千年も後のことだとは思っていなかったらしいが。始まりの神器の耐用年数が千年であり、皇国と帝国の名に千が入っていたように、当初の見立てでは長くても千年ほどで天威師の役目は終わると見込まれていた。
だが、神々の怒りは想定より遥かに長く続き、日香と秀峰は互いに別の者を伴侶に選んだ。
『やはり神威の断片でしかない天威では、完全な未来視は無理ということだな。改めてこの目で直に確認して分かった。紅の子と藍の子、そして黇の子と朱の子以上に相応しい組み合わせはないであろう』
予言を超えられてしまったな、と頭をかく帝祖に、当たり前だと日香は思った。
自分と高嶺――光と闇が惹かれ合い愛し合ったのは当然であり必然のことなのだから。
目の前の高嶺が優しく手を差し伸べる。
『ならば父上方や兄上方、子どもたちと一緒に当時のことを語ろう。皆喜んで付き合ってくれる』
『ええ、そうしましょう』
日香は微笑んで夫の手を取った。二人並んで、虹の中を歩いて行く。天の領域には、大切な身内や祖神、末裔たちがいる。もう、地上で天威師をしていた頃のような苦痛を受けることはない。還るべき絶域に還り、至高の神に戻って久しい今は、ただ穏やかで満ち足りた幸福だけがあった。
『あっ、佳良や当真君、フルード君たちとも話したいな。後で会いに行こうっと』
歩を進めていると、頭上から柔らかな視線を感じた。目を向けると、出会った時と変わらぬ穏やかな眼差しが見下ろしていた。
『どうしたんですか?』
『いや、可愛いなと思っていただけだ。……うん、日香は本当に可愛いな』
『あなたこそいつもながらかっこいいですよ』
何度繰り返したか覚えていないこのやり取りは、しかし一向に飽きることがない。夫が一瞬だけ黙り、照れたように言った。
『名前で読んでくれ。そなたの声で呼ばれたい』
立ち止まってきょとんとした日香は、同じように足を止めた相手と見つめ合い、ふふっと相好を崩した。
『分かりました』
天に帰還した以上、地上で暮らしていた時のような個人名は必要ない。しかし、愛しい者たちと呼び合った名は、用を終えてもなお、日香の宝物となっていた。今後も永久に。
『はい、いつでも何度でもお呼びします――高嶺様』
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