すっぽんじゃなくて太陽の女神です

土広真丘

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番外編 -焔神フレイムとフルード編-

優しいだけでは エピローグ下

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『お兄様?』

 彼の視線の先を追うと、掴んだ右手の甲に向けられていた。何だろうとよくよく目を凝らすと、甲の真ん中に、ほんの微かに白い筋が付いている。血も出ていない。肌の一番上にある薄皮が僅かにこすれただけだ。
 木の葉か枝がかすったのだろう、と思った瞬間、山吹色の双眸がギロリと動き、フルードの胸を睨み付けた。

『――何をしている!』

 鋭い叱責が飛ぶ。だが、フルードに対してではない。フルードの魂の内に在る別の自分に対してだ。地上にいた頃は焔の神器と呼ばれていたもう一柱のフレイムは、フルードが昇天してからも、ここが一番居心地が良いと言って魂中に留まっている。

『きちんと守れ! みすみす怪我をさせるとは……お前は何のためにいるんだ!』
『けが?』

 フルードの目が点になる。自分がどこに怪我をしているというのか。もしや――この手の甲の傷……とすら言えない、軽くこすれば消えそうな線のことを言っているのか。

 ボッとフルードの胸に焔が灯った。紅蓮の神炎が迸り、フレイムに火の粉を噴きかける。

『何だって? ……あんまり甘やかすと良くないから、断腸の思いで守らなかった? 何言ってんだ、小さな傷を油断するのが一番怖いんだぞ! ……獅子が我が子を崖に突き落とす思いで我慢した? それで万一悪化したらどうするんだ! ……怪我した瞬間に体内は即座に完全消毒して、外から良くないものが一切入らないように無菌バリアー張って、手の傷もこれ以上にはならないように抑えた? ――そうか、そんならギリギリ大丈夫かな……』

 過保護。
 兄馬鹿。
 その言葉に尽きる。

 フルードは達観した目で兄たちの会話を眺めた。

『お兄様方、これは一般的には傷と言いません。表皮の一番上が少し擦れただけです。というか僕は神なのですから、消毒や菌対策など不要ではありませんか』

 だが、フレイムは聞いていない。掴んだままのフルードの手をめつすがめつしつつ、寒気がするほど真剣な目で、本当に大丈夫なのかとボソボソ会話している。

『お兄様から聖威師の修行を受けていた頃や、聖威師としての務めをこなしていた頃は、本当の大怪我をしょっちゅうしていましたよ。当時のお兄様方はこんなに大騒ぎしていなかったではありませんか』
『あの頃の俺たちはずっと我慢してたんだよ。お前が選んだ道だからって思って、紅涙を絞る思いでな。内心ではこうして心配してた! ユフィーに対してもそうだ。俺はユフィーのこともこんな感じで心配しまくってたんだぜ!』

 やめて下さい……心からそう念じるフルードだが、すっかり顔色を失くしたフレイムは止まらない。手の甲の傷とも言えない線を治癒し、真剣な顔で言う。

『治しはしたが、念のために今すぐベッドに入って安静にするんだ。俺の領域内を全て無菌状態にするから今夜は泊まってけ。今夜は一晩中、俺が枕元にいて看護してやるから!』

 フルードは、アホですかあなた、と思いつつも動じない。何故なら、。フルードが天界に還ってから、フレイムは常にこんな感じだ。というか、神は自身の特別な者に対して常にこんな感じだ。これが通常運転である。もう慣れた。

『フルード様、聞いて下さい』

 蘇るのは、フレイムの愛し子であり自分の教え子の言葉。以前、彼女と一緒に茶を飲んだ時に話してもらったことだ。

『私、この前フレイムの神殿で転んだのです。といっても怪我はしなくて、少しよろけて膝を付いただけなのですけれど……フレイムがそれはもう慌てて慌てて慌てまくって。神殿の床と壁の全てをフッカフカのプレイマットで覆って、怪我をしたわけでもない膝に包帯を巻きまくって、翌日まで一歩も歩かせてもらえずにお姫様抱っこで運ばれていました。一日中、フレイムがずっっっと横に張り付いているんです』

 真顔で言った彼女は、その後ふと微笑んだ。真理の最奥まで悟り切ったような穏やかな目で。

『フレイムってバカですよね』

 その言葉に、フルードは『そう思います』と即答した。そして、二人して過保護すぎる焔神の愚痴で盛り上がったのだ。

 当時のことを思い出しつつ、フルードはシレッとフレイムの手を退かし、神苑を見回す。

『おい、早くベッドに行って安静に』
『僕を鍛えて下さったのはお兄様です。僕はお兄様を信じています。あなたが精魂込めて育てて下さったこの身は、先ほどのかすり傷程度でどうにかなるようなヤワなものではないはずです』

 フレイムがハッと言葉を止めた。火の粉を振りまき、早く安静にしろという念を伝えていたもう一柱のフレイムも、身の内でピタリと静止して沈黙する。

『僕はお兄様を信じますから、お兄様も僕を信じて下さい』

 一体何を言ってるんだ自分は、と内心で己に突っ込みつつ、全く理屈が通っていない言い分で押し通す。これでも通ると、今までの経験上分かっていた。何故ならいつものことだから。

『…………分かったよ、しゃーねえな。少しでも体の不調を感じたらすぐ言うんだぞ。この領域を出た後だったら、念話するか神器に言うんだ。分かったな?』
『はい、分かっています』

 ヒラっと手を振り、にっこりと籠を指した。

『それで、木犀以外の他の花もいただいて良いでしょうか?』

 疑問形にしているが、自分の頼みがフレイムに断られるという想定はなかった。薄黄木犀うすぎもくせいを多めにした花々でブーケや花籠を作り、妻子にプレゼントしようと考える。地上においては、木犀の花は日持ちがしないものだが、ここは天界だ。神苑に咲いている花は、そうそう枯れることはない。

『おー、好きなのを好きなだけ持ってけ』

 籠の側に控えた従神がニコニコしている。彼らも主神の過保護には慣れているので、全く動じていない。

『ありがとうございます』

 礼を言い、良さそうなものをあれもこれもと遠慮なくザカザカ採っていく。が、近くにあった一本の木を見た途端に声を上げて飛び上がった。

『どうした!?』

 フレイムがすぐさま血相を変えてすっ飛んで来る。繰り返すが過保護である。

『す、すみません……木のみきの模様が人の顔に見えたのです。それでびっくりしてしまいました。お兄様の領域に危険なものなどあるはずがないのに』

 それを聞いたフレイムが小さく噴き出す。

『大神官時代のお前なら絶対やらない大ポカだな。だが、それで良い。それで良いんだ。自分の素を出していればいい。重責を背負う時期は終わったんだからな』

 この天界では、もう当時のような重荷は背負っていない。傷付くことはなく、痛みも悲しみも苦しみもない。自分を偽らなくてもいい。本当はとても臆病で内気で、お化けも暗闇も大きな音も大の苦手な、あるがままの自分でいられる。

 もちろん、かつての大神官モードになろうと思えばいつでもなれる。戦闘力に衰えはない。むしろ、神に戻ったので聖威師の頃とは比べ物にならないほどに強くなり、完全になった。
 ただ、よほどのことがない限り、もうあの頃の自分に逆行することはないだろう。自分を付け狙っていた――運命を変えても変えても、どこまでもフルードを不幸に堕とそうとしていたも、地上にいる時に生じたの際にその全容が明らかになり、フレイムを始めとする神々が対処してくれたので、もうあの脅威も無い。

 聖威師として果てた時、狼神と共に天に導いてくれたフレイムに言われた。

『今後は堪える必要はない。我慢も無理もしなくていい』
『もっと贅沢になれ。貪欲になれ。わがままになれ。そして溢れるくらい幸せになれ』
『俺が全部叶えてやるから。これからは甘えていいんだ、セイン』
『優しいだけではもったいない。そうだろう』

 色とりどりの花を片端から籠に入れていくと、フレイムが愉快そうに笑った。

『いいぞ、欲しいモンはどんどん取ってけ』
『はい』

 かつての自分なら、きっと遠慮してしまっていた。だが、今は違う。

『お兄様、今度のアフタヌーンティーではプレーンとショコラとオレンジのフィナンシェが食べたいです』
『ん、分かった』
『それから、スコーンとチョコレートとミニパンケーキと……マフィンもお願いします。後は、サンドウィッチとチーズクラッカーと……そうだ、飲み物は冷たいものもご用意いただけると嬉しいです』
『分かった分かった。てか、お前もたくさん食べるじゃねえか』

 天界に来て癒されていくうちに、自分が欲しい物、して欲しいことをはっきり言えるようになったフルードに、フレイムは心から嬉しそうな顔をしている。

『お兄様の料理は最高ですから。いっぱい用意しておいていただかないと、一人で全部食べてしまいます。これまでは遠慮してあまり取らないようにしていたんです。ですが、今後は食べたいものは食べたいだけ取るようにします。特にフィナンシェは好きなので、全種類たくさん食べたいです』

 天に昇って初めて、真の意味での平穏と安寧と幸福を手に入れた。それらはもう二度と、フルードから失われることも奪われこともない。現在、そして永劫の未来まで、自分はずっとずっと幸福だ。

『大量に作ってやるから、余ったら包んで持って帰りな。けど、ユフィーも甘いものは結構食べる方だぜ。俺もクラッカーは好きだし……争奪戦になったりしてな』
『負けませんよ』

 花を抱え、フルードは微笑んだ。
 幸せに包まれた中で、同じく幸せしかないティータイムの光景を今から想像しながら。

『今の僕はもう、優しいだけではないですから』
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