健康優良男子が不健康女子に片思い中です。

法花鳥屋銭丸

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中学編

中三・小寒の末候②

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 ぽろぽろぽたぽた、声もあげずに涙をこぼすイコを見て息を忘れた。
 固まった俺をよそに、伊井先生はイコを手招きする。

「どうした世渡、せっかく受かったんだろ」

 こくこく頷きながらイコは伊井先生の前に立った。伊井先生はイコの頭をなでつつ、目線で俺にイスを勧める。

 動けない。
 どうしてだ。どうしてなんだよイコ。せっかく受かったじゃないか。一緒に通えるじゃないか。
 それに、何か悲しいことがあるのなら、どうして俺を頼ってくれないんだ。
 なんでだ。

 イコは先生に頭を撫でられながら「うー」とうなる。真っ赤になってしまった頬に、いくつもいくつも涙がこぼれていく。
 ああ、そんな風に唇を噛むなよ。
 可愛い小さな唇が切れる。

「高校生になれるかなって、心配してたじゃないか。誰より早く決まっただろう、喜べ喜べ」
「やだぁ」

 先生の言葉に、イコは小さくいやいやをした。

「さよなら、やだぁ」

 ああそうか。
 そういうことか。
 イコが高校生になる実感がないといつか嘆いていたのも、進学する高校にこだわりがないのも、なっていいのかと心配するのも、全ての根っこは一緒なのだ。

 イコは、今とっても安定していて、だから高校生になりたくないのだ。
 中学を卒業することも、仲のいい友達と別れることも、慣れ親しんだ塾を辞めることも、全部全部、望んでいないのだ。
 だから、進学先などどうでもよかったのだ。
 どこだろうと、一番大事な今が終わってしまうなら。

 その事実は、思った以上に俺に衝撃を与えた。
 一緒に勉強してきたのも、見たくないものから目をそらすためだったんじゃないかと、そんなことさえ考える。

「おいおい、やめてくれよ、ようやく肩の荷が降りると思ったのに。ほれ、座れ! 岩並もだ」

 先生の指示にイコも俺も手近なイスへ座る。先生はイスのキャスターで席に戻ると、机へ頬杖をついた。

「7年間は長かったなあ、お前最初、小三の頃なんか塾で寝てたもんな! たまにしか来ないくせにさあ」
「寝てた?」

 思わず聞いた俺ににやりと笑いかけると、先生は泣くイコをよそに、俺に向かって話しはじめた。

「学校で疲れてるところにここまで歩いてきてヘロヘロで、授業中寝るんだよ。お前何しに来たって感じだろ? ド新人でこいつを教える羽目になった俺に同情してくれよ。月謝を貰っている以上、成績あげないといけないわけだろ」

 教えようにも寝てるんじゃ、確かに話にならない。

「でもさ、今日の授業は我ながら上手くいった、なんて日は、こいつ眠い目こすりながら聞いてるのさ。俺はがんばったね。寝かすもんかと思ったね」

 ふふん、と伊井先生は胸を張る。
 休みがちな上、授業中寝る生徒。普通ならお手上げだが、この先生なら確かに諦めなかっただろう。
 イコいわく、超意識高い系理想主義者の伊井先生なら。

「今でもそうだぞ。こいつがいるときは、たいていの講師がこいつを授業の指標にしてる。わかりやすいからな。目をきらきらさせて聞いていたら大成功、それなりに聞いてるならまあ合格。関係ない英語のプリント出して、村〇春樹風の訳文にチャレンジしてたら、即刻授業改善が必要ってな!」

 授業中に何やってるんだイコ。
 俺はイコの方にちらりと目をやる。イコはタオルハンカチで目元を拭いながらクスンと鼻を鳴らしているが、先ほどより落ち着いてきたようだ。
 合わない高さのイスに腰掛け、足がぷらぷらしているのがやっぱり可愛い。

 ふと気付く。
 イコが泣いたのを見るのは、3年間ではじめてだ、と。

「泣くな世渡。それはお前が合格するように、高校生になれるようにと心を配って尽力した、お前を大事に思っている人間への冒涜ぼうとくだ」

 きっぱりと伊井先生は言った。

「永井のように自分の進む道を見つけた人間と、まだ見つからないお前のような人間が、同じところで同じ事を習うのはもう無理だ。わかっているんだろう?」

 イコが顔をハンカチでおさえたまま頷く。

「永井を応援するんだろう?」

 何度も、何度もイコが頷く。

「永井みたいな人間を羨ましいと思うなら、お前もそういう人間になればいい。周回遅れでも見つけられれば誰も文句言わないさ。でもそれは、今のところで足踏みしていては絶対に無理だ」

 少しずつ、先生の口調が穏やかで優しいものになっていく。

「高校3年間でなりたい自分を見つけろよ。学舎に落ちた人間だっているんだぞ? そいつらに『何やってるんだ代われ!』なんて言われるなよ」

 そうして、先生はまたイコの頭をなではじめた。

「本当はわかってるんだよな。でも寂しくて泣いたんだな。言っちゃいけないことだから、今まで誰にも言えなかったんだな?」

 こくこくと、まるで壊れたおもちゃみたいに、何度もイコは頷いた。

「よしよし。言って、注意されてすっきりしたか? そうか、じゃあ顔洗ってこい。それで帰ったら、みんな入試に落ちたと思うぞ」

 イコは何度も何度も頷きながら、職員室を出て行った。伊井先生は深くため息をつくと、イスの背もたれに体を預ける。

「やれやれ。とうとう言ったなあの甘ったれ」

 そうぼやいて、俺を横目で見た。

「岩並、あいつを甘やかすなよ」

 厳しいひと言だった。
 俺が、イコをぐずぐずに甘やかしてやりたいと思っていることを、見透かしているように。

「あいつは甘ったれだけど、両親に甘やかされながら、このままじゃ自分がダメになるんじゃないかって怯えてるふしがある。だから辛辣なことを言ってくれる人間が好きだ。永井みたいな奴がな」

 だからか。
 聞いて欲しくて一喝されたくて、だから俺には言ってくれなかったのか、イコ。

「あいつを甘やかしてると、しまいには離れていくぞ。一緒にいたいなら気を付けろ」
「っ!」

 思ってもないことを言われて動揺する俺を置き去りに、先生は言葉を続ける。

「あいつはこれから大変だ。小中9年間は、周りがみんなあいつを知っていて、体のことに説明なんか要らなかっただろうが、学舎にあいつを知ってる奴はいない。ひとつひとつ、自分で説明して、理解や了解を求めて、自分で自分の居場所をいちから作らないといけない。あいつがこれからについて怯えるのも、あながち間違いじゃないんだ」

 さっきまでイコの座っていたイスを眺めて、先生の視線が厳しいものに変わる。

「世渡の親御さんは、校則の厳しい学舎の真面目さが、あいつを守ってくれると考えたみたいだが。俺に言わせりゃ私立の真面目さなんか、アテにならない。教育委員会の監視もユルくて、教師の移動や転勤もないからな。1度問題児扱いされたら、公立よりタチが悪いんだ。よほどうまく立ち回らないといけない」

 伊井先生、あなたはそこまで見ているんですか。
 塾を離れ高校生になるイコを、肩の荷が降りるなんて言いながら、そこまで心配しているんですか。

 先生は顔をこちらに向けた。困ったような笑みを浮かべる。

「岩並も、自分のことで大変になるだろうが。余力があれば、あいつをみてやってくれな」

 他ならぬこの人の前で、イコが寂しいと、本音で泣くほどの、絆がある。塾の講師と生徒というより血縁のような。町支部校のアットホームさで済まされない仲。7年間の仲。
 ああ、そうか。
 伊井先生このひとは、仕事と割り切るには情が深すぎるのだ。

「もちろんです、先生」
「そうか。……改めて、合格おめでとう岩並。お前が望んでいた環境を、満喫できるよう願っているよ」

 柔らかな言葉に本音と情を感じて思う。
 俺はやっぱり、町支部校に移ってきて正解だったんだ、と。
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