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中学編

中三・啓蟄の末候④

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「にゃーん、かわいいなー。るりちゃんかわいい」

 俺の腕の中で楽しげにるりをかまうイコが可愛い。

 選抜2組に入ったことに動揺していたイコは、2人きりで過ごしているうちに表情が柔らかくなった。
 俺の部屋ではしゃいでいる姿もコマネズミみたいで可愛かったが、腕の中で落ちついて、リラックスしていくイコを間近で見られるのは格別だ。
 抱きしめてくちづけし、触れることを喜んでもらえる、そんな関係になれたのだと、あらためて幸福に思う。きわどいところまで触れあっているのに、今更だろうか。

「たぁくんは新しい環境、心配じゃないの? クラスメイトに先生に、部活の先輩とか」

 腕の中から不思議そうに訊かれ、小さな手で頬に触れられ、可愛くて可愛くてしかたなくて、その手をとってくちづける。

「今心配してもどうにもならないことだから、とりあえず他のことを考えることにしているんだ。やらなきゃいけないことも多いしな。心配がないわけじゃない」
「やっぱり切り替え上手になるのが1番なのかなあ」

 イコは俺に手を預け腹にるりとアルバムを抱えたまま、真面目な顔で考え込む。イコの不安や心配が少しでも減ればいいと思う。

 2人きりで触れあう時間を作ることは案外難しい。ふたりとも、自宅に必ず家族がいるからだ。イコのお母さんは専業主婦だし、うちは自営業である。新学期が始まれば、今までみたいに勉強会ばかりしていられないし。
 仕方のないことだとはいえ、せっかく会う機会が増えたのに、人目をはばかりくちづけさえまともにできないのはゆゆしき問題である。触れあうことで、イコが安定するのであればなおさらだ。
 それに。
 俺だって、イコに触れたい。

 これからふたりとも忙しくなる、しばらく一緒にいる時間すらとれなくなるに違いない。思うさまイコに触れ、イコを最後まで抱けるようになるのはいつだろう。体だけが欲しい訳じゃない、だけど。
 ああ。
 まずは、新学期の忙しさにかまけて、イコと心まですれ違わないように気を付けないと。ようやく俺に振り向いてくれたのだ、失ってたまるか。
 俺の大事な、大事な、可愛い小さなお姫様。
 俺はイコの小さな手へ頬ずりする。先ほどより指先が温かくなった。抱えているせいだろう。

「暑くないか」
「ううん、あったかくて嬉しい。たぁくんの腕の中大好き。ねー、るりちゃんもそうだよねー」

 散々優しい手でなでられかまわれて、るりはイコに慣れたらしい。首のあたりをくすぐられて、目を細めながら小さく鳴く。

「あんまり、るりばかりかまうなよ」
「んん?」

 手の甲や指先へくちづけながら言えば、イコは目を丸くしてから笑い出す。

「たぁくんスネちゃったのですか! たぁくんもかわいいよーよしよし」

 先程までくちづけていた小さな手が、俺の頬を、耳をなでる。
 ぞくりとした。体が反応しそうになって、気をまぎらわすためイコの頭へたくさんくちづける。
 くすぐったいよ、とイコが笑った。俺の部屋にイコの笑い声が満ちる。幸せすぎてくらくらする。
 このまま腕の中にイコを閉じ込めてしまえたら、どんなにいいだろう。

「イコ」
「んー?」
「大好きだ」
「ふわあ直球きた!」

 イコは目を丸くすると、嬉しそうに笑って、たぁくんが大好き、と返してくれた。


 ◇


 イコは俺が贈ったアルバムと、春彼岸にばあちゃんたちが作ったぼたもちを土産にもらい、お母さんと嬉しそうに帰って行った。「選抜クラスになったって血相を変えていたけど、イコちゃん、丈夫君と一緒にいたら落ちついたみたいね? 丈夫君ありがとう」なんてイコのお母さんに言われて照れくさかった。
 小さなことでも認めてもらえることが、イコの隣にいてよいと言われているようで嬉しい。

 イコたちを母さんが送って行ったのを見送ると、俺はじいちゃんにお茶にしようと声をかけるため、庭を横切り物置へ向かう。

 年度末もあって、ここらの地域で春彼岸はあまりあいさつ回りもしなくなった。それでも訪ねてくる人がいるかもしれないし、中日には墓参りをする。
 田んぼに植える苗を育てたり、果樹のいらないつぼみを摘み取ったり肥料をやったりと、春彼岸を抜きにしてもうちは忙しい。
 彼岸の入りは実力テストに今日のオリエンテーション、明日の終業式とばたばたしていて、思うように手伝えない。
 学費の心配は軽くなったけれど、イコと過ごせて浮かれていたぶん、手伝えないのは少々後ろめたかった。

「じいちゃん、お茶にしよう」

 物置の奥から桶やひしゃくなど墓参りの道具を出していたじいちゃんに声をかける。おう、丈夫、とじいちゃんは顔をあげた。

「いいのか、こっちに来て。あの、小さな嬢ちゃんが来てるんだろう?」
「母さんが送っていった」
「そうか」
「じいちゃんがいなかったから、桃の花のお礼が言えないってイコが残念がってたよ」
「気にせんでいいのになあ。気張ってくれたのは嘉規さんちだろう、また会ったら礼を言わんとな」
「うん。これ、洗えばいいのか」
「ああ、ざっとゆすぐくらいでいい」

 じいちゃんが簡単にゴミを払った桶やひしゃくを受け取って、物置の横、蛇口の前へしゃがむ。
 腕まくりをして桶へ水を少し入れ、回して中をゆすいでから流す。あらかたゴミを流し終えてから、全体を簡単に水洗いする。

「じいちゃん、父さんたちから聞いた。俺が学舎を受けること、後押ししてくれてありがとう」

 他の桶のゴミを払っているじいちゃんに礼を言う。もっと早く言えればよかったけれど、なんとなく機会を失っていたのだ。

「なぁに、丈夫ががんばったからさ。約束してからずっと中学じゃ1番の成績をとってたし、高校に入る前だってのに、もう奨学金が決まったっていうんだろ? すごいもんだ」
「じいちゃんが、俺のために果樹園手放すなんてイヤだったから」

 桃に葡萄、洋梨にさくらんぼ。甘い果実が実る果樹園は、じいちゃんがばあちゃんに捧げた愛情そのものだ。

「なんだ土地の話か?」

 じいちゃんは桶を置いて立ち上がり、大きくのびをしてから腰をさすった。

「いつも作業中、軽トラとめるところがあるだろ。もしもの場合は、あの道路に近い部分を売りに出そうと思ってた。そばまで宅地になったからな、駐車場目的で買いたいって言ってたところがあるのさ。丈夫ががんばったから、売らずにすむ」
「そうか。安心した」
「ああ。でもまあ、いっちょまえに金の算段を自分で解決したんだ、もう子ども扱いは卒業かね」

 洗った桶とひしゃくを風通しのいいところへ干したら、俺とじいちゃんは連れだって玄関へ戻る。

「あの、小さな嬢ちゃんとは上手くいってるのかい」

 長靴のかかとに付いた土を落としながらじいちゃんが訊く。からかうような口調に顔が熱くなった。

「上手く、いってると、思う」
「そうかい、そりゃあよかった」

 じいちゃんは面白そうに笑う。

「一足早い春だなあ。じき、どこもかしこも花盛りだ。咲く前にじいちゃんも、もうひと頑張りしねえとな!」
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