2 / 71
座敷童、嫁に行く。
2、三男坊は化かされを疑う。
しおりを挟む「ええと」
闇にほの白く見える顔。襖にかけられた小さな手。ひとが死に絶えたという集落ではちょっとお目にかかりたくない子どもの人影。
なのだけれど。
その影はしゃがみ込むと、またひとつ胡桃をこちらへ転がした。足は先ほどよりも勢いよく転がってくる胡桃を、体へ当たる前に手で受け止める。目を近づけてみると、どうも煎ってあるらしい。
「……くれるのかい」
うん、と子どもが頷く。
「ありがとう。でもこれどうやって殻を割ればいいのかね、金槌でもありゃいいんだけどなあ」
「!」
足の言葉に子どもは驚いたようだった。そわそわと回りを見渡し、意を決したように襖から出て、てててっとこちらに来る。
可愛い子どもだった。
十をこえたかこえないか、たぶん女の子だろう。黒目がちの目に長いまつげ、あまりの肌の白さに現実感がない。
垢じみた所も全くなく、不快なにおいもない。囲炉裏の火に照らされるおかっぱの髪もさらさらだ。着ているものも身綺麗である。
ひとが絶えた集落では異様なくらいに。
「ん? よこせって?」
こちらに突き出された小さな手に、胡桃をふたつ乗せてやる。手からこぼれ落ちそうなそれを、子どもの手はぐっと握ってみせた。
ごりっ。
「うわ」
開かれた手の上の胡桃は、片方にひびが入っていた。えっなにそれ怖い。怪力でくびり殺されてはたまらないと足は思う。
「すごいねえ、おまえさん、見かけによらずに力が強いのかい」
ちがう、と子どもはかぶりを振った。割れた胡桃を足に渡し、懐からもうふたつ胡桃を出すと、足に見るように示す。
煎られた胡桃は、殻が固く閉じているように見えて隙間ができている。そこの隙間に、もうひとつの胡桃の尖っているところを押しつけて見せた。
「そうやって握れば割れるって?」
うんうん。頷いた子どもはやってみろとばかりに、新しい胡桃を渡してくる。足はあぐらをかいたまま自分の着物の裾を整えへこませ、割れた胡桃をそこに置くと、無傷の胡桃を受け取った。
「ここを、こうして? で、握る、ったた! 痛ー!」
痛みに足は胡桃を取り落とした。子どもは驚いたか、足の横にぱっとしゃがんで手元をのぞき込んでくる。
「胡桃が刺さったよ。うう、痛い」
涙目で、胡桃の尖った先っぽの跡が付いた手のひらを見せれば、子どもは目を丸くした後、くすくすと笑いはじめた。
「俺はおまえさんみたいに器用じゃないんだ、仕方ないだろう」
傍らにしゃがみ込んだ子どもは器用と言われてにっこり笑う。
「ここのうちの子かな、ぶしつけに上がって悪かったね。この通り、怪我をして、山を下りられないんだ。しばらくここでお世話になりたいんだけど」
子どもは首をかしげて足の話を聞いていたが、うん、と声を出さずに頷いた。
「他のひとは? おとなはいないか」
うん。
「おまえさんだけかい」
うん。
「そりゃあ……寂しいねえ」
子どもはゆっくりとまばたきをした。一拍置いて、じわじわとそこに涙があふれてくる。
泣き声は出さない。ただ、ほたほたと涙をこぼすばかりである。怪異なのか狐狸のたぐいか、正体が全くわからぬ子どもであったが、こうして泣く姿は哀れを誘った。
「あああ、ごめんよ、ほら、泣かない泣かない」
胡桃を床へ払って、しくしく泣く子を抱き寄せる。こちらへしがみつく手の小ささに、赤の他人でありながら切なくなる。
ぽん、ぽん。
抱きかかえた背中を優しく叩いてやる。
ぽん、ぽん。ぽん、ぽん。
しばらく、荷役の男たちのいびきと、子どものしゃくりあげる音だけになった。囲炉裏の火もまことに頼りなく、すすり泣きに足まで心細くなる。
しばらくして、泣き止んだ子どもは涙で潤んだ目で足を見あげた。
「俺じゃあ無理だったから、割ってくれるかい。一緒に食べよう。ね?」
床から胡桃をつまみ上げ見せれば、子どもは小さく笑った。
「俺は足っていうんだ。変な名前だろう? おあしのあし、足りるの足さ。親が商売やっててね。俺も、似たようなことをしてる。おまえさんは?」
きかれた子どもはかぶりを振った。
「言えないかい」
うん。
「しゃべれない?」
うん。
「そうかい」
先ほどからこの子ども、笑い声など、言葉以外のものしか口から出していない。わかりはしても、ひとの言葉を話せないのかもしれなかった。ますます狐か狸っぽいなあと、足は思う。
「じゃあ、おまえさんのことはくるみと呼ぼうか。俺はしばらくここにいなきゃならないからね。おまえさんとも会うだろうに、呼び名がなけりゃぁ、不便だろう?」
くる、み。
子どもの口から音は出ないが、確かにそう動いて見えた。
「そうだよ、くるみだ」
くるみ、くるみ。
しばらく音を出さずに自分の名前を味わってから、子どもはこちらに抱きついてくる。ぐりぐり、と足の胸元に頭を押しつけてから顔をあげ、はにかんだように笑った。
◇
ところでこの子は誰なのか。
すやすやと寝息を立てる子どもを抱えたままで足は考える。
狐狸や怪異のたぐいでないとするなら、うち捨てられた家々を、これ幸いと根城にした野盗の身内かもしれない。それにしては身綺麗に過ぎるけれど。
ふたりで割った胡桃を食べた後、こちらを信頼しきったいとけない寝顔を見せて、子どもは足の腕の中で寝てしまった。
「困ったもんだね」
言葉ほど困ってはいない小さな声が、夜の部屋にこぼれる。
「狐か狸か……。何に化かされてるんだろ」
狐狸のたぐいならもうちょっと、がんばってもらいたいものだ。酒やご馳走、きれいどころなどをそろえ、騙されていても構わないと思わせる化かし方をしてほしい。
ああでも。
思い出してしまった。
下山していても、年端もいかぬ娘を抱いているはずだったのだ。
「困ったもんだね……」
商人は遊びも仕事だという。遊興に使う金がある、あそこは大丈夫だと思ってもらうための仕事だ。足はそれが苦手だった。
なのに「金払いがよく女郎に優しい」と郭の人間たちにはすこぶる受けがよく、女主人に見込まれて、禿の口開けを頼まれた。『旦那、婿に行く前にお願いしますよ』とかなんとか言われて。
売られてきて女郎の元で苦界を見せられた、幼い娘の初物を散らすのだ。痛々しいから嫌なのに、『旦那より丁寧に娘を扱ってくれそうなおひとがいないんですよ』と泣き落とされて頷いてしまった。下山したら日取りを決めるはずだった。
気分が暗くなる。
女郎に相手を願うなら、物慣れたひとがいい。組み敷く代わりに、柔らかな体を抱えて、一晩中他愛ない話をしていたい。ふくよかな胸や細い腰、暖かさを感じながら酒を飲みたい。
足首の痛みになおさら陰鬱とした気分でそんなことを考えていると、腕の中でくるみ、と呼ぶことを決めた子どもが身じろぎした。
ああ、いるじゃないか腕の中に。残念ながら妙齢の女性ではなく子どもだが。苦笑しながら、足はくるみを起こさぬように抱えなおした。その腕に柔らかな膨らみが当たる。
え。
柔らかな女の体。すぐ前にあるうなじから香るのは、乳臭い子どもではなく女の肌のかおりである。細い腰やその体は娘のものだ。十前後の子どもではない。
おかしい。子どもだと思ったのに。
死に絶えた集落、子どもに見える妙齢の娘。
誰もいないがために、ふさわしい服装をとれないのか。ならこの髪を切ったのは誰だ。まるで毎日風呂に入っているかのような身綺麗さは何だ。
けれど足は香り立つ女のうなじに、答えの出ない疑問を一瞬忘れた。白く華奢なそこへ吸い寄せられるように顔をうずめる。
「!!」
驚いて小さな体が跳ねた。振り向く動きに足は顔をあげる。驚いた猫のように目をまん丸くして、くるみがこちらを見あげていた。
「ああ、ごめんよくるみ。起こしちまったねえ」
小さくささやき、その前髪を指ですいて、白い額へくちづけする。親愛の触れ合いと思ったか、くるみは嬉しそうにくすくすと笑った。そのまままた目を閉じて、再び眠りに入る。
そのうなじに、さきほど咲かせた赤い花。
腕の中の小さな体は、子どもではなく娘のそれだ。その柔らかさと暖かさは、本人も知らぬところで男を誘う。
足は重たい熱を持ち始めた腰のあたりを後ろへ引き、くるみから離してこっそりため息をついた。
いっそ欲を覚えぬ程に、足首が痛めばいいのに。
眠れそうになかった。
◇
眠れそうにないと思ったのに、いつの間にか寝ていたらしい。翌朝足が目を覚ましたときには、おかっぱ頭の娘の姿は消えていた。
やっぱり化かされたのかもしれない。
囲炉裏の近くに転がった胡桃の殻だけが、昨晩のよすがだった。
1
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる