座敷童、嫁に行く。

法花鳥屋銭丸

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座敷童、嫁に行く。

2、三男坊は化かされを疑う。

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「ええと」

 闇にほの白く見える顔。襖にかけられた小さな手。ひとが死に絶えたという集落ではちょっとお目にかかりたくない子どもの人影。
 なのだけれど。
 その影はしゃがみ込むと、またひとつ胡桃をこちらへ転がした。たりは先ほどよりも勢いよく転がってくる胡桃を、体へ当たる前に手で受け止める。目を近づけてみると、どうも煎ってあるらしい。

「……くれるのかい」

 うん、と子どもが頷く。

「ありがとう。でもこれどうやって殻を割ればいいのかね、金槌でもありゃいいんだけどなあ」
「!」

 たりの言葉に子どもは驚いたようだった。そわそわと回りを見渡し、意を決したように襖から出て、てててっとこちらに来る。

 可愛い子どもだった。
 十をこえたかこえないか、たぶん女の子だろう。黒目がちの目に長いまつげ、あまりの肌の白さに現実感がない。
 垢じみた所も全くなく、不快なにおいもない。囲炉裏の火に照らされるおかっぱの髪もさらさらだ。着ているものも身綺麗である。

 ひとが絶えた集落では異様なくらいに。

「ん? よこせって?」

 こちらに突き出された小さな手に、胡桃をふたつ乗せてやる。手からこぼれ落ちそうなそれを、子どもの手はぐっと握ってみせた。

 ごりっ。

「うわ」

 開かれた手の上の胡桃は、片方にひびが入っていた。えっなにそれ怖い。怪力でくびり殺されてはたまらないとたりは思う。

「すごいねえ、おまえさん、見かけによらずに力が強いのかい」

 ちがう、と子どもはかぶりを振った。割れた胡桃をたりに渡し、懐からもうふたつ胡桃を出すと、たりに見るように示す。
 煎られた胡桃は、殻が固く閉じているように見えて隙間ができている。そこの隙間に、もうひとつの胡桃の尖っているところを押しつけて見せた。

「そうやって握れば割れるって?」

 うんうん。頷いた子どもはやってみろとばかりに、新しい胡桃を渡してくる。たりはあぐらをかいたまま自分の着物の裾を整えへこませ、割れた胡桃をそこに置くと、無傷の胡桃を受け取った。

「ここを、こうして? で、握る、ったた! 痛ー!」

 痛みにたりは胡桃を取り落とした。子どもは驚いたか、たりの横にぱっとしゃがんで手元をのぞき込んでくる。

「胡桃が刺さったよ。うう、痛い」

 涙目で、胡桃の尖った先っぽの跡が付いた手のひらを見せれば、子どもは目を丸くした後、くすくすと笑いはじめた。

「俺はおまえさんみたいに器用じゃないんだ、仕方ないだろう」

 傍らにしゃがみ込んだ子どもは器用と言われてにっこり笑う。

「ここのうちの子かな、ぶしつけに上がって悪かったね。この通り、怪我をして、山を下りられないんだ。しばらくここでお世話になりたいんだけど」

 子どもは首をかしげてたりの話を聞いていたが、うん、と声を出さずに頷いた。

「他のひとは? おとなはいないか」

 うん。

「おまえさんだけかい」

 うん。

「そりゃあ……寂しいねえ」

 子どもはゆっくりとまばたきをした。一拍置いて、じわじわとそこに涙があふれてくる。
 泣き声は出さない。ただ、ほたほたと涙をこぼすばかりである。怪異なのか狐狸のたぐいか、正体が全くわからぬ子どもであったが、こうして泣く姿は哀れを誘った。

「あああ、ごめんよ、ほら、泣かない泣かない」

 胡桃を床へ払って、しくしく泣く子を抱き寄せる。こちらへしがみつく手の小ささに、赤の他人でありながら切なくなる。
 ぽん、ぽん。
 抱きかかえた背中を優しく叩いてやる。
 ぽん、ぽん。ぽん、ぽん。
 しばらく、荷役の男たちのいびきと、子どものしゃくりあげる音だけになった。囲炉裏の火もまことに頼りなく、すすり泣きにたりまで心細くなる。

 しばらくして、泣き止んだ子どもは涙で潤んだ目でたりを見あげた。

「俺じゃあ無理だったから、割ってくれるかい。一緒に食べよう。ね?」

 床から胡桃をつまみ上げ見せれば、子どもは小さく笑った。

「俺はたりっていうんだ。変な名前だろう? おあしのあし、足りるのたりさ。親が商売やっててね。俺も、似たようなことをしてる。おまえさんは?」

 きかれた子どもはかぶりを振った。

「言えないかい」

 うん。

「しゃべれない?」

 うん。

「そうかい」

 先ほどからこの子ども、笑い声など、言葉以外のものしか口から出していない。わかりはしても、ひとの言葉を話せないのかもしれなかった。ますます狐か狸っぽいなあと、たりは思う。

「じゃあ、おまえさんのことはくるみと呼ぼうか。俺はしばらくここにいなきゃならないからね。おまえさんとも会うだろうに、呼び名がなけりゃぁ、不便だろう?」

 くる、み。
 子どもの口から音は出ないが、確かにそう動いて見えた。

「そうだよ、くるみだ」

 くるみ、くるみ。
 しばらく音を出さずに自分の名前を味わってから、子どもはこちらに抱きついてくる。ぐりぐり、とたりの胸元に頭を押しつけてから顔をあげ、はにかんだように笑った。


 ◇


 ところでこの子は誰なのか。
 すやすやと寝息を立てる子どもを抱えたままでたりは考える。
 狐狸や怪異のたぐいでないとするなら、うち捨てられた家々を、これ幸いと根城にした野盗の身内かもしれない。それにしては身綺麗に過ぎるけれど。
 ふたりで割った胡桃を食べた後、こちらを信頼しきったいとけない寝顔を見せて、子どもはたりの腕の中で寝てしまった。

「困ったもんだね」

 言葉ほど困ってはいない小さな声が、夜の部屋にこぼれる。

「狐か狸か……。何に化かされてるんだろ」

 狐狸のたぐいならもうちょっと、がんばってもらいたいものだ。酒やご馳走、きれいどころなどをそろえ、騙されていても構わないと思わせる化かし方をしてほしい。
 ああでも。
 思い出してしまった。
 下山していても、年端もいかぬ娘を抱いているはずだったのだ。

「困ったもんだね……」

 商人は遊びも仕事だという。遊興に使う金がある、あそこは大丈夫だと思ってもらうための仕事だ。たりはそれが苦手だった。
 なのに「金払いがよく女郎に優しい」とくるわの人間たちにはすこぶる受けがよく、女主人に見込まれて、禿の口開けを頼まれた。『旦那、婿に行く前にお願いしますよ』とかなんとか言われて。

 売られてきて女郎の元で苦界を見せられた、幼い娘の初物を散らすのだ。痛々しいから嫌なのに、『旦那より丁寧に娘を扱ってくれそうなおひとがいないんですよ』と泣き落とされて頷いてしまった。下山したら日取りを決めるはずだった。
 気分が暗くなる。
 女郎に相手を願うなら、物慣れたひとがいい。組み敷く代わりに、柔らかな体を抱えて、一晩中他愛ない話をしていたい。ふくよかな胸や細い腰、暖かさを感じながら酒を飲みたい。

 足首の痛みになおさら陰鬱とした気分でそんなことを考えていると、腕の中でくるみ、と呼ぶことを決めた子どもが身じろぎした。
 ああ、いるじゃないか腕の中に。残念ながら妙齢の女性ではなく子どもだが。苦笑しながら、たりはくるみを起こさぬように抱えなおした。その腕に柔らかな膨らみが当たる。

 え。

 柔らかな女の体。すぐ前にあるうなじから香るのは、乳臭い子どもではなく女の肌のかおりである。細い腰やその体は娘のものだ。十前後の子どもではない。
 おかしい。子どもだと思ったのに。
 死に絶えた集落、子どもに見える妙齢の娘。
 誰もいないがために、ふさわしい服装をとれないのか。ならこの髪を切ったのは誰だ。まるで毎日風呂に入っているかのような身綺麗さは何だ。
 けれどたりは香り立つ女のうなじに、答えの出ない疑問を一瞬忘れた。白く華奢なそこへ吸い寄せられるように顔をうずめる。

「!!」

 驚いて小さな体が跳ねた。振り向く動きにたりは顔をあげる。驚いた猫のように目をまん丸くして、くるみがこちらを見あげていた。

「ああ、ごめんよくるみ。起こしちまったねえ」

 小さくささやき、その前髪を指ですいて、白い額へくちづけする。親愛の触れ合いと思ったか、くるみは嬉しそうにくすくすと笑った。そのまままた目を閉じて、再び眠りに入る。
 そのうなじに、さきほど咲かせた赤い花。
 腕の中の小さな体は、子どもではなく娘のそれだ。その柔らかさと暖かさは、本人も知らぬところで男を誘う。
 たりは重たい熱を持ち始めた腰のあたりを後ろへ引き、くるみから離してこっそりため息をついた。
 いっそ欲を覚えぬ程に、足首が痛めばいいのに。

 眠れそうになかった。


 ◇


 眠れそうにないと思ったのに、いつの間にか寝ていたらしい。翌朝たりが目を覚ましたときには、おかっぱ頭の娘の姿は消えていた。
 やっぱり化かされたのかもしれない。
 囲炉裏の近くに転がった胡桃の殻だけが、昨晩のよすがだった。


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