座敷童、嫁に行く。

法花鳥屋銭丸

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春風小路二番町胡桃堂こぼれ話

福鼠・ちい福の一日 其の三

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 金比羅船ふね、追手おいてに帆かけて、シュラシュシュシュ♪

 ころころふくふく、金の毛並みの福鼠はご機嫌だった。
 帳場の机に乗り、机を囲む格子から店の中を眺めつつ、楽しげに歌っている。丸っこい尻がぴこぴこ揺れ、しゅるん、しゅるん、と尾が動く。
 ここからなら、ちい福でも店全体が見渡せる。店は朝から切れ目なく客が来ていて穏やか、いい空気だ。

 ―――ちい福、もうちょっと小さな声にして。気が散ってしまうから。

 机で大福帳に字を書いていたくるみが、目の前で揺れる小さなまあるい尻をつん、と筆尻でつついた。ひょわあ! と悲鳴が上がり、長い尻尾が天に向かってぴんと立つ。

 や、ちょ、おいらのかわゆいお尻、気軽につつくんじゃあないよ!

 わたわたと尻に手をやろうとするが、短く小さな手は尻まで届かない。しかも格子に顔を突っ込んでいるのだ、振り返ることすらできない。

 ずいぶんご機嫌なのね。

 ちい福のそんな様子を見られる者は他にいない。おたなの女将は見ないふりをしつつも、目元が和むのだけはどうにもならなかった。言葉にも笑いが混じる。最近はこんな風に、座敷童もちい福へ柔らかく接するようになってきた。

 そりゃあね、にぎにぎしく大繁盛! って訳じゃあないが、ほどよく客が来ていい運気。歌も出るってもんさ。

 世慣れた言葉を口にして、金の鼠はしゅっと尻尾をひらめかせる。
 『金比羅船ふね』を覚えたのは、お座敷遊びで身を持ち崩した若旦那についていた、貧乏鼠のころなのだが、それは言わぬが花だろう。歌自体はおめでたいのだし。

 金毘羅石段、桜の真盛り、キララララ♪

 言われたとおりに小さくなった歌声に、ふ、と笑った気配があった。

 帳場には番頭と、女将である座敷童が交互に座る。
 おたなが開いているとき、ちい福はいつもこうやって座敷童の側、帳場のあたりにいる。大福帳をつける座敷童の手元や、一瞬で終わってしまうそろばんの計算を見たり、奉公人の働きぶりを見ているうちに昼になったり、暮れ六つの閉店時間になる。
 退屈はしない。
 自分としては、飾ってある招き猫や信楽焼のタヌキより役に立っているつもりでいる。なにせ福鼠、いるだけでそれなりに御利益はあるのだ。

 振袖島田が、サッと上る、裾には降りくる、花の雲ォ♪

 帳場へ座るくるみは、他と同じく縞の着物に印半纏しるしばんてんの姿。商人というものは、お客よりよい姿はとらないものだ。ただ、紅一点の女将の髪―――今朝、夫から結い上げてもらったまげには、この店、胡桃堂の櫛とかんざしが飾られている。

『くるみの髪に飾られれば、いっそう素敵に見えるからねぇ』

 以前、たりが手ずから妻の髪へ飾っているところにも、ちい福は出くわしたことがある。玉かんざしに似せ、玉に当たる部分に花のつぼみを彫り出した黄楊つげかんざしと揃いの櫛を飾ってやりながら、たりはとろけそうな顔をしていた。座敷童といえば鏡台の前で顔を赤らめ、照れて恥じらっている様子。

『可愛いくるみに、つぼみのかんざしはぴったりだよ。くるみの初々しさが引き立つし、商い中でも華やかすぎない。それでいて、器量よしだからひとの目にとまる。みんなきっと、同じものを欲しがるに違いないさ』

 前櫛を飾り、今度は後ろに回ってかんざしをさす。恋女房のびんを指で優しく撫でつけ整えながら、たりはくるみへ話し続ける。

『ほんとのくるみは綺麗な綺麗な花だけど。商い中は、つぼみのままでいておくれ。可愛いくるみ、咲くなら、ね、どうか俺の前にしておくれよ。……さあ、できた。三国一のべっぴんさん、こっちを向いてみせてごらん?』

 え? こいつら毎朝こんななの? とちい福ははじめ戸惑ったものである。最近は慣れて流している。突っ込みはじめればキリがないし、いちいち動揺してたら身が持たない。それに、からかうと痛い思いをするのはとうに経験済みだ。握られるのも投げられるのも勘弁である。

 たりはひとのよさこそ見た目に出ているが、特に色男ではない。稼ぐことにひときわ熱心なわけでも、上手いわけでもない。そんな男のために座敷童がお山を下りて、こうしてひとにまじって暮らしているのだから、ちい福は一周回ってたりという男に感心している。
 ひとが己の欲のために座敷童を家へ置こうとすれば、禁忌も多く危ういもの。しかし互いの愛情ゆえであれば、禁忌など飛び越えてしまえるようだ。

 金毘羅みやまの、青葉のかげから、キララララ♪
 金の御幣の、光がチョイさしゃ♪

 奉公人たちと客の会話、そろばんをはじく音、書き込む筆のかすかな音に通りの喧騒が交じる中、福鼠の歌声はひとに知られることなく続く。

「ええ、桃の木の柔らかな色もよいですし。檀木だんぼくですと唐風で格調高く、香りも楽しめますね」
「お孫様は七つでいらっしゃる? では、箸はこちらの長さがよろしいかと。ええ、指の長さで、使いでのよい箸の長さがだいたいわかるのですが……」
かんざしと櫛を揃いで。ありがとうございます。ご希望通りに、当方で手を入れさせていただきます」

 柔らかな言葉遣いで行われる商いが、ご機嫌なちい福のヒゲをくすぐる。
 生まれたばかりのチビどもは、今日もひとに見えないからとやりたい放題。手代の袖にひっついて揺れていたり、商品に交じってすました顔をしてみたり、タチの悪いのになると、客のまげに潜り込んで顔だけ出していたりする。

 ……ん?

 ふと変わった気配を感じて、ちい福は歌をやめた。鼻をひくつかせ通りの方へ顔を向ける。遅れて、あれほど騒いでいたチビどもも、一斉に入り口に顔を向け動きを止めた。

「戻りましたよ」

 たりが供のきよ松を連れ戻ってきた。店主の穏やかな声に奉公人一同、お帰りなさいませ、と応じる。
 店主ならたいていは羽織姿をとるが、胡桃堂の旦那は縞の着物に印半纏しるしばんてんである。「まだ新しい店なのだから」と謙虚なことを言ってはいても、恋女房由来の三つ葉胡桃を身に付けているのが嬉しい、というのが本当のところらしい。

 帳場格子から頭を引っこ抜いて見上げれば、座敷童が夫を見つめて微笑んでいる。見るからに嬉しそうだ。ぞっこんである。やれやれ。

「ああ、いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」

 客へ如才なく挨拶しながら小僧と連れだって奥の畳へ上がり、たりは番頭の前に正座する。

「旦那様、お帰りなさいませ」
「源助さん、今帰りましたよ。先方への納品もつつがなく終えました。きよ松から子細を聞いておくれ。これから工房で、徳治さんたちに相談があるんだよ」

 何かあれば工房へ、と言い置いて立ち上がり、たりはくるみへ目をやった。ただいま、というように微笑んでから、足早に奥へ向かう。その歩みを、福鼠の子たちがちょろちょろ追いかけて行った。
 チビどもも、においを嗅ぎつけたとみえる。たりの胸元から商機のにおいがするのだ。うまくいけば福に繋がるだろう。

「奥様?」

 きよ松を側に寄せ話を聞こうとしていた、中背中肉の老人が帳場へ目をやる。番頭もまた羽織を許される立場であるが、店主を差し置いて着れはしないと、こちらも印半纏しるしばんてん姿だ。
 机に手をつき中腰になったくるみは、訴えるように番頭を見上げていた。おやおや、と番頭がまばたきをして呟く。

「もうそろそろ交代でしたか。あたしが帳場をお預かりしますよ、奥様、どうぞ中へ」

 くるみが中へ行きたがっているのを察し、昔おふくの右腕だった男は穏やかに女将を送り出した。くるみはぺこりと頭を下げて、急いで奥に入っていく。
 交代し帳場へ座った番頭は、店主の供をして帰ってきた小僧を改めて手招きした。

「きよ松。旦那様の様子を見るに、何か商談があったのだろう? 順を追って話を聞かせておくれ」
「へえ」

 ―――ふむ。

 報告するきよ松の話を番頭の側で聞き、ちい福は楽しげに鼻をひくつかせた。さっきからの気分の高揚はこれ・・だったらしい。帳場机からぴょこんと飛び降り、工房の方へちょろちょろっと向かう。

 さ、胡桃堂のお手並み拝見といきますか。

 福鼠の呟きを耳にできるものは、胡桃堂の店先にはいなかった。

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