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授かりもの顛末
小話 その日を前に
しおりを挟むくるみはふと我に返った。
しばらくぼんやりしていたらしい。文を書いていた手が止まり、筆先が紙へ染みを作っている。くるみは筆を硯へ置き、使えなくなった紙をのけた。
書いていたのはお礼の手紙だ。
成鐘屋のお久美は、甘味処で初めて会ったあの日、「あたしが勝手に注文したからねぇ」と、くるみたちの払いも持ってくれた。
「気になるんなら、あんたが次に何かおごっておくれよ」
というお久美の言葉に、またこんな時間を一緒に過ごせるのだと嬉しくなった。
お福さんとは少し違う形で、くるみはお久美へ憧れの気持ちを持っている。くるみの回りは優しいひとが多く、普段から助けて貰っているが、友、と言えるひとはいない。
もっと、あのひとと仲良くなれたらいい。まあ、あんまり素敵すぎて、足が繰り返しあのひとの名を呼ぶのに、焼きもちを焼いたりしたけれども……。
ふ、とため息ひとつ、くるみは反古紙入れへ目をやる。ついついぼんやりして、書き損じが溜まってしまった。おさよの字の練習に使えるとはいえ、なかなかもったいないことをしている。
身ごもってしばらく、帳簿の仕事や畑の仕事も普通にしていた。腹が目立つようになってもだ。時折、足も畑仕事を手伝ってくれ、退屈しない日々が続いていたのだ。
変わったのはもう臨月、という頃。どこに行くにも何をするにも心配され、うちで座っているしかできなくなった。お福さんが足に忠告をしてくれなかったら、散歩さえ許してもらえなかっただろう。
理由はわかっている。
今のようにぼんやりすることが増え、勘も鈍った。我に返ると足が心配そうにこちらをのぞき込んでいる、なんてことも一度や二度ではない。
ひとならぬものの気配を読むことさえ今は難しい。ちい福が長い眠りから目覚めたときも、普段なら気付くはずが全くわからなかった。
おのれの全てが、腹の子だけに集中しているのかもしれない。
お山はくるみを守ろうと、湊町の中だというのに、強い力で家を包んでいる。それでは足りぬとちい福にまで力を注ぎ込んだ。お山を降りた座敷童のためには過剰な守りである。
お山が一体何を心配しているのか、判らぬくるみではない。
でも。きっと、大丈夫。
がんばって産まれておいで。
みんなお前を待っているから。
くるみは腹をなでながら、子どもへ話しかける。
長く見守り続けたあの山里で、子を幸せそうに抱いていた母たちのように、この腕に足との子を抱きたい。大好きなひとと大好きな場所を、早くこの子へ見せてあげたい。
そして、この大切なものを産むためにしなければならない覚悟など、くるみはもう、とうにしているのだ。
◇
お前は一体何を考えとるんじゃあ!!
金の鼠は怒声に首をすくめた。
鼠に正座はきつい。
もちろん正座そのものではない。こう、真面目に見えるようしっかりと座っているだけだがそれが辛い。
ちょっと体を崩すとだらしなく見え、それもお小言の種になるので、ちい福はぷるぷるしながら涙目でがんばっている。
ちい福の前に浮かんだ、羽衣を纏う赤い小さな影は怒り心頭だ。眉間にくっきりシワを寄せ、その古風な衣と同じくらいに頬を赤く染めている。
お部屋様と呼ばれる厠神だ。
ひとが厠を使い始めた頃から存在するこの眷属は、疫病から住む者を守る住居神であり、悪いものの侵入を防ぐ境界神でもある。
上衣の綾錦や深紅の裳裾に天平の香りを残し、金の簪も今様と違い、正面と左右にさされ、まるで冠のようだ。その姿にふさわしい古風な髷。典雅な姿とは裏腹に、小さな女神はべらぼうに怒っている。
井戸端に集まった他のものたちも、息をひそめて遠巻きにしていた。
せっかくお山がくださった力なのに、ヒゲを烏にやっただと!? この考えなし! 阿呆! その頭は飾りか!? あァン!?
小さな女神は、その雅な姿の割にちょっとガラが悪かった。
福鼠はヒゲをしんなりさせ、浮かぶ女神を上目遣いに見る。
で、でも一本だけだし……。
その一本で何もかも変わるかもしれんのだ痴れ者がァ!!
ちい福が反論したのがまずかった。怒号を浴びて弾き飛ばされる。悲鳴も出せずに後ろへころげ、地面にべちょりと張り付く羽目になる。
この守りの強さが判らんか。お山がどれだけ、座敷童を案じておるか、感じぬか。今は力のひとかけらさえ、無駄にできんのじゃ!!
お部屋様の怒声に、見守る仲間が首をすくめた。口を挟まないのは、お部屋様と同じ心配を全員がしているからだ。
ひとならぬものは回りから少しずつ影響を受ける。座敷童も夫と睦まじく過ごすうち、ひとの質を写し取り、今や子さえ孕めるようになった。
けれど、少し早すぎた。
なるほど、子ができたのはいい。しかし、すんなり産めるほどひとの質が濃いのかどうか。せめてもう少し月日が経って、安心できるほどひとへ近くなっていたらまだよかったが、子は授かりもの。そんな都合などお構いなしである。
お山が、遠く離れたこの地まで力を注いでいるということは、心配がほぼ当たっているのだろう。
座敷童のお産は難しいものになる。
そして座敷童の幸運を呼ぶ力は、おのれのためには使えないのだ。助けようにも、ここにいるものでお産を司るのはお部屋様のみ。それもわずかに関与できる力でしかない。
他のものができることといえば、かまど様は湯を沸かす火を、蛟は水を言祝ぎ、守宮は悪いものから家を守り、こぼしさまはひたすら祈る。それくらいだ。
そんな中、少しでもあてにできそうなのが福鼠の運を呼ぶ力なのに、ちい福はお山の力が満ちたヒゲを烏へやってしまった。ヒゲ一本分の力さえ、今は惜しいのに。
でもね、お部屋様……。
井戸の縁でとぐろを巻いていた白い蛟が、遠慮がちに声をかけた。
ずっと寝ていて、何も判らなかったちい福に、そこまで求めるのは酷だよ。ちい福は、座敷童を祝ってあげたかっただけだ。
争いを厭う穏やかなこの水の精の言葉は、先ほどまで怒鳴り散らしていた小さな女神の耳へも届く。
……それに、烏の翁は、ちい福のヒゲを悪いようにはしないと言っていたよ。何か考えがあるみたい。
小さな女神の眉間のしわが深くなった。しかし、蛟のお陰で真っ赤だった顔色は幾分かさめて、落ち着いてきている。
名持ちよりも、老いたただの烏の方が、頭があるというわけか。情けない。お山もどうしてこんなのを選んだんだか。
この鼠は寝てるうちに頭が腐ったんじゃろ、と言いながら、お部屋様は厳しい目を金の鼠へ向ける。
ちい福は、頭を振って起き上がった。涙目でお部屋様をにらむ。
ん? なんじゃその目は? 自分の愚かさを棚に上げて、何か言いたいことでもあるのか?
い、言わせておけば好き勝手言いやがって! このババァ! ウンコ女! 真っ赤っかのおさるのケツぅー!!
遠巻きに見守っていたひとならぬものたちは、ちい福の叫びに、うっ、とか、おさっ、とか小さく呻いた。
お部屋様といえば目をいっぱいに見開いて固まっている。確かにその衣裳は赤一色。猿の尻と同じ色である。
ヒゲ一本がなんだい! そんなもんなくったってなあ、おいらがどでかい福を呼んでやるよ!! 一世一代の福呼び、見せてやるから覚悟しやがれ、この便所女ァー!!
捨て台詞を吐いて、福鼠が走り去って行く。ひとならぬものたちは、ぽかん、とその背中を見送った。
おっ、お部屋様……?
一番最初に我に返った蛟が、おそるおそる、厠神へ呼びかける。赤い衣裳の小さな女神は、宙へ浮いたまま、ぶるぶる身を震わせた。
かまど神夫婦がさっと耳を塞ぐ。
こ、この、腐れ鼠がァー!!!
キィン、と空を震わす絶叫に、ひとならぬものたちは、揃って後ろへひっくり返った。
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