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授かりもの顛末
お山のくるみは……。
しおりを挟むばあさまに「わかったから、まあ、お聞き」となだめられ、くるみはぐいと頬の涙をぬぐって頷いた。迷ヒ家は、時の流れが外とは違う。ここで慌てたところでどうにもならない。
ましてや、今のくるみは魂だけだというのだから。
「わらしこがそう望むなら、仕方ない」
諦めたように呟いた老婆は、けれど、と言葉を続ける。
「わらしこや。ただでさえ子ができたのが早かったのに、腹が大きくなってからというもの、お前は一気にひとの質を増やしていったろう。子どもの分も一緒に取り込んだのかも知れないが、放っておけば、お前の根っこまで変わりそうな勢いだったよ」
子を産むには、ひとの質が濃くなければならない。しかし一気にひとの質が濃くなれば、本来の自分を大きく失うことになる。
だから、お山は―――山の女神は、お産の助けにちい福へ力を授け、同時に、くるみを家ごとお山の力で包んでいたのだ。あれは、くるみを守るのと同時に、変化を穏やかにするためのものだった。
水の町である湊町へ、どれほどの無理をして力を送ったのだろう。場違いなお山の力だ、鎮守様だってよい顔はしなかったに違いない。それでもばあさまは、くるみがくるみでいられるように、ずっと力を注いでいてくれたのだ。
「わらしこや。子を孕むほどひとに近づいた今のお前なら、あの男から離れても、煙になることはないだろう。けれど子ができるたびに、一気にひとの質が濃くなる。気をつけるんだよ」
迷い込んだ人間へ、気まぐれに富貴を与える迷ヒ家の主は、気遣わしげにくるみをなでる。
「わらしこ、わらしこ。あれが好きで、あれと添い遂げたいのなら、ちゃぁんと気をつけておくんだよ。おのれを失いすぎることがないように。お前がおのれを失ったなら、あの男も嘆くだろう」
くるみは素直に、ばあさまの言葉に頷いた。
「ゆっくりと変わっていけばそのうちに、ひとの寿命を得て、男と共に歳をとることもできよう……」
わん!!
老婆の言葉を遮り、子犬の鳴き声が響く。頭を巡らすと、黒くむくむくして、熊の子どものように見える山犬の子がまっしぐらに駆けてきていた。そばまで来ると、座敷童の足元をぐるぐる回り、じゃれつく。
わらしこ、わらしこ、ひさしぶり!
数年前と変わらない姿の山犬の子は、はしゃいでぽんぽん跳ねた。濡れた鼻で何度もくるみのにおいを嗅いで、得意げに言う。
もうすぐかあさんになるんだろ。ほら、もうちゃんとにおいがする! まえにおれがいったとおりだ。わらしこは、そのうち、かあさんみたいにちちがでるようになるってさ!
あたった、あたった、おれのかち、とはやしたてる子犬の頭をなでて、くるみは笑った。
ひさしぶり。もっと一緒にいたいけど、私、帰らないといけないの。これから大仕事だから。
仕事も大仕事、母になる仕事が待っている。
くるみの体は湊町、胡桃堂の部屋で、産みの苦しみを味わっている最中だという。魂がこうして楽をしていていいのかな、と、ちょっとくるみは不安になった。
じゃあ、おれ! おれがおくる!
跳ね飛んでいた子犬の体を黒い炎が包み、一気に燃え上がる。炎が消えれば、そこには熊のように大きな山犬が立っていた。黒地に、朱色の虎縞が熾火のように揺れる。
わらしこ、わらしこ。ほら、のれ!
勧められ山犬の背に横座りになる。そうして、くるみはばあさまを見上げた。
山の女神は時にひとを裁き、ひとを喰らい、ひとを富ませる。
迷ヒ家の主は、お山の女神の現し身のひとつだ。くるみがお山の座敷童として生まれて以来、たくさん、たくさん、慈しんでくれた。聞けばなんでもこたえてくれ、頼めばどんなことでもおそわることができた。
また会えて嬉しい。本当だ。
たくさん話したいことがあった。たとえそれがばあさまの望む形でないとしても、くるみは湊町で幸せに生きているのだと伝えたかった。ばあさまはきっと全てお見通しなのだろうが、改めて、自分からちゃんと伝えたかったのだ。
そんな、くるみの心を見通したかのように、ばあさまは頷いてみせる。
「わらしこや。どこに行っても、なにをしても。お前はこのお山の娘だ。それはずうっと変わらない。お前が、ひとと生きていきたいなら、それでもいい。もう、ばばは何も言わん」
迷ヒ家の主は山犬をぽんと叩いた。それを合図に、炎の縞を持つ大きな犬が宙へ飛び出し走り出す。くるみは振り返った。すぐに、老婆の姿が遠くなる。
ばあさま!
先ほどとは違う。言葉を奪うものなどないはずなのに、胸が詰まって何も言えない。その耳に、声が届く。
ひとならぬものが持たぬはずの、ひとと同じ音の言葉。
「よい子をお生み」
くるみは疾走する山犬の上で、その言葉を噛みしめるように、唇を引き結び頷いた。
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