最後の魔導師

蓮生

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第2章 旅立ち

別れの時④

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 そこに、マリウスはうずくまっていた。
 サイロの煉瓦れんが壁のそば、膝を抱えて顔を伏せている背中が見える。
 顔をあたりにめぐらせると、アーラは少し離れた草原で、野に咲く花をプチプチ摘んでは、ぼんやりと眺めていた。

 ふたたびマリウスの方を見つめたが、その背中はピクリとも動かない。

 マリウスの姿は、すべてを拒絶していた。
 だからニゲルは立ち尽くして、いったいどのように声を掛けたらよいものか、そんな風におろおろと考える事しかできなかった。

 どうしようか。

 そう考えても、マリウスのうずくまる姿を目にすると、なんにも思い浮かばない。
 ただ、やはり、離れがたかった。
 離れたくないと心が叫んでいて、それをやり過ごすことにニゲルも精一杯になる。
 きょうだいの姿を見たら、胸が苦しくなって、息が苦しくなって、はあはあと荒い息が口から出ていくばかりで、目も潤んできて、別れの言葉なんて、口にできそうもない。
 本当は、本当は、一緒にいたい。

 仕方ない。手紙にしよう。
 手紙だったら、ちゃんとお別れの言葉を言える。きっと、兄らしい態度で締めくくれる。

 そうおもって、高ぶってくる気持ちを冷ますように熱い息を吐き出すと、そっとその場を離れた。



 「君、待ってたの…」
 ニゲルが牛舎を後にしたとき、あの黒い犬がどこからともなく現れて、かたわらを歩いてくる。
 いまは恥ずかしくて涙がでる顔を誰にも見られたくはなかった。
 うつむいて、一人になれるだろう、放牧場ほうぼくじょうへと歩いていた。

「ごめんね…言えなかったよ。せっかく、教えてくれたのに」
 なかば独り言のようではあったけれど、ニゲルは犬に謝罪と感謝を告げる。
 情けなくなって、いつまでも強くなれない自分が嫌になった。
 でも、サフィラスとここを出て、いずれ一人になると思うと、怖い。怖くて仕方ない。この不安な気持ちをどうにも変えられないのだ。

「はあ…」

 適当に歩いて木のそばに座り込むと、ニゲルもひざを抱えてうつむく。

 どうしようと無駄なことを考えてしまうが、行くしかない。
 それしか、皆が助かる道はないのだ。

「…お母さんに会いたいよ」

 目の前で黙って座り込む黒い毛並みを、なんとなく触りながらひとりつぶやく。

「お母さんはなんにも言わなかったけど、もしかしたら僕みたいに力があって、最後は居なくならなきゃいけなかったのかもしれないな…」

 けどいつかお母さんに会えるなら会いたい。サフィラスと旅をしながら探しても良いだろうか。きっとどこかに居るんじゃないか、そんな気がするのだ。アーラとマリウスの代わりに自分が探しに行けば、そうすれば、いつかまた4人で暮らせるようになるかもしれない。
 それに、お母さんを探しに行くといえば、マリウスだって、ニゲルがいなくなる事を少しは許してくれるかもしれない。

 空を見上げると、朝焼けに染まる山々のみねから、黄金の光がれ広がり、白い雲を浮かび上がらせるような印影いんえいをつけながら、赤く色付けていた。
 ニゲルは犬の背をなでながら、その幻想的な空をただただ、何も考えずにしばらくながめていた。
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