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第二十六話 儚い瞳
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「綺麗な髪ですね。美容師になるための実習をしてまして。無料でシャンプーとカットさせて頂いてるんですが、良かったらどうですか?ってね」
鏡越しに見える彼女は、なんだか寂しそうな微笑みを浮かべたまま話を続けた。その大きな瞳は、私の髪を通して、ずっと遠く、届かない夕日に手を伸ばさずに見つめているような、そんな切なさがあった。
「それでね。私は怖かったし、受験シーズンだったから、軽く頭を下げて通り過ぎたのね。さっき引き返そうとした、あなたのように。そしたら、彼、どうしたと思う?」
手際良く乾いていく髪が宙に舞っている。染みるように熱くなった後頭部に、彼女の細い指が冷たい空気を入れてくれる。その指が震えていて、私に緊張より心配が広がるのを感じていた。
「ふふ、彼ったらおかしくてね。歩き出した私の前に飛び出してきてね、土下座してきたのよ。おかしいでしょ、今時、土下座って。本当に馬鹿なのよ、彼」
もう居ない親族を懐かしむような、それでも、心から嬉しそうに彼女は微笑みを浮かべていた。その顔が儚くて、映画を見ているような錯覚に飲まれていった。
「このまま帰ったら、俺、怒られちゃうんで!それに、どうしても、あなたの綺麗な髪が切りたいんです!だって、ふふ。馬鹿みたいに大声でさ。私は予備校の帰りだったんだけど、周りにも予備校生は沢山居てさ、すっごい目立っちゃって。私は目立つの嫌いだったし、一人が好きだったから、仕方なく付いていっちゃったんだよね。私も馬鹿だった訳」
頭を机に打ち付けるように下げる彼を思い出して、こんな美人も、私のような人だったのかもと、親近感が心地良く肩の力を抜いていった。
「私も、土下座じゃないですけど、この美容院に頼むから行ってくれって……」
抜けきらない緊張に、言葉が詰まってしまい、鏡の私は顔が赤くなっていった。
「やっぱり、私達、似てるのね。なんか、そんな気がしたから、つい声かけちゃったのよ。あなたに紹介状を渡した彼は、彼氏さん?」
「ち、違います!」
思わず立ち上がりそうになる。私は彼氏なんかいらないし、しかも、あんな不真面目そうな茶髪なんか……
「ふふ、まあ私に決められることじゃないけれど。そうね、あの少年が、もし美容師になりたいって言うなら、止めた方が良い。そう言うしかないかしらね」
地面をなぞるように見る彼女の瞳は、今にも涙が溢れそうに細く輝いていた。まだ昼間の日差しが、大きな窓から彼女を照らしているけれど、光が届いていないような暗い表情だった。
店内に流れる、夜を感じさせるゆったりとしたジャズミュージックに、真っ黒なワンピースドレスの靴まで隠すような、細い足が薄っすら透けているフリルスカートが、踊るようにに揺れていた。華奢な両肩が引き締められるように、鎖骨が綺麗に浮かび上がるデザイン。そこから伸びる綺麗過ぎる白い二の腕。今にも歌い出しそうな儚さを全身に纏っているようだった。
「どうして、彼が美容師になりたいって分かったんですか?」
「どうしてかしら、不思議よね。私はね、もう美容師になって十年経っちゃったのよ。そう、もう十年よ……」
彼女の語尾に流されるように、ドライヤーは音を止めた。
「専門学校の講師もしていてね、ううん、普通に来たお客さんでもそう。たまに、私なんかに憧れて美容師になりたいって、よく相談されるのよ。あなたを紹介した彼も、同じ目をしていたから。もしかしてとは思ったけど、正解だったみたいね」
私なんかに。その言葉が気になったけれど。その綺麗な姿に憧れる気持ちは、高鳴る胸に聞かなくても分かることだった。
「彼には向いていないってことですか?」
「ううん、違うわ。私も美容院の専門学校を出たのよ。今も美容師をやっているのは、クラスで私だけになっちゃった」
とても大事そうに、大きな白いドライヤーを見つめてから鏡の下のフックにかけていた。彼女の華奢な腰に、年季の入った滲んだ茶色いシザーケースが揺れている。輝く何本もの鋏《はさみ》が、どこか寂しげに鈍く光っていた。
「馬鹿な彼を追いかけて入った学校だから、そんな良いとこじゃなくてね。ふふ、怒られちゃうね、こんなこと言ったら」
「土下座してきた人ですか?今はその人、どこに……」
聞いてはいけないこと。きっと、そう。分かっていたけれど、どうしても、この人の儚さを知りたかった。
鏡越しに見える彼女は、なんだか寂しそうな微笑みを浮かべたまま話を続けた。その大きな瞳は、私の髪を通して、ずっと遠く、届かない夕日に手を伸ばさずに見つめているような、そんな切なさがあった。
「それでね。私は怖かったし、受験シーズンだったから、軽く頭を下げて通り過ぎたのね。さっき引き返そうとした、あなたのように。そしたら、彼、どうしたと思う?」
手際良く乾いていく髪が宙に舞っている。染みるように熱くなった後頭部に、彼女の細い指が冷たい空気を入れてくれる。その指が震えていて、私に緊張より心配が広がるのを感じていた。
「ふふ、彼ったらおかしくてね。歩き出した私の前に飛び出してきてね、土下座してきたのよ。おかしいでしょ、今時、土下座って。本当に馬鹿なのよ、彼」
もう居ない親族を懐かしむような、それでも、心から嬉しそうに彼女は微笑みを浮かべていた。その顔が儚くて、映画を見ているような錯覚に飲まれていった。
「このまま帰ったら、俺、怒られちゃうんで!それに、どうしても、あなたの綺麗な髪が切りたいんです!だって、ふふ。馬鹿みたいに大声でさ。私は予備校の帰りだったんだけど、周りにも予備校生は沢山居てさ、すっごい目立っちゃって。私は目立つの嫌いだったし、一人が好きだったから、仕方なく付いていっちゃったんだよね。私も馬鹿だった訳」
頭を机に打ち付けるように下げる彼を思い出して、こんな美人も、私のような人だったのかもと、親近感が心地良く肩の力を抜いていった。
「私も、土下座じゃないですけど、この美容院に頼むから行ってくれって……」
抜けきらない緊張に、言葉が詰まってしまい、鏡の私は顔が赤くなっていった。
「やっぱり、私達、似てるのね。なんか、そんな気がしたから、つい声かけちゃったのよ。あなたに紹介状を渡した彼は、彼氏さん?」
「ち、違います!」
思わず立ち上がりそうになる。私は彼氏なんかいらないし、しかも、あんな不真面目そうな茶髪なんか……
「ふふ、まあ私に決められることじゃないけれど。そうね、あの少年が、もし美容師になりたいって言うなら、止めた方が良い。そう言うしかないかしらね」
地面をなぞるように見る彼女の瞳は、今にも涙が溢れそうに細く輝いていた。まだ昼間の日差しが、大きな窓から彼女を照らしているけれど、光が届いていないような暗い表情だった。
店内に流れる、夜を感じさせるゆったりとしたジャズミュージックに、真っ黒なワンピースドレスの靴まで隠すような、細い足が薄っすら透けているフリルスカートが、踊るようにに揺れていた。華奢な両肩が引き締められるように、鎖骨が綺麗に浮かび上がるデザイン。そこから伸びる綺麗過ぎる白い二の腕。今にも歌い出しそうな儚さを全身に纏っているようだった。
「どうして、彼が美容師になりたいって分かったんですか?」
「どうしてかしら、不思議よね。私はね、もう美容師になって十年経っちゃったのよ。そう、もう十年よ……」
彼女の語尾に流されるように、ドライヤーは音を止めた。
「専門学校の講師もしていてね、ううん、普通に来たお客さんでもそう。たまに、私なんかに憧れて美容師になりたいって、よく相談されるのよ。あなたを紹介した彼も、同じ目をしていたから。もしかしてとは思ったけど、正解だったみたいね」
私なんかに。その言葉が気になったけれど。その綺麗な姿に憧れる気持ちは、高鳴る胸に聞かなくても分かることだった。
「彼には向いていないってことですか?」
「ううん、違うわ。私も美容院の専門学校を出たのよ。今も美容師をやっているのは、クラスで私だけになっちゃった」
とても大事そうに、大きな白いドライヤーを見つめてから鏡の下のフックにかけていた。彼女の華奢な腰に、年季の入った滲んだ茶色いシザーケースが揺れている。輝く何本もの鋏《はさみ》が、どこか寂しげに鈍く光っていた。
「馬鹿な彼を追いかけて入った学校だから、そんな良いとこじゃなくてね。ふふ、怒られちゃうね、こんなこと言ったら」
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