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第二十七話 消えない輝き
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彼女は壁にかかったドライヤーを見つめたまま、固まっていた。私からは屈んだ彼女の後ろ姿が、酷く小さく見えた。
ゆったりと流れるピアノの旋律を掻き消すように、美容院の目の前を救急車が通過していった。おぞましいサイレンと、鏡に反射する赤い光が、何もかもを赤くして消えて行った。
思い出したかのように、優しい音色に包まれても、彼女は微動だにしなかった。
こんな美人の彼女を悲しませているその人が、理由も分からず嫌いになってきていた。
縮こまる彼女の顔は見えないけれど、きっと辛い顔をしているんだろうなと思った。出来ることなら、彼女を後ろから抱きしめて話を聞いてあげたかった。
「あの、ごめんなさい。初対面の私なんかが、そんなこと聞いちゃだめですよね……」
沈黙に耐えられなくなって、私は謝ることしか出来なかった。
彼女は何かを振り払うように、首を左右に振っていた。握られた拳は微かに震えたまま、力強く立ち上がって振り返った。
怖いくらいに満面の笑顔だった。
「彼ね、死んじゃったのよ」
彼女の右目から静かに流れ落ちた涙が、地面に弾ける音がした。
無理をしている。そんな綺麗な笑顔に、胸が抉られたように痛んだ。
「そう、死んじゃってくれてた方が、楽なのにって。最近考えちゃうんだ……」
窓の外を眺める彼女は、とても辛そうに目を細めていた。
「ごめんなさい、初対面でこんな話されても困っちゃうわよね。あなたを見ていると、当時の私を思い出しちゃって……」
細く震える指で涙を払い除ける彼女に、何かしてあげたかった。
「いえ、私なんかで良かったら、お話聞かせて頂きたいです」
「やっぱり優しいのね。綺麗な目をしているもの、苦労してきたんでしょ」
「いえ、そんなことは……」
優しく微笑む彼女に、全てを見透かされているようで、何だか恥ずかしかった。
「この仕事をしているとね、沢山の人と出会えるから。少し話せばどんな人か、分かるようになっちゃうのよね。この人は、私の胸ばっかり見てるなとかね。ふふ」
重くなった空気を取り返すように、優しく彼女は微笑みながら言ってくれた。私も当然のように微笑みながら、返事出来るのが心地良かった。
「それは、大変なんですね」
「ええ、とても大変なのよ。ふふ、あなたを紹介した彼も、最初は鼻の下を伸ばしていたけれど。進路の相談をしてくれてからは、真剣な表情に変わっていったのよ。瞳の奥に燃え盛る炎を宿しているぜ、みたいな表情。ふふ。男って、そういうのずるいわよね」
私も彼に頼まれたとき、どうして断り切れなかったのか不思議だったけれど。きっと、理屈じゃないんだろうなって、彼女の顔を見ていると納得するしかなかった。
「そうだったんですね。私、ほとんど彼と喋ったこと無かったから、驚いちゃって。お金まで俺が出すとか、机に置かれて困りましたよ」
「あら、そうだったの?あなたも強引な男に弱いのね、ふふ」
「違いますよ。私はただ、彼が美容師になるべきか悩んでいるから、行って確かめてほしいって、利用されただけです。俺は髪を切って前向きになれたから、お前も前向きになれるはずだって。余計なお世話ですよ」
「そうね、確かに髪を切ったり染めるだけでも、世界が変わるくらいに激変しちゃう人は少なくないの。それは、ただ一言でも良い。あれ、髪切ったの?可愛いね。それだけで、その人は変われるのよ」
「そういうものなんですかね……」
「ええ。この目で見てきたから間違いないわ。でもね、結局その人は、自分自身の力で変わり続けていかないと、だめになっちゃうのよ」
「変わり続ける、ですか?」
「そう。例えば失恋したままの気持ちを、毎日新鮮なまま引きずっていたら。とても生きるのがしんどいでしょ?」
私は恋愛も失恋もしたことが無かったから、分からないけれど、彼女が言いたいことは痛いくらいに理解出来た。
小学生の頃に殴られた場所は、今も無意識に撫でてしまうから。
「ええ、そうですね……」
「だから、少しずつ忘れるのよ。嫌なことも、強く願った夢さえも。忘れることで、人は歩いていけるのよ」
自分に言い聞かせ、一つ一つの言葉を念じるように、私の背後まで回って静かに鋏を取り出した。
「でもね……」
明るい照明に当てられて、喜ぶように輝く鋏を、名残惜しそうに見つめていた。
「どんなに酷くても輝いてしまう思い出は、そんな簡単に忘れられないわよね……」
「髪を切ってもらった人との思い出ですか?」
「ええ、彼は生きているのかも分からない。私を置いて海外に行ったままなのよ」
勢いよく開かれた鋏が、痛いほど輝いていた。
ゆったりと流れるピアノの旋律を掻き消すように、美容院の目の前を救急車が通過していった。おぞましいサイレンと、鏡に反射する赤い光が、何もかもを赤くして消えて行った。
思い出したかのように、優しい音色に包まれても、彼女は微動だにしなかった。
こんな美人の彼女を悲しませているその人が、理由も分からず嫌いになってきていた。
縮こまる彼女の顔は見えないけれど、きっと辛い顔をしているんだろうなと思った。出来ることなら、彼女を後ろから抱きしめて話を聞いてあげたかった。
「あの、ごめんなさい。初対面の私なんかが、そんなこと聞いちゃだめですよね……」
沈黙に耐えられなくなって、私は謝ることしか出来なかった。
彼女は何かを振り払うように、首を左右に振っていた。握られた拳は微かに震えたまま、力強く立ち上がって振り返った。
怖いくらいに満面の笑顔だった。
「彼ね、死んじゃったのよ」
彼女の右目から静かに流れ落ちた涙が、地面に弾ける音がした。
無理をしている。そんな綺麗な笑顔に、胸が抉られたように痛んだ。
「そう、死んじゃってくれてた方が、楽なのにって。最近考えちゃうんだ……」
窓の外を眺める彼女は、とても辛そうに目を細めていた。
「ごめんなさい、初対面でこんな話されても困っちゃうわよね。あなたを見ていると、当時の私を思い出しちゃって……」
細く震える指で涙を払い除ける彼女に、何かしてあげたかった。
「いえ、私なんかで良かったら、お話聞かせて頂きたいです」
「やっぱり優しいのね。綺麗な目をしているもの、苦労してきたんでしょ」
「いえ、そんなことは……」
優しく微笑む彼女に、全てを見透かされているようで、何だか恥ずかしかった。
「この仕事をしているとね、沢山の人と出会えるから。少し話せばどんな人か、分かるようになっちゃうのよね。この人は、私の胸ばっかり見てるなとかね。ふふ」
重くなった空気を取り返すように、優しく彼女は微笑みながら言ってくれた。私も当然のように微笑みながら、返事出来るのが心地良かった。
「それは、大変なんですね」
「ええ、とても大変なのよ。ふふ、あなたを紹介した彼も、最初は鼻の下を伸ばしていたけれど。進路の相談をしてくれてからは、真剣な表情に変わっていったのよ。瞳の奥に燃え盛る炎を宿しているぜ、みたいな表情。ふふ。男って、そういうのずるいわよね」
私も彼に頼まれたとき、どうして断り切れなかったのか不思議だったけれど。きっと、理屈じゃないんだろうなって、彼女の顔を見ていると納得するしかなかった。
「そうだったんですね。私、ほとんど彼と喋ったこと無かったから、驚いちゃって。お金まで俺が出すとか、机に置かれて困りましたよ」
「あら、そうだったの?あなたも強引な男に弱いのね、ふふ」
「違いますよ。私はただ、彼が美容師になるべきか悩んでいるから、行って確かめてほしいって、利用されただけです。俺は髪を切って前向きになれたから、お前も前向きになれるはずだって。余計なお世話ですよ」
「そうね、確かに髪を切ったり染めるだけでも、世界が変わるくらいに激変しちゃう人は少なくないの。それは、ただ一言でも良い。あれ、髪切ったの?可愛いね。それだけで、その人は変われるのよ」
「そういうものなんですかね……」
「ええ。この目で見てきたから間違いないわ。でもね、結局その人は、自分自身の力で変わり続けていかないと、だめになっちゃうのよ」
「変わり続ける、ですか?」
「そう。例えば失恋したままの気持ちを、毎日新鮮なまま引きずっていたら。とても生きるのがしんどいでしょ?」
私は恋愛も失恋もしたことが無かったから、分からないけれど、彼女が言いたいことは痛いくらいに理解出来た。
小学生の頃に殴られた場所は、今も無意識に撫でてしまうから。
「ええ、そうですね……」
「だから、少しずつ忘れるのよ。嫌なことも、強く願った夢さえも。忘れることで、人は歩いていけるのよ」
自分に言い聞かせ、一つ一つの言葉を念じるように、私の背後まで回って静かに鋏を取り出した。
「でもね……」
明るい照明に当てられて、喜ぶように輝く鋏を、名残惜しそうに見つめていた。
「どんなに酷くても輝いてしまう思い出は、そんな簡単に忘れられないわよね……」
「髪を切ってもらった人との思い出ですか?」
「ええ、彼は生きているのかも分からない。私を置いて海外に行ったままなのよ」
勢いよく開かれた鋏が、痛いほど輝いていた。
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