そこにある愛を抱きしめて

雨間一晴

文字の大きさ
28 / 121

第二十八話 消えてほしい願い

しおりを挟む
「海外ですか?」

「ええ、十年前に旅立ったままよ」

 手際良く後ろ髪を持ち上げて、長く真っ白なヘアクリップで固定していく。右手に鋏と赤い櫛を両方持ち、切るときだけ櫛を左手に持ち替える。櫛を挟んだまま左手で襟足を引き伸ばし、右手の鋏が怖いくらいのスピードで髪を落としていく。

 右手、左手と、忙しく移動する櫛を、ぼんやりと視界に入れながら、彼女の辛そうな顔を見つめていた。

「どこにいるのかも、分からないんですか?」

「ふふ、笑っちゃうわよね」

「髪を切ってもらったのが、その人を好きになるきっかけなのですよね?」

「ええ、今のあなたのように、私も緊張しながら彼の一生懸命な顔を、じっと見ていたの。そして、カットしてもらった髪を学校で皆が褒めてくれてね。まあ、普段が地味だから、ただのギャップ効果みたいなものなんだけど。それが何だか悔しいくらいに嬉しくてね」

 私なんかを、誰かが褒めてくれるのかな……

「それで、毎月のように彼に切ってもらってね。まだ伸びてないから、あんまり変わらないよって。そう言われても気にしなかった」

「好きだったんですね……」

「ふふ、そうかもね。理由も分からず勉強しかしていない私には、夢に向かって頑張る彼が、痛いほどに輝いて見えたのかしらね。彼の夢もろくに知らないくせにね……」

 そんなことで人を好きになるのだろうか、男性を好きになったことがない私には、分からなかったけれど。流れるように髪を切る彼女のことを、もっと知りたかった。

「私は、大学受験を止めて、彼を追いかけることにしたの。彼に相談したら、強く反対されたのだけど。一度好きになっちゃったら、何を言われても、中々嫌いにはなれないものよね」

「その人は、どうして海外に行っちゃったんですか?」

「彼の夢だったのよ、私と出会う前からの。彼が美容院の専門学生だったとき、海外旅行に行ったみたいでね。寒いクリスマスの夜だったそう。そこで小学生くらいの子に『お金を下さい』って言われたらしいのよ。その子はボロボロになったゴミのような布を纏っていた。そこは都会の道路で、決して貧しい街でも国でもなかった。倒れるように横になって虚な目をしたその子の後ろでは、何台もの車が忙しく走り、いくつものお店がイルミネーションで輝いていた……」

 何て返して良いのか分からずに、ただ軽くなっていく頭に流れる、鋭い鋏の音を聞いていた。

「その少年はね、両足が膝から無かったのよ」

「……え」

「彼は、少年の前に置かれた汚い紙コップに、お金を入れて、大きなパンと水を買ってきた。そして、少年と一緒に食べながら話し出した」

「……優しいんですね」

「ふふ、単純なだけよ。彼は」

 その人を思い出す彼女の顔は、嬉しそうだったり、悲しそうだったり。今にも消えそうな蝋燭のように、不安定で繊細だった。

「そして彼は、少年から秘密を聞いてしまうの」

「秘密ですか?」

「ええ。彼は少年に、こんな少ないお金で何を買うんだって、聞いたの。自分が立ち去った後のことを心配していたのね」

「専門学生でそこまで出来るのは、立派ですね……」

「そう、彼はまだ未成年。彼も話かけている少年と変わらない、何も知らない少年なのよ。その少年、もらったお金は、大人に渡すんだって言ったらしいの」

「……大人に」

「ええ、要は悪い大人が、他人の子供を誘拐して、両足を切断したのよ」

 ジョキジョキと耳元で聞こえる音が、とても冷たく聞こえた。

「そんな……」

「最悪のビジネスなのよ。もちろん、全員がそうでは無いでしょう。生まれつきで働くことも出来ない、誰も助けてくれない環境で、その日を越えるためのお金を必死でもらう子だって多いはず。でも、そのときの彼には、その利用されている少年が、世界の全てだったのよ……」

「……酷い話ですね」

「ううん、本当に酷いのは私なのよ」

 機械のように一定のリズムを刻んでいた鋏が、動けなくなったように突然止まった。

「私は……。その少年が彼に会う前に、死んでくれていたら。そう思っちゃうのよ……」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

処理中です...