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第二十八話 消えてほしい願い
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「海外ですか?」
「ええ、十年前に旅立ったままよ」
手際良く後ろ髪を持ち上げて、長く真っ白なヘアクリップで固定していく。右手に鋏と赤い櫛を両方持ち、切るときだけ櫛を左手に持ち替える。櫛を挟んだまま左手で襟足を引き伸ばし、右手の鋏が怖いくらいのスピードで髪を落としていく。
右手、左手と、忙しく移動する櫛を、ぼんやりと視界に入れながら、彼女の辛そうな顔を見つめていた。
「どこにいるのかも、分からないんですか?」
「ふふ、笑っちゃうわよね」
「髪を切ってもらったのが、その人を好きになるきっかけなのですよね?」
「ええ、今のあなたのように、私も緊張しながら彼の一生懸命な顔を、じっと見ていたの。そして、カットしてもらった髪を学校で皆が褒めてくれてね。まあ、普段が地味だから、ただのギャップ効果みたいなものなんだけど。それが何だか悔しいくらいに嬉しくてね」
私なんかを、誰かが褒めてくれるのかな……
「それで、毎月のように彼に切ってもらってね。まだ伸びてないから、あんまり変わらないよって。そう言われても気にしなかった」
「好きだったんですね……」
「ふふ、そうかもね。理由も分からず勉強しかしていない私には、夢に向かって頑張る彼が、痛いほどに輝いて見えたのかしらね。彼の夢もろくに知らないくせにね……」
そんなことで人を好きになるのだろうか、男性を好きになったことがない私には、分からなかったけれど。流れるように髪を切る彼女のことを、もっと知りたかった。
「私は、大学受験を止めて、彼を追いかけることにしたの。彼に相談したら、強く反対されたのだけど。一度好きになっちゃったら、何を言われても、中々嫌いにはなれないものよね」
「その人は、どうして海外に行っちゃったんですか?」
「彼の夢だったのよ、私と出会う前からの。彼が美容院の専門学生だったとき、海外旅行に行ったみたいでね。寒いクリスマスの夜だったそう。そこで小学生くらいの子に『お金を下さい』って言われたらしいのよ。その子はボロボロになったゴミのような布を纏っていた。そこは都会の道路で、決して貧しい街でも国でもなかった。倒れるように横になって虚な目をしたその子の後ろでは、何台もの車が忙しく走り、いくつものお店がイルミネーションで輝いていた……」
何て返して良いのか分からずに、ただ軽くなっていく頭に流れる、鋭い鋏の音を聞いていた。
「その少年はね、両足が膝から無かったのよ」
「……え」
「彼は、少年の前に置かれた汚い紙コップに、お金を入れて、大きなパンと水を買ってきた。そして、少年と一緒に食べながら話し出した」
「……優しいんですね」
「ふふ、単純なだけよ。彼は」
その人を思い出す彼女の顔は、嬉しそうだったり、悲しそうだったり。今にも消えそうな蝋燭のように、不安定で繊細だった。
「そして彼は、少年から秘密を聞いてしまうの」
「秘密ですか?」
「ええ。彼は少年に、こんな少ないお金で何を買うんだって、聞いたの。自分が立ち去った後のことを心配していたのね」
「専門学生でそこまで出来るのは、立派ですね……」
「そう、彼はまだ未成年。彼も話かけている少年と変わらない、何も知らない少年なのよ。その少年、もらったお金は、大人に渡すんだって言ったらしいの」
「……大人に」
「ええ、要は悪い大人が、他人の子供を誘拐して、両足を切断したのよ」
ジョキジョキと耳元で聞こえる音が、とても冷たく聞こえた。
「そんな……」
「最悪のビジネスなのよ。もちろん、全員がそうでは無いでしょう。生まれつきで働くことも出来ない、誰も助けてくれない環境で、その日を越えるためのお金を必死でもらう子だって多いはず。でも、そのときの彼には、その利用されている少年が、世界の全てだったのよ……」
「……酷い話ですね」
「ううん、本当に酷いのは私なのよ」
機械のように一定のリズムを刻んでいた鋏が、動けなくなったように突然止まった。
「私は……。その少年が彼に会う前に、死んでくれていたら。そう思っちゃうのよ……」
「ええ、十年前に旅立ったままよ」
手際良く後ろ髪を持ち上げて、長く真っ白なヘアクリップで固定していく。右手に鋏と赤い櫛を両方持ち、切るときだけ櫛を左手に持ち替える。櫛を挟んだまま左手で襟足を引き伸ばし、右手の鋏が怖いくらいのスピードで髪を落としていく。
右手、左手と、忙しく移動する櫛を、ぼんやりと視界に入れながら、彼女の辛そうな顔を見つめていた。
「どこにいるのかも、分からないんですか?」
「ふふ、笑っちゃうわよね」
「髪を切ってもらったのが、その人を好きになるきっかけなのですよね?」
「ええ、今のあなたのように、私も緊張しながら彼の一生懸命な顔を、じっと見ていたの。そして、カットしてもらった髪を学校で皆が褒めてくれてね。まあ、普段が地味だから、ただのギャップ効果みたいなものなんだけど。それが何だか悔しいくらいに嬉しくてね」
私なんかを、誰かが褒めてくれるのかな……
「それで、毎月のように彼に切ってもらってね。まだ伸びてないから、あんまり変わらないよって。そう言われても気にしなかった」
「好きだったんですね……」
「ふふ、そうかもね。理由も分からず勉強しかしていない私には、夢に向かって頑張る彼が、痛いほどに輝いて見えたのかしらね。彼の夢もろくに知らないくせにね……」
そんなことで人を好きになるのだろうか、男性を好きになったことがない私には、分からなかったけれど。流れるように髪を切る彼女のことを、もっと知りたかった。
「私は、大学受験を止めて、彼を追いかけることにしたの。彼に相談したら、強く反対されたのだけど。一度好きになっちゃったら、何を言われても、中々嫌いにはなれないものよね」
「その人は、どうして海外に行っちゃったんですか?」
「彼の夢だったのよ、私と出会う前からの。彼が美容院の専門学生だったとき、海外旅行に行ったみたいでね。寒いクリスマスの夜だったそう。そこで小学生くらいの子に『お金を下さい』って言われたらしいのよ。その子はボロボロになったゴミのような布を纏っていた。そこは都会の道路で、決して貧しい街でも国でもなかった。倒れるように横になって虚な目をしたその子の後ろでは、何台もの車が忙しく走り、いくつものお店がイルミネーションで輝いていた……」
何て返して良いのか分からずに、ただ軽くなっていく頭に流れる、鋭い鋏の音を聞いていた。
「その少年はね、両足が膝から無かったのよ」
「……え」
「彼は、少年の前に置かれた汚い紙コップに、お金を入れて、大きなパンと水を買ってきた。そして、少年と一緒に食べながら話し出した」
「……優しいんですね」
「ふふ、単純なだけよ。彼は」
その人を思い出す彼女の顔は、嬉しそうだったり、悲しそうだったり。今にも消えそうな蝋燭のように、不安定で繊細だった。
「そして彼は、少年から秘密を聞いてしまうの」
「秘密ですか?」
「ええ。彼は少年に、こんな少ないお金で何を買うんだって、聞いたの。自分が立ち去った後のことを心配していたのね」
「専門学生でそこまで出来るのは、立派ですね……」
「そう、彼はまだ未成年。彼も話かけている少年と変わらない、何も知らない少年なのよ。その少年、もらったお金は、大人に渡すんだって言ったらしいの」
「……大人に」
「ええ、要は悪い大人が、他人の子供を誘拐して、両足を切断したのよ」
ジョキジョキと耳元で聞こえる音が、とても冷たく聞こえた。
「そんな……」
「最悪のビジネスなのよ。もちろん、全員がそうでは無いでしょう。生まれつきで働くことも出来ない、誰も助けてくれない環境で、その日を越えるためのお金を必死でもらう子だって多いはず。でも、そのときの彼には、その利用されている少年が、世界の全てだったのよ……」
「……酷い話ですね」
「ううん、本当に酷いのは私なのよ」
機械のように一定のリズムを刻んでいた鋏が、動けなくなったように突然止まった。
「私は……。その少年が彼に会う前に、死んでくれていたら。そう思っちゃうのよ……」
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