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第二十九話 敗北
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淡々と話す彼女の瞳に、光が届いていない気がした。
「その少年の話も、本当かどうか分からないじゃない」
「……どういうことですか?」
「その少年がお金欲しさに、嘘を付いているかもしれない……」
辛そうに目を細める彼女が見ていられなかった。きっと、そんなこと思いたくないのだろう。
「……彼はね、少年を助けたい。そう心から思ってしまったのよ」
鋏が動き出す。何の抵抗もなく、髪が切り落とされていく。彼女がやろうと思えば、私は簡単に殺される。そんなことを思ってしまうくらい、鋏は容赦無く動き続けた。
「彼は、少年に約束してしまったの……」
「約束ですか……」
「そう、私よりずっと先にね。『今の自分には君を救えない。でも、必ず救いに来るから名前を教えて』そんな、かっこいいことを言ったらしいわ、自分がサンタにでも、なったつもりだったのかしらね」
「……かっこいいですね」
「困っちゃうくらいにね。それから彼は、仕事の無い子供達に髪を切ることを教えて回ろう。そう決心してしまったのよ。それが彼の夢。私に会う前からのね……」
素敵な夢ですね。そう言うべきなのだろう。でも、何も言えなかった。
「必死になって彼だけを思い、専門学校を卒業して美容師になった。そして彼の働くこの店に入って、やっと一緒に働き出せたのが十年前よ。当時、付き合い始めてたったの二年よ。彼はクリスマスに大事な話があると言って、私を家に呼んだの」
「ここで、その人も働いていたのですね……」
「ええ、そうよ。私は専門学校に入ってすぐ彼に告白したの。カットの練習や、国家試験の美容師になるための勉強は大変だったけれど、彼が居てくれたから頑張れた。彼のためだけに頑張っていたの。そして、大事な話があると言われて
私はプロポーズされるんだと思って、もう幸せで倒れそうだったわ」
幸せそうに話す彼女は、静かに涙を流していた。
「彼の家に行く前に、入念過ぎるほどに化粧をして、何度も鏡を見たことを、昨日のことのように覚えているわ。必要も無かったのに、何度も下着から上着まで、何を着て行くか悩んだり。彼にキスしてもらうために、何本もの口紅を並べて選べずにいたり。馬鹿みたいよね」
彼女の辛そうな精一杯の笑顔に、胸が痛いくらいに締め付けられた。
「彼の家に向かうまでは幸せだった。その窓から見える景色は今も変わらないわ。綺麗に輝く商店街に、腕を組んで幸せそうなカップルを見ては、早く彼に会いたくて早足になった。彼の家に着いたら、どうしよう。プロポーズには、何て返事をしよう。あっちの服の方が良かったかな。色んな思いが溢れそうなほど、まとまらないままに着いてしまったの」
話の続きを聞くのが怖かった。そして何でこんな話を、初対面の私にしてくれるのかが、ずっと不思議だった。
「彼の一人暮らしの家。小さなアパート。その合鍵を持っていることだけでも、怖いくらいに幸せだった。私がドアを開けると、彼はすぐに私を抱きしめたわ。ああ、このまま私は、この人と一生を過ごせるんだ。彼の熱いくらいに暖かい胸に、体を預けて目を閉じたのよ」
手を止めて、眠るように目を閉じたまま、話は続いた。
「そして、彼のプロポーズの言葉が来ると信じて疑わなかった。たった一言でも良かった。『結婚しよう』それだけで良かったのよ。いいえ、言葉もいらなかった。ただ、彼と一緒に居たかった。彼はね、馬鹿みたいに涙を流して、私に言ったのよ。『ごめん』って。そして彼の夢の話を初めて聞かされたの。私は、その少年に負けたのよ……」
「その少年の話も、本当かどうか分からないじゃない」
「……どういうことですか?」
「その少年がお金欲しさに、嘘を付いているかもしれない……」
辛そうに目を細める彼女が見ていられなかった。きっと、そんなこと思いたくないのだろう。
「……彼はね、少年を助けたい。そう心から思ってしまったのよ」
鋏が動き出す。何の抵抗もなく、髪が切り落とされていく。彼女がやろうと思えば、私は簡単に殺される。そんなことを思ってしまうくらい、鋏は容赦無く動き続けた。
「彼は、少年に約束してしまったの……」
「約束ですか……」
「そう、私よりずっと先にね。『今の自分には君を救えない。でも、必ず救いに来るから名前を教えて』そんな、かっこいいことを言ったらしいわ、自分がサンタにでも、なったつもりだったのかしらね」
「……かっこいいですね」
「困っちゃうくらいにね。それから彼は、仕事の無い子供達に髪を切ることを教えて回ろう。そう決心してしまったのよ。それが彼の夢。私に会う前からのね……」
素敵な夢ですね。そう言うべきなのだろう。でも、何も言えなかった。
「必死になって彼だけを思い、専門学校を卒業して美容師になった。そして彼の働くこの店に入って、やっと一緒に働き出せたのが十年前よ。当時、付き合い始めてたったの二年よ。彼はクリスマスに大事な話があると言って、私を家に呼んだの」
「ここで、その人も働いていたのですね……」
「ええ、そうよ。私は専門学校に入ってすぐ彼に告白したの。カットの練習や、国家試験の美容師になるための勉強は大変だったけれど、彼が居てくれたから頑張れた。彼のためだけに頑張っていたの。そして、大事な話があると言われて
私はプロポーズされるんだと思って、もう幸せで倒れそうだったわ」
幸せそうに話す彼女は、静かに涙を流していた。
「彼の家に行く前に、入念過ぎるほどに化粧をして、何度も鏡を見たことを、昨日のことのように覚えているわ。必要も無かったのに、何度も下着から上着まで、何を着て行くか悩んだり。彼にキスしてもらうために、何本もの口紅を並べて選べずにいたり。馬鹿みたいよね」
彼女の辛そうな精一杯の笑顔に、胸が痛いくらいに締め付けられた。
「彼の家に向かうまでは幸せだった。その窓から見える景色は今も変わらないわ。綺麗に輝く商店街に、腕を組んで幸せそうなカップルを見ては、早く彼に会いたくて早足になった。彼の家に着いたら、どうしよう。プロポーズには、何て返事をしよう。あっちの服の方が良かったかな。色んな思いが溢れそうなほど、まとまらないままに着いてしまったの」
話の続きを聞くのが怖かった。そして何でこんな話を、初対面の私にしてくれるのかが、ずっと不思議だった。
「彼の一人暮らしの家。小さなアパート。その合鍵を持っていることだけでも、怖いくらいに幸せだった。私がドアを開けると、彼はすぐに私を抱きしめたわ。ああ、このまま私は、この人と一生を過ごせるんだ。彼の熱いくらいに暖かい胸に、体を預けて目を閉じたのよ」
手を止めて、眠るように目を閉じたまま、話は続いた。
「そして、彼のプロポーズの言葉が来ると信じて疑わなかった。たった一言でも良かった。『結婚しよう』それだけで良かったのよ。いいえ、言葉もいらなかった。ただ、彼と一緒に居たかった。彼はね、馬鹿みたいに涙を流して、私に言ったのよ。『ごめん』って。そして彼の夢の話を初めて聞かされたの。私は、その少年に負けたのよ……」
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